「ふぅん、大分前から噂になっていたのね。じいさんばあさんには見られちゃうものなのかしら。死期が近いとお迎えが来るって騒がしくなるじゃない?」

「そういう、ものなんじゃないんですか? 私にはさっぱり……」


 死神少女に案内で来た公園で缶コーヒーを飲みながら、適当な話題で場をもたせる。といっても、主に少女が色々聞いてきて、それに私が答える、という形で。


「あちきのこと、普通は見えないはずなんだけどなぁ」


 少女は少々不機嫌そうにぶーぶー言いながらコーヒーをすすり、「うえぇ苦……」と顔を歪めた。


 この少女の言っていることは間違いではない。最初は全く信じていなかったのだけど、ここに来る途中で信じざるを得なくなった。

 私の花屋の常連さん含む数人とすれ違った際、誰もこの子について触れなかったのだ。常連さんは「お散歩かしら? 珍しいわね」とは言った、しかし少女については一言も言わず、見ることもしなかった。


「ではなぜ、私や、さっきのおじいさんは見ることができるのでしょう」


 気になったら聞くのが一番。なんとなく、聞いたら答えてくれる雰囲気がある。……ただそれは、彼女の正体が死神であると信じたうえでのものであるが。


 妙な信頼をもってした質問で、少女の不機嫌そうだった顔が途端にぱーっと明るくなる。そんなに嬉しかったのか? うぅむ、分からない。しかし僥倖、喜んで聞くとしよう。


 少女はぐいっとコーヒーを飲み干して「それはね!」と指を振りながら教えてくれた。


「あちきの役割はね、死期が近い人に、死を受け入れてもらうことよ。魂を導くことが死神の仕事だから」

「それがどう繋がるのでしょう」

「本当は、噂やさっきのおじいさんみたいに、あちきが姿を見せようとしないと見えないの。それか死期が近い人ね、そういう人はすぐ連れていくことになっているんだけど。でもたまにいるのよ、あなたみたいな人」


 ビシッと私に指をつきつけ、どうだと言わんばかりの表情。……どう反応すれば?


「一種の霊感ね、そういう人はあちきをしっかり認識しちゃうみたい。結果その人たちから噂が広がっちゃった、って感じ。おかげで仕事がしにくくなっちゃった。噂におびえちゃってね、安らかに、とはいかなくて」


 そう言って傍に置いていた鉢植えを抱え上げ、優しく花を撫でる。


 ――死神というのも大変らしい。あえて例えるなら、重病の宣告をする医者だろう。治療が難しいことを告げねばならず、それで患者が怯えてしまう……それに近いんじゃないだろうか。実際の現場は知らないから、あくまで想像だが。


 ――なによりそれが、人間だれしも恐れる『死』そのものとなれば、なおさら酷いことは想像に難くない。……にしては、あの時の老爺の反応、恐怖しているようには見えなかったな。


 それにしても。


「霊感、ですか……私にそんなものがあるだなんて」


 私にとっては、死神が云々より信じられない要素だった。霊感なんて、超能力があると言っているようなものではないだろうか。


「お姉さんは変わってるな」

「……はぁ。どこが、でしょうか」

「疑うところが変わってる。あちきの話の方が到底嘘っぽいのに、そっちを信じるなんてね」


 なるほど一理ある。……違うか、単に私が変なだけか。

 信ずる場所が違うことには、ある程度自覚がある。ではなぜ違うのか。実に子供らしい理由のせいだ。


「小さい頃に、祖母から聞いていたんです、あなたの噂」

「それをずっと信じていたから、ってのことかな」

「いいえ全く。でも、スノードロップを見る度に思い出してたんです。ああそういえば、って。それに、少しは本当だったらなって」

「死を運んでくる怖いお話なのに?」

「ええ」

「……やっぱり変わってるわ」


 そう呟いてくすっと笑う少女。笑みが若干くすぐったくて、私は頭を掻いた。


 彼女に話したことは本心。ありえないと思う反面、見てみたいという思いはあった。強い興味が、という感じではなく、怖いもの見たさが近い。


「十年越しだけど、実際に見れて良かった。最近あまり聞かなかったので」

「一応こそこそ働いてるからね。で、感想はどうかしら」

「スノードロップ持ってるんだぁ、かな」

「薄いっ、薄味すぎるわ。もっとあるでしょう、『まさか、噂は本当だったのね……!』みたいな!」

「そこまでは……」

「面白みのない子ね。御伽噺をずっと信じてた老女の方が可愛げあるわよ」

(あんまりピンとこない物言いだな……)


 頭メルヘンの方がいいとでも? うむ、この子のことは分からん。


 ――しかしまあ、なんというか。


(普通、だな。恰好とか話してることが変わってることを除けば)


 はたから見れば、小さな花を大事に持った古風な女の子でしかない。年代でいうと八〇年台……それよりもっと前の時代にいそうな空気を帯びている。見方を変えれば物乞いにも見えなくもない。黙って道端に座り込んでいれば、実にさまになる。


 ……あっ。


「なるほど、そういう」

「ん?」


 つまりそういうことか。この子の恰好については理解できた気がする。


 少女の格好は、主に迎えに行く老人に合わせたものなんだろう。老人たちの幼少期、おおよそ戦時中の貧しい子供の再現だと見受けられる。そう考えると服のぼろさがそれっぽい。


「なんか分かったのかしら」

「まあ、そうですね。大したことではありません」

「おおよそあちきの外見でしょう? 視線が露骨よ」

「うっ……」


 ……なんでばれているのか。鋭すぎやしないか?


「どんな風に見てるか知らないけど、もし何か予想を立てているなら、おおむねその通りと言っておくわ。お姉さん頭いいもの、聞かなくたって分かるわ。あと――」


 喋っている最中、少女はピタリと動きを止め、どこか遠くを見つめるように目を細めた。

 一寸の間を置いて腰を上げ、私を軽く見上げながら花を抱え直す。その時の目は、使命を帯びた仕事人の目だった。


「――ごめんなさい、急用ができたわ。といっても仕事の続きなのだけど」

「また、届けに行くんですね。それを」

「ええ、そうよ。あちきのやるべきことだもの。それじゃ、失礼」

「……待って、最後に一つだけ」


 そそくさと去ろうとする彼女を、つい引き留めてしまった。なんとなくだけど、もう会えない気がしたから。


 なにかしら、と首をかしげる少女に、私はぱっと思いついた質問を投げかけた。


「えっと……なぜ花を、スノードロップを配るんですか? もっと他にあると思うんですけど」


 我ながらなんと稚拙。そんなもの出会って最初の頃にでも聞けばよかったような内容。しかも聞くタイミングはこれまでにいくらでもあった内容。一緒にいる時間を引き延ばそうとしているのが明け透けている。


 とうの少女は、若干あたふたしている私をじーっと見てからくつくつと笑い、人差し指を口に当てた。


「ナイショ。せっかくだし、次の楽しみにとっておいて」

「はい――え」

「同僚とか、連れていく人と話す機会あるんだけど、雑談相手ってわけじゃないから。あなたみたいな『見える』人と会う口実、作っておきたいの。そうね……明日、またこの公園に来て」


 少女は言うだけ言ってそのまま公園を出て行った。私の返事は分かっていると言わんばかりに。私は茫然と背中を見送るだけで何も返せなかった。


 ただ、私が抱いていた謎の不安感は、一瞬にして払拭されたわけなのだけど。


 公園に夕陽が差し、吹く風が少しひりついてきた頃。私はとあることに気付いた。……今日という日は気付いたり思いつくのが遅い。 


「……そういえば、名前、聞いてなかった」


 死神少女には、どんな名前があるのだろうか。


 幼少期は大して興味がなかった噂に、私は徐々に引き寄せられていく。

 私はもっと、彼女について知りたい。であるならば、明日また、ここに来よう。




 ◇




 翌日、学校から直で公園に向かう。迷いながらも小一時間ほどで目的地に到着できた。昨日は少女に連れられるがままだったせいだ、ちゃんと道を覚えておくべきだったと後悔している。


 ついてすぐは誰もいない。最近の小学生は放課後公園で遊ぶ、ということはもうないんだろうか、遊具の数々が寂しそうだ。なんてポエミーになりつつ、サイズの合っていないブランコに腰掛け、ゆられながら待つことにした。


「……こうしているの、何年振りかな。昔はよく遊んでたのにな」


 大きくなるにつれ、公園そのものから遠ざかっていく。かつてはテーマパークと同等に楽しんでいたが、今は少しの思い入れしかない。これが年をとる、ということか。


「なんか嫌だなぁ」

「――何が嫌なの?」

「うぇっ!? なっ……ああ、あなたでしたか……」


 不意に声を掛けられ思わず変な声が出てしまった。

 声の主は、昨日出会った死神少女。「なぁに今の!」とくつくつ笑っている。元凶はあなたなんですけど……? 怒ってもいいですか……?


「くくっ、ごめんなさい。ちょっぴり驚かせようって思っただけよ、だからそんなに睨まないで」

「心臓に悪いのでやめてください、苦手なんです」

「寿命縮んだ? あちきが極楽に連れてってあげるよ?」

「洒落になってないです、やめてください」


 あんまり冗談になっていない。もしかして何も考えずに喋っているのでは? ……まあ、許してあげよう。


 ひとしきり笑ったのち、少女は隣のブランコに腰掛けきぃきぃこぎ始めた。今は鉢植えを抱えていない。もう配達した後なのだろうか。


「あの、一つ聞きたいのですが、いいですか?」

「お姉さんは律儀ね、わざわざ許可を取るなんて。一つと言わず何個でもいいわ」

「ではまず……今日は花、持ってないんですね」


 この間から見て分かることしか聞いていない。私の知能も落ちたものだ。

 小学生並みの質問に、少女は真面目に答えてくれた。この子はこの子で律儀だと思う。


「正確には『さっきまで持ってた』よ。ちょうど配り終えたところなの。つまり、なんて言ったっけ……そうそう、定時退社」

「違う気もするし、合ってる気もします。死神業は仕事と分類していいものですかね」

「さあね。あちきはこれ以外の生き方知らないもの」

「……参考までに訊きたいのですが、何人ほど」


 かなり意地の悪いものだ。しかし気になってしまう、湧き出る好奇心には勝てなかった。

 答えてもらえないのを承知の上だったが、意外にも少女は指を折って数え始める。……いいのだろうか。


「ひぃ、ふぅ、みぃ――うん、七人。内訳は五人が老人、二人が子供よ」

「は、はぁ、なるほど」

「ちなみにだけど。じいさんばあさんは『そろそろだと思ってた』って感じで、子供の方は、取り乱しかけてたわ。無理もない、じきに死ぬと言われれば。子供相手の時だけは罪悪感あるかな」


 ダメだね、と少女は薄く笑う。誰が見ても、それが無理矢理作った表情であると分かる。若干鈍い私でも、笑みに隠したやるせなさを感じ取れる。


 仕事だからと言い訳しても、辛いものは辛いのだろう。学生程度の私では伺いしれない大きな感情があるのだろう。死の宣告なんて、誰にでも務まるものではないのだから。


「……難しいお仕事ですね」


 単に平和を享受していただけの私では、それ以外の言葉をかけてあげられない。でも何か言ってあげたかった、ほんの少しでも慰めになるのならと。


 横目で少女を見ると、遠い目で空を見上げながら。


「そうね、難しいわ。誰が相手であっても伝えなくちゃいけないってのは。まともな精神じゃやってられない」

「です、よね。すいません、無神経な質問でした」

「ふふっ、気にしないで。遠い昔のあちきの話だから。時々思い出すくらいで、今じゃ慣れたものよ。こう見えてかなりのベテランだから」

「はぁ……」


 ふふんと鼻を鳴らし、いばってみせる少女。普段の彼女の調子に戻ったように見えるが、やはり、どこか見せかけな感じがぬぐえない。ならこれ以上触れないのが彼女のためだ。


 ――が、しかし。


「遠い昔、って、あなた何歳なんです? どう見ても小学生くらいじゃないですか」


 そこだけは無視しきれない。話の流れを変えるついでだ、聞いておこう。


「小学生とは失礼ね。身体が成長しなかっただけよ。本当ならもっと背もお胸も大きいはずだったんだけど」

「それは、失礼でしたね」

「あと、女性に歳訊くのもよくないわ。学校で習わなかったのかしら」

「……ごめんなさい」

「いいのよー、言うほど気にしてないから。歳ねぇ、あちき今いくつだったかしら……まだ馬車が主流だった頃からだから……百はあるかなぁ?」


 馬車あったのって確か明治からだったから……百三十、くらい? さすがに嘘っぽく聞こえる。


「服も時代に合わせて変えてたんだ。今はこれ、昭和の頃がモチーフなの」

「セーラー服のデザインちょっと違いますもんね。やっぱりそういうことですか」

「よく見てるわね。あとこのマントもお気に入りなのよ。おばあちゃんたちからの評判がとってもよくてね。大人っぽく見えるからかしらね」


 背伸びした孫を見る気分だからではないだろうか。私のおばあちゃんもそんな感じだし。微笑ましく見られていることだろう。


 服装に関しては、単に彼女のお気に入りだからそうしているらしい。前にした推理は外れたようだが、年代についての推察はおおむね正解といえよう。


「もうちょっと背が伸びることがあるなら服を新調したいかな。あなたみたいな可愛い制服もいいわね」

「かわいい、ですか。普通だと思いますけど」

「あちきからすると可愛いの。はあぁ~、急にぐーんと伸びないかしら。お姉さんの身長分けてくれない?」

「無茶言わないでください。百年伸びなかったのならずっと小さいままでしょうね。……わ、私はそのままでいいと思いますよ。愛でたくなる感じが」

「……ムリヤリフォロー入れなくていいのよ」

「え、あ、あの……あの?」

「つーん」


 身長いじりで拗ねてしまった彼女を元に戻すのに小一時間要することになるのだけど、それは別の話だ。

 ……とても面倒であった、とだけ言っておく。




 死神様の機嫌をとり、気分上向きになった彼女の話にぐだぐだと付き合っていると、昨日のように気が付いたら夕方になっていた。とりとめのないことを話していただけだったけど、時間を忘れるくらい、穏やかで、楽しかった。


「うふふ。あなたといるの楽しい! なんでも聞いてくれるからストレス解消にもってこいね、またこうしてお話ししましょう!」

「いいですよ、あなたの気が晴れるならそれで」

「自分のことは後回し? もったいないわよ」

「そんなことはありませんよ。楽しませてもらってますから」


 そう返すと少女はまた上機嫌にうふふと笑い、大きくブランコをこぎ器用に飛び降り、綺麗に着地を決めてみせた。


「それならいいわ。一方的すぎやしないかって思ってたから」

「大丈夫です、私は気にしていないので」

「あちきも言ったことね。やっぱり楽しいわ……ふむ」


 時間ね。と小さく呟き、ぐっと伸びをする。確かにいい時間だ、私もそろそろ帰らないといけない。おばあちゃんが心配してそうだ。


 せっかくだから、駄弁りながら途中まで一緒に歩く。

 そうしてY字路に差し掛かったところで。


「じゃあ、あちきはこっちだから」

「私は反対ですね。ではここで」


 ちょうど行先が左右違い、そのまま別れようとした時。今日の元々の目的を、実に唐突に思い出し、あのと彼女を呼び止めた。


「なにかしら……って、昨日もやった気がするわね。で、なぁに?」

「いえ、その。私たち、とても初歩的なことを忘れていたなと」

「……へぇ、なにか聞かせてもらおうかな」


 さあっと吹く風でたなびく髪を押さえながら、どもらないよう気をつけて。


「自己紹介、していなかったので。軽くやっておきませんか?」


 こういうことは慣れていない。あまり他人と仲良くするすべを、私は知らないから。顔が若干熱いのは、間違いなく夕陽のせいではない。


 一瞬目を逸らしてから少女を見直すと、最初はぽかんと口を開けていたがすぐ我に返り、口に手を添えながら静かに笑んだ。


「言われてみればそうね。あちきは名乗ってないし、お姉さんを『あなた』としか呼んでいなかった。すごいと思わない? よく会話できてたなって」

「ええ。でも、ほら、私たち、それなりに仲良くなってきたと思うので、これからは不便かなって」

「全くね。お友達ならちゃんと名札交換しないと。……名刺? ああもう、この際なんでもいいか」


 改まって、夕陽を挟んで私たちは向き合う。一寸の静寂。先に破ったのは、私の方だった。


「では私から。嵩谷聡里、市内の中学校に通ってます」

「カサヤサトリ……嵩谷、か。ふぅん……」

「……死神さん?」


 私の名前を聞いてから、若干様子がおかしくなる。あごに手を添え、右斜め下に視線をやる。嵩谷の名に何か因縁でもあるのだろうか?


 だがすぐ視線を正面に戻し、何事もなかったかのように微笑む。


「なんでもないわ。あらためてよろしく、聡里。あちきも名乗りたいのだけど……あいにく名前らしい名前、もってないの。本来は人間と仲良くならないし、同僚とも記号で区別されてるだけだから」

「そう、なんですか……」

「あからさまに落胆しないの。不便だとは思ってたよ、本当よ。せっかくだから……そうね……」


 少女はうんと大きく頷いて、魔法のように手の中から花一輪を生み出し、私の手に握らせた。その花は、いつも彼女が持っていた、白くて、小さな……。


「雫、と名乗らせてもらうわ。希望の願いが込められた、この子にちなんで」

「スノードロップで、雫ですか」

「どうかしら?」

「とてもいいと思います。それじゃあ――よろしくお願いします、雫さん」

「……ふふっ、名前呼ばれるのっていいわね、くすぐったい。そ、れ、と。雫でいいから。お互い対等なんだから」


 さん付け禁止、と念を押される。私的にはその方が落ち着くのだけど、彼女たっての希望なら、従うまで。


 一旦中断した別れを、もう一度。


「また明日ね、聡里」

「はい。また、明日――雫」


 お互いに照れからほおを掻き、なんともいえない笑みを浮かべる。

 若干気まずい空気に耐え兼ね、無言で手を振って私たちは別れた。「また明日」を何度も反芻し、夕陽に想いを馳せながら歩く。


「また明日……うん、明日」


 今彼女も、同じ想いでいるのだろうか。一緒であったらいいなと願いながら、慣れた帰路を往くのだった。


 久しぶりに、『明日』がとても、楽しみだ。




 ◇




「ただいまー」

「おかえり、聡里ちゃん」


 太陽が半分ほど沈んでようやく家に着いた。リビングには誰もいなかったので店先まで来てみると、案の定カウンターにおばあちゃんがいた。


「ごめん。帰ってくるの遅くなっちゃって」

「いいのよ、お友達との時間は大事だから。それに一人でもどうにかなるから」

「そんなこと言ってこの間腰痛めて動けなかった時あったでしょ。無理しないでね」


 店先をちらっと見ると、二つの人影が見えた。制服の上から接客用のエプロンを着用し、行ってくると一言残して接客に向かう。


「いらっしゃいませ。何をお求めで――」

「あっ、店員さん? ちょうど良かった、このメモの……って先輩? カサヤ先輩っすよね?」

「あなた……篠さん、でしたね」


 来ていたのは先日教室を訪れた際、私の対応してくれた篠さんだった。買い出しのためのメモ片手に、目をまんまるにして私を見た。


「奇遇ですね。つっても先輩のお店でしたね」

「ええ、まあ。……あの、そちらのお連れの方は?」

「あたしの友達の蘭です。蘭、この人は先輩のカサヤ先輩。」


 紹介を受けた大人しそうな彼女、蘭と呼ばれた子が小さく頭を下げた。緊張しているのか口を開くことはない。人見知りなのだろうか。


 なんともいえない空気が満ち始めるが、察した篠さんがメモを差し出しながら切り出した。


「んで先輩、とりあえずこんだけの花欲しいんですけど、ありますか?」

「確認します――ええ、全種あります。本数足りないのがありますが、入荷し次第お知らせします。連絡先……は大丈夫です、昼休みや放課後私が訪ねにいきますね」

「分かりやした。できれば昼休みがいいっす。あたしさっさと帰っちゃうので」

「承知しました、ではそのように。今お渡しできる分用意しますね」

「お願いします!」


 グッと親指を立てる篠さん。一緒に見せてくれる笑顔がまぶしい。私も(せいいっぱいの)笑顔で応えてメモにあった花を束にしていく。おばあちゃんにも助力を乞い、手早くまとめていく。


 作業中後ろから「たくさん持ってくの大変」とか「お金足りるかな」とか聞こえてくる。前に篠さんが言っていた、学校から用意を押し付けられた件についてだろう。実際量は中々だ、大きなもの何束なんてものではない。なぜ一生徒に任せるのか、理解に苦しむ。


 彼女らの心配をしながら作業を進めること十数分後。まもなく切り上げ、というところで「あの」と私を呼ぶ声がした。振り向いた先にいたのは篠さんだった。しきりに背後の蘭さんを気にしている。


「お待たせしてすいません、そろそろ終わりますので」

「あ、いえ、そのことじゃなくて……」

「……? では何用で?」

「ほら、この間教えてくれたスノードロップって花、欲しくって。できれば、今……」


 ――なるほど、贈る相手は蘭さんか。あまり言及しない方が良さそうだ、私はそこまで野暮ではない。


 私はただ一言「いいですよ」と返すと、篠さんはぱあっと笑顔を浮かべ、すぐ真っ赤になってうつむいた。そんな彼女を横目にスノードロップの用意を始める。


 取り扱いは一応している。しかし店先で管理するには少々難しい花ゆえ、店の奥でごく少数を保管している。あったはず……と向かおうとした時、おばあちゃんに引き留められた。


「聡里ちゃん、スノードロップならあるわ」

「うん、知ってる。だから奥の方に――」

「行く必要はないわ。そこに置いてあるから、その子を持っていって」


 おばあちゃんが指さした先、カウンターの少し奥まった場所に鉢植えが一つ置かれていた。スノードロップが植えられた小さな鉢植えが。

 私はそれを持ち上げ「これ?」と訊くと頷いて示してくれた。……しかし、鉢植えの個体はあっただろうか。私の記憶が正しければなかったはず。


 ――その時、脳裏に『彼女』のことがよぎった。嫌な予感とセットになって。


 そんなわけないと思いつつ、私はおばあちゃんに訊ねる。……絶対にない。絶対。


「ねぇ、おばあちゃん。これ前までなかったはずなんだけど、今日仕入れたやつなの?」

「うーん、まあ、そうねぇ。お昼頃に貰ったものなの。その子が好きにしていいって言うから、欲しい人がいたら譲ってあげようかと思ってたから」

「その子って、どんな子だった?」

「ええっと確か……聡里ちゃんみたいな制服着てて、フードがついたマント? を羽織ってたわね。それと、髪が真っ白だったわ。雪みたいに綺麗だったねぇ。時間があったから色々お話もできてね――聡里ちゃん? ぼーっとしてどうしたの?」


 ……まさか。雫の届け先の一つは。


「先輩が持ってるやつ、それがスノードロップっすね! 前見たのとおんなじだ、ちっちゃくてかわいい……先輩? あの、大丈夫っすか?」


 花を持って戻った私に気付いて篠さんが駆け寄ってきたが、私は反応することができなかった。自分の中の憶測に衝撃を受けてしまって、もう周りが見えなくなっていた。


 ――だとすれば、私の名前を聞いて若干様子が変だったのも……どうりで。


 もしかしたら、近いうちにおばあちゃんが? 信じたくない。ありえない。だってまだ元気なのに。


 ――確かめないと。彼女に……雫に会って、直接確かめないと。


 腕の中のスノードロップは、美しく咲き続けている。だがしかし、私にとっては残酷な未来を告げるものにしか見えない。


 握りつぶしたい衝動を必死に抑え、私は一言を絞り出した。


「引き渡しは明日になります」

「っす……ちょっと怖いです、先輩」

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