静けき聖夜、櫻とワルツを 前編

 生きていれば不思議な出来事や出会いが一度はある。遅かれ早かれ、必ずあるはず。


 そういうのはもっと長く生きてからだと思ってた。中学生までの短い人生じゃ、巡り合う機会も少ない。もし運命的な出会いを果たすなら、高校生……いや大学生になってからだと。


 でもその考えはたやすく打ち砕かれた。もっともいい方向に向いている。

 間違いなく、それまでの価値観が変わって、”それ”のことしか考えられなくなる――そんな出会い。


 ……とまあポエミーな前置きはここまでにして、私こと白石雪子は、今まさに不思議な出来事のまっただなかにいる。


 桜満開な夕焼けが照らす並木通りの真ん中に立ち、着物姿の女の人と向かい合っていて。


「――あらぁ? どうして現世人がいるのかしら? 入れた憶えはないのだけど」


 着物の人は桜柄の和傘を閉じながら、こつこつ、下駄を鳴らして近付いてくる。

 私はその場から動けずにいて、彼女の接近を許してしまう。


 かろうじて喉から絞り出したのは、ふぬけたような一言だけ。


「あの……ここって、どこ?」


 しかし、私は知っている。


 ――今いる場所が”夕焼け通り”と呼ばれる通りで。

 ――年中桜が咲き、ずっと夕焼けの続く裏世界でもあって。

 ――目の前にいる綺麗な人が、この世の人じゃないってことを。


「もし、貴女の知ってる世界じゃないって言ったら……どうするの?」


 まるで心を見透かすように、桜の人は妖しく笑って私を指さす。


 その問いに、私は何も言えなかった。

 かろうじて残っていた思考で考えていたことは。


 ああ、とっても幻想的な光景だなあってことだけだった。




【一過性怪異奇譚特別編 静けき聖夜、櫻とワルツを】




 ――時間は少しさかのぼって二時間くらい前になる。


 放課後、部活の休憩中。ネットを挟んで飛び交う羽根を眺めながら他愛もない話をしていた。


「もうね、辛い。三波さんいなくて本当に寂しい」

「ふーん」

「勉強見てもらいながらどやされてたのが懐かしいよ。あの心抉る一言がまた聞きたくてさぁ」

「へぇ。ドMじゃん」

「……ユッキさ、反応薄くない?」

「押しかけといてよく言うよな、華奈。お前バド部じゃないじゃんわきまえろっての」


 ……話をしているというより聞かされているだけだな。


 私は至極真っ当な理由(疲れただけ)で休憩しているというのに、暇だからという理由で駄弁りにきた友達の相手をさせられている。先輩らも「面倒なのが来たなぁ」と困り顔で、目だけで相手をしろと言っているのが分かってしまう。


「前に言ってたさ、夕焼け通りで探せばいいじゃん。見つかるかもよ」

「それなんだけど、もう何回も行ってるんだよね」

「成果は?」

「ゼロでございますがなにか? この無神経女、華奈ちゃんを慰めてよ」


 華奈にはとても大事にしている友達がいた。しかし一ヶ月ほど前に行方不明となり、以降一切連絡が取れないらしい。家まで訪ねたらしいが結局進展はなかったとのこと。


 当初はただの失踪事件かと思われ、今でも警察が捜査している。

 そんな時とある噂が広がり、それと失踪が紐づけられクラス内で一時期話題になった。それが――


「夕焼け通りの神隠し、ね……ありえるの?」

「正直言って、それ以外ないかもしれない。そうとしか思えないんだもん」


 うちの学校は怪談や怪異系の話に事欠かさない。その一つに『夕焼け通りの桜』というのがある。


 ――学区内には”夕焼け通り”と呼ばれる並木通りがある。一本道の通りの向こう側にちょうど夕焼けが見えることからこの呼び名が付き、観光アンド告白スポットとして愛されている。


 そしてこの夕焼け通り、十八時に通りの真ん中を歩くと異世界に行く、という噂があった。異世界は常に桜が満開で、一生夕暮れが続いている、とのこと。一度迷い込めば帰って来れないだとか、住人たる着物の女に取り殺されるだとか。


 ここまで言えばある程度察するだろう。つまり、華奈の友達は夕焼け通りで行方不明となってしまったのだ。警察の捜査でそう判明、警察犬の反応が夕焼け通りの中央で止まったことが余計に噂を加速させた。


「神隠しだか異世界だかどうだっていいよ。早く帰って来てくれるならそれで」

「そうだね。帰ってきてくれればいいよな」

「うん……三波さん、今頃何してるんだろうな……」


 はあぁ~とデッカイため息をつく華奈。こりゃあ相当キてんな。こんなん初めて見たぞ。

 ――華奈は元々でっかいグループのリーダー格だったが最近は二、三人の友達との仲を大事にしていた。その中でも三波さんとはかなり仲良くしていた。

 一番大事な友達がいなくなったのだからショックも大きいだろう。気持ちが分かるとは言わないが、辛さは伝わってくる。

 こういう時できることはこれしかない。


「大丈夫。安心して待ってればええねんね」

「そうする……すまねぇユッキ、たすかる……」


 華奈の背中をぽんぽんして多くは語らない。人間(それか華奈限定で)これに限る。

 部活終わりまでまだ時間があったんだけど、華奈が予想以上にへこんでいたので全て慰めるのに使うことになってしまった。なお先輩は苦笑しながら許してくれた模様。先輩方、本当にありがとうございました。




「じゃーねーユッキ。雪に気をつけ……ぷふっ」

「くっだんねーこと言ってんなコラ。面白くないし。華奈も気をつけて帰れよ」

「おーっす。今日はあんがとなー」


 雪がちらほら降る中、大判ストールを首に巻きさっさと走り去る華奈を見送る。あいつ制服の上のコートだけで寒くないんか……そういう私も制服コートストールだけで生足なんですけど。クッソ寒い、やっぱりタイツ持ってきます。おしゃれは我慢、でも寒いのだけはムリです。


 部員らと別れて私も帰路につく。イラつきのあまり雪の塊を蹴っ飛ばしながら。

 何が悲しいって、今日はクリスマス。なのに部活である。そんでもってイベント無し。全員首傾げながらの活動だった。申し訳程度にクッキーやガトーショコラの交換会があった程度。みんなよくやるね、ホントすごい。


「マジで顧問何も考えずにスケジュール組んだろちくしょう。それかなんだ、学生には聖夜は早いってか。余計なお世話じゃい、彼氏もおらんわ」


 ……なんて一人愚痴りながらそそくさ歩く。寒いし腹立つし、つまり早く帰りたい。

 帰りたい――と考えていたのに。


「来てしまった……私はバカか? まあ帰り道の途中だし……」


 夕焼け通りに足を運んでいた。華奈とここについて話していたから、ついつい行ってしまった、といったところかな。怒りに支配されるとろくなことにならない。


 通りの入口から並木を眺める。木には葉一枚すらなく代わりに雪が実をつけている。降雪中のため空は曇り気味なので夕暮れは見えず、今はただの並木通り。

 ちらとスマホの時計に目をやる。十七時と五十八……五十九分になった。こんな遅くまで部活してたんか。また腹立ってきた。顧問許すまじ。


「――ちょっと、試してみようかな」


 十八時、夕焼け通り。消えた同級生の行方。

 検証してみたくなるじゃないか。何もなければただの行方不明だから見つかる可能性がぐっと上がる、華奈を励ましやすくなる。もし何かあったなら……。


「そん時はそん時だ。じゃ、いっちょ行きますか」


 ざくざく鳴らしながら通りの中央を往く。一歩一歩が重く感じるのは、さて気のせいかどうか。

 進み続けてまもなく通りの真ん中に。時刻はきっかり十六時。あと五歩、四、三……。


 踏みぬいた。


 瞬間。


 ――ゴォーーー!――


「うおっ! ななななになに!?」


 突然の強風。雪も混ざっているせいで目を開けていられない。ストールで顔を覆い、必死に踏みとどまる。肌に当たる雪風がナイフのように鋭く冷たい。


 来るタイミングが悪かったかと後悔し始めた時、思いもよらぬ変化が起きた。


 刺すような冷たい風が徐々に暖かみのある風に、雪の感触が柔らかなものになる。勢いも一気に落ち、爽やかさすら感じるさらっとした風に変わった。


「……なにが、起きた?」


 おそるおそるストールを下ろしゆっくりと目を開ける。


 ――目の前に広がっていた光景は白に染まった並木……ではなく、噂で聞いたとおりのものだった。


 久しぶりに開けた目に夕陽がしみる。

 足元には雪がなく、桜の絨毯が。

 顔をあげれば、並木は薄桃色の花びらで化粧をしている。


 迷い込んでしまった、もう一つの夕焼け通りの世界。聞いたままの光景が広がっていた。


 あっけに取られる私。そこへさらに追い打ちがかかる。


「あらぁ? どうして現世人がいるのかしら? 入れた憶えはないのだけど」


 桜舞い散る中、桜柄の着物の女の人が和傘を閉じながらこちらに歩み寄ってくる。いつからいたのか、どこに潜んでいたのか、どうして着物姿なのか。あらゆる疑問が浮かんでは戸惑いの前に消え失せる。


 ぼけっとしている間に接近を許してしまい、そこで初めて顔をしっかり見ることができた。長い黒髪で顔の半分が隠れていて、前髪の下から白い仮面のようなものがちらりと見える。


 ――何か言ってごらんなさい?

 そう言わんばかりに女の人は目の前で首をかしげる。


 ……とにかく喋らないと。

 やっとのことで絞り出した言葉は、実に腑抜けたものだった。


「あの……ここって、どこ?」

「そうね――もし、貴女の知ってる世界じゃないって言ったら……どうするの?」


 女の人は妖しく笑って私を指さし、透き通った赤水晶の瞳で私を見つめる。


 ――私が見ている光景を、写真みたいに切り取れたらいいのに。


 あらゆる疑問がどうでもよくなるくらい、女の人と夕焼け通りの桜が美しかった。


 ほんの少し言葉を発したっきり何も言わない私にしびれを切らしたのか、彼女はくすりと笑って傘を開いた。


「こんなところじゃ大してお話できないわね。近くに休憩処があるの、わたくしと行かない?」

「……!」


 こくこくと何度も頷くと、彼女はまたくすくすと笑って手袋をした右手を差し出した。


「では行きましょう――っと、その前に名乗っておくほうがいいわね。

 申し遅れました。わたくし、ここの『管理人』をしている櫻というの。よろしくね、お嬢さん」

「は、はい……えっと、私は、雪子、です。よろしく……?」

「雪ちゃんね、ええ、よろしく。ふふっ、そうかたくならなくていいのよ」


 上品に、優美に、妖しく何度も笑うサクラさん。そのままさりげなく私の手を取り歩き出した。


 私はただ導かれるまま、雪景色から打って変わった桜通りを抜ける。


(綺麗な人……でも、どこかで見たような……?)


 歩きながら見るサクラさんの横顔にどこか既視感を覚える。が、その正体はすぐには分からず、ただ、ゆったりと影が差す夕暮れの町を往くのだった。

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