実家の実情
「……シュトラウスが持ち直した頃から、ブリーゲルとは力関係が逆転して、あちらが大変になったのは君も知っているだろう?」
「ええ。当主が交代したことで領地経営の方針が変わったと聞いています」
当主が父から弟に変わったのはいいけれど、弟にはそのまま引き継がれなかった。それもこれも両親が弟に教育をしっかりしなかったからだろう。
弟はこれまでのものを守る方針では駄目だと、税を上げたり、無償で提供していた炊き出しなどを廃止、もしくは金銭や物を要求するようになった。
そのため、ただでさえ貧しい領民はその厳しさに耐えられず領地を逃げ出していた。だからマインラートがブリーゲルに援助をするようになって状況が改善されたと思っていたのだけど、違うのだろうか。
「……私もずっと援助を続けてきたんだが、あまり変わり映えしないんだ。それで少し調べたんだが……」
マインラートは言いづらそうに言葉を切る。それが不安になりつつも次の言葉を待った。
「彼らはどうも、その援助金を自分たちの懐に入れているようだよ」
「なっ……」
そこまで実家が腐っているとは思わず、わたくしは絶句した。マインラートは沈痛な表情で続ける。
「もちろん、最初からではないよ。最初はその援助金を領地経営に回していたんだ。だが、このご時世、普通に領地経営を行うだけでは厳しい。切り詰めながらやり繰りしていたようだが、耐えられなくなったんだろうな。もっと援助を寄越せと言ってきたから、こちらも大変だからこれ以上は難しい、自分たちで生き残る方法を考えて欲しいとお願いしたんだ。それからは何も言わなくなってはいたんだが……」
「……本当に申し訳ありません。ブリーゲルの者として恥ずかしく思います」
怒りと羞恥で目の前が真っ赤になった。
最初に約束を
あまりにも身勝手過ぎる。
本当にマインラートには迷惑をかけてしまったのだと申し訳なく思う。マインラートの顔を見られなくて項垂れて呟く。
「……やはり離縁を……」
「それは駄目だと言っているだろう」
マインラートは強い口調で言う。
だけど、これはあんまりだ。マインラートの気持ちを聞いたから余計にやるせない。心底情けなくて涙が出てきた。
「……わたくしがいるからそうするしかないのでしょう? やっぱりわたくしはいない方がいいんです」
「違う! この話をしたのは君に実家の影響から抜け出して欲しかったからだ。君自身の価値は君の実家にあるわけじゃない。君も言っただろう? 私が子爵家当主でなくても意味があると。君もそうだ。実家がどうあれ、君自身がここにいる意味はあるんだ」
「ですが、こんなのは、あんまりです……!」
わたくしはずっと何も知らなかった。知ろうともしなかった。それがどれだけ罪深いことなのかわかっていたのに。
涙が止まらず、顔を覆って泣き続けるしかなかった。自分が見ようとしなかったことで領民たちも苦しめられ、虐げられた。
あの人たちは何も変わっていない。このままでは駄目なのだ。わたくしの中で一つの思いが芽生えた。
──わたくしが終わらせなければ。
間違った道を歩む弟を正しい道へ。それがわたくしにできる領民たちへの償いなのかもしれない。
「……マインラート。お願いがあります……」
涙を拳で拭いながらマインラートに言う。マインラートは怪訝な顔で頷く。
「ああ。どうしたんだ?」
「……ブリーゲルへの援助を打ち切ってください。わたくしのことは、もう気にしなくても構いません」
「だが……」
逡巡するマインラートに、更に頼む。
「お願いします。後のことはわたくしに任せてください」
「後のこと? 君は一体何をするつもりなんだ?」
「……実家へ参ります。それで弟と直接話します」
そうしなければいけない。これまでわたくしが目を逸らしていた現実と向かい合う時が来たのだ。前へ進むためにも。わたくしの中で気持ちが固まっていた。
だけど、マインラートは眉を顰める。
「……私は反対だ。援助を打ち切るのはまだ聞けるが、会いに行くのはどうかと思う。また傷つけられるだけだろう?」
「そんなことは今更です。傷つくことが怖いからと逃げ続けた結果、こうなってしまいました。わたくしはこれ以上、見て見ない振りはしたくありません……レーネ様、フィリーネ様のことで思い知りました。逃げたところで過去はついて回るのです。それも、より歪んだ形で。話したところで無駄かもしれません。ですが……!」
マインラートの服を掴んで必死に訴える。服を掴む手に力が籠って痛いくらいだ。
マインラートは溜息を吐くと苦笑する。
「……君は言い出したら聞いてくれないんだな。そんなつもりで話したわけじゃないんだが……わかった」
「ありがとう、ございます……!」
マインラートの返事に喜色の声を上げると、マインラートは続けた。
「ただし、私も行くよ。君一人だと危ないからね。私がいれば暴力沙汰にはならないはずだ」
わたくしはその言葉に悩む。マインラートにこれ以上の迷惑をかけることもさることながら、それだと向こうが本音で話してくれない気がしたのだ。
「……いえ、わたくし一人で話したいのです。殴られてもわたくしは今度は折れるつもりはありません。そのくらいの覚悟で臨まないとあの子にはわかってもらえない気がするんです」
「駄目だ」
「譲りません」
二人で睨み合う。それでもわたくしはわかってもらえるまで粘るつもりだった。お互いに視線を外さないまま時間が経ち、先に折れたのはマインラートで、渋面で妥協案を出す。
「……わかった。話し合いには同席しなくても、別室か見えない位置で話は聞かせてもらいたい。それでどうだ?」
「ええ、それなら。わたくしもあなたが聞いてくださっていると思えば心強いです。あなたに恥じるようなことはしたくありませんから」
どれほどの思いをしてマインラートがシュトラウスを守ろうとしたのか。その思いを踏みにじった実家の所業は許せない。恐怖を遥かに凌駕する怒りがわたくしを奮い立たせる。
「アイリーン……」
気遣わしげなマインラートを安心させるように笑いかける。
「わたくしなら大丈夫です。初めからこうすればよかったんです。昔は色々なことが怖かった。あなたに捨てられること、また実家に戻されること、また政略の道具として別の人に嫁がされること……。
あなたに今頃になって離縁を言い出したのは、その辺りが解消されるという打算もありました。年齢を重ねた今のわたくしには、再婚してまた子どもを望めるかわかりません。それなら実家に連れ戻されることもなく、一人静かに生きていける、そう思ったんです。あまりにも自分勝手で呆れたでしょう?」
マインラートは首を振ると、真剣な表情でわたくしを真っ直ぐに見据える。
「いや、そこまで考えていたとは思わなくて感心したよ。だが、残念ながら離縁は私が許さない。きっとそのせいでまた、君には肩身の狭い思いをさせる。それでも一緒にいてくれるか?」
「……こんなわたくしでいいのなら、わたくしもあなたと一緒にいたいです。いえ、いさせてください」
わたくしはマインラートに相応しくないかもしれない。それでもマインラートを思う気持ちは誰にも負けないつもりだ。
目を逸らさずにマインラートを見返すと、マインラートはふっと小さく笑う。
「……君は変わったね。最初に会った時の印象とは全然違う」
「……可愛く、ありませんわよね」
ずっと実家でも言われてきたのだ。可愛げがないと。愛されたことがなかったからどうすれば愛されるのかもわからなかった。そのため、本来の自分を隠すしかなかった。
自嘲するように言うと、マインラートは首を振る。
「いや、今の方が魅力的だと思うよ。自分や他人のために考えて動いて。だからこそ今の君を愛したんだ」
「マインラート……ありがとうございます」
辛いことから守るだけではなく、成長できるように見守ってくれる、そんな愛もあるのだ。信じて見守ってくれる彼の気持ちに応えたいと、そう強く思うのだった──。
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