愛されるために

 彼女の叫びを聞いて、わたくしはなんとも言えない気分になった。彼女には確かに同情の余地はあるのかもしれない。


「……言いたいことはそれだけか?」


 マインラートの低い声が響く。彼は怒っている。声音だけでなく、表情や仕草からもそれは感じ取れた。


「アイリーンは後継を産んだからだけでなく、子爵家のために、家族のために貢献してくれたから、今もこうして子爵夫人という位置にいるんだ。それを他人のあなたがどうこう言う問題じゃない。あなたがこうやって卑怯な手段を取った時点であなたは被害者ではなく、最早加害者だ。同情の余地はない」


 フィリーネ様は鼻で笑う。


「それはあなたもでしょうよ。あなたがレーネ様と関係していることを教えてあげた時のこの人の衝撃を受けた顔。そのおかげで、それまで貞淑な妻ぶっていたこの人につけ込むのなんて簡単だったわ。あなたも同罪よ」


 マインラートは顔を歪めて俯く。


「……ああ。私も同罪だ。そんなことはわかっている」


 違う。弱いわたくしが悪いのに。必死で頭を振ってもわかってもらえない。思わず焦って叫んだ。


「違います! わたくしが許したのです。あなたは何も悪くない!」

「もう、いいんだ。それ以上自分を責めるのはやめてくれ。そうでないと……」


 そこでマインラートは話を切った。頭を振るとフィリーネ様とカイを連れ出すように命令した。


 自分は悪くないと主張し続けるフィリーネ様と、黙って項垂れるカイたちが部屋を出て行くと静けさが戻る。


 未だにベッドに横たわっていたわたくしは、慌てて体を起こした。マインラートは真剣な表情で屈むと、わたくしを強く抱きしめる。


「……よかった。無事で」

「……どうして、ここに?」


 わたくしの頭の中は疑問符でいっぱいだった。マインラートはそのまま答えてくれる。


「……君の様子が数日前からおかしかっただろう? その日のうちに手紙が原因だとわかったから、フィリーネが何を企んでいるのか調べたんだ。それでニーナから私宛に来た手紙を偽造して、それを元に脅迫するつもりだとわかってね。商会を通してクラルヴァインに、二人がシュトラウスに喧嘩を売ってきたから報復措置として取引停止をすると通告して、二人の籍を抜かせたんだ。そうでないとまだロクスフォードの後ろ盾が通用するかわからなかったからね」

「それならわたくしのしたことは……」


 無駄だったのかと力が抜けた。


 いつもこうだ。守りたいと思っても空回りするばかりで。役に立ちたいと思っても役に立たない。結局今回もマインラートに助けられた。


 ──わたくしは必要ない。


 無力感でいっぱいで涙が込み上げる。ぽつぽつと落ちる涙に気がついたマインラートは体を離してわたくしを見る。


「……見ないでください」


 こんなにみっともない自分は見られたくない。それなのにマインラートは首を振る。


「嫌だ」


 その返事に怒りが込み上げてくる。本当なら彼にぶつけるべきでない怒りが彼に向く。


「見ないでって言っているでしょう⁈ わたくしは本当に馬鹿だわ。こんな自分が大嫌い。消えてしまいたい──」


 わたくしの言葉にマインラートが被さる。


「君は馬鹿じゃない。優しいだけだ。自分が全て招いたことだから責任を取らないといけないと思っているんだろう? だけど、そうじゃない。そもそも原因を作ったのは私だ。私が悪い」

「違……違います……!」

「いいや、私が悪い。だから君には責める権利がある。いいんだ。あなたが悪いと言っても」

「い……や……」


 ぼろぼろと泣きながら頭を振る。そんなこと思ってはいけない。悪いのは全てわたくし。そうでないといけない。


 マインラートはそんなわたくしに根気よく言い聞かせる。


「……愛されるにはどうすればいいか、考えたんだろう? わがままを言ってはいけない、素直でないといけない、従順でないといけない。そうでなければ嫌われる。だから君は自分の感情を封じ込めた。いい子でないと愛されないから」

「違う、違う、違うっ……!」

「違わない。だけどもう我慢しなくていいんだ。思ったことをぶつけてくれ。私が受け止めるから」


 何で、どうしてわかるの。

 血が繋がった家族ですらわかってくれなかったのに。堪らずにマインラートに縋り付き、嗚咽を堪えながら言葉を紡ぐ。


「……どんなにいい子を演じても否定されるから……人のせいにしようとする狡いわたくしをみんな見抜いているからわたくしは愛されないのだと……そう思わなければ耐えられなかった。自分の存在自体が間違いだなんて思いたくなかった……っ」


 そう。生まれてきたことを否定されると、どんなに頑張っても認めてはもらえない。


 だから自分が悪いと思い込んだ。努力が足りない自分が悪いのだと。そうすれば努力は報われる、頑張っていればいつか認めてもらえると信じて。


 結局、わたくしはマインラートやコンラートを愛しているつもりで、自分を一番に考えてしまっていた。自己憐憫に浸って、自分の殻に閉じこもって。


 それで気づいて欲しいなんて身勝手だ。わたくしはいつもそうして自分を守るばかりで二人を蔑ろにしてしまっていた。


「……人としても女としても愛されたかった。だけど、どうすればいいのかわからなくて……馬鹿なわたくしはカイの甘言に乗ってしまった……二人がわたくしをつまらない女だと嘲笑っていることも知らずに……」


「……そうか」


 マインラートの腕に力がこもる。


「わたくしが間違えなければ、こんなことにはならなかった……わたくしは、自分であなたへの思いを踏みにじって、コンラートを裏切った……っ」


 わたくしは弱くて汚い。そんな自分が大嫌い。

 なのにマインラートは言う。


「君は悪くない。君は頑張ったんだ。今だってコンラートのために頑張ったんだろう?」

「……だけど、何もできなかった」

「君がコンラートのために頑張ろうとした気持ちは嘘じゃない」

「あ、ああ……あああ……っ」


 言葉にならずに慟哭だけがほとばしる。長年胸につっかえていたものが溶けていくようだった。


 しばらくして、マインラートはぽつりと言う。


「それに君はつまらない女ではないよ。あの男が君に乗りかかってるのを見て頭に血が上った。過去のことだとわかっていても腹が立つ。あんな男に君が好きなようにされたのかと思うと」

「……それなら忘れさせてください」


 これまで言えなかった願い。本当は身も心もマインラートに愛されたかった。だけど、そんなことを願ってはいけないと自分で自分に禁じていた。


「え?」


 マインラートの戸惑う声に怯みそうになる気持ちを叱咤する。


「あなたに忘れさせて欲しいんです……お願い」


 マインラートの顔を見ると、真剣な瞳と視線がぶつかる。


「アイリーン……」


 返事の代わりに慰撫するような口づけが降ってきて、再びわたくしはベッドに沈んだ──。

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