朝。なんてことない普通の朝。

 しかし身体が重い。中々起き上がれない。異常なまでに疲れている。


「はぁ……動きたく、ないなぁ……」


 やる気ももれなく減退中。今日ばかりは朝陽が「早く起きろ」と言っているようでうっとうしい。


 この数日の衰弱具合、自分でも異常だとは思う。気だるさは昨日もあった、ただ疲れが残っているだけだと考えていたけど、多分、そうじゃないんだ。


 布団から這いずり出ながら原因を考えてみる。

 必死に思考を巡らせ記憶を辿っているとすぐ、あることに気付く。


 昨日の記憶が、とても曖昧なことに。

 何か楽しいこと、嬉しいと感じることをしていた気がする。誰かと、どこかで一緒にいたような……。


 ただあまりにも朦朧としていて思い出せない。これは……あれだ、夢を思い出そうとする感覚そのもの。ずっと像がぼんやりとしている。


(誰かといたはずなんだ……とても大事な人と。誰かさえ分かれば……)


 記憶の霧を払いどうにか探っている時、ふいに。


 ――コンコン……カー。


 窓をノックする何かの鳴き声。何かというには分かりやすい、間違いなくカラスがいる。

 どうにか身体を起こしカーテンを開けてみる。と、そこにいたのは最近見慣れたあの白カラスだった。


 私を見つけると一層ノックが増える。コン、コンコン。先端がちょっと丸いくちばしで何度もつっつく。


(開けてほしいのかな? でも中に入られると困るし)


 ――と思っていたのに、いつの間にか窓を開けている自分がいた。


 閉めようと窓に手を掛けた時にはもう遅く、カラスが窓枠に乗っかっていた。

 それ以上入ってくるようなら……と身構えていたが窓枠で反復横跳びするだけで中には入ってこない。気が気でないけど。


「あの……出て行ってもらえる、かな? 今から学校、あるから」


 通じていることを信じて語り掛ける。

 すると聞き届けてくれたのかコン、コンと鳴らしてお辞儀。バサッと翼を広げて謎アピールをしてから彼方へと飛んで行った。


「い、一体なんだったんだろう……懐かれたせいなんだろうけど」


 数々の疑問渦巻く中、だるさを我慢して学校に向かう。何度もめまいとふらつきに襲われながらもなんとか到着した。どう考えたって休むのがいいんだけど、なぜかその選択肢は頭から消え失せていた。


(風邪にしては重い……インフルとかそういうの、かな。カラスといたせいかも)


 時々カラスは不吉の象徴といわれる。じゃあ白いのはどうなんだろうね。


「限界来たら保健室行け、ば――……」


 ――その予定は一瞬で崩れることになる。


 しゃがんで靴を履き替え立ち上がった瞬間、フッ――と意識が飛んだ。まずいと思った時には力は抜けていてそのまま倒れるしかない。


 顔面からぶつかることを覚悟した――その時。


「――よ、っとと。あっぶねー」

「……ぇ?」

「アンタぼーっとしすぎ。朝ちゃんと食べてんの?」


 何やら柔らかい感触に受け止められた。支えられながら立ち直り、その人の顔をうかがう。


 間近で見てようやく分かるようなナチュラルメイクの施された、雑誌に載っていそうな綺麗な顔。髪は校則ギリギリの茶髪。

 そういえば同じクラスだったような……?


「あ? うちの顔になんかついてる?」

「え、いやっ、違くてですね、そのえっと」

「ちょっ、キョドりすぎだって。うちがなんかしたみたいになってんじゃん。てかほら、しっかり立ち」


 ギャルっぽい子に服装をちょちょいと直され、トンと肩を叩かれた。

 この子には失礼だけど、見た目よりずっと優しいなぁ。……ていうか。


「あの、ごめんなさい。名前……」

「マジ? 知んないの? クラス同じじゃん」

「じゃあ聞きたいんですけど、私が誰か分かります?」

「うん。ナギちゃんでしょ、緋水凪。カッケーし、アンタ勉強頑張ってるじゃん? そんで覚えた」

「あ、どうも……」


 褒められたのすごい久しぶり。にしてもストレートに言う子なのね……ちょっと照れる。


 ……何か言葉を返さないと。

 そう思ってまず、脳内のクラス名簿を開くが、残念なことに自分以外の顔と名前があんまり一致していない。しかも最初の頃から写真が更新されてないせいで茶髪のこの子が本当に誰か分からない。

 これで友達欲しいとは実に笑わせる。我ながらホント……ダメダメ。


 私は思い切って聞くことにした。あらゆる罵倒を覚悟のうえで。


「すいません……名前、聞いても?」

「やっぱそうかー、顔と名前覚えんのムズイもんな……いいよ。うちはウタコ。歌う子でウタコ――うっわ名前ダッサ……そいつはさておき。いい機会だし、ここはひとつうちら友達ってことで」

「――えぇっ!?」


 棚からぼた餅、なんという展開だろう。思ってもみないところで、まさかの?

 思考がこんがらがっていると「いやぁね」とその子――歌子さんは手を合わせた。

 

「次テストでいい点とらないとさ、親からめっちゃ怒られるの。小遣いとかも減らされるってハナシで」

「な、なるほど」

「でもうちの友達に頭イイやついなくて。最近は華奈がマシになってんだけど、ここんとこ付き合い悪くてね、人も変わったみたいで……つーわけよ」

「いやさっぱり――ああ、それで私に」

「そっ。いつもテスト返却で褒められてるじゃん? そこをなんとか~」


 ――ここに来てようやく、私に春が来たようです。


 ここで私は、ほとんどの人が抱くであろう疑問をぶつけた。思い返すと随分あほなことを言うなぁということを。


「すいません……その、私たちほとんど初対面というか、顔合わせたの初めて……」


 だけど言い切るより早く歌子さんは切り込んできた。


「だからなんぞい」

「えっ」

「うちらクラス決まった時に会ってるし、自己紹介もしたじゃん。ならもう知り合いじゃん? んで、こうやって話せば友達じゃん」

「と、友達ですか」

「アンタあれか、友達を重く見てるタイプだな? あのな、顔合わせられてそれなりに会話できればもう友達なんだぜ。つまり、うちとアンタはもうトモダチ。つーわけで」


 歌子さんは爽やかな笑顔を浮かべ、私の手を握りぶんぶん振った。


「昼休みは一緒だぞ。お昼食べながら勉強教えてくれな、うちのためだと思って」

「……私で、よければぜひ。お邪魔にならないようにしま、ぁ――」

「おっと。ゴメン、ナギがふらふらなの忘れてた。ほら、腕つかんで。連れてってあげる。あとマジ辛くなったら保健室な」

「はい。ありがとう、ございます」

「気にすんなし。さ、行こっか」


 そうして歌子さんと一緒に教室に行くことに。足元がおぼつかない私をしっかり支えてくれて、着いた時に奇異の目で見られたけど「具合悪いんだって。見せもんじゃねーぞ」とフォローしてくれた。


 席に座らせてもらった際にどうしてそこまでするかと聞いてみた。歌子さんは当然と言わんばかりに。


「言わせんなって。友達だからね。友達じゃなくても、クラスメイトは助け合いっしょ」


 ――私は友達というのを、彼女の言う通り重く捉えていたのかもしれない。もしかしたら……いやもしかしなくても、もっと気軽に話しかけて良かったのかもしれない。


 その後、歌子さんに放課後まで面倒を見てもらってどうにか一日を凌げた。


 ――もし彼女と会わなかったら、この後のことも違う結末を迎えていたでしょう。


「ナギ、身体は大事にな。気をつけるんだぞ」

「う、うん。ありがとう」



 ◇



 時間が過ぎるのはとても早い。気付いたら夕陽が見える中、いつもの公園に足を運んでいた。


 だけど、今日は光景が違う……気がする。いつもより暗い。自然と暗くなった感じではなく、夕陽がこちらを照らしているのに全体的に影が落ちているような、なんともいえない暗さ。


「あっ、ちゃんと来てくれたね、凪お姉さん。こんにちは! もうこんばんは?」

「八白ちゃん……こんにちは、でいいんじゃないかな」

「じゃあこんにちはだね!」


 どこからともなく出てきた八白ちゃん。今回も元気いっぱいに飛びついてきた。八白ちゃんといると疲れが吹っ飛ぶようだ、身体はともかく気は楽になった。


 この日の格好はこの間とは違い、ずいぶん変わって……というか。


「白無垢……?」

「へぇ、知ってるんだ。どう? 似合う?」


 八白ちゃんはちょっと照れくさそうにはにかんで、その場でくるりと回ってみせる。


 写真や絵でしか見ないような、しっかりとした白無垢姿。特徴的な帽子っぽいものもかぶっている。

 それにしても子供に着せる風習などあっただろうか。七五三でも着せないようなものを、なぜ八白ちゃんが。


 目を輝かせて感想待機中の八白ちゃん。黙っていても仕方ないと、素直に思ったことを伝える。


「似合ってるよ、とっても可愛い。八白ちゃんは白いのが好きなんだね」

「ふふ、ありがとう! あたし白いの大好きだよ。一番綺麗な色だから」

「綺麗、そうだね。八白ちゃんにぴったりだ」

「そ、そお? えっへへ、嬉しいなぁ」


 ねぇこっち! と八白ちゃんは照れ隠しに私を引っ張ってベンチへと座らせた。もはや定位置となりつつある。


 二人並んで座っていると、おだいりさまとおひなさまの気分になる。しかも片や白無垢。私もそれっぽい恰好をすればほぼ挙式……って私は一体。


 一人で勝手に真っ赤になっていると、八白ちゃんの手が私の手に重なった。


「ふぇっ、や、八白ちゃん!?」

「そんな驚かないで。手ぇ繋ぎたかっただけなのに」

「そ、そう……うん、いいよ」


 返事するや否や八白ちゃんは指を絡めてきた。絶対離さない、そう伝えるように。


 そして、これまで見せたことない神妙な面持ちになり、私をじっと見つめる。


「ねぇ、凪お姉さん。お願いがあるの」

「お願い? 私ができる範囲でなら聞いてあげるけど」

「じゃあ大丈夫! すっごい簡単だから」


 繋いだ手にきゅっと力が込められる。小さいのに、強い力で。


「あたしと一緒に来て」

「どこに?」

「ここよりもっと、楽しいところ。そんなに遠くないしすぐ行けるよ」

「楽しい、ところ?」


 物言いがずいぶんぼんやりしている。あえて全部を知らせないようにしているような感じさえある。


 どんなところかを訊いてみると、口を閉ざしたのち、たどたどしく答えてくれた。


「今いるところより、もっといいところ。辛いことなんてない、えっと……極楽、っていえばいいのかな、そういうとこ」

「……」

「あたしと一緒に来てほしいの。凪お姉さんとなら絶対楽しいし、行きたいなって」


 彼女の言う極楽……一体どんなところなんだろう。


 不思議と、八白ちゃんと行きたい気持ちが強くなってくる。八白ちゃんといる時間は楽しかった。その極楽に行けばもっといい気分になれそうで。


「さ、行こ!」


 ばっと八白ちゃんは立ち上がり、そのまま私と公園の外に出ようとする。私は一切抵抗することなく引っ張られていく。


 ……いいところ。きっと現実世界よりも魅力的で――


「ぜーったい後悔させないから!」


 ――その時頭にあの子の顔がよぎった。目の前にいる八白ちゃんよりも強く印象に残っている……。


「……あっ、歌子、さん」

「――ちょっと。なにいまの、聞き捨てならないなぁ」


 私が歌子さんの名前を言った途端八白ちゃんは立ち止まり、ぎろっと睨んできた。その時の目はナイフのような鋭さがあり、私は猛獣を前にした小動物のようにすくみあがってしまう。


 その瞬間、周囲の光景が歪んで見えた。公園の外は特に酷く、道路や建物がどろどろになっている。

 公園内はかろうじて『普通』であるが……この世にいるとは思えない圧迫感が、私の意識をしめつけていた。


「うたこ? ねぇ、誰それ」

「えっと、その……」

「なんでもないわけ、ないよね。ねぇ、教えて?」


 自分より一回り小さい子供とは思えないプレッシャー。

 負けないように、少し語調を強めて、言葉を返す。


「歌子さんはね、私の……」

「凪お姉さんの、なぁに?」

「と、友達だよ。大事な友達。八白ちゃんにも、いるでしょう?」

「ともだち、か…………あたしには、いないよ」


 八白ちゃんの声が小さくなり、繋いだ手の力が弱まっていくのが分かった。と同時に景色の歪みが収まっていき、数分前と同じ公園、街の風景に戻った。


 いない、と言ったっきり俯いてしまい、一言も発さなくなる。なるべく穏やかにつとめて名前を呼ぶとまず。


「――じゃあ、連れていけないな」


 と言った。そして顔を上げ視線を交わす。瞳は若干潤んでいて、どこか、寂しげな色に染まっていた。


「連れていけない、って? 遠くないなら――」

「そうじゃないの。あたしと『一緒』じゃないとダメなの。でも、凪お姉さんは変わったから」

「変わった……」

「いい方向だよ。――こんなの初めて、本当に独りになるの」

(……ああなるほど。八白ちゃんも、きっと)


 なんとなく、分かった気がする。

 この状況、さっきの異常。それに、八白ちゃんがなんなのか。


 私は八白ちゃんに目線を合わせ、肩を抱きながらじっと見つめる。


「八白ちゃんは独りじゃないよ。私がいるじゃない」

「でも、あたしは……」

「何も言わなくていい。――ね、八白ちゃん。寂しくなったら、いつでも呼んで。すぐ会いに行くから。だって……」


 安心させるようにと微笑みながら、彼女の心に届くようにと。


「私たち、友達じゃない。初めて会って、遊んだあの日から。だから八白ちゃんは独りじゃないわ」

「…………ともだち。そっか、あたしにも」


 想いはちゃんと通じたようで、八白ちゃんにも笑顔が咲き始めた。昨日よりは控えめな、開きかけのつぼみのような感じだが、元気が戻りつつあるのが分かった。


 しばらくして八白ちゃんはぐしぐしと目をこすり、大きく頷いて私の顔を両手で包んだ。


「むぎゅっ。や、やひろひゃん?」

「ありがと、凪お姉さん。あたし、こんな気持ちになったの初めて。これでようやくあたしも……」


 八白ちゃんは手を離すと一歩下がり、またにこっと笑った。

 するとどうしてか、彼女が薄く光りはじめた。それに背中に羽らしきものも。光はどんどん強くなり直視することが難しくなる。


「や、八白ちゃん……!?」

「いきなりでびっくりしてるよね? でも大丈夫、怖いやつじゃないよ」

「いやそうじゃなくってね!?」

「お別れだよ、凪お姉さん。でも、じきにまた会うかも。あたしであってあたしじゃないけど……その時に貸してもらったもの返すから」


 ついには目を開くこともできなくなり、身体が宙に浮いたようになって――……。



 ◇



「……ろ――ナギ、起きろって」

「あの……お姉ちゃん、大丈夫なんですか?」

「居眠りしてるだけだと思うがなぁ」


 世界が徐々に開かれ、光が差す。

 視界がはっきりして最初に見えたのは。


「歌子、さん?」

「おっ、起きたか。なぁに寝てんのこんなとこで」


 朝の時のように歌子さんに支えてもらい身体を起こす。不思議と全身にのさばっていた怠さや疲れは抜けていた。代わりに意識と記憶が若干おかしなことになっている。


 ――なぜだろう。私は公園で『誰か』といたはずなのに、そのことが全く思い出せない。楽しかった、癒されたという感覚はあるのに、それ以外は、まるでさっぱり。


 歌子さんに状況を訊くと、どうやら私は公園のベンチで寝ていたらしい。ただ寝ていただけじゃなく、うなされている様子でもあったとのこと。いつからそうだったかまではさすがに分からないとのこと。


「先に言っておく。うちは偶然通りがかっただけ。それに、この子が見つけなかったら大惨事になってたかもだぞ」

「この子?」

「うん――ほら、きみのおかげなんだから、顔出しぃ」


 歌子さんは後ろを向き、一人の女の子を前に出した。

 ランドセルを背負ってるあたり学校帰りなんだろう。汚れ一つない真っ白な服を着ている……あれ。


「やしろ、ちゃん?」

「……? 名前、なんで知ってるんですか?」

「えっ? 私、何か言った?」

「えっと、えっと……」

「なんだ知り合いか。んじゃま、一旦当人同士に任せて、ちょっと自販機行ってくる。身体冷えてるかもだし、ココアとか持ってくるな」


 そう言って歌子さんはそそくさと離れていった。残されたのは、私と知らないはずの女の子。

 気まずい空気。だんまりのままでいるのも嫌だな、と思って先に私が口を開いた。


「あの、あなたが、私を見つけてくれたの?」

「えっ……はい。帰ってる途中で公園のぞいたら、お姉ちゃんがいて。寝てるのヘンだなって思って、それで」

「助けを呼んで起こしてくれた、ってことね。ありがとう」

「ど、どういたしまして……」


 感謝を素直に伝えると、女の子の表情が少し柔らかくなった。

 この流れなら。私は「あの」と切り出す。


「名前、訊いてもいい? 先に私が教えないとね。私は緋水凪、さっきのお姉さんみたいに凪って呼んでね」

「は、はい……えっと、凪お姉ちゃん。あたしは佐々良八白、です。よろしくお願いします」

「固くならないでいいよ。八白ちゃん、でいいよね? 八白ちゃんは私の恩人なんだから、ちょっとくらい、いばったっていいんだから」

「じゃあ、えっへんってすればいいんですか?」

「あ、無理しなくていいから……」


 緊張が残ってるのか、私が変なこといったせいかぎこちない。ただ気まずさは多少なくなって空気は大分軽いものになった。


 ……それにしても、『八白ちゃん』、か。どこかで見覚え、聞き覚えのある。でもどこかは思い出せない。まるで、濃い霧がかかっていて先の見えない森にいるような感覚。それ以上は行ってはいけない、そう言われているような。


「――あっ、忘れてた。凪お姉ちゃん、はいどうぞ」

「どうしたの……って、それ」


 八白ちゃんは後ろ手にずっと隠していた『何か』を私に差し出した。それを見て思わず目を見開く。


 それは、あの雨の日、白いカラスのため置いていった私の傘だった。どうして。


「どうして八白ちゃんが持ってるの?」

「なんて、いえばいいかな……えっとね、昨日、傘が落ちてて。でね、白いカラスさんが中にいたの」

(昨日だと……雨の次の日か。まだいたんだ)

「珍しいなって見てたらカラスさんが出てきて、傘とあたしを見てね。拾ってほしかったみたいで。多分、返したかったのかなって思って」

「それで持ってたのね。それで、カラスは?」

「分かんない。いなくなっちゃった」

「飛んでいったのね」

「違う。『いなくなった』の。消えた? うん、そんな感じ……です」


 言い終わった八白ちゃんから傘を受け取り、まじまじと見る。ちょっと傷がついたくらいでほぼあの時と同じ状態。彼女がしっかり保管していたのもあるだろう。


 というか。


「なんで私のって分かったの? 名前とか書いてなかったのに」

「それは……笑わないでね」

「笑わない。約束する」

「夢で見たの。お姉ちゃんのこと。それで、もう一人のあたしが『返しておいて』って言ってきたの」

「予知夢、ってことかな。すごいね、ほんと」


「――いやぁ待たせたー。自販機意外と遠くってさ、コンビニもないのなこの辺……っとと、二人ともどうしたん、真剣な顔して」


 話はこれから、というところで歌子さんがココアとジュースを持って戻ってきた。

 これからといってもこれ以上の発展はないだろう。私も八白ちゃんも、夢で見た、としか言いようがないのだから。


 お互いに夢で出会い、そうして現実で出会った。そういう、偶然、奇跡的なお話。私の記憶は曖昧で、夢――あれは夢だったのだろうか――の内容も、おぼろげでしかないのだけど。


 ――それでも確かに憶えているのは、夢の中の八白ちゃんは独り寂しくしていたこと。そして私と仲良くなったこと。


 ――もしこの八白ちゃんも寂しくしているのなら、彼女の時と同じように……。


 ひとまず歌子さんからココアを受け取り、お礼を一言。同じようにジュースを貰った八白ちゃんに私は。


「八白ちゃん。よかったら、私と友達にならない?」


 と提案してみる。八白ちゃんは目を丸くしていて、歌子さんは「ほお」とにやりと笑った。


「と、友達? あたしと、お姉ちゃんが、ですか?」

「うん。きっといい関係になれると思うの」

「なになに、新しい友好度イベ? じゃあお姉さんも混ぜてもらおうかな。友達のトモダチもトモダチってね。八白ちゃんってーの? うちはウタコ、よろしくー」

「いいんですか? あたしなんかで」

「「もちろん――あっ、ふふ……」」

「お姉ちゃんたち……ありがとう!」


 歌子さんと不意に言葉が重なる。そのあとの反応もぴったりで、三人で笑い合った。


「さて、と。イイ感じになったところ悪いんだけどさ」

「そうですね。今にも日が暮れそうですし、帰りましょう。八白ちゃん、家はどっち?」

「あっちです。夕焼け通りの方向で」

「私も同じです。一緒に行きましょ」

「マジか、うちもなんだよね。せっかくだし、このまま三人で帰っか」


 なんと偶然にも家の方向も同じ。八白ちゃんを間に置いて手を繋ぎ、姉妹のように並んで歩く。――思い返すとかなり恥ずかしいやつだ。


 だんだん空気も冷えてきて風が吹くと鳥肌立つようになった時。

 八白ちゃんがぱっと手を離して何かを指さした。


「見て、お姉ちゃんたち! 白いカラスさん!」


 ちょうど彼女が示した途端に「カー」と一鳴きして、全身真っ白のカラスが飛び立った。そのままどこかへ行くかと思えば、二度私たちの上を旋回し、また鳴いてから夕陽に消えて行った。


 ――その瞬間。



「ちゃんと返したよ。また遊ぼうね、凪お姉さん」



「……えっ」


 声がした。それは八白ちゃんの声だった。カラスから八白ちゃんに視線を移すが、彼女はカラスを目で追うばかりで何かを言った感じはない。それに、お姉ちゃんではなくお姉さん、と。


 ……ただの空耳だろうか。それにしてはやけにはっきり聞こえたけど。

 でも嫌な気は全くしない。むしろ、つきものが取れたような。


 なら、私が返せるのは、この言葉しかない。


「――どういたしまして……ありがとう」


「ナギ? どうか、した?」

「ううん、なんでもない。歌子さん、八白ちゃん、行こう」


 首を振って、笑みを添えてごまかし、またみんなで歩き始めた。

 昨日より楽しい明日に向かっていると信じて。つないだ手に、優しく力を込めた。




「あー、そういえばナギさ、身体大丈夫? 朝昼相当アレだったし」

「なんかもう平気になっちゃった。寝たおかげかな」

「でも公園で寝たら、ダメ、です。気をつけてくださいね、お姉ちゃん」

「言われてらぁ」

「……次はないように善処します」

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