「……わけがわからん。なんなんだ」


 桜下のベンチに腰掛け、むすっとしている女が一人。私のことだ、ずいぶん酷い絵面だな。


 私は今、地元の名所『夕焼け通り』に来ている。桜が満開で、夕陽に照らされてとても見栄えが良い。


 ――桜の時期はとっくに過ぎていて、もう夕暮れが四時間続いている点を覗けば最高なのだが。


「おかしい。時計壊れてんの? 買ったばっかなのに」


 カバンから取り出しますは何の変哲もない腕時計。指し示しますは午後の十時。どう考えたって夜であるはず。

 なのにいつまでも夕陽がいるのはどう考えても変。自分の頭がおかしくなったのかと思い、スマホで一時間タイマーをセットし夕陽を監視していたが、結果はこの通り。


「沈まねぇ……ピクリとも動かん……」


 ここに居続けると頭がおかしくなりそうだ。一旦通りから出て――


 …………ん?


「あっ、帰ればいいじゃん。なんでバカみたいに居座っていたんだろう……」


 この瞬間まで頭からすっぽりと抜け落ちていた。どうしてここにいなければならないと思っていたのか。疲れているんだろうか。


 そうと決まれば早いもの。荷物をまとめて立ち上がり、家に足を向ける。


 しかしすぐ新たな異変に気付く。これを見て気付かない方が無理があるレベル。


「色が、変……夕陽見すぎておかしくなった?」


 通りの外の風景の色味が全体的に狂っている。絵の具をめちゃくちゃにぶちまけたような色でうめつくされていて不安感を煽られる。目を背けたくて地面を見ても、こっちはこっちで汚い色。目のやり場がない。


 そして、歩いている最中にもう一つの異常を見つけた。


 車一台、人ひとりともすれ違うことなく、物音一つすら聞こえてこない。ついでに建物に明かりが灯っていない。


 人の気配が綺麗に消え去っている。どこを見ても影一つ見つけられない。


「どーなってんの。まさか本当に異世界に……いやない、絶対ない」


 通りにいた時よりも頭がおかしくなりそうだ。言葉で否定しても現実が異常を叩きつけてくるのがあまりにも辛い。


 頭を抱えながら歩いていると無事家に着いた。他の建物と同じで色味がクソ……もとい変。自分の家なのに入るのをためらうのは初めての体験。したくはなかった。


 おそるおそる開錠、ドアを開け中を窺う。案の定中もおかしくなっていた。即刻回れ右して夕焼け通りに戻りたい。


「……た、ただいま」


 当たり前のように返事はない。不安疑問を抱えたまま家に上がる。


 ひとまず荷物を置きに自室に踏み入るが、やっぱり色がおかしい。私物全部酷い色に染まっている。……我慢できない、吐きそう。


「戻ろう。こんなところじゃ安心できないし。食べられそうなものだけ持ってくか」


 カバンを机の上に置き退室。キッチンからパンやお菓子を持てるだけ持って家を飛び出した。


 来た道を戻って夕焼け通りへ。この間も夕陽は不動を決め込んでいたらしく、位置が全く変わっていない。最初からここにいると言わんばかり。


 さっき座っていたベンチに腰を落ち着け、取ってきた食べ物に口をつける。深緑色のパンや青色のチョコ等食欲が激減しそうなものしかなかったが、今はえり好みしてられない。

 だがパンを半分食べたあたりでそもそも食欲がないことに気付く。――ちょっと違う、お腹がずっといっぱいな感覚。私はパンを袋に戻し隣に置いた。


「はぁ……これからどうしよう。ここにいるしかないのかな」


 おそらく、この世界において一番まともな場所はここだろう。桜だけ色味が普通であることが判断材料。なぜかと考えても無駄という思考が割って入るので、答えは探さないでおく。


 今重要なのは『どう過ごすか』。イカレた空間で正気を保つためにはどうするか。


「――よし決めた。ずっと待ってても仕方ない、やろう」


 思い浮かんだのは二つの策。試してみる価値は……ないかもしれないけど、やるだけやろう。ぐっとのびをしてから、私は立ち上がった。




 まず手をつけたのはここから出ること。

 『木の鳥居をくぐると異世界に行く』ならば、その逆も然り、なはず。よくある屁理屈だが、入口は同時に出口でもある。


 木の位置を記憶し、どこが鳥居になっているかを割り出す。入口のところに印をつけ、そこから数歩下がる。

 呼吸を整え、気持ちを整えて。よしと拳を握り、一歩、二歩と踏み出す。


 ……。


 …………。


「――ダメか」


 鳥居を越えて十数歩。変化は、ない。夕陽も桜もそのまま。


 その後十数回トライしてみたが結果は同じ。逆から、横から入ったり、お経を唱えながらやってみたり。

 そこから導いた結論は、無念だが『ここから出られない』だった。


「やっぱり、か。ありがちな結果ね。都合よくいかないか」


 脱出作戦は中止。続けても意味はないだろうし。

 なので第二のプランに移行する。それ以外やることがない、というのが本音だ。


「行きますか。世界の探索に。落ちた花びら数えるより、よっぽど有意義だわ」


 いらないものは全て置いて、私は狂った世界へと身を乗り出した。




 最初に見るのは通学路と決めていた。最も記憶に焼き付いている光景だから、照らし合わせるのが楽だと考えたから。


 だが甘かった。すんなりとはいかなかった。


 色彩のおかしい光景は一瞬にして記憶を塗りつぶす。見慣れた建物や看板、信号でさえも、どこが違うのか分からなくなってしまう。

 最初からこの色だったんじゃないか? そう誤認させるほどに、世界の圧は強かった。


「小学生の雑な絵でもこうはならないって」


 長時間見ているのでそろそろ目が慣れてくる頃。ただし頭が慣れるとは言っていない。これで正気保ててるのはすごいと自負する。


「……? あれ、なんだろう」


 長い一本道の道路の先に、ゆらゆら動く影のようなものが。じっと目を凝らしてみると、それは人の影だった。


 黒いフード付きのコートを羽織った大男に見える。明らかに不審者であるが、私の心中では久しぶりに人間を見つけた歓喜が渦巻いていた。


 声を掛けるべきかどうか。突然「あなたは人間ですか?」と問われたなら、不審者は私となるのは必至。もっといい言葉があるはずだろうけど、今はこれ以外思い浮かばない。


 ――いやもっと冷静になれ。


 次に思い浮かんだのは、「Excuse me」と「あの、すいません」。ああこれだ、これが最適。物事は単純でいいんだ。


 足取りはそのままに、影の背中に追い付く。近くで見ると一層大きく見える……と同時に歪にも見えた。あたかも陽炎のように、不安定で、そこにいないかのような……。


 その疑問は正解だった。


「あの、すいません」

「――」

「失礼を承知でお聞きしたいのですが」

「――」

「……おい、聞こえてないだろ」

「――」


 影は話さない。そもそも顔がなかった。コートを羽織っているんじゃなくて、そういうシルエットのマネキンというのが正しい。影は一言も発することなく――多分呼吸もせずに――ただのそ、のそ、と歩き続けている。


 気が付くと、大男の影以外にも『それ』が見えるようになった。一人、また一人影が増える。姿形は様々。小さいものから大きいもの、細いものから太いものまで。


 私が今まで見ようとしなかっただけで最初からいたのかもしれない。となると、この世界の住人は影の姿をしている、ということになるんだろうか。


「それこそファンタジーね。ありえないわ」


 その後も探索を続けて、あちこちで『影』を見かけた。動きに規則性はなく、目的なく徘徊している。結局人間ではなさそうだ。生気がみじんも感じられない。


「私だけなのかな、生きてる人間は。世紀末に生きてる気分……最悪」


 はなから分かっていたこと、何度も思っていたことだがこの世界はおかしい。私以外の人間はいないし、視界が常に狂ってる。



 ……限界が来そう。居続けるには環境が違いすぎて無理がある。



 ほどなく探索を中断し夕焼け通りに戻った。ここ以外に行くところがないのだ。自宅も異世界してるし、お腹が減らないんじゃ食事しに戻る必要もない。


 ぼーっと桜を眺める他やることがない。唯一記憶と違わぬ姿をしてる桜たち。今は桜にすがるしかない。


「……大分頭悪くなってきた。ないないばかり、子供じゃあるまいし」


 ここから出たい。でも出られない。その事実がある限り、私はずっとこのまま。一体どうしたらいいのか。


「ねぇ、教えて。どうやったら帰れるの、元いた世界に」


 桜に問うても、当然、答えはない。

 夕陽を一身に浴び、気まぐれに花びらを散らすだけ。


 もう、何もする気が起きない。


 私は静かに、まぶたを閉じた。

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