第7話 多賀の町

 

 多賀の町は騒然としていた。人々が逃げ惑い、あちこちから恐怖に慄く叫び声が聞こえ大きな火が上がっている。鬼除けの火だ。この雨では直ぐに鎮火されるだろうが、さながら地獄絵図の様だった。警鐘を鳴らし続ける火の見やぐらの下で俺達を見つけた町人達が走り寄ってきた。


「生命童子様、愛敬童子様!よう駆けつけて下さいました……なんと申し訳をすれば……」


「今はそんな話をしている場合ではない。確認できただけでも十数体と聞いた。鬼の居場所は特定できるのか?」


「いえ、それがっ……鬼は人を殺して食うのではなく、そのまま転々と町人を殺して移動しております!今どこにおるのかは人の叫び声を辿って行くしかなく、何とか皆を逃がそうとしているのですが」


「何、人を食わんのか?」


「はい……。連れ去りもせず次から次へと人を殺すばかりで、一処ひとところに長く留まっておりません。刀を振るえる者は二、三人で一体の鬼に対峙しようとしているのですが、鬼共の場所の特定が難しく戦いは難攻しております」


「転々としているのであれば、人々はいつまで経ってもどこへ逃げても鬼に襲われるではないか。皆を出来るだけ一ヶ所に集めろ。戦える者も集結させるのだ」


「はい!皆に寺へ集まる様に伝えます」


 鬼は生気を吸うか、人の肉を食べて生き永らえる。捕らえた人間をその場で殺して食べる鬼は少なく、人を攫って行く数の方が多い。これは鬼が人を食べるより人の生気を吸う方が奴らの力になるからだと言われており、人を食うのは鬼が飢餓状態である場合だと思われていた。短絡的な己の欲望を満たす為には容赦なく人を殺すが殺戮自体を目的にした鬼など聞いた事がない。ただ聞いたことがないだけで、鬼のする事など予測出来はしない。


 鬼除けの火があちこちに上がっているのに恐れず人を襲い続けている事もいつもとは違う兆候だった。炎に焼かれると再生が遅くなる鬼は通常火を恐れる。長く鬼になっていればいる程死ぬ事を恐れ火に近づかない。その分狡猾さを増し、永らえて更に強くなる。これだけあちこちに火が上がっているのに叫び声が止まないという事は火を恐れぬ鬼が襲ってきたという事。つまり鬼に堕ちたばかりの、鬼になりたての人間達の仕業だ。影を潜めていたと思っていた鬼は人に忍びよりその数を着々と増やしていたのだろう。「鬼に堕ちるな」消え入るような声で俺にそう告げたあの方の影が頭の中に浮かぶ。鬼に堕ちた人間達には同情するが殺戮を目的とする鬼ならば必ず今宵殲滅せねば。走りながら人が逃げ来る方へ逆走しながら人々へ声を掛けた。 


「皆寺へ集まれ!戦える者は必ず武器を持て!鬼はどこから出てくるか分からんぞ」


 俺達の声が聞こえた人間は寺のある方向へと足の向きを変えて逃げた。人々が色んな方向から大通りに出てくる。鬼共の目的はなんだ?恐怖から生気は生まれない。食べるならまだしも、人を殺して何がしたい。


 ギャーと人の叫び声が後ろで聞こえ、振り返ると町家の木戸を開いて倒れた人が後退りながら雨の中に這いずり出てきた。


「助けてくれー!」


 それを追いかけてきた鬼らしき影が戸口に鋭い指を掛けてずずずと家から足を出す。悍ましい気配だ。


「敬、弓を引けるか」


「やってみます」


 馬に乗ったまま、敬は背中から弓と箭を抜き取り、構えた。俺も脇差から刀を抜く。今の愛敬童子が腕力で鬼と戦っても勝ち目があるか分からない。戦うならば彼の得意とする弓を使うのが一番だ。童子の力を失っても射れるのか不安が過るが、びんっとつるを張り、白羽の付いた矢を当てがい、敬は目一杯腕を後ろへ引いた。顳顬こめかみと弦を引く右手に青筋が立ち、ギギッと弓が苦しそうにしなる。


「ひ、引けます、兄様」


「よし、引きつけて確実に射ろ!」


 鬼が戸口から黒い体を全部出してしまうと敬が叫んだ。


「鬼よ!愛敬童子はここだ!」


 そう言うと鬼は体をこちら側へ向けて唸りだした。ぎりぎりと歯ぎしりをしながら愛敬童子を睨みつける。


「ァ゛ガァ、ィギョ……ギギギギギィ……ドウシ!」


 吊り上がった目は白目も瞳も真っ黒で、裂けた口元からは大きな牙が二本生えており、開きっ放しの口からは涎が垂れていた。筋肉が異様に変形して盛り上がり、肌の色は茶けて皺の寄った般若の顔そのものだった。鋭く眼光を光らせて鬼が叫ぶ。


「ドウシ!ドウシ!キタゾ!コロス!ドウシヲコロス!」


 飛びかかろうと鬼が脚に重心を据えたと同時に愛敬童子は矢を放った。


 ビュンと空気を切る音がすると次の瞬間、鬼の眉間に矢が刺さる。


「ガァアアアアッ!!」


 鬼は刺さった眉間の矢を握りしめて動きを止め、その場で崩れ落ちた。脳を破壊するか、首を胴体から切り離せば鬼は一瞬で殺す事が出来る。愛敬童子は見事眉間を貫き鬼を一矢で仕留めた。


 命途絶えた鬼の体から少しずつ薄い煙が立つとその煙が集まって一つの塊となり上へ上へと昇っていく。魂が抜けて昇華して行くのだ。元が人間である証拠に煙は白かった。古い鬼になると煙は黒い。鬼に堕ちたくて堕ちる者など居ない筈。


「オン・ソラソバテイエイ・ソワカ……」


 魂だけでも救われん事を祈り真言を唱える。天へと上る煙はそのまま雨に掻き流される様に消えていった。


 鬼とは何と悲しい生き物だろう。醜く、悲しく、己のためだけに戦い、憎まれるだけの存在。生きる為には人を犠牲にせねばならず、欲を抑える事もできず、元は人間だった者も永らえれば人だった頃の記憶など忘れ行く。尊厳も威厳も、何も持たず、ただ永らえる事だけを目的に生きるのだ。俺はそんな鬼に近いというのか。


 童子が来た、と鬼は叫んだ。愛敬童子を認識していたようにも見えた。狙いはもしかして俺達なのか。俺達をここへ呼ぶために人を殺し続けているのか?


「鬼は童子を殺すと叫んでいた。俺達を呼ぶために鬼達は結託して人を襲っているのかも知れない。俺は寺と反対側にある池へ向かう。お前は一度寺へ向かってくれ。行きすがら生命童子は池に行ったと叫べ。鬼を誘き寄せてみる」


「兄様、鬼はまだ十体以上おります。先ほど一体倒しましたが、残り全てが池に集まれば……」


「なに、俺は十六童子の中でも最強と謳われた男。心配するな」


「しかし……」


「寺に鬼が出ればお前が必要とされる。行け」


「兄様!」


 引き留めようとする敬を振り返る事なく俺は馬の腹を蹴った。そして池への道中叫び続けた。


「生命童子は池だ!生命童子は池に行くぞ!」


 声の届く範囲の家屋の上で黒い影がいくつも蠢くのが見えた。小道を素早く移動している影も見える。鬼の狙いはやはり我ら童子。更に大声で俺は叫ぶ。


「童子は池だ!童子は池に向かったぞ!」


 その数といい、行動といい、今までとは違う鬼達に曖昧な推測がその輪郭を固めて行く。――弁財天様、どうぞご加護を……。








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