「お待たせ聡里。今日も来てたんだ、顔出しておいてよかったわ」

「……こんにちは、雫」


 あくる日の夕方の公園。私は夕焼けを背にして雫を迎える。


「来ると思ってた。仕事終わりに寄るんじゃないかって」

「大正解! やっぱりストレス解消には誰かといることだと思うの。もちろん仕事関係以外の誰かよ? もう今日も大変で……聡里? 顔色よくないわよ?」


 雫はそっと歩み寄ってきて私を見上げてきた。フードから覗かせる瞳は、心からの心配の色で染まっている。

 私を気にかけてくれることは嬉しい。一人の友達として接してくれている。雫は優しい、それは分かっている。


 でも、今だけは忘れなきゃいけない。彼女との友情を。


「雫、訊きたいことがあるの」

「ふふっ、聡里はいつも訊いてばかりね。ええ、なにかしら」


 私は煮えたぎる感情を抑えて無にし、雫をしっかりと見つめて言った。


「雫がスノードロップを渡した相手って、近いうちに亡くなってしまうんでしょう?」

「そうよ。どういう風に、ってのはあちきたちの管轄外だけど」

「ここから離れたところに花屋がある。そこのおばあちゃんに、渡したよね?」

「……渡したって言ったら、どうする?」

「訊いてるのは私。答えて」


 つとめて落ち着いた風に言ったつもりだが、最後はほのかに怒りが混ざっていたかもしれない。敏感に感じ取ったのだろう、雫の肩が微かに震えるのを見た。


「……それは」

「難しいことは訊いてない。はいか、いいえ。どっちなの」


 雫は顔を伏せ、唇を噛み、ぐっと拳を握る。


 固く目を閉じ、しばらく口を閉ざして。覚悟を決めたのだろう、ゆっくりと顔をあげ、まず、一言。


「…………渡したわ」


 たった一言。しかしその一言のために、彼女は大きく表情を歪めた。感情の色が混ざっていて、全く読めない。いや、迷いと罪の色が、強く浮き出ている。


「……どうして」

「仕事、だもの。嵩谷依子、八四歳。数日以内に持病の腰痛をこじらせ、それが元で怪我を負って急死することになってる」

「っ……! なんで、なんでそんなこと言うの!?」

「訊いたじゃない、『どうして』って。あちきは答えただけ。本当は言っていいことじゃないけど、うん、訊かれたから」


 雫は強く握った拳に更に力を込めて続ける。


「前に教えたよね。あちきは魂を導くのが仕事。事前にある程度の覚悟を持ってもらうの。昔は夢枕に立ってたけど、悪夢と受け取られると困るから、今の花を渡す形に変えたのよ」

「それがなんだと」

「……一旦、こちらから質問するわ。あちきがなんでスノードロップを選んだか分かる?」


 なんで? それを私に問うのか。

 答えは分かり切っている。花を贈る際、多くは花言葉を添えて渡すものだ。スノードロップの花言葉を考えれば分かること。


「『あなたの死を望む』の花言葉を持っているから、でしょう。宣告をするのにおあつらえ向きの」

「ええ、そうね。あのおばあちゃんの、花屋の娘なだけあってよく知ってるね。なら他の花言葉も知っているでしょう?」

「……希望と、慰め。それがなにか」

「それが仕事なの。あちきのね」


 さっきからとにかく曖昧な答えばかり。私が言及しようとすると、雫は潤んだ瞳でこちらをそらさず見つめて言った。


「誰だって死ぬのは辛いし、怖いもの。どんなに心が強い人でも最期には折れることが大半。そんな人たちに『慰め』と『希望』を与えるの。死は終わりじゃない、新しいスタートだって教えたいの」

「スタート……?」

「輪廻転生はあるかもしれないし、天国と地獄もあるかもしれない、ないかもしれない……でも、少しでも可能性がある方が楽になるでしょ? 苦しいかもしれないけど、最後の最期だけは安らかでいてもらうために、あちきは花を贈るの」


 そう言って雫は前にやってみせたように、スノードロップの鉢植えを虚空から取り出し、私に差し出す。


 私は黙って見ているだけだったが、「ん!」と何度も強調するのに耐えられず受け取ってしまう。これはただの鉢植え。なのだけど、とても重く感じる。


「言っておくけど、死を贈る担当は別にいる、そいつから情報貰って、あちきは花を贈るだけ。その時に悩みとか心残りを聞いてあげるだけで、『あなたじきに死ぬわ』なんて言わない。言っちゃったら余計苦しくさせちゃうもの」

「……」

「あなたのおばあちゃんは残念だと思う。でもね、あの人はもう覚悟してたわ、『お迎えは近いかも』だって」

「……え? おばあちゃんが?」


 全く想像していなかった言葉に、思わず目を見開いてしまった。そして思いのほか同様していたらしい、鉢植えに震えが伝わり花が小刻みに揺れている。


「た、確かに最近腰悪くしてるし、無理してる時あるし……なら、なんで」

「多分、それは関係ないと思う。老人って自分の死期には敏感だから。そんで、察知した人は二つの種類に別れる。一つは失意に苛まれる者、もう一つは……受け入れて覚悟する者。あの人は後者ね。あの人は、すごい人よ」

「すごいって、どういう……」

「少し聞いたの、何か後悔してることとか心残りはないかって。そしたらなんて答えたと思う?

 ――『後悔なんてみじんもない最高の人生だった。孫も頼もしいし、思い残すことはない』だって。そうそういないわ、あそこまで清々しいのは」


 ……返す言葉がない。おばあちゃんがそんなふうに考えていただなんて。

 

 なら、今私がしていることは、おばあちゃんのためにはならないということか。もっとおばあちゃんと一緒にいたい、でも、本人がそう言っていたのなら、私は……。


 抑え込んでいた感情の波が一気に流れ込んできて、耐えきれなくなり涙となって外に放出する。自分でもわけが分からないくらい、たくさん流れ出てくる。


「――あれ、私、なんで泣いてるんだろう。変、なの」

「一気に理解しようとするとそうなっちゃうわよ。一旦全部吐き出したら? そばにいてあげるから」


 そう言って腕を広げる雫。その時の彼女は、見た目以上に大きな存在に感じられた。私はその場で崩れ落ち、雫の腕の中でひとしきり涙を流した。




「落ち着きました。もう結構です」


 しばらくすれば荒波は収まり、いつもの冷静を装った自分に戻れた。同時に自分より一回り小さい少女に抱かれているのが恥ずかしくなり、優しく抱いてくれていた雫を強引に引っぺがした。


「あちきはもっとこうしていたかったけど。人のぬくもりに飢えててー」

「同僚の人とやっててください。私はもうごめんです」

「そお? ……そう、分かった」


 今度はなぜか彼女の方がしゅんと落ち込んだ。この人のことは全く読めない。ひょうひょうと……とはまた違う、気まますぎてついていけない感じ。


 目じりに残った涙をぬぐってから、私は雫に頭を下げた。


「ちょちょっと、何のつもり?」

「いきなり突っかかってすいませんでした。勝手に思い込んで責めるようなことを」

「いいのいいの、家族は大事だもの。ああなるのも無理ない。でももっと見てたかったなぁ」

「怒りますよ」

「もうちょっと怒ってるじゃん……ああいやなんでもないです」


 普段の調子でふざける彼女に視線で牽制する。真面目に謝るのがばからしくなってきた。


 また数分おいて気持ちを落ち着け、お互い正面から向き合う。さきほどとは違う空気感で言葉に詰まる。

 私は何を言うべきなのか。また謝るべきなのか、それとも祖母への気遣いに対する感謝を口にするべきか。


 思い悩んでいるところに先に切り出したのは、やはりと言うべきか、雫であった。


「聡里、すっきりしたかな? もう平気?」


 あらぬ疑いを掛けられたというのに、彼女は私を気遣ってくれている。……勝てないな、私では。


「はい、おかげさまで。――あの、雫」

「ごめんなさい禁止。もとはと言えばあちきも悪いんだから。ほら、結構紛らわしかったじゃん。言いっこなしね。それに……」

「それに?」

「友達でしょ。喧嘩の一つや二つあるものよ。たまに言うじゃない、方向性の違いってやつ、そういうこともある」

「少し違う気がしますが――ええ、言いっこなしで」


 ぎこちない笑顔をお互い浮かべ、どちらからともなく手を差し出し、仲直りの握手を交わす。雫の手は小さく冷たい。でも、とても心地いい手。


 心のトゲが抜かれていくのが分かった。これ以上彼女を責める必要はないのだから、穏やかさを取り戻して当然。しかし平穏だけは戻らなかった。


「あちきたち、しばらく距離を取らない?」

「はい――はい? え、なぜ?」


 あまりにも唐突で、理解できない提案がなされたのだ。


「関係の維持が難しくなるからよ。さっき教えたよね? あちきはあなたのおばあちゃんに花を渡した、もうじき……って。その日が来た時、聡里はきっとこう思うわ。『花を渡されなければ』とね」

「そ、そんなことない。だって、だって……」

「人はいつか死ぬものね。そこにたまたまあちきが居合わせただけ。それでもね、そういう些細なことを無意識に根に持ってしまうものなの。だから、ね」

「だから、なに? いなくなられた方が恨むに決まってるじゃん、だったらずっと一緒にいてよ。ねぇ、雫?」


 口調の丁寧さを捨ててでも引き留めにかかる。せっかくできた友をみすみす離してなるものか。

 だがなりふり構わなくなっても、雫の意思は変わらない。


「――そうね、それもいいわね。でも、あちきなりにけじめをつけたいから。大丈夫、一ヶ月と少しだから。おばあちゃんの魂を見送ってから、戻ってくるようにするわ」

「雫……」

「それまで、その鉢のスノードロップ、預かってくれないかしら? 目に見える形で、あちきたちを繋ぐものとして」


 ……なんと、私のことを考えてのことだった。


 あくまで死の運命に逆らわず、自身の役目を全うした上でと。であるなら私が拒む理由は……もうない、と。


「雫がそう言うなら、うん」

「納得してもらえたかしら?」

「まあ、ね。そこまで言われれば、首を縦に振る以外できることはないもの。――私が持ってていいのね、この子」

「聡里に育ててもらう方がその子も喜ぶわ」


 雫はスノードロップを見つめ、優しく軽く撫でてはにかむ。笑った瞬間、見た目相応の少女らしい無邪気さが見えた。




 ――夕陽がそこそこ沈み始め頃。

 私の問題も解決し、今後のことも決まった。そろそろ帰ろうと雫の手を取ろうとした、その時。


「……あっ、一つ忘れてたわ」

「なにを? 抜かりなさそうな顔してるのに」

「それ褒められた気がしないんだけど――そんなことより。聡里、手を出して。手のひらを下にしてね」

「え? いい、けど。……なんのつもりかな」


 言われた通りに手を出すと、雫は私の手を取ってかがんで、甲に軽くキスをした。唇が触れたところがじんわりと熱くなる。


「っ!? ちょっ、今のなに!?」

「なにって、親愛のシルシよ。やらないの?」

「やらないよ! こういうのってプロポーズの時にするものじゃ」

「ロマンス映画の見過ぎじゃない? する時はするわよ。そ・れ・に、これでもうあちきのこと忘れられなくなったでしょ」

「雫の方こそ少女漫画の読みすぎでしょ! ナルシストかなんかなの!?」


 一気に顔が熱くなる。多分鏡を見れば夕陽より数倍赤くなってることだろう。

 あたふたする私に対して、いたずらっぽく笑う雫。明らかにこの状況を楽しんでいる。


 ――まあ、悪くはない、かな。


「こういうのはこれっきり。いい?」

「恥ずかしいから? 照れるから? ならもっと顔をみーせて」

「~~! もう知らないっ」

「あぁごめんなさい、だからつんってしないで、謝るから~!」




 ◇




 雫と別れた帰り道。鉢植えを大事に抱えて往く。

 友好の証として貰った以上、簡単に枯らすわけにはいかない。慎重に厳重に世話してあげないと。


 スノードロップを眺めながら歩いていると、ふとあることを思い出した。


「そういえば、篠さんがスノードロップ欲しがってたな。この子はあげないから……おばあちゃんの譲ってあげるか。いいって言ってたしね」


 花言葉は置いといて、小さくて可愛いのはよく分かる。うつむきがちで、愛おしさで人を引き付ける小ぶりな花。私は桜や椿のような木に咲く花が好みなのだけど、こういうのも悪くない。手元に置けるというのも一興だ。


「でもあんまり詳しくないんだよね……おばあちゃん知ってたら教えてもらおう。適温とかどのくらいだっけ」


 ――この時の私は花に気を取られすぎていた。


 らしくなかった。スノードロップを愛でるあまり、少しずつ、道の真ん中に寄っていることに気付けなかった。


 危ないと気付けたのは、目の前に猛スピード曲がってきた車が迫ってから。

 意識した時にはもう遅く、私の身体は宙に投げ出されていた。


(わたし、身体が……飛ん――)


 最後に見えたものは、夕焼けを背景に舞うスノードロップ。

 先刻の雫とのやり取り……キスを思い出しながら、私の意識は闇へと沈んでいった。





 ◇





「――さて、聡里は今頃どうしてるかな」


 沈みかけの夕陽が目に染みる。あちきはフードを深く被り、唯一の友のことを思い浮かべる。


 あちきの仕事の誤解は解けたし、仲直りもできた。聡里のおばあちゃんを『案内』してから、改めて彼女に会いに行こう。


 ……無事生還できればの話だけど。


「おばあちゃんに続けて孫もなんてね。さすがに不幸がすぎるってものよ」


 聡里があちきを見ることができた理由。死神を見るための霊感があることは間違いない。

 けど、それ以上に確かなのは、あの子にも死期が迫っていたからだ。本当なら触れることはできないはずなんだけど、二つの要素が混ざった結果触れられるまでになっていた……んだと思う。


 本来のあちきの仕事は、死期が近い人間を見守り、安らぎのための手助けをすること。深入りしてはいけないし、対象に死を告げて死期を遠ざけるようなことはしてはいけない。当然のことだ、運命によって決められているんだから。


 初めて会ったあの日、聡里を撒くため隠れた瞬間、唐突に仕事を増やされた。彼女の担当になれ、と。その後調べて見ると、偶然の事故に巻き込まれるとあった。


 最初は正体見破られたのもあって、慎重に、情に流されながらも、降りかかるであろう不幸を悟られないようこなすつもりだった。でも彼女と接するうち、彼女を心の底から気にかけ……違う、好いている自分がいた。


 だから、あちきは……。


「あちきも三流……どころか、この仕事向いてないのかもね――密旨なしに『加護』使っちゃったし。本当に情に流されてどーすんの」


 聡里から死を遠ざけるため、特別な加護を施してしまった。この後彼女は事故に遭う。だけど、まさに『奇跡的』な生還を果たすことになる。死神由来の超常的な力によって一命を取りとめるのだ。


「帰りたくない、絶対もうばれてる……大目玉で済まないだろうなぁ……」


 上司の命令なしでは使ってはいけない決まりになっている。使っていいとされているのは大方、世界の命運を握っている人物や将来大きな何かを成し遂げる人物。あくまで世界のため。


 ……でも。でもあちきは、世界より友が、聡里が大事だった。遠い未来より、今を大事にしたかった。


 聡里は必ず生き延びる。なんてったって死神が、あちきがついているから。

 今は苦しいかもしれない。でもきっと、あちきが救ってみせる。


「生きる希望を捨てないのなら、スノードロップとあちきが守るよ。

 次に会う時は、幽世じゃなくて現世だからね。それまでどうか……無事でいてよね」


 加護があっても、最後は人の力による。生きたい想いにこそ、加護は力を与える。


 夢の中で、あちきのことを思い出して、どうか。


「また、雫って呼んで。……絶対幽世には連れて行ってあげないんだから」

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