第21話 愛敬童子⑤-物の怪
「師匠、只今戻りました。実はさっき妖が……」
話ながら部屋に戻って障子を開けると、そこには裏庭で見たものよりも少し小ぶりのものが酒泉童子と楽しそうに談話していた。
「師匠!それは物の怪です!」
「何?」
生命童子はとっさに宝剣を抜いた。さっき森の中へ消えたと思ったら、酒泉童子にも一匹仕向けられていた。悪さをしたのは鬼だと言ったあいつの言葉を信じて愚かだったと後悔した。手には弓矢を持っている。小さいものだが武器には変わりない。子供の姿で酒泉童子を油断させるつもりだろう。焦って離れてくださいと生命童子が叫んだのに酒泉童子は落ち着いていた。
「師匠、早く!」
「落ち着け」
「酒泉童子、この寺にはきっと鬼と物の怪どちらも居るんです。馬小屋でそいつより少し大きいのに会って……」
「生命童子!」
「なんです!」
「児が怯えておるだろう!」
酒泉童子と楽しそうにしていた子どもは剣を抜いた童子を見て顔を蒼くしていた。「ですがそれは妖で」と言いかけて子供の胸元にぶら下げられている勾玉の首飾りに気付いた。勾玉は魔除けのお守り。悪いものが付かない様身につける物で、物の怪の類はこれらに触れる事が出来ないと言われている。
「その子は……人、ですか」
「鶴というんだ。後ろの白い社に住んでいるらしい」
「物の怪……ではないのですか。そのような艶やかな着物を着た者が寺にいる筈が……」
「人だと言っておるだろうが」
「本当に……?だってさっき……」
「儂の宝珠を触ったが姿は変わらなかった」
神から授かった宝珠や宝剣に触れると化けているものは本性を現す。生命童子は酒泉童子の目くばせを受けてすぐに剣を収めた。
「すまん、鶴殿とやら。さっき庭で少年の妖怪に出くわしたばかりで早合点をしたようだ……申し訳ない」
「い、いえ、こちらこそ、申し訳ございません。不躾に客人のお部屋に上がり込んでしまって……」
そう言いながらも鶴は殺されるかも知れないと恐怖で抱きついた酒泉童子の着物の裾をぎゅっと握って震えていた。
「こんなに怯えて可哀想に」
よしよしと酒泉童子に頭を撫でられて鶴は目を潤ませた。
子供であるのに子供として扱われる事が少なかった鶴は頭を撫でられ慰められることなど柚果以外にはなかった。その柚果もいつしか自分から離れてしまい、いつも御稚児様と恭しく扱われ、夜は儀式という名の下に僧侶の捌け口とされる。昼と夜でちぐはぐに扱われ混乱する思考を宥めてくれる者はこの寺には居ない。
鬼退治に童子達が来ると聞いていたが鶴は顔を合わせてはならないと和尚にきつく言われていた。だが小僧達がざわつくのでどうしても気になって外に出た。こっそり見に行くつもりが、白い社の周辺を歩いていた酒泉童子と目が合い、その姿に不思議と見たことも無い父親像を重ね話しかけた。童子に会った事を知られると和尚に怒られるのだと話すと部屋で話そうと誘われた。酒泉童子が身の上話を優しくうんうんと頷いて聴いてくれるので鶴は更に気を許し、肌身離さず持っている弓矢を見せて狩人様に弟子入りするのですと、誰にも話したことのない自分の夢まで打ち明けた。子供らしく楽しそうに話す鶴に狩人になりたいならば弓矢のコツを教えてやろうかと酒泉童子が言うので、童子様は狩人なのかと問うと、鬼を狩ると言う点に於いては狩人と言えるかも知れないと聞き、鶴は目を輝かせた。そこへ生命童子が戻ってきて自分を見た途端、物の怪だと叫んで斬ろうと刀を抜いたのだから混乱して心がついていかなかった。
それに物の怪や妖と言われて一瞬本当に自分はそうなのかも知れないと思った。だから御稚児様などと呼ばれて苦しい行為を強いられるのかも知れない。狩人に憧れていたが本当は自分は狩られる側なのではないかと怯えた。自分は畜生などではない、ましてや物の怪でもない。だが真を見抜く童子達にはそう見えるのかも知れないと絶望の淵に立たされた気分だった。傷ついた様子の鶴に生命童子は膝をつき目線を同じ高さにして出来うる限り優しい声で陳謝する。
「そなたの尊厳を傷つけるような事をしてしまった事、この生命童子深くお詫び申し上げる。本当にすまない。どうか許してくれ」
「……っ」
鶴は小刻みに息を吸い、泣くのを堪えようとぐっと腹に力を入れ、目一杯口角を上げて笑顔を作って見せた。「大丈夫です」と気を使わせぬよう精いっぱい平気そうに振舞おうとした。悔しさは消えないが、神の遣いである童子が一介の稚児などに頭を下げているのだ。もう平気だと気丈に振舞おうとしたが、今まで刀を向けられたことも無い若干十一の無知な少年が、命の危機を感じる恐怖に打ち勝てるほど強い精神を持ち合わせているはずもなく、体はまだ正直にガタガタと震えていた。
生命童子は宝剣を腰から抜いて部屋の隅へ置き、怯える鶴の両手をぎゅっと握って向き合った。瞳の奥に紅い色を秘めた
「怖かっただろう、許してくれ。こんな愛くるしい子を物の怪などと言ってどうかしていた。この無礼をどうやって償えばよいだろうか、鶴殿」
真摯に謝る童子の目をじっと見つめ返す。不思議な眼の色だと鶴は思った。一見普通に見えるが奥に深く熱さを孕む赤色が潜んでいる。覇気を纏い一国の主と言われても疑いはしないその容姿の流麗さに先ほどまでの恐怖が霞んでいく。こんなに綺麗な人を見るのは初めてだと思った。深緋に染まる太陽を瞳の奥に隠し、この世の終わりまでも見据えているかのように真っすぐだ。人に縋り流されて生きる自分とは違う世界の人なのだと思い知らされた気分になる。
「い、いえ、滅相もない。童子様に償ってもらうような事などございません」
その瞳に自分は汚らわしく映っていないだろうか。何もかもを見透かされてしまいそうで鶴は目を反らした。生命童子が更に眉を下げる。
「まったく早とちりも大概にしろ、生命」
落ち着き払っている酒泉童子は鶴が持っていた弓矢をいじっていた。他人事のように話す酒泉童子と再び目で合図を取り合い二人で何とか鶴の心を絆そうとする。
「師匠がもっと早く言わないからこんな事に」
「言っただろうが」
「即座に制止してくださればこの様に怖がらせることもなかったんです」
「おい、自分の失態を儂の所為にするつもりか?なんて酷い弟子だ。儂は哀しいぞ。こりゃ酒でも呑まねぇとやってられない」
「何言ってるんですか。何も無くても飲むくせに」
「それもそうだ!ガハハハッ!この寺に酒蔵はあるのか、鶴よ」
どさくさに紛れてまた酒の話だ、と生命童子は呆れ顔をする。二人の砕けたやり取りを聞いて張り詰めていた糸は解れ、震えが止まった鶴は「はい、あります」と小さく答えた。疑心暗鬼で子供にまで疑いの目を向けた事を改めて詫び、生命童子は鶴に何か罪滅ぼしをしたいと提案した。
「何でも構わない。俺に出来る事であればなんでもする」
「そんな、僕などに罪滅ぼしなど必要ありません」
「しかしそれでは俺の気が済まん」
遠慮する鶴に酒泉童子が口を挟んだ。
「そうだ、生命、お前が弓矢を教えてやれ」
「生命童子様が?」
「弓矢?」
「鶴は狩人になりたくて毎日練習しているらしい、弓矢は儂よりお前の方が長けておるからな」
「寺に住んでいるのに殺生をする狩人に憧れているのか」
「はい、その、……変でしょうか」
「変ではないが、寺で殺生は許されていないのでは?」
「僕は……修行僧では無いんです」
「その服は小僧では無いと思っておったが、であれば一体この寺で何をしている」
鶴はその問いに答えられなかった。親に捨てられ、寺で僧侶達の慰みものになっていると知られれば侮蔑されるかも知れない。自分の選択した事では無かったとしても、逃げ出す事もせず甘んじて現状を受け入れている事を恥じている鶴は俯いて黙り込んでしまった。
「話したくなければ話さずとも良い。だが覚えておいてくれ。我らは弱き者を救う為にいる。何か困っているのであればいつでも話を聞こう」
鶴は黙ったまま頷いた。障子から差し込む光が茜色に染まり始め、そろそろ小僧が来る頃だと話していたら案の定廊下に足音が響き、部屋の前でいがぐり頭の淡い影を作った。鶴はぴたりと動きを止めて固まる。童子達との接見がばれたら和尚に怒られると小さな声で呟く鶴を生命童子は自分の体で隠した。
「童子様、夕餉の準備が出来ました。本堂へどうぞ」
「かたじけない。直ぐに参る」
酒泉童子がそう応えると知らせに来た小僧は部屋に入る事なくそのまま去った。鶴はほっと胸を撫で下ろし、酒蔵は白い社の最奥の部屋だと教えた。それから生命童子を見上げて「滞在中にきっと弓矢の引き方を教えてくださいね」と顔を真っ赤に染めて言うと、酒泉童子から弓矢を受け取り深々とお辞儀をして社へと戻った。
酒泉童子はもっと話を聴きたかったんだがと言いながら顎に手を当てて何か思案していた。
「それにしても変な寺だ。男の子にあんな高そうな着物を着せて何をさせているんですかね。祭り事の一つでしょうか。修行僧ではないと言うし。さっき馬小屋で見た妖も同じように寺に似つかわしくない派手な着物を着ていたので、てっきりあの子もそうなのだとばかり。勘違いして怖がらせて可哀想な事をしました」
「馬小屋で会ったのは本当に物の怪の類なのか?」
「ええ、黒い影に攫われるように消えたので恐らくは」
「しかし鶴と同じ様ないで立ちなのであろう」
「見間違いではないと思うんですが」
「……実は来る前に良からぬ噂を聞いた」
それは生命童子の心を曇らせる話だった。
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