罪の告白
そうして二人きりになった食堂に沈黙が落ちる。先程は淑女であることをかなぐり捨てていたような気がする。いつもの言葉遣いも忘れて子どものように喚いたことが恥ずかしかった。マインラートの顔を直視できず、視線を逸らす。
マインラートはまた表情を改めてわたくしに頭を下げる。
「アイリーン、レーネのことは本当にすまなかった」
「それはもういいのです。わたくしはあなたが悪いとは思っていませんから」
「だが……君は前もそう言って私を責めなかった。何故だ?」
マインラートは怪訝な顔をしている。愛しているのに何故責めないのかと言いたいのだろう。だけど、マインラートよりもわたくしの方が罪深いのだ。
「……わたくしは実家から援助を引き出せないことをすぐにあなたに言うべきだったのに、自分の保身のために黙っていました。それであなたとレーネ様が関係を持った時、ハーバー準男爵家と利害関係を結ぶためにあなたはレーネ様を選んだのだと思い込もうとしました。本当はあなた方が思い合っていることに気づいていたのに。それで二人が別れたと噂が流れても気にも止めなかった。その結果、レーネ様は自殺を考えるほど思い悩み、別の方と結婚し、秘密裏にあなたの子を産んだのです」
「だが、それは……」
「わたくしは間違えたのです。あなたとレーネ様が関係を持った時に身を引くべきだった。そうすればあなたはレーネ様と再婚できて、ハーバー準男爵家からの援助でシュトラウスは簡単に立て直せたかもしれない。グヴィナー伯爵夫人とも別れることができたでしょう。全てわたくしが悪いのです」
だからあなたを責めることなんてできないのだと、自嘲して笑うと、マインラートは顔を歪める。
「本当に私は君に酷いことをしたんだな……君は悪くないだろう。家庭があるにもかかわらずレーネと関係を持ってしまった弱い私が悪い。ハーバー準男爵家からの援助が欲しかったわけじゃない。ただ、あの頃身売りをしなければいけない現状から逃げたくて、優しくしてくれたレーネを愛したんだ」
「……わたくしとは事務的な会話しかありませんでしたから。それも当然だと思います」
恨む気持ちは湧いてこない。むしろ余計に自分が罪深いと思ってしまう。
家を守るという約束を守れず、コンラートを歪めて、好きでもない男の甘言にのって身を持ち崩したのはわたくしだ。
マインラートは余計に顔を歪める。
「違うだろう。私は勝手な思い込みで君を避けた。君が心を開いてくれない理由をちゃんと聞くべきだった」
「……あの頃は聞かれても言えませんでした。実家から言われていたんです。政略結婚なのだからあなたの機嫌を損ねるようなことをするなと。ですが、結局わたくしは政略の道具にもなれませんでした。役立たずで申し訳ありません……」
ずっと謝らなければと思っていた。なのにわたくしは目を背けて自分の罪から逃れようとしてきた。そんな自分が許せなくて深く頭を下げて謝ることしかできない。
マインラートは勢いよく立ち上がるとわたくしの隣に座り、抱きしめてくれた。
「謝る必要はないんだ。君は道具じゃない。心のある人なんだ。私は一体何を見ていたんだろうな……本当にすまない」
「何を謝っているのですか? あなたは何も悪くないでしょう?」
そうだ。マインラートは悪くない。愛される努力をせず、無価値だったわたくしが悪いのだ。
不思議に思って問うと、マインラートは体を離してわたくしの顔を沈痛な面持ちで見る。
「……それすらもわからないくらいに君は……私は許せないよ。君の実家を」
「……何故ですか?」
「……今は考えなくていい。だけど忘れないでくれ。私もコンラートも君が必要で大切に思っているんだ。君には価値があるんだよ」
優しくて温かい言葉に涙が込み上げる。
「ありがとう、ございます……」
「お礼なんて言わなくてもいいんだ。いつか君が自分の価値に気づいてくれるように、私もコンラートも伝え続けるから」
言葉にはならなかった。ただただ嬉しくて、後から後から涙が流れてくる。顔を手で覆って隠そうとしたけれど、マインラートはそのまま抱きしめて、気が済むまで泣かせてくれたのだった。
◇
「……ん……」
「おはよう、という時間ではないな」
ゆっくり目を開くと、何故かベッドの中にいた。そして目の前にはマインラートの顔がある。
ぼんやりする頭で目を瞬かせ、ようやく覚醒する。
「……わたくしは、食堂にいたのでは……?」
「ああ。あのまま、泣き疲れて眠ってしまったんだよ。だから寝室に運んだんだ」
「そうなのですね……ありがとうございます……」
お礼を言っていて、マインラートとの距離の近さに気づいた。背中に腕を回して抱き込まれている。
「……それで、どうしてあなたが隣にいるのですか?」
「いや、せっかくだから一緒に休もうと思って。それに一人は寂しくないか?」
そう聞かれ、そんなわけはないと言いかけてやめた。もう取り繕わなくてもいいのだ。恥ずかしさを堪えて頷く。
「……ええ。寂しいです」
回されたマインラートの腕に力が籠る。更に抱き寄せられてマインラートの胸に顔を埋める。
「もっと君の気持ちを言ってくれ。私は言われないとわからないこともあると思う。暴力は振るわないし、言われたからといって君を嫌いになるようなことはないと思う……多分」
「ふふ……」
最後が自信なさげでつい笑ってしまった。
「……正直な人。それは仕方ないと思っています。気持ちは自分で思い通りにできるものではありませんから」
「そうだな……だが、それを恐れてまた自分の中で解決しようとするのはやめてくれないか。それで君が傷つくのは辛い」
「ええ……」
「……今まで辛い思いをさせてすまなかった。これからは辛いことも楽しいことも二人で分け合っていこう。もう、役目からも解放されるんだ」
「ですが、まだコンラートもユーリも、大変でしょう? しばらくはわたくしたちも頑張りましょうか」
家に縛られたことが原因で、わたくしたちは色々と我慢を強いられ、うまくいかなかった。コンラートとユーリにはそんな思いをして欲しくはない。
そう思って言ったら、マインラートは体を離してわたくしに渋面を作る。
「君はそれでいいのか?」
「ええ。二人には家が原因ですれ違って欲しくはありませんから」
「……わかった。だが、任せられるようになれば完全に離れよう。それまでは君の言う通り頑張ろうか」
「ええ」
笑いかけると、マインラートの顔が近づいてきて唇が合わさった。不意打ちで、目を瞑る間も無かった。驚いてぱちぱちと瞬きをするわたくしに、マインラートは笑う。
「……こんなに浮足立つ気分になるのは、どのくらいぶりだろうな。そんなことすら忘れていたよ」
「それはわたくしもです……」
何をしても楽しくなかったし、全てがどうでもよくなったと思っていた。心が動かない方が楽だったから。
だけど、心があることがこんなに嬉しい。
愛する家族の存在がわたくしを支えてくれている。もう楽な方に流されないように、間違えないように。目の前にいるマインラートの存在を確かめるように、彼の体に腕を回したのだった。
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