第20話 愛敬童子④ー妖



「では今宵より何卒、よろしくお願い申し上げます」

 

 旅路の話を一通り聞き、寺で起こっている事を話した後、和尚は立ち上がり深々とお辞儀して何とも言えない笑みを見せて去っていった。背筋に寒気を感じ二人は顔を見合わせた。すぐに廊下で控えていた小僧が寄ってきてこちらへどうぞと離れの部屋に案内する。


「憚りは白い社の手前の階段を下りた西側に御座います。白い社は立ち入り禁止で御座います。ゆ、ゆ、夕餉の支度は酉の刻。本堂でご準備しております。冷たい布巾をご用意しておりますので、お顔など拭くのにお使い下さいませ。風呂は今からご準備致しますので、ゆったりと旅の疲れを癒されますよう!」


 小僧は入り口の前で額が床に付くほど深く頭を下げると、淵に布巾が掛けてある水の入った桶を差し出し、障子を閉めてバタバタと廊下を走っていった。


「落ち着きのない小坊主ですね」


「儂らに委縮しておるのだろう」


「そうですね、滅多によそ者が訪れないのでしょう」


「にしても、あの和尚の顔、見たか」


 そう問う酒泉童子に生命童子は目で頷きながら荷物を下ろし、小僧が置いていった桶を引き寄せ濡れ布巾をぎゅっと絞った。寺は山の麓でそれ程暑くは無いが陽の中を長い間歩いてきて汗をかき、着物が肌に張り付いて気持ちが悪い。気の利いたもてなしだと生命童子は布巾の一枚を酒泉童子に渡した。かたじけないと酒泉童子は貰った布で顔をゴシゴシ拭く。生命童子も顔を軽く拭いてから、そのまま着物の胸元を開いて首回りの汗を拭った。濡れて冷えた布が籠っていた熱を奪い、心地よさに生命童子は息を吐く。酒泉童子は慌てて顔を覆う様に布を広げて再び顔をゴシゴシと何度も拭いた。


「鬼が出て困ると童子を呼んでおいて、あんな風に笑っていられるなんてあいつが鬼じゃないんですか、師匠」


 悪さをしたのが鬼かどうかは見た者が居らず不確からしいが馬を殺しその臓物を食うなどとても人の仕業とは思えない。鬼以外に考えられないと和尚は話していた。悍ましい事が起こっているのにあの笑みはどこから湧くのか。愛想笑いにしては気味が悪い。生命童子は訝った。


「お前のつらを見てニヤつくのも分からんではないが、何か別の仮面を被っているようにも思えるな、その内顔を出すだろうよ」


 どういう意味ですかと聞く生命童子に返事をせず、酒泉童子は真っ赤になるまで顔を拭いてから桶に布巾を戻し、荷物を解いた。


「だがあの坊主は人間だ。鬼の気配がせん。儂は兎に角酒が出てくれば奴が何でも構わんがな」


「一人で退治しなくてはならないのは分かってますけど。本当にお酒の事ばっかりなんだから」


「ワッハッハッ、酒は飲んでも呑まれぬ体、案ずるな!」


「またそれだ」


 実際どれ程浴びるように飲んでも酒泉童子は酔わなかった。寧ろ酒を飲むほど強くなるのだから何も言えない。いつもと変わらぬ酒泉童子と違い生命童子は緊張していた。酒泉童子がいれば自分が仕損じても後を任せられるので、鬼退治が上手くいかないかも知れないという不安はないのだが、童子と言えどもまだ未熟な自分が一人で対処するとなると気を張る。だが失敗しても彼が居れば大丈夫なのだと生命童子は杞憂を止めて外へと視線を投げた。まだ明るいが直ぐに陽が落ち始めるだろう。今のうちに周辺の様子を見ておかねばならない。


「少し庭を見て回ってきます。一緒に行きますか?」


「いや、儂はいい。風呂が沸くまで少し横になるから見てこい」


「はい」


 生命童子は弁財天神より授かった宝剣を再び腰に差して離れから庭へ続く階段を降りて歩いた。


 庭は丁寧に手入れがしてあった。あちこちに植えられている躑躅が青々と育ち、視線を遮らぬ高さに揃えられて丸く刈り込んである。大きめの石で囲われている池の端には淡い紫の菖蒲が咲き、水の中には大きな鯉が何匹も泳いでいた。銀白の鱗が陽の光を受けてきらきらと光る。池には小さな石橋も渡してあり、奥には灯篭が建てられていて、こんなに奥まったところにある寺なのに随分と優雅な美しい庭を造ったものだと違和感を持った。


 村からも町からも距離が有り、信者が参拝するには場所が悪い。修行の場所であるならばもっと質素な暮らしぶりだろうが、ここの和尚も小僧達も痩身ではなかった。食事に困らぬお布施が収められているからだろう。宿舎の後ろの社は更に雅やかな建物。しかも立ち入り禁止。”鬼が出るのに”立ち入り禁止とはどう言う了見だ。金の算段など余計なお世話だろうがあれを立てるのには相当な資金が必要だったはず。こんな田舎の寺のどこにそんな金があるのだろうと不思議に思った。


 本堂の前を横切り、反対側の西側へ出ると墓石がいくつも建てられていたが、倒れているものがあり、それを小僧達が懸命に元に戻そうと奮闘していた。墓石は重い。大人がおらねば元に戻すのは不可能だ。


「手伝おうか」


 生命童子は声を掛けた。五人居た小僧達は生命童子を見ると一斉に手を止めてびっくりしていた。体の大きい一人が恐る恐る返事をする。


「あの、貴方様が……生命童子様でしょうか」


「いかにも」


 小僧達は顔を見合わせた。鬼退治に来た童子だと聞いて、怖いものだと思っているのだろうか。一番年上に見える者でも童子と変わらぬ年だろうが、中には年端のいかぬ子供もいたので生命童子はいつもより優しい顔で作り笑いをした。すると小僧達は一同に小さく声を上げ顔を真っ赤に染めた。仲間に押しやられて一人の小僧が前へ出て童子に話す。


「お優しい心遣いありがとうございます。しかし童子様に手伝ってもらうなんてとんでもない!長旅でお疲れでしょうからどうぞごゆっくりなさってください」


 代表して深々と礼をした。しかし彼らだけで墓石を動かせるとも思えない。


「お前達だけでは持ち上がらんだろう。梃子を使っても滑車を使ったとしても台座へ乗せるには大人数人の力がいる。何故お前達だけなのだ。大人の僧侶が和尚以外おらんのなら、村の者を呼んでくる方が早いだろうに」


 再び皆で顔を見合せて、お前が言えよと押し付け合いながら内の一人が説明した。


「いえ、あの……この寺に入れるのは限られた方達だけで、和尚様の許可を得ている人のみなんです。村の人達を勝手に呼んではいけなくて」


「村人が参れないというのか」


「はい」


「ではこの寺は何のための寺なのだ」


「……それは」


 返答に詰まっているとまた一番大きい小僧が話した。


「この寺は僧侶の為の寺です。立派な僧侶になる為に和尚様に日々説法を説いて頂いております。修行は厳しいですが浮世の諸行に惑わされる事なく精神を鍛えて、人々の為に尽くせる様日々励んでいるのです」


 そうなんです、と相槌をうつ小僧達を見て首をかしげながら生命童子は問うた。


「人々の為に尽くす事を使命としながら、彼らの暮らしに関与せずその苦悩を理解する事が出来るというのか」


 生命童子の問いに小僧達は困惑した顔を見せた。修行をする僧侶の為の寺ならば、修行僧以外の出入りは不要。和尚が許可した者しか入る事の出来ないこの寺は村人さえも自由に訪問を許さない。それなのに豪奢な社をお堂の裏に建てて何かを隠している。今日来たばかりの童子にはその異常が分かるのに、住んでいる小僧達にはそれの何がおかしいか分からないようだった。鬼の悪さで不安を抱えている上に自分達が信じている事を疑わねばならぬとなっては小僧達の心情も辛いだろうと生命童子はそれ以上喋るのを控えた。


 生きる為の術を説き、人々の日々の苦しみを癒し、命の尊さを指し示すのが僧侶の勤め。特別な人間しか受け入れない、選ばれたものだけの寺など傲慢の極み。和尚が困っている事は本当だろうがそれには何かの因果が有るように思えた。


 小僧達は遠慮したが生命童子はあっという間に倒れていた全ての墓石を元の場所に戻してしまった。大人三人掛かりでやっと何とかするものを一人でやってのけた童子を見て口が開いたままの小僧達。それを気にする事無く童子は馬小屋へと向かい、去っていく背中に向かって小僧達は両手を合わせた。あれが神に仕える童子様の力かと震えた。


 奥の馬小屋には馬が一頭しかいなかった。三頭いた内一頭は逃がされ、一頭は殺されて臓物を食われていたと和尚は話していた。馬を殺すのは容易いがこの気高い生き物を手に掛けるのには邪心が必要だ。鬼の仕業に間違いないだろうと生命童子は踏んだ。鼻を鳴らし警戒する馬の鬣を優しく撫でてやると顔を横に何度も振って土を蹴った。


「この寺はどこか少し変だ。そう思わんか」


「———ああ、変だ」


 その声と同時に馬が頭を縦に振ったのでびっくりした生命童子は馬をじっと見た。だが声の主は馬ではないとすぐに気づいた。小屋の反対側から人影が出てくる。生命童子は驚いたままの顔をしていたのだろう、人影はくすりと笑った。


「まさか、馬が喋ったと思ったのか」


「ああ」


「あんた、和尚が言ってた童子様って奴だよな」


「お前は……妖か」


「は?」


「こんな寺でそんな恰好をしている小僧がいるか。狐か狸が化けているのだろう」


 美しい白の着物を纏った少年は妖と呼ばれてくっくっと口に指を宛てて笑った。


「そうだ、俺は物の怪だよ」


 ここは人里離れた寺。美しい着物を身に纏った妖艶な格好の少年がこんな所にいる事自体が変だ。先ほどの小僧達もここは僧侶たちの為の寺だと言っていた。見た目は人間だが存在が歪だ。白昼夢でも見ているか、妖に化かされていると思うのは当然だった。


「童子って案外間抜けなのな」


「なに?!聞き捨てならんぞ」


「物の怪と人間の区別もつかねぇなんざ間抜けに外ならねぇって言ってんだよ」


 妖や物の怪は千差万別で同じ形のものが居ない。馬に悪さをしたのは鬼ではなく妖であったのかと生命童子は警戒して剣を抜く心づもりをした。だがその警戒を知ってか知らずか少年は話し続ける。


「あんたさ、強いんだろ」


「常人に比べれば」


 少年は馬に近寄ると細く白い腕をするりと伸ばして馬の鼻梁を撫でた。馬はおとなしく撫でられている。動物が怖がらないところを見るとどうやら悪い奴ではなさそうだ。


「鬼倒しに来たんだろ……。物の怪も倒すの?」


「悪さをしているのが物の怪ならば」


「教えてくれよ、物の怪と鬼の違いはなんだ」


「鬼は人の気を喰らう生物だ。物の怪は魂が憑依したり転化したものを言う」


「俺が物の怪じゃ無いかどうかは直ぐには分かんないって事か」


「お前は……人だろう」


「本当にそう思う?」


 どう考えても人にしか見えないが確信が持てなかった。上等な着物を着た少年が辺鄙な寺にいるのは異質。それに彼の色香は見た目の年齢に不相応。上手くかみ合わない現実と俗識。戸惑う様子を楽しむかのように少年は腰を捻り妖艶に笑って背を向けた。白い首筋が誘う様に視線を奪う。


「悪さをしたのは物の怪じゃない。鬼だ」

 

 そう言い残して彼は山へと向かい、生命童子はその後姿がふっと黒い影に覆われて消えたのを見た。


「やはり物の怪であったか」


 鬼に物の怪とは忙しくなりそうだ。生命童子は部屋へと引き返した。



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