『花配る少女との邂逅』

 ――昔、おばあちゃんの家に遊びに行ったとき、聞かせてくれた話がある。


「この辺りで花を配達している女の子がいるのよ。小さくて可愛らしい花をね……その子はこれくらいの背で、大きなマントを着てるらしいの」


 まだ幼かった私は、聞いていて「優しい」とか「変わってる」なんて思った記憶がある。自分からすすんでお手伝いしてるのかな、とも。


 ただ話してくれた内容は、『あなたもそういう子供になってね』の意を含むものではなかった。おばあちゃんの表情が、とても険しかったから、余計にしっかり憶えている。


「その子が配達するとね、その先の家で必ずといっていいほど、誰かが亡くなってしまうの。この間も椎名さんのところのおばあさんが急に……」

「ただのぐーぜんじゃないの?」

「はじめはそう思ったわ。でも奥さんがね、おばあさんが亡くなる前にその子から花を貰ったって言ってたのよ。それに、寝てる枕元に、花があったんだって」

「へぇー……」


 そこまで聞いても偶然としか考えていなかった。そんな都合のいいことがあるのかと。


「……! ねぇおばあちゃん、教えてほしいんだけど」

「ええ、いいわ。なにかしら」

「椎名のおばあちゃんが貰ったお花って、どういうお花なの?」


 おばあちゃんの話の中で純粋に疑問に思ったことを聞いてみた。女の子なんてそこらにいる、私も女の子だからさして興味がない。特に私を引き付けたのは、配達されたという花だった。


 興味津々でおばあちゃんを見ると、しばらく天井を見つめてから「確か……」とたどたどしく教えてくれた。


「なんて名前だったかしら。ええと、ドロップス、みたいな」

「ドロップス? 缶の飴じゃないよね? ……あっ待って、図鑑持ってくる!」


 どこか聞き覚えのある響き、正体を確かめるため家の中を駆けずり回り、花の図鑑を見つけて部屋に戻る。


 ――私は植物が好きで、小さい頃は図鑑を手放している時間の方が短かったらしい。ゆえに『ドロップス』にも聞き覚えがあったのだ。


 慣れた手つきでページをめくり、威勢よく、自信満々である花を指さしてみせた。


「そうそう、これ! さすがお花博士の聡里ちゃんね。わたしもボケたものね、お花屋さんやってるのに」

「えへへ……今度分からない花があったら言ってね、すぐ教えてあげるから! それに安心して、お店、私が継ぐから!」

「まあ! 嬉しいこと言ってくれるわね。頼りにしてるわ!」


 誇らしげにする私を、おばあちゃんは優しく撫でて褒めてくれた。


 結局この時のことはちょっと怖い話……としてではなく、飴みたいな名前の花を復習したり、将来の夢を語った話として記憶するにとどまった。


 ……数年後、自分が『それ』に遭遇するまでは。


 ――私はその時のことを、きっとずっと、忘れないだろう。




【一過性怪異奇譚 花配る少女との邂逅】




「えっと――ここね」


 ――コンコン。


 メモを片手に教室の戸を叩く。どうぞ、と返事が返って来たのでためらいを捨てて踏み込んだ。

 教室に入ると、中にいた生徒たちの視線が私に集中する。一瞬たじろいでしまうが、負けじと要件を伝える。


「すいません、一年生の篠さんはこちらにいると聞いたのですが」


 中を見渡しながら言うと、窓際の子がこちらに気付き、一緒にいた子に一声かけてから私の前まで来てくれた。

 その子は校則に抵触しそうな茶髪で、雑に二つに結われている。制服の着崩しこそないけど、鋭い目つきもあって不良に見えなくもない。


「あたしが篠、香っす。先輩ですよね、何か用で?」

「今度のイベントで使う花のことです。担当があなただと聞きまして。こちらの花屋で手配してください、私の名前を出せば安くできます」


 そう言ってメモを彼女に手渡す。篠さんはメモにさっと目を通し、にっと小さく笑って頭を下げる。


「ありがとーございます、助かります。花たくさん用意すんのも難しいなぁって考えてたんで。んで、先輩の名前聞いてもいい……すか?」

「……あっ、そうですね。私の名前を、などと言って伝えてませんでした。三年の嵩谷聡里です」

「カサヤ先輩っすね、覚えました。わざわざ来てくれるなんて優しいんすね」


 純粋な笑顔と合わせてストレートに感情を伝えてくれる。最初に抱いた印象とは全く違う……見かけによらないとはこのことらしい。しかしこうも真正面から言われると、少し照れる。


「てか、なんで先輩のこと言うと安くなるんすか?」

「私の祖母が営んでいるんです。おかげで私も花に詳しくなったりもして」

「へぇー、すごいっすね。なら、教えてほしい花あるんですけどっ」


 花屋の人間だと分かると目の色を変えて、少々食い気味でぐっと迫ってきた。少々? 訂正すべきか。

 特に断る理由もないので「知ってる範囲でなら」と返す。篠さんは嬉しそうに「よし」と拳を握り、改めて私をじっと見てきた。


「前にどっかの庭かなんかで、白くてちっこい可愛い花見つけたんですよ。そん時に名前聞いたんですけど忘れちゃって。それを、友達にプレゼントしたくって……わ、分かりますかね」

「白くて小さい……部分的にでも憶えていませんか?」

「うぅーん、確かー……ああ、スノー、なんとかだったっけ」

「――っ」


 ……ふと私の脳裏に、かつて祖母とした話がよぎった。その時の花も、確か。


「篠さん、そのお花、贈り物にしたいのですよね?」

「そうですね。やっぱ可愛いものは共有したいんで」

「でしたら、贈る際は少々、気をつけた方がいいですね」

「……? なんでです?」


 私は、記憶の海から目を背け、寄る感情の波を抑えながら言った。


「おそらく、花の名前はスノードロップ。花言葉は『希望』、『慰め』……また、場合によっては……」

「よっては?」

「『死を望む』、という意味が含まれることもあります。もちろん、これは副次的なものにすぎないので、贈るとすれば、純粋な気持ちをもって渡してあげてください……もっとも、あなたであれば心配いらないですね」

「怖い花言葉っすね……今知れてよかったです。スノードロップですね。せっかくなんで、学校の花買うついでに、先輩のお店で買わせてもらいます――あります?」

「取り扱ってますよ。ぜひ買いにいらしてください」


 普段の営業スマイル……ではなく、少し柔らかめを意識して笑ってみせる。いや、これでは愛想笑いになってしまうか。どうだろう。


 なんて考えているなんてつゆ知らず、篠さんはまた屈託なく笑い頭を下げた。私のつい長くなってしまった解説も、ちゃんと聞いてくれて、本当にいい人だった。


「――あ、最後に一つだけ。ちょっと失礼かもしんないんですけど、訊いても?」

「構いませんよ?」

「じゃあ……なんでそんな固い喋りなんです?」


 意外な質問に、一瞬きょとんとしてしまう。

 が、すぐ我に返る。篠さんがさっきまでと同じくらい真剣な表情をしていて、思わずくすりとしてしまった。


「お店の手伝いをしているうちに、自然と。なんてことない理由でしょう?」

「そうっすね。でも、先輩らしくていいと思いますよ」


 お互いいるべき場所に戻る寸前、そんなことを言い合い、微笑みを交換して同時に背を向けた。


 ◇


 その日の帰り道のことだった。いつものように、街並みと、色んな家の花壇を眺めながら家に帰る。

 ……はずであった。


 ただなんとなく、あちこちに目を配っていただけだった。今日はあそこで蕾が開いているとか、新しい苗植えたんだなとか、そんなふうに。


 とある古い家にちらと視線を送ったときだった。この地域に住んで十数年の私ですら、見たことのないものが、そこにいたのだ。


「……あの恰好、何?」


 子供だった。小学校低学年くらいの。しかし、とても妙だった。恰好が今風ではないというか。仮装でも見ないような、とにかくおかしなもの。

 古めかしい、年季の入ったセーラー服、その上から大きなローブ(マントにも見えなくもない)を羽織っている。どちらもすすけた色をしていて、とてもみすぼらしい。


 そして、手には鉢植え。白く、うつむいた小さな花が咲いている。あれは間違いない、スノードロップの花。その鉢植えを大事そうに抱えたその少女は家の前で佇んでいる。一人で、ずっと。


 スノードロップを持った、マントの少女。


「……もしかしたら、そう、なの?」


 ――気になる。どうしても。


 引き寄せられるように、私は帰路を外れ少女に向かって歩き出していた。


 それなりに距離が詰まってきた時、少女が、動いた。


 家の戸が開き、中から老爺が出てきて少女と何やら話し始める。二言三言、もうちょっと喋ってから少女は鉢植えを老父に手渡し、ぺこりと頭を下げた。

 受け取った老父の表情が笑顔から泣き顔へと変わり、少女に対し何度もお辞儀をしていた。……はて、どういう状況なのか。


 十字路をあと二つ越えたら、というところで少女は別れを告げ、老父に手を振りながら去って行く。進行方向は、私と同じ。距離は離れる一方である。当の老父は花をじっと見つめたのち、待っていた時の少女のように大事に抱えて家に戻っていった。


(あの子には悪いけど、追わせてもらおうかな)


 行き先がどこかは分からないが、向きが一緒ならまだ追える。

 私と少女では歩幅が違う。私の一歩は少女の二歩。次第に距離は詰まり、あと二〇メートルほど、だろうか。そこからはこの距離感をキープし続ける。


 ……正直、自分でもなんでこんなことをしているのかよく分からない。背格好だけなら小学生くらい、その子を無言でつけ回している。いつ通報されてもおかしくはない。


「……っ」

「……(今、歩きが早くなった? さすがに気付いた?)」


 一分ほどすればさすがに勘づかれる。少女の歩調が若干早まった、気がする。

 まもなく、少女は狭い路地へと曲がって入った。近道か、はたまた別の意図か。


 構わず歩き続け、少女が入った曲がり角に近付く。通り抜ける際にちらっと確認してやろう。そう決めて、通り過ぎようとした……今。


「――お姉さん、さっきから何?」

「っ!?」


 ……ばっちり気付かれていた。


 壁に寄りかかりながらこちらを睨みつける少女が一人。さきほどまで追いかけていた少女ご本人である。非常にご不満なようで、口は綺麗なへの字に曲がっている。


「あの、いや、その……」

「人に話すのもためらわれるほどのこと? そういうことをあちきにしてたの?」

「……はい、全くその通りで。返す言葉もありません」


 見た目に反して教養があるような喋り方をする子だ。ためらう、なんて子供が使うだろうか。それに、一人称が『あちき』ときた。どういう環境で育ったらそうなるのか。


「ちょっといい? 人が質問してる最中に考え事はするもの? ちゃんとこっちを見て」


 ……そこまでお見通しらしい。かなり鋭い。言われた通り、少女に向き直る。すると少女はどこか満足げにうなずいた。


「うんうん、それでいいわ。さ、何でも言ってみて。あちきは物知りだから」

「じゃあ一つ、いいでしょうか」


 雰囲気に呑まれて普段の丁寧語口調になる私。そんな私はスルーして「どうぞ」と少女は手で促した。


 ――気分的には崖際に追い詰められた犯人。焦りが支配しつつある頭で思い浮かんだ質問は、おばあちゃんがしてくれた話に基づいたものになった。


「あなた……なんでスノードロップを配っているのですか?」

「その質問に答えるのには時間が掛かるわ。あちきにも色々事情があるのよ、こうしているのも奇跡なんだから」


 少女はフードを脱ぎながら、全てを見透かすような目を私に向ける。その時初めて、少女の存在をはっきりと捉えられた。


 ――髪はおかっぱで、積もったばかりの雪のように真っ白。

 ――なにより、私は彼女の瞳に惹きつけられた。真紅を宿した虹彩。神秘的であり、髪色もあいまって、妖精のようである。妖精にしては、ちょっと怖いけど。


「あんまりじろじろ見ないで。恥ずかしいのだけど。

 あとあなた、その質問は本心からのものではないわね。もっとあちきについて訊きたい……でしょう?」


 返す言葉がない。図星だ。

 私は単に見て分かることを聞いただけ。でも本当は、もっと踏み込んだことを訊いてみたかった。


 スノードロップの花を見て、おばあちゃんの話を思い出すたび考えていたこと。

 ずっとくすぶっていた疑問を、本人に聞くことができるまたとない機会だ。


「あなたにとって、不愉快かもしれない内容でも?」

「そういうことは慣れてるから気にしないわ。言ってごらんなさい」


 いいと言うなら、遠慮はいらない。


 私は軽く気持ちを落ち着けて、実にばかげたことを真剣に少女に問うた。


「なら――十数年前の話になるのだけど、この辺の地域でスノードロップを配ってまわっていた女の子がいたらしいの。ちょうどあなたくらいの背で、恰好も同じ」

「へぇ、あちきみたいな変わり者が他にいるのね。で?」

「その女の子、あなたじゃないかって思ってるの。それに、もう一つ噂があった。花を受け取ると死ぬって」


 少女の圧に負けないよう、私も彼女を睨み、本題を突きつける。


「スノードロップの黒い花言葉、『あなたの死を望む』。

 ずっと思ってたの。その子が……死神なんじゃないかと。いい歳して酷い想像をしていると思うでしょう。でも、私には不思議と確信がある。直感でしか、ないのだけど」


 ……言ってて自分が信じられなくなってきた。というか人間としてどうなんだ。初対面の、少し変わった格好をしているだけの子に向かって「お前は死神だ」なんて言うのは、人格に問題があるとしか思えない。直ちに病院のお世話になること間違いない。


 しかし、少女の反応は違った。腕を組み、ある程度雰囲気が柔らかいものに変わる。

 そして、路地の陰から日の下へと移り、私の方に振り返って、どこか嬉しそうに微笑みながら拍手した。


「そんなにはっきり言われたのは初めてね。いつもはぼかして言われてたから。むしろ清々しい」

「……それで、実際のところは?」

「ご名答! 隠す必要はないし、そもそも、あなたは見える部類の人間のようだし、素直に言ってしまうわ。ふふ、気分がいいのは久しぶり」


 拍手を止め、魔法のようにどこからともなくスノードロップを手の中に生み出した。


 ――私は見逃さなかった。少女の影が、大きな鎌を構えたのを。


「改めてこんにちは、お姉さん。

 あちきに名前はないけど――お姉さんの言う通り、魂を導く死神よ。よろしくね。あっ、今のはただのパフォーマンスだから安心してね」


 優しい声色だったけど、凄まじい圧の込められた自己紹介だった。私はただ黙って見て、聞いていることしかできず、この後少女……もとい死神様に手を取ってもらうまで動けなかった。


 ――長い間くすぶっていた疑問が解消し、推測が当たっていた満足感で、動けなかったところを。


「お姉さん、時間あるかしら。近くの公園でお話したいの。

 そこであなたのことを聞かせてね。久しぶり……いえ、初めて小娘に興味が湧いたから」


 私はその提案に、当然と言わんばかりに二つ返事で答えた。


「もちろん。十年前からの悲願だったもので。お願いします」

「そうと決まれば――いきましょうか」

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