第11話 酒泉童子②


 鬼を素手で殺したという噂の子供は、善財童子に連れられて御堂に入ってきた。黒い長髪を後ろで結わえ、畑仕事で汚れた土塗れの着物を身に着けて、なんとは無い普通の子に見えた。だがその瞳は凜として穢れなく輝いており、何か特別なものを秘めているに違いないと、そう思わせる力強さがあった。


 自分からはあまり話さぬが、こちらから話しかければ屈託無く頬を綻ばせて笑い、童子に選ばれたからと言って驕ること無くいつも謙虚で、感謝の念を忘れない気丈な子だった。まだ幼い故に深い悲しみを完全に拭う事は出来ぬのだろう、時折一人で泣く事もあったが妹弟の為に童子の道を行くと覚悟し何事にも懸命に取り組んでいた。鍛錬は厳しいものであったがめいを受けただけあって心身強く、水を得た魚の様に体術を自分のものにしていった。


 剣を使っても良いと言われてからは儂にばかりくっついて稽古をつけてくれと強請るので何故かと聞いた。すると「酒泉殿が一番強いから」と真顔で答えた。儂は大いに笑った。童子達の中で剛剣をふるう儂に練習を付けてもらおうというその意気が頼もしかった。それからは可能な限り稽古をつけ、持ちうる全ての剣術を彼に叩き込んだ。強くなろうとする彼の期待に応えようと、力の限りを尽くし、それがいつの間にか儂の生きがいとなっていった。


 上背も伸び、共に戦いに出る様になった何度目かの遠征の際、数体の鬼を相手する事になり自分に襲い掛かる鬼に手こずって守ってやれない事があった。彼の背後から切りかかる鬼に気づかず、危ないと叫ぼうと思ったその瞬間、振り返った彼は紅い目をしてその鬼の脳天から体を真っ二つに切り裂いた。鬼の子と呼ばれた由縁を目撃した。慈悲を知らぬ戦慄の目が、鬼への憎しみを語っていた。そして不覚にもその目を美しいと思った。赤く妖しい光を放ち、豪と燃えて何もかもを焼き尽くしそうな深緋こきあけの双眼をしていた。 


 旅すがら半妖の噂を聞いた。鬼と人の間に出来た子供は、鬼の力を有するという。彼の底知れぬ力や瞳の奥に光る赤い炎は、半妖の証なのだと思った。鬼へと転じる事を危惧しなかったわけではなかったが、神はその事を知りながら彼を童子に命じたのだと知った。御朔日参りではいつも最後に名を呼ばれる。寵愛を受けていると言われているが、鬼へと心を傾けぬように神は彼を導いているのだと。


 彼が半妖であろうが、人間であろうが、童子として鬼と戦い、鬼を憎んでいる事は事実。共に戦ってきたその姿を見ればそこに疑いはなかった。儂は単純に彼と共に戦うのを楽しんでいた。自分よりも随分年下だがどんどん強さを増す彼のそこはかとない力に憧れた。それまで戦う事が楽しいなどと思った事は無かったが、彼の強靭さと超人的な成長は繋がっている童子達の力を高め、気が波及して童子達にも驚異的な強さを齎した。

 そして何より鬼と対峙した時にしか現れない彼の美しい紅い瞳は儂にとって神の降臨よりも心魅かれるものだった。紅い輝きを見せるのは鬼と闘うその時だけ。憎しみに心を燃やし、人と鬼との境目を往来しているのに気付いたのはきっと儂だけだっただろう。神の寵愛を受けるに相応しい、悲しく、強く、美しい生命童子。他の童子達が嫉妬に駆られるのも無理はなかった。だが儂には神からの寵愛など、誰が受けても良かった。ただ彼と戦い続けていたかった。



 噂が立ち始め、命を尽くして守った者達から屈辱を受け、さらに追い討ちをかける様に消えて行く自分の力も何もかもが耐え難かった。その中で最も悲しかったのは、苦しかったのは、兄者と慕い、この背を追ってきた彼に無様な姿を見せた事だった。強くありたかった。いつまでも彼が尊敬する師でありたかった。だが土台神から与えられた力。それを奪った人間達への憎しみは日に日に強くなった。人が憎い、童子の力を失わせた神が憎い。そして猿鬼達の言葉に抵抗し続けていた儂の心を踏みにじるように、人は恥も知らずにやってきた。今や力のないこの凡人に再び命を捧げて人を護れとそう言った。己の保身しか考えぬ身勝手な人間達を見て虫唾が走った。鬼になれば力が戻るとそう言った猿鬼の血をすすり、人々が殺されるのをただ見ていた。儂は鬼になったのだ。


 そして今あの焦がれた瞳が儂を見ている。怒りに燃え、柘榴石のように光る美しい眼を見開いて儂を見ていた―――。

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