第5話 記憶



「お前は鬼にらず、だが鬼に最も近しい力を持つ」


 弁財天様はそう応えた。俺は鬼ではない、それを聞いて緊張が少し和いだ。自分で自分を鬼かも知れないと疑った事は無い。

 人は簡単に鬼に堕ちると言われている。財欲、名欲、色欲、食欲、睡欲を上手く制御できぬ者が物怪や鬼に耳打ちされ魔が刺すと己を見失い鬼となる。鬼となって仕舞えばその者をまた人間に戻すことは不可能と言われていた。何分鬼になった者は帰ってこないのだからどうなったのか誰も知らない。


 だが童子は神に仕える稀有な能力を持つ者で、神に近い存在、の筈だ。童子に選ばれたのは俺が数えで八つの年。童子になった事以外は普通に暮らしてきたと思っているのに、どこでどう鬼に近づいたというのだろう。鬼と戦う内に徐々に同化していったとでも言うのだろうか。であれば他の童子も同様鬼に近づくのではないのか。今まで何度も戦ったあの化物のように醜くなるのだろうか、俺にも角が生えるのだろうか。鬼ではないと聞いても疑問は次から次に湧いて出てくる。

  

「お前に幼い頃の記憶は無いだろう」


 そう聞かれて思い出そうとするが、記憶は神から童子の命を受けた後のものばかり。だがそれは自然な事ではないか。幼い頃の記憶など忘却していくものだ。


「はい、御命おんめいを受けた後の記憶しかございません。ですが幼い頃の記憶など次第に忘れ行くものではないでしょうか」

「お前に命を下したその夜以前の記憶は私が封じている」

「それは、また何故なにゆえに……」

 

 弁財天様は何を仰ろうとしているのだろう。静かなお堂の中で自分の心臓の音が煩く鼓膜を打った。風が時々木戸を揺らしてガタガタと音を鳴らし静寂を邪魔する。そしていつも拝顔する際に漂っていた花の薫りが感じられないことに気づいた。このまま消えてしまわれるのではないかと血の気が引いて冷たい汗が背中を伝う。


「お前は小さい頃から人並み外れた力を有していた。その力は齢四つにして母親を軽々と持ち上げる程だった。人はお前を鬼の子だと忌み嫌った」


 始めて聞く話だ。そもそも村人から蔑まれた記憶などない。嫌がらせを受けた事もない。今の今まで皆親切にしてくれている。比べる事はしたく無いが、他の童子の村人は悉く童子を排除したと言うのに俺が住んでいる村の人々は弁財天様の悪い噂が流れても変わらず優しくしてくれる。忌み嫌われていたなんて何かの間違いだろう。


「しかし、御言葉ですが弁財天様、村人は俺や妹弟きょうだいにとても親切にしてくれます」

「お前は八つの時目の前で両親を鬼に殺され、その鬼を素手で八つ裂きにして殺している。殺したものは憎き鬼であったが人々は更にお前を恐れた。

 不安に思った村人は善財童子に相談をし、善財童子がお前を社へ連れてきた。鬼を殺したというからどんな子供かと思えば何とはない、親を失い悲しみに暮れる幼気な童。ただ鬼の様に強い。お前を見た時、その心が生を慈しむ愛に溢れている事を知った。鬼に堕ちるは容易いが童子となる事でその力は人々の扶翼となり、荒む心を私の力で封じればお前はいつまでも健やかに人々を護る童子でいられる。そう思い、私は生命童子の命を与え、お前の中の邪気を抑えておった。鬼の力が育たぬ様私の力でお前の傷を癒した。お前の心身を童子達と繋げる事で私が居らぬ時も迷う事なく浄く居られるようにしていたのだ。

 そしてその心をいつまでも清く保つ為に村人には何があってもお前とお前の家人を粗雑にするなと諫言した。決してお前を傷つけるなと」


 母上と父上が鬼に殺された……?

 母は春次を産んだ後、体を悪くして病死し、父も母に先立たれて後を追ったと聞いた。

 両親を殺した鬼を八つの俺が殺した?

 村人が俺と春乃や春次を大切にしてきてくれたのは俺がいつ鬼になるか分からないからなのか。

 村人は俺が怒れば鬼になると皆そう思って暮らしているのか。

 だから噂が流れても他の童子の様に無体な仕打ちをせぬのか。

 俺は恐怖で人を縛っていただけなのか。

 鬼に出くわす度に悍ましい憎悪と怒りが込み上げて、命を乞う者でさえ容赦なく刀を振り下ろしてきたその背景には本能的な憎しみがあったからなのか。


 両親が鬼に殺されたという言葉が体を駆け抜けて毛という毛が逆立った。そしてずきんと頭に痛みが走ると同時に母の顔が瞼の裏に浮かびあがった。生まれて程ない春次を背中に抱いて、洗濯した布を竿に広げている。振り返りながら俺に笑いかける母。こんなに美しい人だったのか……春乃は母に似たのだな、そう思いながら徐々に蘇る記憶を捕まえようとしたが目眩を覚え、膝を折っているのにふらついた。


「無理に思い出そうとするな」

「はい……ですが……」


 頭を抱える俺に変わらず温かい言葉を掛けてくれるこの方が消えてしまえば俺はどうなってしまうのだろう。憂心の波に溺れそうだ。


 思い起こせば会合の最後に呼ばれ、髪を撫でられると荒れ狂いそうな己の力を宥められているような気がしていた。まるで焔に霜を降らせて緩やかに熱を奪う様に、しかし決して火を消してしまうのではなく温め続けている様な安らかな心持ちがした。度重なる戦で気の立つ弱い自分を癒して下さっているのだと思っていた。だが鬼が出ぬ様になり闘わぬ時でも感情の昂ぶりは生まれ、自分の中に抗いがたい何かがあるのだと確信していた。だから鬼に近いと言われた時、それまでの事が全部腑に落ちた。弁財天様は俺の鬼の力を制御して居られたのだ。鬼へと引き寄せられていく肉体と心を鎮めてに留まれるように。


「否が応でもその内思い出す。お前の気を抑えることは弱った私の力では最早かなわぬ。思い出した際に乱されぬ様心構えをするのだ。その為に隠していた過去を話した。亡霊に囚われる事なく義を貫け。決して鬼に耳を貸してはならぬ。生命童子よ、決して鬼にはなるな……」


 そう言の葉を残されると弁財天様の姿は蜘蛛の糸が風に吹かれるように消えていった。蝋燭の影がゆらりと揺れて敬が肩に触れる。


「兄様……」

「————敬、お前はこの事の一つでも知っていたか」

「いいえ……。ですが私は生命童子様が鬼になられようとも傍を離れません。兄様は私がお守りします」

「もし俺が鬼に落ちたら……」

「そんな事は起こりませぬ!決して、決して!」


 今にも目から溢れ出てしまいそうな泪が輝いて見えた。優しい愛敬童子、春次と春乃はきっとこいつが護ってくれる。


「————もしも俺が鬼に堕ちたら、迷わず俺の首を切れ」


 雨は強く屋根を打った。













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