第8話 池の戦い
池の周りには葦が繁り、雨が水を叩く音だけが響き渡る。町人の叫び声はもう聞こえなかった。距離からして届くものでもないが、いくつもの黒い影は童子を追いかけ池へと移動していた。童子が本来の標的である事が明白になった。
一体、また一体とその数を増やし、集まった鬼は興奮しているのか肩を上下に揺らしている。どの鬼も醜く顔や体型が変形しており憤怒の形相だった。
馬上では死角が生まれ背中を取られる為、童子は馬から降り刀を握り直しながら注意深く足を動かした。鬼達は童子を囲むようにじりじりと近寄る。
鬼達の中には肩に猿の様な小さな鬼を乗せている者がおり、その小さな鬼達は人型の鬼の肩を足場にして飛び回って童子を細い目で見ては薄気味悪くにやついた。
「一、二、三……大きいのが十一体、猿鬼を合わせれば十四体。これで全部か」
これ程の数の鬼を一度に相手にしたことがない童子はこれ以上数が増えない事を祈り、頭の中で戦いの流れを繰り返し思い浮かべた。鬼達の服には夥しい量の返り血が沢山ついていた。どれ程の人々が殺されたのかが窺える。童子は怒りに体を震わせた。
「何故人を殺す?俺を殺したければ俺の元へ直接来ればよいものを!罪無き人々を殺めた欲深き化け物達よ、命を持って
宝剣を高く振りかざし闘いの構えを取ると気迫に怯えたのか鬼達は一瞬たじろいだ。だが猿鬼達が何やら人型の鬼達の耳元に吹き込むと、また体中に青筋を立てて怒りを顕にし鬼達も闘いの構えを取った。グルルゥッと獣の様な唸り声を上げ、長い帯を腰から垂らした鬼が最初に童子へ向かって走った。
「憎キ生命メ!シネー!」
憎いと言われたが童子の身に覚えはなかった。過去に取り逃したものもいたが闘った事のない鬼だった。長い鎖鎌を振り回しながら攻めてくる鬼の攻撃を童子は素早く避けた。出来る限り早く片を付け無ければ数で体力を奪われてしまっては殲滅出来ない。距離を詰め刀を振り上げたが、焦りからか間合いを上手く取れず、鬼はその一瞬を捉え腕に鎖を巻き付けた。繋がっていた鎌の先が童子の腕を切る。
「ハハッ、切リキザンデヤル」
鬼が泥のついた腰の帯を手繰る仕草を見ると、童子の脳裏に何かが横切った。だが構えを緩めず攻撃に転じる童子にはそれが何なのかそれ以上考える事が出来なかった。腕を回転させ鎖を外し、宝剣で鎌を断ち切ってしまうと再び刀を構え低く走り寄り、一瞬で鬼の首を切り落とした。鬼は童子の躰に一撃を入れたと油断したのだろう、切られた事も気づかぬままに首の無い体は崩れ落ちた。鬼の体から白い煙が滲み出て空へ帰っていく。肩に乗っていた猿鬼は瞬時に別の鬼の肩へと飛び移っており、さも嬉しそうにケケケと笑った。仲間が殺されたのに笑っている。
「何が可笑しい。お前達はたった今仲間を一人失ったのだぞ!」
童子の言葉に細長い皺くちゃの指を口に当てて猿鬼達は嗤った。丸で生命童子が鬼を殺す事を楽しんでいるかの様だった。
「フッ、我らの仲間などではない」
鬼の考えている事など判らない。童子に鬼の思惑を考える余裕は無かった。言葉に惑わされてはならない、今は闘いに集中するのみ、と童子は次々に襲って来る鬼達を倒した。腹を刺し、腕を捥ぎとり、頭蓋骨に刀を叩き込み、首を切って人殺しの鬼達を退治した。
生命童子は鬼の如く、強かった。最初の鬼に切られた傷以外、大きな痛手は受けず、半刻程で人型の鬼の首を全て斬り落とし、残すは手中の猿鬼一匹のみとなった。
痩せこけた首に指を回し、そのまま首を引き千切る事など童子にとっては容易な事だったが、聞かねばならぬ事があった。闘っていた人型の鬼達は身に纏っているものから鬼になって暫く経っていたようだが上手く言葉を使えていなかった。人だった頃の顔が分らぬ程の変形を起こし、声を出すこともままならず、知能も低く見えた。だがその戦いぶりは強者だった。戦う構えに見覚えのある型がいくつもあった。始めは童子の猿真似かと思い込んでいたが、鬼と戦っている途中、童子は気づいた。
雨の中、酷い泥や血でちゃんと見えなかったが、鬼達の着物には紋様があり、かつては美しい着物であった事が見て取れた。先般町中で倒した鬼の着物にもどこか見覚えがあった。手に持つ武器はかつて仲間が持っていた物であった。見た事のある傷跡を鬼達の体に見つけた。長帯を手繰るある人の仕草を思い出した。角や牙が生え、筋肉が異様に隆起し変わり果てた醜い姿は――かつて背中を預け鬼に向かって共に戦った友であった事に気付いた。
だが気づいても闘いを止める事は出来なかった。殺そうと飛び掛かって来る彼らに立ち向かわねばならなかった。何人もの人の命を奪ったその目は最早人のものではなかった。人間であった事を完全に忘れた鬼だった。殺さねば殺されていた。
「何故だ!童子達に何をした!?」
首を絞める手に憎しみを込めたが、猿鬼は不気味な笑みを浮かべて喋る。
「グゥッ……や、奴らは全部鬼になった。ヒヒヒッ……どいつもこいつも薄弱な者ばかり。弁財天に見捨てられたと啼き、諦め、そしてお前を憎んでいた。力を失わない生命童子。唯一……ベ、弁財天の寵愛を受け、村人から蔑まれる事なくのうのうと暮らす選ばれた者。
奴らは人を……お前を妬み、嫉み、嘆き、憎悪に心を染められて、我らの言葉を悉く耳に入れた。弁財天の噂を流したのは鬼に堕ちた童子達自身だ!!見捨てられた悲しみの余り、お前を妬む余り、鬼となる事を選んだのだ。憐れな奴らよ……ハハハッ、グァッ!」
童子は目を見開いて更に力を込めた。猿鬼の首の骨がゴキュゴキュとずれる音がする。
「我が同胞を侮辱するな!」
「お、お前はその仲間を殺したんだ……裏切者よ。ただ一人、その力を保ち人々のみならず神からの愛を独り占めし、何不自由なく……グウッ」
ぎりぎりと歯を噛み締め、童子は更に握力を強めた。
「仲間を裏切りなどしていない!弁財天様は……弁財天様は俺が鬼にならぬ様にと、俺の鬼の力を抑えて下さっていたに過ぎん!俺の奇異を周りに悟らせぬ様にと図らったまで」
「そんな言い訳に意味は無い……。我らの言葉に耳を貸し、我らの血を飲み、醜い鬼と堕ちくさり、噂を広めて弁財天の力を弱めたのは善財童子。話に耳を傾けた人間達の薄情な事よ。あれほど命を懸けて守ってもらっておきながら、保身の為には童子達でさえ裏切るのだから、見ていて笑いがこみ上げた。人こそ鬼と呼ばれるにふさわしい醜い生き物だとは思わんか。堕ちてくる童子達を見るのは格別だった……美しい男達が次々と醜い姿へとなり果て、己を喪い、言葉まで忘れるのだからなぁ……ゲギャッ」
ブチンッ――。
生命童子は猿鬼の首をそのまま握り潰し、胴体から引き千切った。
手から零れ堕ちた猿鬼の頭がころころと転がる。だが千切った筈の首が喋った。
「これで終わりではない……お前の大切なものはこの世に生かしておくものか……お前を鬼へと引きずり堕とし、弁財天の息の根を止める……」
生命は喋る頭を踏み潰し、すぐ様馬に乗った。この戦いまでも策略だった。
童子達は鬼に堕とされたのだった。猿鬼達は弱った心に付け入り、甘い言葉で童子達を唆し、正気に戻ろうとする度に何度も耳元で悪魔の声を吹き込み、人に追いやられた悲しさと悔しさの矛先全てを弁財天神と生命童子に向けたのだ。そうして生命童子を殺して、人々が忘れ去ってしまえば最早弁財天の力は無に返る。鬼達の復讐は巧妙だった。
殺した鬼は全部で十二体。生命童子と愛敬童子以外が全て鬼になったなら、生きているのは後二体。
「頼む――どうか間に合ってくれ!」
生命童子は絶望に駆られながら馬を走らせた。
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