『夕焼け通りの櫻』
前
毎日が退屈。刺激がなく、単調で、つまらない。
学校に行っても話の合う友達がいない。どいつもこいつも頭が悪いせいだ。恋にうつつを抜かしてばっかりで話にならない。
張り合いがない。勉強でも運動でも、私に勝てるやつがいない。そんな状態で何を楽しめというのか。
ひたすらにつまらない。おまけに居場所もない。
たとえばテストの返却の時には。
「次、七海。今回も満点だ、さすがだな。この調子で頑張れよ」
「いつも努力してます。言われるまでもありません」
「そうか、頼もしい限りだな!」
「また七海さんがトップか。つまんない」
「調子乗ってんじゃないっての」
「友達いなさそー」
真面目にしていれば教師からの信頼は厚い。反面同級生からの評価は反比例する。
頑張ることの何が悪いというのか、つまらないというならお前がトップになってみろ。
……そう言いたい気持ちをグッと抑える。言ったところで解決しない。それに、私だってつまらないと感じているから。
でも友達いないは余計だ。実際、全然いないけど……。
学校ではこんな感じ。他にも例はあるが思い出すだけで頭が痛くなるからここまで。
――こんな私でも、唯一笑顔になれる瞬間がある。
学校が終わってすぐ、私はとある場所へ向かう。他のことは全部後回しにして。
着いた時、ちょうど夕陽が鮮やかになる頃合い。
そこは一本の並木通り。全長は50メートルほどで、隙間なく木が並んでいる。
それだけなら普通の通りなのだが、最大の特徴は太陽の位置。東から西に掛けて伸びているため、入口から陽が昇り、出口に沈むようになっている。
「相変わらず、ここは落ち着く」
柔らかな緋色が木々と私を色付かせる。濃淡の影とあいまって、この空間だけは隔絶された田舎の道のような、少し不気味で幻想的な世界に入り込んだ感覚になれる。
もう時期を過ぎてしまったけど、桜が咲くと一層綺麗になる。薄桃色の花びらがほんのり朱に染まり、通りを夕陽が見守ってくれる。春になると「夕焼け通りの桜道」と呼ばれ、観光名所に早変わり。同時に色ボケした学生たちの告白スポットにもなる。実に目障りだ消えてくれ。
……それはさておき。
私には日課がある。毎日この時間に通りを歩くこと。その日あった嫌なことをここに置いていくためだ。これのおかげで毎日すっきりとした気分で学校に行くことができる。満足できているかは別だが。
「……はぁ」
心なしか空気が良い。深呼吸をすると体の中から洗われるよう。憑き物が取れて身体が軽くなる気さえする。そう感じるほど、この場所が私にとっての癒しなのだ。私が生きていると思えるのは、この瞬間くらい。
――でもこの日は違った。ほんの少しだけ。
通りの真ん中あたりに差し掛かったあたりだろうか、ふいにズン――と沈むような感覚に襲われた。周囲を見るが特に異変はなく、私以外に人はいない。
安心しすぎて脱力してしまったんだろうか。それにしては強い力で押さえつけられたかのようであったが……どれだけ考えても仮説の域を脱しなさそうだ。もうよそう。
私は休みに来てるんだ。余計なことは考えなくてもいい。
――夕陽がどこか歪に見えたのは、きっと気のせいだろう。
「今日も綺麗だったよ。いつもありがとう」
誰に言うでもなく小さく呟き、私は通りを後にした。
【一過性怪異奇譚 夕焼け通りの櫻】
どんなに嫌でも退屈でも、将来を考えれば登校しなければならない。疲れたらまた桜通りに行けばいい。自分に言い聞かせて、今日も灰色の学校生活に身を投じる。
休み時間中。私はクラスメイトの女の子と一緒に復習をしていた。その子は頭を掻きながら「なんだったかなぁ~」とノートを小突いている。
「ねぇねぇ七海さん。元素のカリウムって何番だったっけ? 31?」
「それはガリウム。カリウムは19番。20番のカルシウムと合わせて覚えるといいよ」
「カリウムカルシウム……なるほど、語呂がいいから連番なのか。ありがと七海さん!」
「語呂じゃなくて原子の数で決まってるって知ってる?」
「今知った。華奈ちゃんまた一つ賢くなったなぁ」
「華奈、0に何掛けても0ってことも知ってる?」
「……はあぁ~!? それは失礼すぎんかぁ~!?」
表情をころころ変え、絶賛キレちらかしてるこの子が、最近できた友達の夕城華奈。前までは髪を染めてギャルしてたけど、どういう心境の変化か髪色は黒に戻し制服を正しく着ている。その上こうして勉強に身を入れている。前まではサボり常習犯だったのに。
関わるようになったきっかけは、成績を戻したいという彼女が私に頼みにきたこと。最初はただ勉強するだけの仲だったが、最近はそれ抜きに一緒にいるようになっている。
「ぷー、私キャパオーバー。飴ちょうだい、頑張ったし」
「元素一つ覚えただけじゃん。まだダメ」
「二つ! カリウムガリウム! カルシウム入れると三つ!」
「必死すぎ。……昼休憩の時の分増やしとくね」
「ホント? いやーななみんは優しいなー」
「ここにきて変な呼び方するな。予習量も増やす?」
「それはマジで勘弁してください。あと微笑みが怖いっす」
私は口が悪い。自覚はある。どうしても本心がそのまま口に出てしまうのだ。これが直らない限り一生友達は増えないだろう。
なのに華奈は仲良くしてくれるし、うまく返してくれる。こんな私でも会話を楽しめんだから、元々いたグループに戻ればいいのにと思うことがある。事情があるんだろう、触れないのが吉。
「もしかしてー、なんか悩み事?」
突然華奈が顔を上げ、頬杖をついてにやりとした。小憎らしいなこいつ、とても同い年と思えない。
「どうしてそう思ったの」
「普段より返しにキレがない。昨日とかはグサッだったのに、今日はチクリってカンジ」
「私のことなんだと思ってるの……まあ、実は、そうなんだけど」
実際その通り。昨日の謎の現象が頭に巣食って離れてくれないせいだ。
身体が重くなったこと。加えて夕陽が変に見えたこと。
どれも気のせいだ。どんなに思い込んでも違和感がどうしてもぬぐえない。
――せっかくだし、友達を頼るってことをしてみようかな。
「多分私の気のせいだと思うんだけどね。絶対そんなことはないんだけど」
「うんうん、前置きはいいからほら、話して話して」
「……笑わないでよ」
「笑わないからはーやーくー」
「……はぁ、抱え込むのがあほらしく思えてきた。で、昨日なんだけど――」
華奈に乗せられるまま、通りによく行くこと、いつもとは違う感じがしたことを全部話した。最中茶々を入れられると思ったがそんなことはなく、真剣に聴いてくれた。
「――てな具合。つまんなかったでしょ」
話し終わって自虐すると、「まさか!」と華奈は目を見開いた。どこに気になる要素があるというのか。
「ななみんさ――あ、今だけはこう呼ばせて」
「いいよ。聴いてくれた礼」
「ありがと、じゃあ続けるね――普段変化のない場所で少しでも『ヘンだな』って感じた時って、あながち間違ってないもんなんだよ。直感は信じるべきだよ」
「ふーん……」
「それに、今回は場所がいい。ななみん知ってる? 夕焼け通りのウ・ワ・サ」
「……なにそれ? そんなのあったの?」
華奈は「マジ?」と口に手を当てたが、何か察してすぐ目を伏せた。こいつ、私の友達少ないって言いたいのか。……口に出さなかっただけよしとする。この際不問だ。
「あるの。すごいバカげたモノだけどね。なんでも――」
周囲をきょろきょろ見渡し顔を近づけ、
「夕焼け通りは、異世界に繋がってるんだって」
どうしてかひそひそ声で仰々しく言った。私はこの手の話に詳しくないので――おそらく華奈の思惑通り――理由を訊く。
「どういうこと? 具体的にどんな」
「夕焼け通りが通称だけど、裏では『大禍時の櫻通り』って呼ばれてんの。大禍時、つまり夕方に通りを歩いてると……」
「歩いてると?」
「中央の木のトンネルをくぐった時に異世界に行くんだって。木の配置が鳥居の形になってて、そこが入口になってるって」
「ふーん。ちなみにソースはどこよ」
「友達のユッキ。大分前に聞いたハナシ。そこにいるし呼ぶ?」
「呼ばんでいい呼ばんで。急に呼んじゃ迷惑でしょ」
がばっと立ち上がる華奈を抑えて、呆れのため息がもれた。
しかしまあ、よくここまで話が作れるものだ。木が鳥居に? 異世界だって? 信用ならない要素のオンパレードじゃないか。オカルト好きの人間が広めたに違いない。
「ふふーん、信じてないってカオしてる。ななみんのお気に召すものじゃないって分かってたけどね」
「じゃあなんで話したのさ」
「息抜き。少しは気がまぎれたでしょ。あと、信じるも信じないも人次第ってね。私は面白いって思う、夢があるしね」
「夢、ね……それが一番、存在しないものよ」
そう吐き捨てると同時にチャイムが鳴る。時計を一瞥して席を立ち、華奈に背を向ける。
「授業始まっちゃうけど―?」
「化粧直し」
「トイレに行くって言えばいいのに。優等生なんでしょ?」
私は小さく振り返って唇の端を上げた。
「たまにはそういうのも、アリじゃない?」
教室を出る時華奈が笑っているのが分かった。それ以上言葉を交わすことなく、私は授業の半分をサボった。
放課後。先生の呼び出しから戻り荷物をまとめる。隣でにやにやしている華奈を無視しながら。
「『たまにはそういうのもアリじゃない?』……それで怒られてちゃ世話ないよ。成果は?」
「気分はよくなった。アレがただの気のせいって確信も持てた。おかげで久しぶりに怒られた」
「くひっ。そんなこと言うのななみんくらいだね、ウケたよ」
カバンを提げそそくさと教室を出る。
廊下を通り、玄関へ。靴を履き替え校門を抜け、見慣れた帰路に身を任せる。規則正しい足音二人分に耳を傾け――
「ちょっと待って。ついてくるの?」
振り返るとそこには、ニコニコの華奈がいた。私が軽く睨みつけると悪びれずに、
「ななみんお気に入りの夕焼け通りが気になって。実は一回も行ったことないんだよねぇ」
するっと腕を絡めてきた。私は強引にほどきながら足を速める。
「だからって一緒に来なくても」
「一緒なのがいいんじゃん?」
「あっそ。好きにしたらいいよ」
私には華奈が分からない。自由すぎる。自分の思ったままに行動しているんだろう。毎日がとても、とても楽しそう。
――私とは真逆だ。
――いつからだろう。楽しみを感じられなくなったのは。
いつからだろう。
「現実を見なくなったのは……」
「……? なーんか言った?」
「空耳じゃない? ――ほら、着いたよ」
上の空のまま歩いていたらいつのまにか目的地に来ていた。足が道を覚えているおかげだ。この通りに関してならどんなことより自信がある、とりあえず目を瞑ってても着けると思うくらいには。
今日も夕陽はきらびやか。通りの木々に橙のチークを入れ華やかなものに変える。
正直、異世界というのは合っている。こんなにも私を魅了する空間はそれ以外にたとえようがない。
「そんな風に笑うんだ」
「……えっ、ごめん聞いてなかった。なに?」
「いい笑顔ってこと。初めて見た。好きになっちゃいそう」
「つまらないお世辞は結構」
「本音なんだけどなー。私こんなだからさー、マジに言っても真に受けられないんだよねぇ。もっと信じてほしいのに」
「なら日頃の行いを改めたら。でもありがとう。私も、初めて言われた」
ふと、自分の口元に手を当てていたことに気付く。さりげなく手を後ろに回し、華奈からスッと視線を逸らす。……なぜ逸らした? やましいことなどないだろうに。
私の杞憂を知ってか知らずか、華奈は「……フッ」と笑い踵を返した。
「かーえる。イイモノ見れたから満足」
「もう行くんだ」
「ここ、ななみんのお気に入りなんでしょ。一人にしてあげようって気づかってんの。言わなきゃ分からない? ――っと、帰る前に。ハイコレ」
瞬きの間に懐に入り、私の手に『何か』を握らせた。開いて確かめてみるとそれは、
「小袋? お守り、なのかな」
「そんなとこ。いいことあるといいねってお守り。じゃ、また明日」
「……大事に、する。また明日、華奈」
「明日もななみんって呼ばせてね」
じゃーねー。と手をひらひらさせながら華奈は元来た道を引き返していった。方向逆なのによく来たものだ。律儀というか、バカというか。
「……お守り」
赤い小袋を見つめ呟く。よくよく考えたら、私は華奈のことを何も知らない。彼女のことを知ったのは勉強を教えるようになってから。それ以前の彼女を知らない。
明日。明日になったら話そう。きっと、もっといい友達になれる。そんな予感がする。
「――いやないな。私に限っては。どうせ裏では幻滅してるに決まってる」
期待するのはやめだ。どうせ、変化なんてない。
「いつからだっけ。こんな考えするようになったの。なんだよ……私が一番、バカじゃん」
お守りをぎゅっと握りしめ、ぼーっと通りを歩く。今日の夕陽はまるでナイフのように私を抉ってくる。肌が灼けるようだ。息苦しささえ感じる。
だんだん、景色が歪み始める。視界がぼやけてるせい? 別に泣いてるわけじゃないんだが。それにしてはずいぶん――くっきりと曲がっているような?
それでも歩みは止めない。歩き切ったその先に、何か見つけられる。私の直感がそう告げているから。
――結果から言うと、それはとんでもない思い違いだった。
もうすぐ例の入口にさしかかる。木の鳥居。今……。
踏み込んだ。
……。
…………。
「…………? 別に何も――」
歪みは消えた。息もできる。むしろ軽くなったほど。
それ以上の異変が私に降りかかったことに気付くのに、そう時間はかからなかった。
――桜が、咲いているのだ。
夕焼け通り全ての木に桜が灯っている。地面には散った花びらの絨毯ができており、相応の時間が経過しているのが見て取れる。
おかしいと思うのは私だけじゃないはず。ないはずのものが、ある。この一瞬、たった一歩踏み出す程度の時間で何が起きたのか。
「どうなってるの? 一体、なんなの?」
問うても誰も、何も答えやしない。桜が、ただ咲いているだけ。
桜が、咲いている。どうして咲いている。どうして……?
どんなに考えても答えは出ない。私は貰ったばかりのお守りにすがり遠くの一点を見つめる以外、何もできなかった。
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