エピローグ





「次の年からその池には真っ赤な睡蓮の花が咲き始めたの」


「じゃぁ、あの鳥居の下には紅生が沈んでるの?この池の花が赤いのは紅生のせい?」


「そうかもね」


 親子は深緋こきあけの花が咲き誇る弁天池の沈み鳥居を見つめながら話した。


「鳥居の下を掘ったら紅生と宝剣が見つかるかな……。でもさ、初めから神様が紅生と夫婦になっていればみんな幸せだったんじゃない?だって神様と人間だったら一緒になれたんでしょ?そうすれば敬翠も鬼にならなくて良かったのに」


「きっと難しかったのよ。鬼の力は神様と同じようにとても強いから。そして神様は私たちが思っているよりずっと人間ぽくて見栄っ張りで怖がりなのかも知れないわね。人の祈りにより力を得ていた、まつろう神だから……。まつろうってね、従うっていう意味なのよ」


「神様なのに従うの?へんなのー。ちっとも神様らしくないよ。人間のいう事聞いてたら神様のお仕事は滅茶苦茶になっちゃう」


「そうね、だから弁財天神は心をここに捨てていったの。ちゃんと神様の仕事が出来るようにね」


「ふーん。敬翠は?それからどうしたの?死んじゃった?」


「敬翠はね、紅生の最後の言葉を大事にして、生きたわ。春次の娘さんと出逢ったの。そして二人は結ばれて子供をもうけたんだって。半妖と人間の間に産まれた子どもは強く逞しく育って、敬翠は自分の中に流れる紅生の血を絶やさないように、大事に大事に生きたのよ。その子孫は今も人の間に紛れ込んで生きてると言われてるわ」


「敬翠、幸せになれたのかな?だったらいいな……。でも敬翠の子孫が私たちの間に紛れ込んでるなんて怖いね。いつ先祖返りして鬼になっちゃうか分からないもん」


「そうね、でも本当に怖いのは……何かしらね……」 


 深い緑に染まる池の水に赤い睡蓮の花が映えて美しい。母親はその水面に映る自分たちの姿を見つめた。


 鬼の血を引いた紅生は憤怒の末に人を殺してしまった。だが紅生の血を飲んで半妖の鬼になった敬翠は人に紛れて人として生きぬいた。鬼を恐れた時代は過ぎたが、鬼の所業としか思えぬ残酷な事件は今も昔も変わらず起きている。それは鬼の血を受け継いだ者たちが紛れているからか。怖いのは本当は鬼じゃなくて、神と鬼を生み出しこの世の理を崩した人間なのではないか。そんな事を思うけれど、娘にはまだこの話は早い。母親は鳥居の奥の草叢の奥を見つめた。


 娘は池に来てから物憂げな様子の母親を見上げる。


 もしかして母親の瞳の色は、敬翠と同じ色ではないだろうか。家に飾ってある古い弓矢は敬翠のものではないのか。まさかね……。たまたま家に弓矢を飾っているから話にわざと入れこんだのだろう。きっとそうだ。娘は母親の手をぎゅっと握った。


「そろそろ行きましょうか」


 母親は娘の目をじっと見る。


「うん」


 手を繋いで鳥居を後にする背中に視線が突き刺さる。


「宿命は愛にある……人である限りそなたも救われる———ええ、決して鬼なんかにさせはしない」


「なんか言った?お母さん」


「いいえ、何も。お昼何食べたい?」


「なんでもいいよ」


「それが一番困るのよねぇ」


 秘密を打ち明けるのはもっと大きくなってから。


 母親は娘に笑いかけながら頭を撫でて振り返り、草叢の中の黄色い濁った光がもう見えない事を願った。









 終







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