彼との約束
結婚式後、家族と言葉を交わすことなく、わたくしはマインラートとシュトラウス邸に移動した。同じ子爵家だけど、派手好きな実家とは違って、素朴というか質素な佇まいで、わたくしはシュトラウス邸の方が好きだ。
マインラートはあまり外観に頓着しないのか、それとも引き継いだばかりで大変なのか、屋敷は少しくたびれて見える。それに手を入れるのも、女主人になるわたくしの仕事になるのだろう。
屋敷の前には出迎えの使用人たちが並んで、わたくしたちを待っていた。
そこでマインラートが口を開く。
「皆、ただいま。今日からアイリーンもこちらで暮らすから、色々と頼むよ」
「はい。よろしくお願いいたします、奥様」
そう言って前にいた執事が頭を下げる。これまでに屋敷を訪ねたことがあるから彼とは初対面ではない。だけど、これまでと違って奥様と呼ばれることが面映ゆかった。
「こちらこそよろしくお願いするわね」
それから、挨拶もそこそこにわたくしたちは屋敷の中に入った。マインラートの後を付いて行き、用意された自室へと向かう。
廊下をしばらく歩いたところでマインラートは立ち止まり、振り返る。
「ここが君の部屋だ。隣が私の部屋だから何かあれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとうございます」
マインラートと別れて侍女と共に部屋に入る。内装はクリーム色で落ち着いていて、どこか温かみを感じた。ここでなら見栄や建前で武装する必要がないと思うとほっとする。
だけど、息つく間もなく侍女に着替えを促される。それというのも今日は大切な日だからだ。結婚した日だからというだけでなく、初夜が待っている。
わたくしはそのために嫁いできたといっても過言ではないだろう。後継を生むことでわたくしの子爵夫人としての地位は盤石になり、シュトラウス家とブリーゲル家の結びつきは強くなる。失敗はできないと、侍女には見えないように拳を握り締めた。
侍女に手伝ってもらい着替え終わると、控えめなノックがあり、続いて扉越しにメイドの声が聞こえてきた。
「旦那様がお待ちです」
「ええ、今行くわ」
返事をして、侍女を伴い廊下に出た。そこで私服に着替えたマインラートと合流する。
薄手のシャツを身に纏うと、彼の立派な体躯が際立つ。今夜は彼と閨を共にするのだと考えて、頰が熱を帯びる。生々しい想像をして、わたくしはただでさえ少ない口数が減った。
「急かして申し訳ないが、とりあえず夕食にしよう。覚えてもらうことは色々あるが、追々でいいから」
「ええ。ありがとうございます」
それから食堂へ行き、夕食を食べる。だけど、ここでもやっぱり話は弾まない。確かに食べながら話すのは行儀が悪いとは思う。それでも気まずい沈黙の中で食べていると、味を感じない。
マインラートはどう思っているのかと顔を上げて正面の彼を見ると、困ったように眉を下げていた。
「……何というか、静かだな」
「……そうですわね」
そしてまた沈黙。うまい会話もできない自分がもどかしい。だけど、気を遣っているらしいマインラートがわたくしに話を振ってくれる。
「今日は疲れたんじゃないのか?」
「え? ええ。ですが、それはあなたもでしょう?」
衆人環視の中、見世物になるのは神経を遣う。思い出して溜息を吐きそうになったのを堪えると、マインラートは苦笑する。
「そうだな。私はまだ子爵家当主としては頼りないから、どうしても必要以上に気を張ってしまって。肩に力が入って、凝って仕方がない」
「そう、ですの? 堂々としていらっしゃるから平気なのだと思っていましたわ」
「……私はそんなに立派ではないよ。君もきっと気づいているだろうが、この屋敷も手入れが行き届いていない。黙っているのはフェアではないから正直に言うよ。今現在、シュトラウス家は厳しいんだ。とはいえ、この時代どこも同じかもしれないがね」
ひょっとしたらとは思っていた。父が
「……わたくしに何かできることはありますか?」
思いがけない問いだったのか、マインラートはわたくしを凝視する。それが不安で徐々に声が小さくなる。
「いえ、縁あってこの家に嫁いだのです。わたくしにも何かできることがあればと……」
マインラートは破顔する。眩しい笑顔を向けられて、胸がときめいた。
「ありがとう。君にはこの屋敷の切り盛りをお願いしたいのと、後継を産んで欲しいかな。あとは私が頑張るから」
「それだけでいいのですか?」
大変な時ならば、わたくしも本来の子爵夫人の仕事以外にもっと違ったことをするべきではないのだろうか。思わず疑問を返したわたくしに、マインラートは苦笑する。
「君はそれだけって言うが、大変だと思うよ。これから私は忙しくなるから留守がちになると思う。その間、家を守って欲しいんだ」
「わかりました」
神妙に頷くと、マインラートはわたくしに深く頭を下げる。
「……嫁いできたばかりだというのに、不安要素ばかりで申し訳ない。だが、共に頑張って欲しい」
「ええ、もちろんです」
これまで実家では誰からも期待されなかった。他人であるマインラートがわたくしを信じて任せてくれたのが嬉しくて、力強く断言する。
何があったとしても彼との約束を守ろうと、心に刻んだのだった。
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