やり直せない過去
それからマインラートはこの一年半の話をしてくれた。
レーネ様と出会った頃のことをコンラートに話し、自分の弱さを認めてコンラートに謝り、わたくしに償うために自分は引退して、わたくしと二人で領地に帰って暮らすつもりだったと。
それを反対したのはコンラートで、当主の仕事もわたくしの看護も一人では無理だからと家族で助け合ってきた。それでもぶつかってばかりでなかなかうまくはいかなかった。
そんな時にユーリの妊娠がわかり、子どもが生まれ、その子を見てわたくしが正気になったということらしい。
「ウィルフリードというのですね、あの子は。本当に生まれたばかりのコンラートにそっくり」
「コンラートが平和という意味で名前を考えたらしいんだが、ユーリが家族の平和を守る存在になって欲しいと願いを込めたそうだ。だが、事実ウィルフリードがきっかけで君がこうして話せるようになったことを考えると、
「……ええ、そうですね。わたくしの間違いを教えてくれたのもあの子。大切な存在を見失ってはいけないと」
いつしか見失ってしまっていたコンラートとわたくしを、再び結びつけてくれたのだ。
それにユーリも。彼女のおかげでシュトラウス家は変わり始めた。
コンラートも愛し愛される存在に出会い、親になったことで気持ちに変化が生まれたのだろう。わたくしがそうだったように。
「……よかった」
「何がだ?」
「コンラートには愛された記憶がないから心配していたのです。わたくしはコンラートに愛し方を教えることができませんでした。わたくし自身も愛された記憶がありませんから。だからあの子を救ってくれる人が現れるのを待っていたのかもしれません。他人任せで情けないですが」
自嘲するように笑うと、マインラートは沈痛な面持ちで首を振る。
「……私にもできなかった。力がなければ惨めな思いをするだけだと、自分の経験からあいつに教育ばかり押し付けて、こんなこともできないでどうすると叱責していた。優しい言葉もかけずにひたすら叱られるのは腹が立つばかりだと今ならわかるんだが、何故気づかなかったんだろうな……」
「……わたくしもあなたの悔しさはわかります。あなたは当主になったばかりで侮られ、力になってくださる方はグヴィナー伯爵しかいらっしゃらなかった。一度愛人になるという条件をのむか聞いた時に嫌がっていたのに、わたくしの実家からの援助が期待できなかったから、結局受け入れるしかなかったのでしょう?」
マインラートは気まずそうに目を伏せる。
「……そうか。知っていたんだったな。だが、どうして……」
言うかどうか悩んだけれど、もう隠す意味はないだろう。わたくしが実家でどういう扱いだったかを知っているのなら。わたくしはあの頃を思い出しながら、ぽつぽつと話す。
「……わたくしにもできることがないかと、内緒で実家に援助を求めたのです。だけど、追い返されてしまって……」
「……そうか。言ってくれればよかったのに」
「言えるわけありません。期待した分だけがっかりさせてしまうのがわかりますから。それに……」
「どうした?」
言い淀んだわたくしに、マインラートは怪訝な顔をする。
この期に及んで、まだマインラートによく思われたいという浅ましい気持ちがわたくしの中にはあった。それがわたくしを躊躇させる。
だけど、そうやって向き合わずにきた結果、二人を傷つけてきたのだ。嫌われるのを覚悟で告げる。
「……あなたには知られたくなかったんです。わたくしが役に立たないことを。知ればわたくしは実家に帰されるでしょうから……」
「そうか……」
その後どうなるかは言わなかったけれど、マインラートは察したようで険しい顔で俯く。
「……本当に私は何も見えていなかった。君が私に心を開いてくれないのは私を見下しているからかと思っていたよ」
思いがけない言葉にわたくしは目を見開いた。
「何故ですか? あなたを見下すなんて……」
「……私は当主になったばかりで頼りないし、シュトラウスは落ち目だった。それに私は家を立て直すためとはいえ、男娼まがいのことをしていたから、そんな家に嫁がされたと君は腹を立てているのかと……」
「そんなことはありません。わたくしは実家から出られたことや、あなたが共に頑張って欲しいと言ってくださったことが嬉しかった。だけど、あなたにどう接すればいいのかがわからなくて……」
そこでわたくしが黙ると、マインラートも何も言えずに黙り込む。お互いがお互いを誤解していたのだ。それがなければ、なんてまた考えてもどうしようもない。
全てはもう終わったことなのだ。いいようのない寂寥感に襲われる。わたくしはいつも後になって間違えたことに気づくのだ。それも取り返しのつかない間違いに。
「……全ては終わったことです。もう、前を見て進みましょう」
「ああ、そうだな……」
失った時間はもう戻せないし、歪んだ形も元には戻らない。それならまた新しい形で始めるしかない。
そのためにも離縁するべきだと思う。ただ、マインラートはわたくしの体調が戻ってからその話をしようと言った。
だから、わたくしは決めた。話をするためにも体力を回復させようと。
介助なしで動けるようになればもうマインラートが責任に縛られることもない。
早く彼を解放してあげたい。そんな気持ちの裏には、こんな風に優しくされると愛してもらえると期待して離れたくなくなるから、早く離れたいという自分本意な気持ちも含まれている。
人というのはそんなに簡単に変わらない。結局わたくしは自分勝手な気持ちを捨てられないのだ。
──変わりたい。
これまでの自分から本気で変わりたいと、目の前のマインラートにはわからないように固く拳を握り締めるのだった。
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