――若干灰色だった私の人生に、光が差した気がしました。


 ある日出会った女の子、八白ちゃん。とても明るくて元気がありあまっている子。服装の白さもあって太陽のようなまぶしさがある。


「凪お姉さん、次はなにするの?」

「いや……もう、疲れ……なんでそんな元気なの……」

「お姉さんが体力ないんだよー」


 ……ええ、おっしゃる通りで。これから体育の授業は頑張らないとかな。


 とまあ、ほとんど振り回される形で付き合っている。小学生と中学生、そんなに違いはないはずなんだけど……気の持ちよう?


 虫の息となった私を気遣ってくれたようで、「じゃあ休む!」とベンチにどすんと腰掛けた。そして空いているところをぽんぽんして「ほら」と促してくる。うーんいい子。


「ありがとう。ごめんね、あんまり動けなくて」

「んーん。楽しかったからぜんぜん気にしてない! 一緒っていいね」

「いつも一人で遊んでたの?」

「うん。だってここ、誰も来ないんだもん」


 八白ちゃんはちょっとしゅんとした顔で公園を見渡す。


 改めて彼女の顔を眺める。今更気付いたがこの辺で見る顔じゃない。時折集団登校に出くわすのだけど、そこに八白ちゃんを見つけたことはない。服装も特徴的だし。

 もしかして最近引っ越してきたばかりなのかも。それなら遊ぶ相手がいないのにも納得がいく。


「ずーっと一人だったから、凪お姉さんと遊べたのすっごい嬉しかった! ありがと!」

「私なんかでよかったらいつでも遊んであげるよ」

「いいの? やったぁ! 凪お姉さんケッコーひまなんだね!」

「うぐぅっ! ナチュラルに痛い一言が……」


 無邪気は時に凶器。悪気はないから怒らないけどグサッとくる。暇なのは友達がいないからではない、決して……。


 そのあとは日が暮れる寸前まで色んなことを話した。私は学校のことを、八白ちゃんは今まで自分が住んでいた場所のことを。

 おおむね予想通りといった風で、八白ちゃんは遠くから来たらしい。曰く。


「ひとりは寂しい。誰かと一緒にいるのが一番でしょ?」


 親の都合、だろうか。両親が離れてしまうから祖父母の家に預けられた……みたいな話? かわいそうと一瞬思ったけれど、それを本人に言う必要はない。心中に留めておこう。


 しかし、事情ありげだというのに、それをこの瞬間まで一切感じさせない明るさを持っている。八白ちゃんの未来は明るいな。


 あたしは平気! と笑う八白ちゃん。顔をほころばせた時、さーっと冷たい風が吹く。二人揃ってくしゃみをして、顔を見合わせる。


「えへへ、おそろいー。ちょびっと寒かったね」

「時間も遅くなってきたからね。いくら元気でも冷えには気をつけないと」

「だねー。あたし寒いのキライ。なら帰らないとだ」

「お家まで送ろうか?」

「ううん、へーき。八白そこまで子供じゃないよ」


 ぷくっと膨らんださまを見せつけてからぴょんっと降りる。その後急にしゃがんだかと思うと、ベンチの下から傘を一本引っ張り出した。


「傘? 雨、降ってなかったけど」

「大事なものだからいつも持ってるんだ。持ってると安心するの」

「そうなんだ。じゃあ言うことないなぁ。大切にするんだよ」

「言われなくたって! それじゃ――」


 八白ちゃんはこちらにぐるりと振り返って。


「また明日もここに来てね! 約束!」


 そう言い残してそそくさと公園を出て行った。こっちの返事も聞かずに……次があると心から信じているんだろう。


「明日、か。うん、来てみよう。時間だけはありあまってるし」


 約束なんてしたのはいつ振りだったっけ。友達はいたけどそこまで親密じゃなかったような。


 出会ってまもない八白ちゃんをどう呼ぼうか。思考を単純にして『友達』と呼びたい気持ちはある。彼女の方はどう思っているのか。


「……聞いてみればいいか。明日はすぐ来るんだから」


 口にするとあっさりしてる。でも、久しぶりに『明日』が楽しみに感じている自分がいる。胸の奥がほんのりと温かいような、むずがゆい感覚。


「また来るね」


 静かになった公園に向かって小さく呟き、八白ちゃんに続いて私も公園を出るのだった。

 夕暮れ時の風が、いつもより冷たい気がした。



 ◇



「――ん……むぅ、朝……」


 気だるい朝。朝陽が目をくらまし、さらにやる気を失わせる。一日で最も辛いのはこの瞬間じゃないかな。布団から出たくない。


 とはいっても中学生は通学の義務から逃れられない。疲れが残っていようとも、これは必要なことなんだと心中で繰り返し、重い身体を無理矢理起こした。


 手早く朝食、歯磨き、着替えを済ませ、何事もなく家を出た。昨夜も雨が降ったらしく、水たまりがあちこちにできている。幸い今日は降らないらしいので安心して手ぶらで行ける。


 途中、昨日カラスを見つけた場所を通りがかった。残念ながら私が貸した傘はなくなっている。強風にあおられて壊れてしまったところを回収されたのかな。


「お勤めご苦労様……この間の子は、いる?」


 ちらっと影を覗いてみるが、さすがにまだいるわけはなく、タオルと白い羽根を残していなくなっていた。


「そりゃあそうだよね……まあ、無事ならそれでいいかな」


 今はどこで何をしてるんだろう。空を飛び回っているのか、ごみ置き場の管理でもしているのか。そこはあの子の自由だ。


「私は私のするべきことをしますか。学校、勉強――うぐ、頭痛い……」


 余計にブルーな気分になったところで全てを諦め、気も足も重くして通学路を往くのだった。



 そしてその日の帰り道。朝通ったところを逆に歩くだけの簡単なもの。

 だったのだが今日は違った。吸い寄せられるように、とある場所に足を運んでいた。


 着いたのは、帰路から少し外れた公園。遊んでいる子供はゼロ。乾いた風のたまり場と化した、寂しい場所。

 私はここに来たことはない。なんならこの瞬間までこの公園の存在を知らなかった。


 ……でも、なんでだろう。


「見覚え、あるなぁ」


 既視感はいつだって奇妙な感覚をもたらしてくる。あるはずのない記憶が頭にこびりついている。すごい違和感、背中がむずがゆくなるもの。


 でも確かに見ている、知っている。それはどこで?

 答えてくれたのはなんと。


 ――カー、カー。


「……あっ、白いカラス!」


 昨日助けて以来の白カラスだった。私を憶えているようで、ぴょんぴょん跳びはねながら鳴いている。心なしか嬉しそうな。


「ん? なになに、どうしたの?」


 かわいいなぁと思いながら見ていたら足元まで歩み寄ってきて、スカートのすそをくいくいと引っ張ってきた。くちばしを離すと翼をばさばさして、何度も振り返りながらどこかへ歩き始める。


「ついてこい、ってことなのかな」


 どうせ時間は余ってしまう。だったら好奇心に身を任せてもいいだろう。

 ぴょこぴょこ進むカラスを追っていくと、公園内唯一のベンチに案内された。「じゃあ一休み」と言いたげにベンチに飛び乗り、隣を二度突っついてみせた。座れって言ってるのかな?


「ありがとう。きみ結構頭いいんだね」


 と褒めてみるとカラスは羽を大きく広げて「カー!」と一声上げた。

 ……うーん。


「この子かわいいなぁ……」


 その後小一時間ほどまったりとした時間を過ごすことになる。

 この間カラスは飛び立つことなく、なぜかずっと隣にいた。時折私を見ては小さく鳴いてぴょんと跳ねる。一体なんのつもりなんだろう。


 のんびりが極致に達しあくびが漏れた時、町内に夕方を知らせる音楽が流れ始めた。そろそろ……と立ち上がろうとするとカラスも同じタイミングでベンチから降りた。


「日が暮れるから帰るの?」


 と何の気なしに聞くとカーと返ってきた。なんと分かってらっしゃる。

 一足先に空に消えるカラスを見送って、私も帰路に戻ることにした。寄り道したのなんていつ振りかな。小学校の頃もした覚えがないから、もしかすると初めてかもしれない。


「ふふ、たまにはいいね。悪くない」


 ――公園に来た時に抱いていた違和感はどこへやら。私はすっかり忘れていました。


 もやっとした感覚はまだ残っていたものの、清々しさを優先してそそくさ公園を出るのだった。家に帰ってお母さんに少し心配されたのは、また別の話。



 ◇



 公園に通うことが日課になりつつある今日。日があと少しで沈むような時間に八白ちゃんと会うのが最近の楽しみだ。


「あっ、凪お姉さん! きのーは約束守ってくれたね! 楽しかったよ!」


 八白ちゃんは私を見つけてすぐ、陽に負けないまばゆい笑顔で飛びついてきた。


「昨日?」

「そうだよー。忘れちゃったの? ひっどいなぁ。あそこのベンチでのんびりしてたじゃん」

「……あ、そうだったそうだった。どわすれしちゃってた」

「しっかりしてよねー。お姉さんでしょー」


 ぷくーと膨らんでかわいらしく怒りを表現する八白ちゃん。今日もかわいいな。


 ……でも昨日、何してたんだっけ。記憶がぼんやりとしている。公園に行ったのはなんとなく憶えているくらいで。

 頭のもやもやが濃くなってきた。疑問符が浮かんで消えてくれない。


「お姉さん? むずかしい顔してどーしたの?」

「う、ううん、なんでもないよ。ぼーっとしちゃっただけかな」

「そっかー……じゃあ今日ものんびりしよ。休むのも大事だよね」

「子供にさとされる私って……お言葉に甘えさせてもらいます……」


 まあ、それは放っておくとする。八白ちゃんとの時間の方が大切だし。


 ――こうして違和感から目を背ける。放置してはいけないと思いつつも、八白ちゃんといる多幸感の方が、その時の私には必要だったから。


 八白ちゃんは私の手を取ってベンチにいざなってくれた。白いワンピースだけど王子様に見える。凛々しさも持ってるのね……。


「はい、座って。でね、膝枕してあげる」

「いやそこまでしなくたって!?」

「疲れてるんでしょ? じゃああたしに従ってもらって休んでもらわないと。明日も遊びたいし!」

「八白ちゃん……でも自分よりちっちゃい子にされるのは……」

「ほらほら~」


 ぽんぽん、と誘惑してくる八白ちゃん。ワンピース越しのふとももが私の視線を吸い込ませる。気付いたら私は隣に座っていて、すーっと頭は誘われ――


「負けてしまった……お嫁に行けない………」

「おおげさだなぁ。日暮れまで寝てていいからねぇ」


 ワンピースとふとももが組み合わさった感触は、まるで羽毛のようにふっかふかだった。あまりの柔らかさに思考がとろけるよう。最後に残っていたのは、


(ダメになるー……けどこのままでもいいかなー)


 ずいぶんと情けない溶け切った意思だけだった。


「あたしだけは傍にいてあげるから、ね。あと、明後日迎えに来るから。待ってて、ね」


 ――それは悪魔の囁き。私はあらがうことなく、意識は闇に落ちていった。

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