間違えた選択
弟とのことがあった数日後、わたくしの気はそぞろだった。というのも、家族から浴びせられた言葉がぐるぐると回っていたからだ。
結婚するからには円満な家庭を築きたい。だけど、このままでは難しい。彼を意識し過ぎてしまうからか、わたくしの態度はますます頑なになるばかり。そうして、彼の心は離れていくという悪循環。
マインラートはそんな関係に痺れを切らしたのだろう。シュトラウス邸に呼ばれたわたくしは、二人で庭を散策しながら彼に思いがけないことを問われた。
「アイリーン、私に何か不満でもあるのだろうか?」
足を止めた彼につられて足を止める。隣の彼を見上げると、真剣な眼差しが落ちてきた。
どう答えればいいのだろうか。ここで機嫌を損ねるようなことをすれば、家族にどんな目に遭わされるのかわからない。それに、何よりマインラートに嫌われることが怖かった。視線を合わせていると本心を吐露してしまいそうで、誤魔化すように目を伏せる。
「不満なんて……」
「だが、ずっと心ここにあらずに見える。私といるのは退屈なのではないのかな?」
「……そんなことはありません。そう思わせて気分を害してしまわれたのでしたら申し訳ございません」
「いや、私が言いたいのはそういうことではないよ」
わたくしが頭を下げようとすると、マインラートは慌ててわたくしの頭を上げさせようと肩を掴む。思いがけず触れられて息を呑むと、気づいたマインラートが手を離す。
「すまない。思わず……」
「いえ、いいのです。それよりも、お話の続きを聞かせていただけますか?」
気まずい空気になりかけて、話の続きを促す。マインラートは軽く咳払いをすると、続けた。
「いや、もうすぐ結婚するんだ。するからにはうまくやっていきたいから、率直な君の気持ちを知りたいと思ってね」
「わたくしの気持ち……ですか」
そんなことを知ってどうするのだろう。そんな疑問がわたくしの顔にも出ていたようで、マインラートは苦笑する。
「そんなに不思議なことではないだろう? まだ知り合って間もないのだから、お互いに知らないことの方が多い。それを少しずつでもすり合わせていければと思うんだ」
マインラートの言葉にわたくしの胸が温かくなる。
この人は優しいのだ。こんなわたくしを慮ってくれる。その優しさに甘えて、あなたを初めて見た時から好きなのだと正直に打ち明けてしまいたかった。だけど、脳裏に家族の姿がちらついて勇気が出ない。
結婚はわたくしだけの問題ではないのだ。これは政略で、わたくしの気持ちなんてどうでもいいと弟だって言っていた。それに、家族にすら愛されない自分が、マインラートに愛されるなんて欠片も思えなくなっていた。
弟の言葉が、わたくしが期待しそうになると、図に乗るなとでも言うように蘇るのだ。その度にわたくしの自尊心は少しずつ削られていく。
心の中では様々な葛藤があったけれど、淑女教育の賜物か、幸いにも顔には出なかったようだ。わたくしは弟に言われた言葉をなぞるように告げる。
「……わたくしはただ、あなたに従うだけです。欲しい物もありませんし、あなたがなさりたいようにすることが一番だと思っています。ですから……」
これから話す言葉を考えるだけで心が引きちぎられそうだ。言いたくないという気持ちに反して、口から少しずつ漏れ出していく。
「わたくしはあなたが結婚後に愛人を作るのもいいと思っています……」
その瞬間、マインラートは信じられないようなものを見るように、目を見開いた。その瞳の中に軽蔑の色を見てとったわたくしは、いたたまれなさに再び目を伏せるしかなかった。
わたくしには魅力がないのだから仕方がない。それに貴族の結婚なんてこんなものだろう。最初にわたくしを好きになってくれると期待して、結局駄目だったら、そちらの方が傷つく。それなら最初から捨て置かれた方が楽なのかもしれない。そんな思いが行ったり来たりする。
しばらくして、マインラートは重い口を開いた。
「……本気で言っているのか?」
「……ええ。その代わり、わたくしだけでなく、ブリーゲル家との末永いお付き合いをしていただければ……」
「それはもちろんだが……私には君がわからないよ」
マインラートは困惑を隠せないようだ。それもそうだろう。こんなことを言わなければならないわたくしだってわからないし、理解したくもない。
これまでも、少しずつマインラートと噛み合わなくなっていたけれど、これが決定打になった。
わかり合うことを放棄したわたくしには、それを嘆く資格なんてない。背を向けて去って行くマインラートを黙って見送ることしかできなかったのだった。
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