番外編

『幽世人の見る夢』

「ほう……この時期の日差しはほっこりするのぅ……」


 秋の頃、とある家の縁側。

 紅白の巫女服の上から継ぎ接ぎの半纏を着た、お七という名の小柄な女性が陽を浴びてうっとりとしていた。


 お七はこの時期の縁側を特に好む。日差しは春よりも少し強めで、空気はからっとしている。時折吹く風は冷たいものの、うまい具合に陽が中和してくれる。それらの塩梅が、お七にはちょうど良かった。


「ふへぇ〜、あとはお茶と茶菓子があれば……自分で用意するかの──よっ、こら、しょっ」


 年寄りくさい掛け声と共によろよろ立ち上がり、台所の方に足を向けた。


 その時、ガラガラと玄関の戸が開く音がお七の耳に入る。ぴくりと反応を示し、またニッと嬉しそうな笑みを浮かべた。


 ──ドタドタドタッ!


「七さんただいまー! 白、帰ってきました!」


 廊下の向こうから小さな影が飛び出し、勢いよくお七に抱きついた。

 お七よりも小柄で、穢れが一切ない白無垢を身に纏っている。少女の元気な雰囲気に実に合っている。名は見た目そのまんま。


「うむ。おかえり白。散歩は楽しかったか?」

「うん! さっきね、綺麗なお花見つけたんだ! 持ってこようとしたんだけど、お花がかわいそうだったから、そっとしたの」

「白は優しいな、花をちゃんと愛でられるいい子じゃ。なら今度、そこにわしを案内してくれるか? 一緒に見よう」

「分かった! じゃあ今から!」

「い、いやぁ、今からは……少し足がしびれての……」

「むぅ、前もそう言って結局お出かけしなかった。今、今だよ!」


 ぐいぐい袖を引っ張る白に、振り回されがちで困り顔のお七。困惑している反面、どこか楽しそうでもある。

 親子のような、姉妹のような関係性が見える二人。どちらにせよ、仲睦まじいことだけは確かだ。


 そんな二人の様子を、静かに見つめる影が一つ。廊下の陰から姿を現した。


「――相変わらず仲がいいのねぇ。見ていて胸やけしそう」


 赤い桜模様の着物を着た背の高い女性。髪は綺麗に結い上げられており、片手だけの黒手袋、顔の右半分を隠す白い仮面が特徴的。お七とは違い、妖しい雰囲気を醸し出している。


 お七は謎の女性に気付き、白を撫でながら歓迎の笑みを見せた。


「来ておったのか、櫻。呼んでくれれば出迎えたというのに」

「少し、違うわ。そこの白ちゃんにつかまってね、せっかくだから様子を見に来た、ってわけ」

「櫻お姉さんって物知りなんだね。お花の名前たくさん教えてもらったよ!」

「そうかそうか――うちの白が世話になったようじゃな。どうじゃ? 『せっかくだから』茶でも飲んでいくといい」

「あら。ならお言葉に甘えようかしら」

「櫻お姉さんっ、こっちに座って!」


 櫻が了承するや否や白は袖を引っ張り、茶の間の椅子へと導いた。あまりの勢いに、櫻もどこか困り顔である。一方のお七は微笑んで眺めながら揺り椅子に深く腰掛けた。


「よ、っと。ふぅ……」

「……? 七さん、どうかした?」

「何もないぞ? おかしなことを言うのう。――なあ、白。お茶を淹れてくれんか? あとうぬの好きな茶菓子を持ってきておくれ」

「分かった! 七さんはあっつあつので、櫻さんは……」

「わたくしは少しぬるめで。よろしくね、白ちゃん」

「はぁい! いってきまーす!」


 白は素早くおじぎをして、またドタドタ鳴らしながら風のように走って行った。残された二人は顔を見合わせ、二度目をパチパチさせたのち、揃って「ふふっ」と漏らした。


「元気いっぱいね。子供ってのはいいわ、元気や好奇心が無尽蔵にあるんだもの」

「まったくじゃ。わしではついていくのも精一杯でな」

「みたいね……その足じゃ。いつ悪くしたの?」


 櫻は部屋の外に視線をやり、白がいないのを確かめたうえでそう聞いた。

 お七は「ばれておったか」と苦笑いし、どこか遠いところを見るような目で天井を見あげた。


「白と、おぬしと出会う前からずっとじゃよ。ちょっと、色々あってな……訳は、話せん」

「ならそれ以上訊かないわ。嫌な過去をほじくり返す趣味はないもの。話したくなったら、その時にでも」

「悪いな、気をつかわせてしまって」

「いいのよ。白ちゃんは、足のこと?」

「話しておらん。余計な心配をかけさせたくないんじゃ」


 そう言って、棚の上の写真立てを見やるお七。そこには楽しそうに笑う白が映されていた。


「見たじゃろう、あの子の無邪気さを。あの無垢さを、わしの怪我の心配で穢したくないんじゃよ。白は、元気なままでいてほしいのじゃ、この先もずっと」

「……分かるわ。わたくしにも白ちゃんのような子がいるから。大切な人には、そのままでいてほしいものね」


 二人の想いが共鳴し、しばしの無言の間に様々な感情が飛び交う。ふと目を合わせては、なにも言わずうなずき、お互いの気持ちを通じ合わせていた。


 ……どこか遠くで鈴の音が鳴る。それを合図に二人は同時に顔をあげた。


「これではまるで年寄りじゃの。しんきくさい」

「たまにはこういうのもいいんじゃない? 感傷に浸るってのも必要よ……って、お七、あなた実際何歳なの?」

「はは、まあざっと――はて、いくつじゃったか」

「ぼけたの?」

「失礼じゃな。そこまででは……多分、きっと。そういう櫻はどうなんじゃ!?」

「わたくし? わたくしは――」


「――お待たせしましたー! あつあつのお茶とー、おいしいまんじゅうですー!」

「あら、あらあら」

「し、白か。なんという時にっ」


 櫻の告白がなされようというときに、お盆を持った白が乱入してきた。これは好機といわんばかりに、これ見よがしにニヤリと櫻は笑う。


「……ここまでね。わたくしのことは、次回のお楽しみ、ということで」

「ぐぬっ……憶えておれよ櫻よ、その内仕返しをだな……」

「どうかしたんですかぁ?」

「いや、なんでもないのだぞ。ささ、お茶とまんじゅうをいただこうじゃないか。ありがとう、白」

「えへへ、どういたしましてー」


 二人にそれぞれ手渡したのち、白はお盆を抱えてお七の膝の上にさも当たり前のように座った。


「これ、お茶がこぼれたらどうするのじゃ。気ぃつけぇよ、火傷などしてはいかんのじゃから」

「でもここがいいんだもん。七さんのお膝大好き!」

「言われてるわよ? それでも駄目なのかしら」

「たきつけるでない櫻。ま、まあ悪いとは言ってないしな。好きにせぇ」

「ずっと好きだけど?」

「うぐ、ぐぬぬっ。愛いやつじゃのう白は……」

「あら、うふふ……」


 顔が赤いのを隠すように、お七は俯きがちにお茶をすする。すぐさま「おぉ熱っ」と舌を出した。それを見た櫻と白は、「変なの」と笑い、お七は一層顔を赤くするのだった。




 お茶もそこそこに冷めてきた頃。白はお七の膝をおり、庭で蝶々を追い掛け回している。大人(?)二人はその様子を椅子に座ったまま、ただただ眺めていた。


「白ちゃんが羨ましくなるわ。やっぱり若いっていいわね」

「さっきも同じことを……まあ、同意するがの」

「蝶さん待ってぇ。飛んでかないでー!」

「……わたくしも白ちゃんが欲しい」

「ダメじゃぞ。あの子はわしのとこのじゃ」


 一瞬ばちっと火花を散らせる二人。だが白の声で穏やかさを取り戻し、自分たちの邪念を悔いるようにため息をついた。


 そうして陽が傾いてきたところで、「……はっ」と櫻は何かを思い出したかのように椅子から立ち上がった。お七は不思議そうに首をかしげ、「どうした」と問うた。


「大したことじゃあないのよ、気になっただけ」

「気になった、とは?」

「……鈍いわね、あなたは。そういう風にできていないのかしら」


 意味ありげに小さく呟き、櫻は白を呼んで何かを手渡した。


「これ……櫻お姉さん、なぁに?」

「わたくし、もう帰ろうと思って。これは……そうね、お土産よ、わたくしの地元の」


 白が手を開いてそれを見つめる。

 渡されたもの。それは赤く染まった桜の髪飾りだった。


「きれい……いいの?」

「ええ、もちろん。もう会えないだろうから」

「なにを言う。また来ればよいではないか」

「それはないわ。……はぁ、面倒ね」


 櫻は白を優しく撫でたあと、お七に面と向かったのち、小さくお辞儀をした。


「どういうつもりじゃ」

「あえて言わせてもらうわ。――ありがとう、神社の守り神さま。あえて光栄だったわ」

「……なんの、ことじゃ?」

「気にしないで、ただのたわごとよ。それじゃ……」


 最後に櫻はお七と(半ば無理矢理)握手を交わし、ふっと花笑んで。


「お目覚めの時間よ」


 ――タンッ。


 櫻は小気味よく手を打った。


 同時に、お七の意識は闇に落ち、そして……。




 ◇




「――はっ」


 お七は神社で目を覚ました。拝殿前の階段に腰掛けた状態で、居眠りをしていたらしい。


「寝て、おったのか。わしとしたことが油断したわい」


 そのまま眠気を払うように伸びをし、「ふあぁ」とあくびを漏らした。


「いうて、もうできることがないのじゃが。手は打ち尽くしたしなぁ」


 目じりの涙をぬぐいながら拝殿内へと振り返る。

 拝殿は固く閉じられ、扉には大量のお札が張られていた。時折ドン、ドンと何者かが中から扉を叩く音がする。見る限り、何かを封じ込めているようである。


「監視以外にすることはない。まあでも……おぬしがいてくれてよかった、”白”よ」


 拝殿から目を逸らし、お七は膝の上に居座っている『白』と呼んだカラスを優しく撫でる。カラスは逃げる気配を一切見せず、気持ちよさそうに目を細め「カー」と鳴く。


「まったく、どこから来たのやら。少なくとも現世のものではないな。妖か? その気配はせんが……」

「カー」

「くそう、のんきにしおって愛いやつめ。ここで出会ったのも何かの導き、わしの話相手になってもらうぞ」


 お七は困ったように、それでいてどこか嬉しそうに微笑み、足をさすりながら白カラスを愛おしそうに見つめるのだった。


「櫻、といったか。あやつとも会えるとよいな、白」

「カー!」

「く、ふふっ……本当に白は愛いのぅ……」




 ◇




「――はぁ」


 同刻、別の幽世にて。


 桜が咲き誇る、夕陽に満ちた通りにて、櫻は目を覚ました。


 ずっしりとした桜の木に寄りかかりながら、立ったまま眠りこけていたようだ。左目を軽くこすり、眠気をこらえながらゆっくりと通りを歩きだした。


「さっきの、夢、かしら。妙ね、誰かと邂逅するなんてありえないのに。たとえ夢でも」


 櫻はひとり、自分が見ていたであろう夢をはんすうする。

 思い出されるのは、巫女と、白無垢。しかし顔はぼやけ、呼んでいたはずの名前も思い出せない。


「何かのはずみで繋がってしまった、のかしら。どういう子たちだったかしらね。でも、その内また、会える気がするわ。……わたくしったら、がらにもないことを」


 目をぱちくちさせ、左のほおをぺちぺちと叩く。適当に気付けをすませ、桜たちを見上げて、小さく笑う。


「ほんのひと時だけど、楽しかったわ、守り神さま――意外と憶えているのね」


 再びあくびをする櫻。

 このままもうひと眠りしてしまおうと桜に寄りかかったその時。


「――ちょっと櫻さん!? こんなとこで何してんの?」


 通りの向こうから一人の少女が櫻を呼びながら駆け寄ってきた。櫻は少女を見つけるや否やぱちりと目を開け、薄く頬を染める。


「雪ちゃん? 休憩よ、今から桜に包まれて寝ようかと。一緒にどうかしら」

「そんな暇ないよ。今お店が大変なの、一人じゃどうにもできなくて」

「ふぅん。でも、大して繁盛しているわけではないのだし、放っておいても――」

「そんな誘惑するような顔しても無駄です! さ、戻りましょう。しばらくはお団子こさえてもらいますから」

「ええ、雪ちゃんがそういうなら。共同作業、楽しみねぇ」

「……いちいち含みのある言い方しないとなんですか? まあ、嫌なわけじゃ、ないですけど」


 櫻は名残惜しそうに桜たちを見るが、雪と呼ぶ少女に手を握られた途端、思春期の少女のように真っ赤になり、されるがまま引っ張られていく。


 その間、櫻は夢のことをまた考えていた。


(多分同類、でしょうね。もしかしたら、本当にまた、会えるかも……楽しみだわぁ)


 ひとり心躍らせながら、少女と共に自分のやるべき仕事――お休み処の営みに戻っていくのだった。

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