その後

『ねぇ知ってる? 夕焼け通りの噂』

『アレでしょ。異世界に行くってやつ。あれマジ?』

『実は続きがあるんだって。友達から聞いたんだけど……』




 七海さんが来なくなって三日。最初はみんな話題にしてたけど、今は別の話で持ち切り。

 その辺から聞こえてくる噂話をよそに、ユッキとパンをほおばっていた。


「最近おんなじ話ばっか聞こえてくるよな。楽しいのかなぁ」

「知らない。どーでもいい」

「……華奈さ、あの日からずーっとむくれてるけど。そんなにショック?」

「友達いなくなってショックじゃないやついんのかよ」

「それ昔のアンタに聴かせたいね。すっごい分かるけどさ」


 私のことは放っておいて。


 私の気分が悪い理由は二つ。

 一つは、ユッキの言う通り七海さんがいなくなったこと。

 もう一つは、そのユッキがいなくなったのが夕焼け通りだという話を聞いたこと。


 やっぱり、あの場所には何かある。間違いない。


「で、興味大してないけど、噂の続きってなんなのさ」

「……聞いてくる」

「どうでもいいんじゃ?」

「七海さん、よく通りに行ってたから。調査みたいなものよ。私が聞いたら話すだろうし」

「だろうな。まだ権力あるし――」

「ちょっといい? その話、詳しく聞かせて」


 ユッキは一旦置いといて、くっちゃべっていた女の子たちに突っ込んでいき根掘り葉掘り情報を聞きだす。


 十分程度しっかり話を引き出し、今度礼をすることを約束しユッキの元に戻る。


「おつかれ。収穫は?」

「ばっちり。前にもましてうさんくさい方向に進化してたわ」


 興味津々で身を乗り出すユッキを制しながら、私なりに話をまとめて聞かせた。


 ――まず、異世界について具体的になった。

 それまでは「別の世界」とふわっとした表現だったが、どういうものか詳しくなっている。


 飛んだ先は夕暮れ時の通り。座標的には同じだが、異なる点は桜が満開になっていること。そして、いつまでも夕暮れが続いてること。らしい。


「なんじゃそりゃ。あーつまり、同じ時間の同じ空間に囚われるってことね。ただし、現実世界とはかけ離れた異空間に」

「超速理解助かる。前より像がハッキリしてるでしょ? なんか妙よね」


 ――そしてもう一つ。

 通りの外、住宅街や学校などには人ならざるものが徘徊している。影が立体化した黒い『何か』。


「異世界の住人じゃん? 別に驚かねぇよ」

「違う違う。もっと別の『何か』がいるんだって」


 ここからが噂の本体。やけに話題になっている原因だ。


 異世界には迷い込んだその人しか存在しない……たった一つの例外を除いて。

 ――夕焼け通りの桜の下に、着物の女性が佇んでいるらしい。背は高く、顔ははっきりとは見えない。着物の柄は真紅の桜模様で、同じ柄の和傘を携えている――


「あっはは! 和風ファンタジーも大概にしろって! んなあほなー」

「着物くらい私の時代じゃ普通……」

「なんだって?」

「なんでもない。でね、その人は――」


 『それ』を話した時、自分の中でガッチリとピースがはまる感触があった。確かな手ごたえ、なのに手を出せないという無力感がこみあげてくる。

 聞き終えたユッキは私の思いを察したのか、話をちゃんと飲み込んだうえで「なるほど」と私の手を取った。


「大丈夫だって。絶対帰ってくる。また元気な顔見せてくれるって」

「……だよね。うん、きっとそう。にしても、待つしかできないって辛いね」

「そうだね。でも私たちにはなんもできない。警察とかがきっと見つけてくれるよ」

「うん。そう、だね」


 なんにせよ、今は待つ以外の選択肢がない。私はそういうものの専門家ではないのだから。

 お守りが彼女を、七海さんを守ってくれていることを切に願う。


 ――力が変な方向に作用してないといいけれど。








『じゃあちょっくら行ってきますわ』

『絶対ないってそんなこと』

『試して何もなきゃそれでいいじゃん』


 ある日の夕焼け通りに来客が一人。学校帰りの少女が通りをじっと眺めていた。

 スマホの時計と通りを交互に見ている。時刻が十八時になった瞬間、少女はゆっくりと歩き始めた。


「異世界なんて、行くわけないない。時間の無駄になりそー」


 一歩、また一歩と進み、異世界の入口たる鳥居状の影を踏んだ。

 すぐに変化があるでもなく、少女はしばらく呆然としていたが、


「……? なーんにも起きな――きゃっ!」


 突風が吹き荒れ、彼女は思わず顔を覆う。


 まもなく風は止み、通りに静寂が訪れる。しかし少女は気付いていた、その静けさが不自然なものであると。


 ――もしかして本当に?


 おそるおそる目を開けると、そこには。


「わぁ……桜、咲いてる……! ってことはマジだったんだ!」


 季節外れの桜が満開の通りがあった。地面には花びらの絨毯が敷かれ、鮮やかな夕陽に照らされ――絵画のような光景が広がっている。

 少女は奇妙な空間に迷い込んだ戸惑いより、綺麗なものを見れた喜びでいっぱいになっていた。


「すっごいなぁ。新しいマジックかなにかかなぁ」


 最初は桜に気を取られていた少女だったが、通りの向こう側にいる人物には気付かなかった。


 カラン……カラン……。

 舞う花びらの中、和傘をさし下駄を鳴らしながら少女に歩み寄る。気付けばもう数歩という距離にまで迫り、


「お嬢さん。こちらに何か用かしら?」

「うおっ、誰!?」


 少女は声を掛けられて初めてその人を認識した。びっくりしすぎて足をもつれさせたが、その人が素早く腕を掴んだことで倒れずに済んだ。


「あ、ありがとうございます」


 少女は頭を下げ、前髪をさっと整えながら様子を窺う。


 赤い桜模様の着物姿。その人の背は、少女より頭一つ分高い。傘を持つ手や裾からのぞく足はすらっと伸びており、細やかな所作や第一声から、気品ある女性であると分かる。


 しかし顔は傘で隠れてよく見えない。また、空いている右手は黒の手袋を着用している。

 女性は少女の肩に落ちた花びらを右手でつまみ上げ、ふっと吹いてからくすりと笑った。


「ごめんなさいね、驚かせるつもりはなかったの。ここって人が滅多なことで来ないからつい、ね」

「そうなん、ですね。は、初めて聞きましたそんな話」

「興味のない話なんて誰もしないからね。……うふふ、なぁに? 緊張してるの?」

「いやっそんなまさか、あはは……はい」


 まるで少女で遊んでいるかのように悪戯っぽく笑う。少女は彼女の雰囲気にあてられ、すっかり上気していた。

 そんな様子を見てまたくすくす笑い、傘をくるくる回す。


「ああ、ふふ、顔が見えないと困っちゃうものね。失礼なのはわたくしの方だったわね」


 花びらを落としてから傘を閉じる。少女はその時理解した。この空間は、この女性がいて初めて完成するのだと。


 人形のように端整な顔立ち。この世の人とは思えない蠱惑的な魅力があり、濡れ烏の髪と蒼い瞳が一層際立させる。

 そして一番の特徴は、顔の右半分を覆う白い仮面だろう。今は前髪でほとんど隠れている。少女は「火傷とか隠しているのかな」と考えたが、仮面もまた、妖しい魅力を醸し出していると感じた。


「わたくしはね、櫻っていうの。ここの……いわば案内人をしているの。よろしくね」

「はいっ、お願いしましゅ――あっ、えっと」

「可愛いわね。さあ、余計な力は抜いて。わたくしと行きましょう、ね」


 少女は言われるがまま。ぼんやりとする思考の中頷き、櫻の瞳をじっと見つめる。


「大丈夫。この世界も悪いものじゃないわ。わたくしが教えてあげましょう」


 櫻は傘を開き少女に持たせる。そして細い指を頬に這わせ、ゆっくり、顔を近づけ……。


 ――カタン。


 傘が落ちる音が、誰もいない桜の通りに響く。


 夕焼けが満ちる通りには、人影一つありはしない。はじめから何もいなかったかのように。


 たった一つ。お守りがさげられた和傘をのこして。

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