第25話 愛敬童子⑨-決意


「今なんと仰いました……」


 聞き間違えではないだろうかと鶴は顔を紅潮させて生命童子の言葉を聞き返した。恐怖とは違う体の震えが起き、腿の辺りの着物を両手でぎゅうと握りしめて立ち上がる。


「鶴殿が嫌でなければ、俺が鶴殿を預かりたいと言ったんだ」


「あんた、鶴の面倒見るって、どういう意味で言ってんだ。ここで鶴がどういう生活してるか、御稚児様が何か知ってるのか?」


 鶴が心配で鴉天狗との契約が満たせないと悩んでいるのに、今日来たばかりの男たちに預かると言われて、はいそうですかと安心して引き渡せるものではない。世の中がそんなに甘くない事は身をもって学んできている。柚果は童子の真意を知りたかった。鶴を迎えてどうするのか。


「……知っている。鶴を我らの神の元へ連れていき、神と話をさせるつもりだ」


「神と対話って……」


 柚果は眉を顰めて露骨に嫌な顔をした。鶴もその言葉を聞いて俯いた。ここから出て狩人の弟子になれるよう弓矢の訓練をし、搾取される暮らしから脱却できるのではないかと期待したのだ。けれど想像していた事とは違うのかも知れないと戸惑った。


 僧侶たちは御神体である稚児を通して神と対話をするために繋がると称し、灌頂の儀式を行い、鶴たちに夜の相手を強いてきた。童子たちは真摯に見えたが僧侶相手だったものが童子相手になるだけなのか。また同じ暮らしなのかと落胆した鶴だったが、人よりも獣に顔を合わせる機会が多いこんな辺鄙な場所で幽閉されるより、言葉通り命を掛けて戦う童子たちの為に体を使う方が今より幾分意味があるのではないかと思った。


 大義は僧侶も童子も神の為、人の為だが実態には雲泥の差がある。自分が寺に居たままでは柚果はきっと決断を下せない。今より辛い生活になったとしても受け入れよう。ここから出て、柚果を安心させて新しい世界へ行かせてあげなければ。彼に未来を諦めさせてはならない。鶴は今すべきと思う選択肢を選んで腹をくくった。


「僕、行きます」


 無闇に心配するのをやめ、背筋を伸ばして鶴は大きな声で願い出た。酒泉童子が生命童子の袖をくいと引っ張り、二人は小声で話す。


「おい、鶴に童子の素質があるというのか」


「はい、秘めた力を感じます」


「お前がそう言うなら連れて帰ってもいいが、幼い子の世話は大変だぞ」


「事情を知った以上、鶴をここに置いていけない。それに俺が童子に命ぜられたのは鶴より三つも下の時です」


「しかしだな、野良猫を育てるのとはわけが違うんだ。お前の世話がどれ程大変だったか」


「鶴は賢い子です。向こう見ずだった俺より世話はし易いでしょう」


「お前は常人よりも強い男の子おのこであった。一緒にするな。稚児だったことがばれたら周りの人間が目の色を変えるかも知れんから気を付けてみてやらねばならんし……」


「そこら辺は頼みますよ、師匠」


 目配せを受け、酒泉童子は緩い溜息を吐いて仕方がないな、と肩を竦めた。鶴の目線の高さまで膝を折った生命童子は鶴の目を見つめ、彼の意思を再確認する。


「ここへの未練はないか」


「柚果が居ないこの寺に未練はありません」


「楽しいばかりの世界ではない。辛い事もある」


「はい」


「怪我だってするかも知れないし、危ない事もあるかも知れん」


「嗜虐嗜好の方でも御相手して参りましたので慣れております」


「……何の話をしているんだ」


 童子たちは目を丸くした。


「何って、僕は童子様たちの、その……夜のお相手を……」


「ち、違う!俺が言っているのは童子になる鍛錬の話で」


「童子になる?」


 鶴をこの様な残酷な場所から連れ出し、童子として育てようと思って話していたが、鶴自身は陰間として迎えられるのだと勘違いをしていた。酒泉童子は頭を掻き、順序立てて説明した。


「弁財天神様は水と叡智の戦闘神。童子の器に値するとた者にめいを授ける。童子は命と共に力を授かり、鬼や物の怪たちと戦い人々を護る。お前には童子の素質が見えるらしい。連れて帰って童子となれるのか次の御朔日参おついたちまいりの際、神の御言葉みことばを聴く。例え童子になれなくても童子の従者として働く者もおるからここへ戻る必要はない。だが童子になるという事は鬼と戦うという事。覚悟も必要だ。道中よく考えるがよい」


「僕が童子様になるかも知れないという事ですか?」


「それは神が決める」


「童子になれば、他の童子様たちと一緒に鬼と戦うのですか?」


「あぁ」


 鶴はうち震えた。慰み者として人に身を貪られるだけの生活をするのではない。童子になれるのかも知れないのだ。夢ではないのか。この寺から出られるだけでも良いと思っていたのに、童子として生きるなんて。まるで見えない足枷がガチャリと音を立てて外れ、それこそ傍に居る鴉天狗の様に背中に羽が生えたような心地になった。鶴は「お、お願いします」と大きな声で叫んだ。


「鶴は稚児として行くんじゃないんだな」


「童子は坊主のように禁欲を強いられている訳ではない。童子ともなると相手には困らんのでな」


 酒泉童子は柚果を見下ろした。ふんと鼻を逸らして柚果はカルラの足を見る。応急処置はされていたがサラシには血が滲んでいる。早く鴉天狗たちの里へ戻るのが良いのは分かっているが柚果にはまだ確かめたい事があった。


「童子様はそんなに偉いもんか。ちゃんと食っていけるのか」


「神に仕えているからな」


「生糞坊主たちも同じことを言ってたぞ」


「常人と一緒にしてもらっては困る。心配せずとも鶴殿の意思は必ず尊重される。童子の器を持っていたとしても、必ず童子にならなければならない訳では無い。使命を全うするには強い意思と覚悟が必要だ。無理やりさせられるものではない。安心せい」


 柚果は考え付く不安要素を次々と童子たちにぶつけ、答えられる度にカルラの様子を見た。嘘偽りのない応えなのか確認しているのだ。そして童子の応えを聴くほどに鶴は童子たちと寺を出る決心を固めた。


「過保護な兄上だな、鶴」


 酒泉童子は笑って鶴の肩を叩いた。カルラは呆れ顔で「全くだ」と同意した。柚果は全てに答えを出されてもまだ心配は尽きないようだったが、鶴の意思が最も重要だ。生命童子はずっと黙って問答を聞いていた柚果に優しく問いかけた。


「柚果殿はこれ以上聞く事はないようだが、鶴殿、自分の事だ。聞いておきたい事はあるか」


「……一つだけ」


 鶴は絞り出すように聞いた。


「僕は……穢れた身を持つ者です。器があったとしても、意思があったとしても、穢れている事に変わりはない。そんな僕でも童子になれるのでしょうか」


「鶴殿……」


 生きる為に仕方なく受け入れてきた事だったが稚児であった時間は鶴の心に深い傷を刻んでいた。尊厳を奪われ、体を奪われ、心を閉じ込められてきた鶴は、元来自分たちにはそんな価値しかないからだと諦めてきたのだ。童子のような神聖な存在になる資格など無いのではないか。彼らの慰みものになると言われているならまだしも童子になるなんてそんな事が許されるのだろうか。不安そうに鶴は二人の童子たちを交互に見た。


 柚果はカルラを見た。鶴と同じ不安を抱えていたからだ。カルラが懸命に柚果を恋い慕うのに契りを果たせないのは、鶴を置いていけずに未練を絶ち切れないのが一番の理由ではあったが、穢れた自分などがカルラに相応しいのか不安で堪らないからでもあった。生命童子は優しく鶴の手をとった。カルラも横にいる柚果の手をそっと引き寄せた。


「鶴殿、貴殿はどこも、何も穢れてはいない。長い間、こんな小さな体で沢山の痛みを受け、悲しみを抱え、辛かっただろう。父も母もおらぬのに、柚果殿と二人でよく耐えた。貴殿が大人になり、己の力で己を守れるようになるその日まで、貴殿の命、俺に預けてくれまいか」


 生命童子は鶴の瞳の奥に潜む翡翠の色に強く生きようとする光を見ていた。きっとその力は人を救い、そしていつの日か彼自身を救うと信じて生命童子は鶴の命を請け負う決意をしたのだ。ぼろぼろと堪えていた涙が鶴の瞳から零れる。


「はい……はい、不束者ですが、どうぞ、どうぞよろしくお願い申し上げます」


 柚果もカルラの手を握り静かに泣いていた。カルラは神通力を持つ鴉天狗。柚果の不安も何もかも見透かしていた。その不安を知っていたからこそ、気持ちを汲み、待ち続けていた。鶴が覚悟を決め、童子たちと旅立つことを決心したのを見届け、柚果の覚悟も決まった。


「柚果、未練は断ち切れたようだな。さぁ俺と行こう」


 こくりと柚果は頷いた。立ち上がろうとするカルラを部下の者達が支える。柚果も立ち上がり鶴の傍に行った。


「鶴、長い間、寂しい想いをさせた事、すまなかった。もっと他にやりようはあったと思うのに……」


「いいんだよ、柚果。柚果が居てくれて、僕は生きてこれたんだ。僕の事、心配してくれてありがとう。面倒見てくれて、ありがとう。ここを離れても柚果を忘れないよ。柚果が僕を忘れても、僕は絶対忘れない。柚果、ずっと想ってるよ。ずっと、想ってるから……元気で、ね」


「お前もな……」


 鶴は柚果に抱きつき子供らしく大声をあげて泣いた。柚果も鶴をぎゅっと暫く抱き締め泣いていた。空が秘色ひいろに染まり始めた頃、辛苦を分け合い、不器用に支えあった兄弟は互いを思いながら抱擁を解いた。どうか鶴を頼みますと、柚果は最後は丁寧に童子たちに頭を下げた。鶴はきっと柚果を幸せにしてくださいと、カルラにお願いした。


 濡れたように光る黒く美しい羽根が大きく開き、ばさりと音を立てると柚果はカルラに抱かれたまま宙に浮いた。羽が風を生むたびに上へ上へと遠のいていく姿を見て、鶴の目からまたぼろぼろと涙が零れた。


「達者でなー!」


 酒泉童子が大声を出すので、柚果はカルラの肩越しに振り返った。そして思い出したように言った。


「鶴ー!和尚の弓矢、持っていけよー!」


 鶴は大きく手を振って合図した。


 黒い羽の男たちはカルラと柚果を囲んで朝焼けに消えていく。


 鶴は生命童子の手を握り締めて、目一杯の笑顔で兄を見送った。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る