第3話 弁財天神


 容姿も神々しく美しい弁財天は全知全能に近い力を持ち、他の神からさえも嫉妬されていた。その御利益は多岐に渡り、妙音・美音天と呼ばれ、叡智・学問・音楽・水・豊穣の神とされていて、普段は見えぬ様に収めている八本の手には弓・箭・刀・矟・斧・長杵・鉄輪・羅索を持っており戦闘神としても崇められていた。


 そんな聖上の美神から存分に寵愛を受け、人でありながら人為らざる力を持つ由縁とその危殆を知らぬまま童子達は日々精進した。魑魅魍魎と闘い、どれ程傷だらけになろうとも体が激痛に泣き叫ぼうと生きていれば神が傷を癒してくれる。どれ程恐ろしい敵と対峙してもその身を捧げる覚悟で懸命に闘った。


 だがある月からどの国からも救済を求める声が上がらなくなった。鬼達がぴたりと出没しなくなったのだ。童子達はとうとう鬼共が我らの力に恐れをなして影をひそめたのだろうと気を緩めていた。


 生命童子の家に下人は居ないが妹と弟と慎ましやかに暮らしていた。母親は弟が生まれて間もなく他界し、追うように父も他界した。両親の居ない心許ない家族であったが、生命童子が宝剣と宝珠を神より授かりめいを受けて鬼から人々を護るようなってからは神様同然と村人から大層大事にされた。季節ごとに米や野菜が御供物として届けられるので食べる事に困る事は無かったが驕ることなく質素に暮らし、妹は家事を細々と行い、時間を見つけては針仕事をして生活の足しにしていた。弟はまだ小さいながら村の畑仕事を手伝い、兄の様に強い童子になるのだと仕事が終われば武道の鍛錬に励む毎日だった。

 

 部屋で囲炉裏を囲み刀を手入れする傍らで妹の春乃が針仕事をしている。弟の春次は夕餉後寝転んでそのまま眠りについてしまった。食事の後片付けが終わったころに愛敬童子が家を訪ね、家族の一員の様に火を囲むことが日課になっている。今日もいつもの様にやってきて当たり前のように自分でお茶を入れ、兄と慕う生命童子の隣に座った愛敬童子はあどけない春次の顔を覗き込んでから声を抑えて話しだした。


「兄様、最近鬼が出ぬのはほんに不思議ですね」

「不穏な動きの前触れと最初は懸念しておったが、他の童子達が言う様に弁財天様の御加護を受けている我らに恐れをなしているだけだろうよ」

「そうでしょうか、静かなのはこの国だけではありません。西の国も東の国も、十六童子が治める所は悉く静かなのです」

「敬は心配性だな。であればやはり弁財天様の力を鬼が恐れている証拠ではないか」


 生命童子は愛敬童子の事を敬と呼ぶ。愛敬童子は生命童子を親しみを込めて兄様と呼んでいた。


「だと良いのですが」

「理由が何であれ、鬼が静かだと兄上が家に居て下さるので私や春次は安心して過ごせますわ」


 針の手を動かしながら春乃が安堵を漏らした。鬼達は人間を見つけると女や子供をいの一番に攫っていく。鬼に攫われたものは帰ってこない。どうなったか知るものも居ない。食われるか手籠めにされるか鬼にされるか、その末路は帰ってきたものが居ないのだから想像の範疇を越えない。だが鬼の数が増えている昨今の状況から鬼にされるのではないかと言う噂が広まっていた。

 生命童子が鬼や物の怪を仕留め損なって怨みを買えば報復の的になるのはか弱き二人の家族である。弟の春次はまだ剣を握って闘う歳ではないから童子がいない間に襲われれば一溜まりもない。その事に悩んだ時、己の恐怖を押し殺して妹は童子の背中を押した。神が与えた力にはきっと意味があり、その力を世の為に使う事は童子の使命。自分達がその家族である事を誇らしく想う、と兄の心配を払拭しようした。だが力を持たぬ者の不安がなくなった訳ではない。兄の無事と帰還、そして鬼達が報復に来ぬ様にと身を案ずる毎日だった。


「お前達には指一本触れさせるものか、心配するな」


 片時も離れずに身を護る事など勤めがあっては不可能な事ではあったが生命童子は家族を何よりも大切にした。


「そうですとも、春乃ちゃんや春次には私もついておりますしね。お二人とも私の家族も同然。命を懸けてお守り致します」


 愛敬童子は歯を見せて笑った。 


「心強い事です。お二人がいれば百人力ですもの。ふふ」


 澄んだ淡い栗色の瞳は穢れを知らず美しく、齢十四にして家の切り盛り全てを行いその苦労を微塵も表に出さず自分を支えようとする妹を生命童子は誇らしく思った。


「春乃は何を縫っておるのだ」


 手元を覗いて手入れの終わった刀を鞘に納め、傍らに置く。


「ひょっとして私の帯?」


 愛敬童子がずいと顔を出すと生命童子は掌でそれを制した。 


「何故春乃がお前に帯を縫わねばならんのだ」

「いいじゃないですか、ちょうどぼろぼろになってたんですよ。私と春乃ちゃんの仲ですから」

「どんな仲だ、春乃はやらんぞ」

「誰もそんな事言ってないでしょうよ、兄様は本当に……」

「何だ」

「兄上は自分の事は全く無頓着です。ねぇ、愛敬童子様」

「だよねぇ」


 肩を竦める愛敬童子と目を合わせて春乃は楽しげだった。「何の事だ」と生命童子は首を傾げたが二人ともいつも茶を濁す。どうやら何か秘密を共有しているようだった。春乃は短くなった糸を取り換え、縫いかけの帯を兄に見せて嬉しそうに微笑む。


「兄上の新しい角帯に紋を付けているのです」


手渡された帯の角には桐の花が二つ刺繍されていた。絹糸を使っているため光が反射して紋様が艶めいて見える。


「遠くへ足を運ばれる際も兄様に強運をと、お守り代わりに」

「高い糸を使って……勿体無い。嫁入り道具を作るのに使うと言うから買ってやった糸だろうに」

「兄上のご無事が何よりの願いなのです」


 童子はその紋様をじっと見つめ、朝から晩まで家の事に掛かりきりで、暇があれば心配ばかりしている春乃の未来を案じた。もう許婚がいても良さそうな年頃なのに一向にその気配がない。愛敬童子に「春乃はやらん」と軽口を言ったが、相手が彼ならばどれ程心強いだろう、これ程頼りがいのある者は他に居ない。秘密を共有できる相手と言うものはそうそう簡単に見つかるものではないが、互いをどう思っているのかなど聞いたことも無い。生命童子は普段は口にせぬ妹の色恋沙汰に始めて口を出した。


「お前に心を寄せる者はおらんのか。嫁入り道具の準備をすると言っておったではないか」

「急に何を仰います。あれは糸を買って頂く口実です。ああでも言わなければ兄上が自分の帯の紋入れに絹の糸など買ってくれないでしょう」

「心配しておるのだ。お前はもう十四だぞ。それこそ敬はどうなのだ」


 愛敬童子は飲みかけのお茶を噴いて咳き込んだ。それを横目で見た春乃は申し訳なさそうに言った。


「まだ十四です。敬様は私には勿体無いお方。兄上がこのように無邪気では私はいつまでたってもお嫁にはいけませぬ。兄上こそ、弁財天様の事はどう思ってらっしゃるのですか」

「なぜそのような話になるのだ……」


ぎろりと出所を睨むが愛敬童子は肩を竦めるだけであった。他の者には言えない弁財天への賛辞をひたすら愛敬童子の耳に入れていたのだが、まさかそれが妹に伝わってしまうとは思っていなかった。


「私が愛敬童子様から聞きだしただけです。兄上の御気持が知りたいのです。神と人間の間にも子は授かると言いますが、弁財天様はどの様に思われているのでしょうか」

「何と恐れ多い事を口走っておるのだ。俺は神に仕える身。そのような事を口にしてはならぬ」

「けれども兄上は弁財天様の……」

「この話は終わりだ」


 耳まで真っ赤になった生命童子は立ち上がり、自室へと去ってしまった。春乃は愛敬童子と目を合わせた。苦虫を嚙み潰したように笑った愛敬童子の瞳は潤んだまま焼け燻る赤い炭を映し、春乃は帯の紋をまた縫い始めた。

 兄に幸せになって欲しいと春乃は常々考えている。命を懸けて人々を護る誇り高き童子。誰よりも幸せにならねば世の中間違っている。そして同じく童子であり兄を慕う愛敬童子にも笑顔で居て欲しかった。でもどうすればその両方が叶うのか分り兼ねていた。春乃は自分の事などいつも二の次で、兄と弟、そして家族同然傍に居てくれる愛敬童子の事を考えていた。だが悩む反面そのような事に思いを巡らせる事が出来る束の間の時間が楽しくもあった。


 一方、自室で生命童子はどこを見るでもなく空を見つめ逡巡していた。春乃の言葉。弁えぬ心。神の美しさ。禁忌の想像。ぐるぐると頭の中で回る考えに名前を付ける事も出来ずに戸惑った。鬼の居ぬ間に詰まらぬことを考えるものよ。そう自嘲して気が付いた時には夜はどっぷり更けていた。眠れぬ体を持て余し己の心のぬるさと邪念を削ぎ落とそうと庭に出て何度も木刀を振った。

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