第45話 閉


 こっちへおいでと差し出された手は温かかった。いつも暗くなるのが怖かったのに、その手の温もりを知ってからは寧ろ夜が待ち遠しかった。髪を優しく撫でられながら肌を預けるとしあわせが全身を駆け巡る。何をしても悲しそうな紅い瞳が熱に浮かされて自分の名前を呼ぶと天にも昇る気持ちになり、高みへと昇ってそのまま消えてしまいたいとさえ思った。だが自分が消えてしまったらこの人は一人になってしまう。そんな哀しい思いはさせない。このまま炎に焼き尽くされるまで彼の為に生きるのだ。鬼の血を飲む時にそれを覚悟した。代わりに真っ赤に燃える焔を手に入れたのだから後悔はない。この世の果てまでも見透かすような美しい深緋の宝玉。紅い宝石は美しく気高く自分だけを映していた。その美しさにもう一度触れようとしたとき、カタンという音と共に開かれていた扉が閉まり敬翠は目を覚ました。弓矢を入れた袋を男がガサガサと探っている。


「何をしている」


 鋭い眼差しを受けて男はすぐに弓矢から手を離した。


「大事そうに抱えていた袋に何が入ってるのかと思ってね」


「あんたには関係のない代物だ」


「いいもん持ってるじゃないか。これを売れば当分働かなくても暮らしていけるだろうに」


 男は盃と徳利を持つと窓辺へ腰掛けた。 


「それは売る様なもんじゃない。私の命だ」


「大袈裟だな」


「本当のことだよ」


「怪しい奴。ずっと頭に付けた手拭いを取りもしないで枕を交わすなんて悪趣味にもほどがある」


 男は自分の盃にまた酒を注いでぐいと呑みほすと、緑の瞳をした美しい男の裸を下から上まで舐めるように眺めた。


「あんたがいい思いをするのに変わりはないんだ。どんな格好だろうと構わないだろう」


 敬翠は羽織を引き上げて体を覆った。


「まぁね。にしても、そんな綺麗な顔してりゃ都なら引き取ってくれる所は数多あるだろうになんでこんな物乞いみたいな事してるんだ。字が読めないのか」


「字ぐらい読める。あんたには関係ない」


「ふん、綺麗な顔と言えば、ここから西にある神社に美しい生き神様がいるらしいな。何でも困りごとを解決してくれるとかなんとか」


「あぁ……」


「この世のものとは思えない美しさだって聞くぜ。神頼みする必要なくても、一度は拝んでみたいね」


「……あんなの」


「何だ、知ってるのか」


 敬翠の目は月夜に爛々と光り、男はその美しい瞳に吸い込まれるように再び敬翠の横たわる褥に入り込んだ。


 瞳の奥に宿る妬心の炎が燃え、ごうと強い風が吹く。見計らったように風に紛れて鬼が人の耳に囁き、秘め事は暴かれた。


 じっとしていた大きな蜘蛛はカサカサと部屋の隅から出て行った。



 

 日ごとに村人の足が青竜の家の周りから遠のいていて、青竜の母親がまず異変に気付いた。今まで用もないのに手を合わせて家の前を通っていた村の人達の影が見えなくなった。毎日のように届けられていた供え物の数も減り、生き神様に会いたいという者も滅多に訪ねて来なくなった。何かが起きている。それは妖怪を助けたと青竜が話した後と同じ状態だった。人が遠巻きになり、距離を置いていく。だが青竜はもう大人。詰まらない事を口にする事もないし、いたずらをして村人たちを困らせている訳では無い。寧ろ村を上げて神の生まれ変わりだと祀り建てられて、神頼みまで引き受けているのだ。前と同じように噂が一人歩きする事は無いだろう。母親も青竜自身もそう思っていた。だが思った以上に事態は深刻だった。


 青竜が鬼と一緒に居た所を見たという者が現れたのだ。それが村の会合で話合われた。


「生き神様が鬼と逢っているのを見た者がいる」


「それは本当か」


「残念な事に本当の様だ。鬼は隣の山に棲みかを造っている」


「何という事だ。鬼と結託して我々を騙していると言うのか」


「どうやら赤い鬼らしい」


「畑を荒らしていたのも赤い鬼じゃなかったか」


「そうだ、そうだ、赤い鬼に殺されると村の誰かが叫んでいた」


「平八の息子を無残に殺したのもそいつだな」


「村を上げて青竜を神の生まれ変わりだと祀っているのになんて事だ」


「遠方からわざわざ来てくれる人達もいるんだぞ。どう言い訳すればいいんだ」


 村が栄えると嬉しそうに青竜をダシに使い、頼み込んで困りごとを解決してもらいながら村人たちは会合で憶測も噂も何もかもをごちゃまぜにして、全て赤い鬼と青竜が結託して村全体を騙したのだという話を作りあげた。そうする事で村は被害者となり青竜が皆を騙したのだから責任は全て青竜に負わせる事が出来る。訳も分からないまま村の会合に呼ばれた青竜は戸惑った。


「青竜、お前と鬼が逢っている所を見たという者がいる。お前は鬼と繋がっているのか」


嘘の付けない青竜は蒼白になって黙っていた。


「黙っていては分からん。お前は鬼と繋がってワシらを騙しているのか」


「騙すだなんて!俺たちは何も悪い事はしてない!」


「俺たち?じゃぁ鬼と逢ってないんだな?」


「鬼が悪い事ばかりするとは限らない……」


 村人たちの視線が一気に集まり、その冷たさに青竜は体を震わせた。


「何を言う、鬼は人を食うんだぞ!平八の息子は鬼に喰われて死んだ。帰って来た三人はそれを見ていたんだ!お前はそんな鬼と繋がっているというのか?」


「平八さんの息子を食った鬼は別の鬼だよ!俺の知ってる鬼じゃない!」


「鬼は鬼だ!おい、青竜を縛れ。鬼と逢ってるのは本当だったんだ。またそいつに会いに行くに決まっている。ワシらを騙してまた誰かを生贄にして食おうって魂胆だ!」


「何で俺がそんな事しなきゃならないんだ!紅生は人を食ったりしない!困りごとは全部あいつに頼んで助けて貰ったんだ。困った人達を助けて来た。あいつは鬼じゃなくて神様だ。なのにどうして悪者扱いされなきゃいけないんだ!間違ってる!」


「紅生?鬼の名前か?鬼を神などとほざいてお前は鬼に取り憑かれているんだ!鬼は退治せねばならない。一緒に暮らせる訳がないだろう!喰うか食われるか、鬼と人は相容れない生き物なんだ。お前は良いように鬼に使われているんだよ。昔から妖怪たちはお前の周りに集まる。鬼もお前のその妖しい力で引き寄せたのだろう。納屋に入れて暫く閉じ込めておけ!」


 青竜は何もしていないと何度も叫んだが耳を貸してくれる者はいなかった。納屋の中で両手を縛られ閉じ込められた青竜は泣き叫んだ。どうしてこんな仕打ちを受けるのだ。訳が分からない。山は登るな、泉には近づくなと村人たちには伝えていた。なのに小屋を覗かれたのだろうか。だが鬼と居る事の何が悪い。誰にも迷惑を掛けていないのに、寧ろ皆を助けて来たのに、何故幽閉されなければならないのか青竜にはわからない。 


「どうしてだよ、何も悪い事はしてない……紅生……」

 

 納屋の中は寒く、暗く、かさかさと虫が蠢いて心細い。だが悲痛な青竜の声は誰にも届かなかった。








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