静けき聖夜、櫻とワルツを 後編

 ――異世界……裏世界? に迷い込んだ私は、そこで出会った妖しい着物のお姉さん、サクラさんに連れられ町中を歩いている。


「どうかしら。見覚えはあるでしょう?」

「え、ええ、まあ」


 町並みや道筋は、元の世界とまったく同じ。友達の家もあるし、妙なところに建っている駄菓子屋なんかもそのまま存在している。


 決定的に違う点をあげるなら、人の気配が全然しないこと。スマホの時計を見るとまだ十八時一〇分、車の一台、学校や会社帰りの人が一人いてもおかしくないのに影も形もなく、家々には光が一切灯っていない。


 ここまで来てようやく別の世界にいるんだなと実感がわく。

 ……いや、別の世界なんてものがあることや、そこに自分が来ていることにもっと驚くべきなんだけど。なんというか、頭が追い付いていない。まだふわふわしている。


「戸惑っているのね。手から伝わってくるもの、何も言わなくても分かるわ」

「そりゃあ、その」

「大丈夫、わたくしも最初はそうだったから。雪ちゃん物覚えがよさそうだから、じきに慣れてくるわ」

「……うす、どうも」

「ふふっ、まだかたいわね――着いたわ、ここよ」


 どうぞ、と座るようにうながすサクラさん。


 着いたのは、現代的な住宅街の中では確実に浮いている、時代劇で見るお団子屋さんのようなひなびた家屋。その建物の周りだけ木々や土があり余計に目立つ。茶屋として営業しているのか、店先に赤い布が敷かれたベンチが置かれていた。


 とりあえず疲れを癒すためにベンチに腰掛ける。

 サクラさんはどうするんだろうと目で追うと、スーッと茶屋に入っていった。もしかすると? と考えていたら。


「お待たせ。これでも食べてゆっくりしましょ」


 三食団子を四本とお茶を二杯、お盆に乗せて運んできてくれた。


 なるほど。江戸時代をコンセプトにした茶屋だから、サクラさんもそれに合わせて着物姿を……それなら納得。してる場合じゃないな、そもそもここ裏世界なんだが。


「サクラさんって、ここの店員さん?」

「違うわよ? おかしなこと言うのね」


 えぇ……違うんかい。ならどうしてそこまで堂々とパクってこれるんだ。尊敬できない度胸だ。

 唖然としている間にサクラさんは一切ためらうことなくお団子を口に運ぶ。見せの者だろうとお構いなしらしい。


 別の可能性も考えるなら、お店なんかじゃなくてサクラさんの家だと考えれば、まあまあ分かる。それにしたって浮きすぎだろう、なんなんだここ。なんなんだアンタ。


「そう怖い顔しないで。ここ、誰も住んでないから」

「サクラさんも?」

「わたくしに家はないわ。この家には団子食べに来てるだけだし」

「じゃあいつもどこで寝てるんですか」

「桜並木のところ。木の上が寝心地いいのよ」

「なんで野生児みたいな過ごし方してるんすか。ちゃんとしたとこで寝てください」


 着物で登れるものなのか? なんかもう分かんないなこの人。


「んー! やっぱりお団子っていいわねぇ。落ち着いた甘さが心地いい……分からない?」

「ちょっと分かります。渋めのお茶と合いますよね」

「雪ちゃんとは気が合うわね。お団子三本目あげちゃう」

「じゃあもらいます。ありがとうございます」


 気付いたら二本目を食べ終えていた。お腹が空いていたのか、団子が美味しいから食べすぎたのか。我ながら食い意地張ってる。

 差し出された団子をくわえて受け取る。その時のサクラさんの顔はそれまで見せていた大人な雰囲気じゃない、面白がっているような無邪気な笑みを浮かべていた。


 ――この笑顔、どこかで見たような感じがする。


 いつも誰かの傍で、いたずらっぽく笑う人を見ていた気がする。記憶がぼやけて全然思い出せない、絶対知っているはずなのに。


「あんまり急いで食べると詰まるわよ。お茶のおかわり持ってくるわね」


 お得意のくすくす笑いをしながら茶屋に入るサクラさん。完全に中に戻ったのを確認して。


「……さて帰るか。よく分からん世界とはおさらばしないと」


 サクラさんには悪いけど、さっさと退散させてもらおう。

 残っている団子を一気にほおばり、茶屋を一瞥して立ち上がった。


 その瞬間。


「――あらあら悪い子。勝手に行くのは許さない」

「うおっ! えっ、えっ? 嘘、いつのまに!?」


 顔をあげたらそこにサクラさんがぷーっと頬を膨らませて立っていた。おかしいだろ、さっき入ってくの見たんだぞ。いくらなんでも早いというか、超常的すぎる。音もなくテレポートしてくるとは。


「雪ちゃんの気持ちは分かる。元の世界が恋しいよね。人が全然いない、暗い世界は嫌よね」

「そんなこと……いや、そうっすけど」

「でも無理よ、出られない。確かめてみればいいわ」

「――はい? ど、どういう?」

「ん」


 相変わらず何にもついていけない私。

 目を泳がせている私に、おもむろに手を差し出すサクラさん。また握れとでもいうのか。


 ……上等。何が起きるか分からんけど、乗ってみなきゃ進めないし。

 一瞬だけ気が引けたものの、なるようになれと手を取る。すると。


「じゃあ、酔わないようにね」


 と言ってパチンと指を鳴らした。


 刹那の瞬きののち。


 ――夕焼け通りに戻っていた。


「…………ぇ」

「はい、着いたわ。驚かないの?」

「おお、驚いてますよ。言葉がないだけで……うっ、頭痛い……」

「飛んだ時の副作用ね。すぐ治まるわ」


 頭の奥から響く痛みに耐えながら、通りの中央を行ったり来たりする。眉をひそめるサクラさんを見ないようにして世界からの脱出を試みる……が、一切変化はない。


「入るときは通りの真ん中なんだから、出る時も同じじゃないのかよ」

「言ったでしょう、出られないって」

「サクラさん、理由知ってるの? だったら教え――」

「だってわたくしが出られないようにしてるんだもの。無理に決まってるじゃない」

「……はぁ!?」


 ここに来てびっくりするようなことしかないが、これまでで一番の衝撃が全身を襲った。思わず大声をあげるほど。


 ということはなんだ? この世界の見えない出入り口はサクラさんが管理していて、迷い込ませるのも出させないのも思い通りとでも?


「じゃあ神隠し事件はサクラさんが? これまで何人犠牲に――」

「それは知らないわ。わたくしが”起きた”のは最近で、ここに入れたのはせいぜい一人……雪ちゃんで二人目。それ以前のことは知らないの」

「で、でも……なら三波さんはどこに……」

「あら、自分より他人の心配? おかしな子――ミナミ? そんな子来た、かしら……」


 余裕ありげだったサクラさんの表情に陰りが見え、足元がおぼつかない様子でじりじり後ずさる。その最中、頭を押さえていた手が顔の半分を覆う仮面に当たり、するりと外れた。


「サクラさん仮面が――……え、あなたは」


 長い前髪の隙間から見えた顔には見覚えがある。いつも華奈の傍にいた、無口だけどちょっとお茶目な優等生で。


 ……そして、現在行方不明になっているあの子。


「三波、櫻……」

「その名前で、呼ばないでくれるかしら。頭がおかしくなりそうよ。わたくしは櫻、ただの櫻……」

「じゃあ、三波さんはどこに?」

「知らないっ、わたくしはわたくしのことしか知らないの! なんで……なんでわたくしを見てくれないの……櫻は、わたし、なのに……」


 右手で頭を押さえ、左手は血が出んばかりに握りしめる櫻さん。三波と呼ばれることが相当嫌だったんだろう、先刻とは打って変わって自失状態でうずくまる。他人の名前で呼ばれたら誰だって嫌か……私のせいだな。


 私は崩れ落ちる彼女を前にして、何もできない。かける言葉もない、手を差し伸べることもできない。いろんな情報で頭がパンク寸前なのだ。


「わたしはずっと独りだったの。こんな何もない、ずっと夕暮れで桜が咲いてるだけの世界で、話す相手がどこにもいない……なのにわたしを見てくれない……前に来た子もそうだったわ、わたしが誰かに似てるって。それでもやもやしちゃって、無理矢理送り返したんだけど……」

「ご、ごめんなさい。私、無神経で」

「いいのよ、別に、あなたもあの子も、思ったことを言っただけだったもの。でもやっぱり嫌、胸の奥がもやもやするから」


 彼女が言葉を紡ぐ度、まとっていたヴェールがはがれていく。大人な櫻さんから、多分、ずっと抑え込んでいた壊れやすい”櫻さん”が顔を出している。


「あなたには分からないでしょうね、目覚めてからずっと独りでいるわたしの気分は。目覚める前の記憶もなくて、この世界の管理者である以外の存在意義のないわたしのことなんて、理解できないでしょう」

「それは……」

「無理して何か言うことはないわ。だって、もうすぐわたしのことは忘れてしまうのだから」


 顔を伏せたまま手を掲げ、震える指先で小さな円を描いた。

 すると、櫻さんの背後がぐにゃりと歪み、姿見ほどの大きさの穴のようなものが現れた。


「ここを通れば帰れる。通るときにここでの記憶は置いていくことになるわ、違う世界の記憶は持ち越せないから」

「……」

「さあ、念願の出口よ。わたくしのことは忘れるのだから、罪悪感もなにもかも置いていきなさい。そして二度と近寄らないで、いいわね」

「……っ」


 私の足は無意識のうちに出口に向かう。

 なぜだろうか。一歩一歩がとにかく重い。訳が分からないままこの世界に来て、ようやく帰れるというのに、どうして重く感じるのだろうか。


 出口寸前まで来た時に櫻さんとすれ違う。ずっとうつむいたままで、無邪気に笑っていた彼女の面影はどこにもない。

 彼女の言う通りなら、ここでのことをきれいさっぱり忘れる。今彼女に抱いている感情も全て捨てていけるということ。何も考えずに、ゲートをくぐればそれで終わり。


 終わり、なのに。


 ……私は。


「――櫻さん」

「…………なによ、早く行きなさいよ」

「櫻さんの趣味って、なんですか」

「なんでそんなこと訊くの」


 出口の向こう側を見ながら、困った時のド定番な質問を投げかける。返事してくれた櫻さんの調子は、まるで拗ねた子供のようだった。


「櫻さんは団子が好きなんですよね。どんなのをよく食べます? 私はみたらしです」

「……ねぇ」

「櫻さんの服って、どこで作ったやつなんですか? 桜柄がすごい綺麗で私も欲しいなって」

「ちょっと」

「櫻さんは――」

「待って! 雪ちゃん、なんのつもりなの? 急になんなの?」

「だって……」


 服のすそを強く握りながら櫻さんに振り返る。

 櫻さんは涙をためた、戸惑いの色を宿した目で私を見上げていた。


 私はこたえなきゃいけない。私自身の言葉で、今ここにいる櫻さんに。


「そんな風に言われたら、知りたくなるじゃないですか。櫻さんのこともっとたくさん」

「っ……ぅん」

「三波さんは三波さんで、櫻さんは櫻さん、ですよね。当たり前のことが抜けてました、人はみんな違うんですから」

「うん、そうよね」

「だから、色々教えてください。そんで、その……傍にいさせてください。これからは独りになんてさせませんから。まずは友達から、ってね」


 思っていたことを、深く考えずそのまま言葉にして伝える。

 短い間、せいぜい一時間にも満たない仲だけど、もっと仲良くなりたいと思ってしまった。でも友達とか恋人とか、最初はそんなもんだ。


 それに、今の櫻さんを一人にしておきたくはなかった。他人に対して誤解させたまま別れてしまったら、きっと本当の神隠しを起こすようになるかもしれない。

 真の怪異には私がさせない。自己犠牲なんかじゃなくて、ただ私が、仲良くなりたいだけで、そのおまけで阻止するようなもの。


「ゆ、雪ちゃん……えぐっ、ひぅっ……んっ」


 言い切ってしばらくすると、櫻さんが嗚咽を漏らしながら両腕を広げた。なんだろうと首をかしげると。


「んっ……んっ!」


 ――あー、はいはい。分かった分かった。


「えっと、その――ごめんなさい、櫻さん。はい」


 櫻さんに合わせて腰を下ろし、彼女の腕の中に納まりながら両腕を背中に回して……つまり抱きしめられて、抱きしめ返す。

 抱き合ってすぐ櫻さんは私の胸に顔をうずめながらぎゅーっと力を込めてきた。少し痛いけど、ここは我慢しよう。


 ……。


 どれくらい経っただろうか。落ち着いたであろう櫻さんが突き飛ばすように私を引きはがし、顔をごしごしこすり、膝をさっさとはらって。


「全く、世話が焼ける子ね。わたくしがここまでやってようやく素直になるなんて」


 と、何事もなかったかのようにふるまいだした。さっきのよわよわな姿を見ているだけに、強がっている子供にしか見えないのだけど、うん、黙っておこう。


「そうですね。お膳立てがないと素直になれないんです。

 ――改めて櫻さん、私と付き合ってもらえませんか?」


 私は肝心なところで頭が回らないから、こういう時は言葉を飾らないに限る。これからしたいことを、思ったまま伝える。


 そして櫻さんの方は、少し照れたように頬をかき、前髪で顔の右半分を隠しながら小さく頷く。そして。


「ええ、こちらこそ、よろしくお願いするわ。

 ――こんな気持ちになったのは初めてよ。とても、とても晴れやかなの、わたくしの心」


 これまでで一番の笑顔を見せてくれた。夕焼けで色づいた桜がかすむほどの、とびっきりの笑顔を。


 不器用ながらに想いを伝え合った私たち。

 手を取り合い、言葉と笑顔と手のぬくもりで心を通い合わせる。


 ――その、お互いに笑顔を交換した瞬間のこと。


 ――突如、空が暗くなった。


「えっ!?」

「まさか……あら、あら」


 二人同時に見上げると、空には星々が灯り、真っ赤な満月が顔を出していた。ずっと通りに差し込んでいた夕陽は沈み、今は神秘的な月光が、桜と私たちを照らしていた。


「夕焼け通りに、夜が」

「こんなこと、今までで一回もなかったのに……もしかして、雪ちゃんの影響、なのかしらね」

「そうなの? 私なにかした?」

「何かって……わたくしを格好よく口説いたじゃない。わたくしの心を変えたから、きっとこの世界にも変化が起きたのね」

「口説いた!? いやまあそうなる、のか? ちょっと恥ずかし……って今聞き捨てならないことが。櫻さんと世界って繋がってるの!? 神様!?」

「ふふん、実はそうなの。わたくしはこの世界の――今はどうでもいいわ、ほら!」

「うわっ、ちょっと!」


 ……さっきまでの櫻さんはどこへやら。

 茶屋で見せた無邪気な櫻さんが、私の手を取ってめちゃくちゃなダンスを始める。決まったステップはない、音楽もない、ただ衝動に任せてする夜桜のダンス。


 振り回されながらも、櫻さんの動きに合わせて私も踊る。この瞬間だけは、深いことを考えずただ踊ろう。新しい友の誕生を祝って。


 ――気がつかない内にゲートは閉まっていた。またゲートを開けるのか、私はあっちとこっちを行き来できるのか。彼女をずっと憶えていられるのか。


 ――それはまだ分からない。けどせめて、櫻さんのことは忘れたくない。櫻さんとなってしまった三波さんのことも。三波さんは多分、もういないだろう。代わりに櫻さんが彼女の分まで生きるだろう。


 ひとまず、今はダンスを楽しもう。先のこと、彼女のこと、それを考えるのは無粋だ。


「初めての友達とこうして踊れるのは幸せね! ありがとう、雪ちゃん!」

「私でよければいつでも相手しますよ」

「……むぅ。私たちの仲でしょう? かしこまるのはナシよ」

「急に言われても……気をつけるよ。でも櫻さんは櫻さんって呼ばせてね」

「いいわよ雪ちゃん。許してあげる」


 その後、踊り疲れた私たちは近くのベンチに並んで座り、和傘の下で夜桜を眺める。


 ぼんやりと月を眺めていると、私はふと、あることを思い出した。


「あっ、ねぇ、櫻さん。クリスマスって知ってる?」

「くりすます? とは、なにかしら」

「えっとね――」


 私はクリスマスが何たるかを櫻さんに教える。

 するとえらく気に入ったのか。


「そういう行事があるのね。なら、一緒に”それ”を言いましょう、ねっ!?」


 目を輝かせながら詰め寄ってきた。綺麗な顔がぐっと近づいてきたものだから、思わずたじろいでしまう。

 彼女のお願いを断る理由は、ない。私は首を縦に振り、せーのでいきましょうと合図を決める。


 一旦呼吸を落ち着け、どちらからともなく手を重ねながら。魔法の言葉を唱え合った。


「それじゃあ行きますよ、せーのっ」


「メリークリスマスよ、雪ちゃん」

「メリークリスマス、櫻さん」


 私たちの聖夜は始まったばかり。


 今夜の月は、言葉にできないくらい、綺麗だった。

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