…………どのぐらい、経ったのだろう。


 十回? 二十回? 覚えていられないほど眠って目覚めてを繰り返している。

 目覚める度に夕陽が私を出迎える。いつまでも夕陽のまま。沈むことなく通りを見つめている。


 当の私は立ち上がる気力すら失い、ずっとずっと、桜の根本に座っている。


 手元にあるのは針が回り続ける時計、バッテリーの切れないスマホ。ただ時間を確かめるつもりはないし、日付の確認もしたくない。


 もし、体感している以上に時間が経っていたら? もし、体感しているよりも時間が経っていなかったら?

 現実を知ってしまったら絶対に狂ってしまう。夕陽を見続けているだけでもおかしくなりそうなのに、真実の時間を知ってしまったら間違いなく自我が崩壊する。そんな気がしてならず、どうしても見ることができない。


 それとも、これは私が見ている夢なのか。醒めない夢に囚われているんじゃないのか。たちの悪い悪夢だ。早く目覚めないと。


 ……なんて考えて何度寝たことか。目を開ける前に何度起きられるように祈ったことか。祈りは一切届くことなく、今に至るわけなのだが。


「もう、嫌……こんなことならいっそ……」


 ――正直、この場で朽ちてもいいと考えている。


 奇跡が起きて元の世界に帰れたとして、私に居場所はあるのか。


 勉強を頑張っても褒めてくれる人はいない。同級生は後ろ指を指し、親は満点で当然としか思っていない。将来役に立つと言われたところで「その将来はいつ来るんですか?」という反抗精神しか湧いてこない。


 友達だっていない。私の性格性質のせいでもあるけど、幼馴染の一人もいないのだ。笑って話せて遊べる人間なんて一人たりともいない。


 心休まる場所なんて、それこそこの夕焼け通りだけ。学校でも家でも居心地の悪さを感じている。


 はたして、私が戻ったところで喜ぶ人間はいるのか。どこにも歓迎されないというのに。


「ほんっと、生きてる意味、なかったな」


 誰も聞いていないのをいいことに思ったままを呟く。


 このまま夢の中でいよう。次は絶対に目を開けないでおこう。

 そう心に決めて、私は目を閉じ――




「…………あ。なんだ、これ」




 ふと。胸ポケットの中の異物に意識がいった。布越しに伝わる少し硬い感触。

 それまで気にならなかった『それ』が、今はとても気になって仕方ない。


 残った力を振り絞って腕を動かし、ポケットから取り出したそれは。


「……お守り。なんで――あっ」


 この瞬間まで忘れていた記憶がどっと押し寄せてきた。走馬灯のように流れてきたのは、たった一人との思い出。

 いつのまにか仲良くなっていた女の子。私とは真逆なのに、いつも楽しげにしていたあの子。


 そうだ。これは別れ際に貰ったものだ。確か……。


「いいことがあるように、って、華奈が。――そうだ、華奈が、いるのか」


 我ながら気付くのが遅い。そんでもってバカだ。大バカだ。


 こんな私を受け入れてくれた人が、華奈がいた。彼女といる時間、その時は鬱陶しいだとか、なんで私に構うんだとか自虐していた。


 でも今は、いや今だからわかる。私はあの時間を楽しんでいた。本当に嫌なら口をきいていない。自分の口の悪さを分かっていながらそれでも一緒にいた。初めてできた友達といるのが、とても楽しかったんだ。


 私は愚かだ。あまりに鈍すぎる。もう二度と会えないかもしれないって時に気付くなんて……そういう時だからこそとも言えるか。


「そっか。私、まだいていいのか。あっちに帰っても、居場所があったのか」


 それまで私を支配していた失意、諦念が吹っ飛び、改めてここが異常であるという認識が戻ってきた。


 私はまだ正気だ、まだやれる。この世界では身体は衰えない。ようは気の持ちようで死んでしまうわけだ。多分。


 身体を起こせ。立ち上がれ。また友達と学校で会うんだ。

 お守りを握って決意を固め、手に足に力を込める。


 ――しかし。


「くっ……なんで、なんで動かないの……!」


 希望を捨てていたツケが回ってきていた。長く動かなかったせいで身体は鉛のように沈み、桜の根元にがっちり固定されている。


 実は身体はもう死んでいて、意識だけが生きていると言われる方がしっくりくる。全く全然みじんも力が入らない。


「嫌、こっちの方がもっと嫌だっ。せっかく目的が、希望が……生きたいって思えたのに……!」


 最もむごい行為。それは希望をへし折って絶望を叩きつけることではなかろうか。


 友達に――華奈に会えないかもしれないということがこんなに胸を締め付けるなんて。

 私は帰るんだ。絶対に。他の全てを捨てたっていい。彼女にまた会えるのなら。


 その意思に反し、だんだんお守りを握る手の力が無くなっていく。固く閉じられていた手が徐々に開かれていく。今できるのは、手から零れ落ちないようにすることだけ。


 ついに、力が全て消え失せた。呼吸することも辛くなり、目も開けていられなくなる。意識も、少しずつ薄れていくのを感じる。


「死にたくない……生きたい、のに……なんで、こんなっ……」


 夕焼け、桜、はっきり見えていたそれらの色が、徐々に灰色に。私の世界から色が失われていく。色のみならず、記憶さえも。


 残っているのは、お守りをくれた彼女の顔と、この世界の光景。そして、鮮やかで妖しい夕焼け通りの桜だけ。


 刹那脳裏によぎったのは、このまま死ぬんだなってこと。桜の下には死体が、なんていうけれど、今からそうなってしまうのだからあながち嘘でもないのかもしれない。

 私は桜の赤になる。ここで永遠に咲き続けるであろう桜に命を捧げる、のか。


「久しぶりに、楽しいって、思えたのにな。お守り、大事にできなくて、ごめん……」


 それまで強く握っていたからか、お守りが熱く感じる。それとも私が冷たくなっていくからだろうか。ああいいや、この際どっちだっていい。どうせ、もう。



「……――、――」



 ……音? 声ならぬ声が聞こえた気がする。苦悶に呻く私の声? そう判断することもできぬくらい、私は終わりに近付いている。


 もし聞こえたそれが神だというなら。信じちゃいないが、最期なのだから、ほんの少しだけ聞いてほしい。


「……っ、……!」


 私は、生きていたかった。友達がいる、あの世界で。

 そんな言葉は空気を震わせることなく、そよ風にかき消され。


 手のひらからお守りが零れた。




 ◇




「――あれ、華奈? なんでそっちから?」


 ななみんと別れて帰る途中ユッキに見つかり、お互いに歩み寄ってノリでハイタッチ。すぐ冷静になって、ユッキは私が来た方向を指さした。


「暇だったからななみんについてったの。夕焼け通りって行ったことなかったから」

「あー、ね。興味ないって大分前言ってたっけ。でも行ったのか、しかも七海さんと。つうか家逆じゃん」


 ユッキの言う通りだ。私はまあねと頷き、ポケットから小さなお守りを取り出して見せた。


「じゃーん。見てこれー。私特製のお守り」

「いいじゃんいいじゃん。華奈、昔から器用だったもんね。あたしの分ある?」

「残念だけど。二つ目はななみんにあげちゃった」

「……マジ?」


 驚きがすごすぎたのかユッキはその場で立ち止まり首をかしげる。


「最近七海さんと一緒にいたのはいいとして、そこまでするかぁ?」

「誰といるかなんて自由でしょ。それに、七海さん結構優しいし。あと本音で話してくれるから気が楽よ」

「優しい、ね」


 どうだったかな。と呟きながら私に追い付き、あごに指を当てながら「えっとね」と話し始める。ユッキは話したがりだからな、聞いてやるか。


「七海さんとは小学校から一緒なんだけど、今と変わらず勉強はできるけど人付き合いは苦手ってカンジよ。すーぐツンツンするし。口悪いし」

「そういうところがいいんじゃないの」

「華奈は変わんないね、変なところが。……あ、でも」

「でも、なに?」

「優しいっての、ちょっと分かる、かも」


 お、久しぶりに話が合う。私は少し食い気味に「なになになに!?」と詰め寄ってしまった。すぐ離れて「ごめん、続けて」と肩を叩いた。


「めっちゃ食いつくじゃん――えっとね、小学……三年の時だったかな。あたしが派手に転んだ時あって」

「ふんふん」

「周りの子たち笑ってたの。あたしも笑ってたから別になんとも思ってないんだけどね。ただそん時、あたしを見てすぐ保健室に連れて行ってくれたのが、七海さんだけでね」

「ほー……」

「でさ、あたしに言ったの。『笑ってる連中はバカ。けが人は助けるものなのに』って。それ以来口きくことなかったな。圧がさ、ほら」

「まだあるよね、私は慣れたけど。……やっぱ、ななみんいい人じゃん」


 ――今日の寄り道は大成功。ななみんの昔の話聞けて、一瞬だけだけど、笑顔も見れたし。

 七海さん、今もあの通りにいるのかな。それとももう帰ったのか。ほんの十数分前に別れただけなのにもう恋しい。なんて言ったか、縁の切れ目は……ってそれは金の話か。


 おっ、いいことを思いついた。


「ねぇユッキ。今度夕焼け通りに行かない? もちななみんも一緒で」

「休みの日になら。あーでも七海さん来る? 休みも勉強してそう」

「そこは大丈夫じゃん? だって今日サボってたの見たでしょ。ついてくるっしょ」

「真面目ちゃんほどたまには、ってか。んじゃ、本人が了解したらってことで」

「しょうち。はー、楽しみだなー」


 顔を合わせて笑い、次の予定はどうするかどこ行くかで話がまた盛り上がる。

 その最中、最近のななみんがどんな様子かを話していた。口は悪いけど勉強の教え方は丁寧なこと、悪態がストレートな分飴と鞭がそれなりにうまいことなどなど。


「いや半分くらい口が悪いってことじゃん!」

「裏がないだけマシ。付き合いやすいよー?」

「……ふふっ、かもね。あーあ、こんなことならあたし、ちゃんと声掛けてあげればよかったなぁ」

「ユッキならうまくやれるよ。きっと。私と付き合えるんだからさ」

「ずいぶん浅く自虐するなオイ。ま、やってみるよ」


 そう言ってまたハイタッチ。と同時に分かれ道に。方向がちょうど左右で違うので「また明日」と手を振って別れた。その際に見た笑みは、実に頼りがいのあるものだった。



 ユッキの背中を見送り家までの一本道を往く。前に、私は夕焼け通りへ振り向いた。

 

 どうして七海さんが気になってしょうがない。

 それは通りで別れる直前のこと。私の直感が『同類』の気配を察知していたからだ。


「あの通り絶対何かある……噂はやはり、本当だったのか?」


 お守りを強く握りしめ、視線がキッと鋭いものに変化する。不思議と気が引き締まる。


 彼女に渡したものはただのお守りではない。経験をもとに作った呪具の一種、悪いものではなく、逆に悪いものを遠ざけるためのものだ。まあつまり、御守りともいう。

 七海さんはああいう性格だ、『そういうもの』を引き寄せやすい。気休め程度ではあるが効いてほしいと思って渡したが……。


「あそこの空気はかなり……無事でいてくれよ」


 私はただの人間だ。できることはせいぜい――神に祈ることくらい。

 明日になれば分かること。きっと彼女のことだ、朝一で教室に着き予習に励んでいるに決まっている。


 さあ帰ろう。そして明日を待とう、七海さんのいる明日を。


 後ろ髪引かれる思いの中、お守りを再度ぎゅっと握り、家に足を向けた。








 そして七海さんは、二度と学校に顔を見せることはなかった。

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