その後

 ちょっと不思議な出来事からもう三日が経つ。


 あれから特に変わったことはない。数日ほど私を悩ませていた身体の不調は嘘のようになくなり、万全の状態に戻っている。あれは一体なんだったのか、さっぱり分からない。


 白カラスと出会ってから見た夢は、どう頑張っても思い出すことができない。夢とはそういうものだから気に病むほどではないけれど、時折脳裏にちらつくせいで忘れることもできない。


 ……気にしても仕方ない。今の私にできることをするしかないんだ。

 たとえば、そう。


「ナギー、もうギブー……一問も分かんねー」


 友達と一緒に勉強するとか。


「歌子さん……まだ始まったばかりだよ」

「そうだねー。でもムリなもんはムリなんだよなぁ。数学はやっぱ分かんなくていいや」

「でも今度赤点取ると居残りなんでしょ?」

「まぁそうだけど……」

「ユッキさんとカフェ行くんだったよね? だったら頑張らないと」

「そう言われると――はぁ、諦めてやるかー……つーかユッキ頭良すぎなんだよ、あいつも居残りすればいいのに」

「あ、あはは……」


 ひょんなことから付き合いを始めた歌子さん。不良っぽいところはあるけど根はとても優しい人で、私みたいな人間とも快く接してくれる。


 最初は嫌々なのかな、と思う時があったのだけど、歌子さんの友達であるユッキさん曰く。


『緋水さんの評判はいいぜ。にしても面倒なのになつかれたな、おつかれさん』


 だそうで。面倒とは……まあ、いっか。


 なんてことない、いち学生らしい生活がようやくできるようになった。友達と過ごす学校生活、せいいっぱい楽しみたい。


 歌子さんは私が知らない楽しみを教えてくれる、代わりに私は歌子さんの苦手な勉強を教える。いまはウィンウィン的な関係だけど、その内もっと友達っぽいことをしてみたいな。


「――ナギ。ありがとな」

「……へっ? え、はい?」


 ――いけない。考え事をしすぎてしまった。おかげで変な返事をしてしまった。


 しかしなぜ急に「ありがとう」? 役に立ててるならそれだけで嬉しいのだけど。


「うちって自覚できるレベルでバカだからさ、こうやって教えてもらえるってだけでありがたいんだよね。ナギっていいやつだな」

「そっ……んなこと、ないよ。それに、私がどうとかは、関係ない……かな」

「んー? どういうこと?」

「だって歌子さん言ってくれたじゃない、友達だって。あとクラスメイトは助け合いって。そういうことじゃないの?」

「ほほー、言ってくれるじゃん。でもやっぱ、ナギはいいやつだよ、間違いない」


 ……真正面から言われると本当に恥ずかしい。


 思わずうつむいてしまう私を、「自信持てよ優等生!」と歌子さんは笑う。


 ――少し前までの私なら野次や世辞としかとらえなかった言葉だけど、今はその言葉が、とても心にしみる。歌子さんは本心から言っていると信じられるから。


 なお、この自習の後抜き打ちテストが行われた。私は大丈夫だったけど歌子さんはそうでもなかったみたいで、もれなく居残り対象に抜擢されるのだけど……それはまた別のお話。




 居残り中の歌子さんに頭を下げて先に学校を出た放課後。

 門限が迫っているというわけではなく、ある約束があるからだ。


「――あっ、凪お姉ちゃん! こっちです!」


 小学校前の、飛び出し注意の看板のところで大きく手を振る女の子。白のパーカーを着たその子はまさしく。


「お待たせ、八白ちゃん。待たせちゃった?」

「あたしも、今学校が終わったところ。じゃあお姉ちゃん、行きましょう」

「うん、帰ろっか。手は繋ぐ?」

「はい!」


 八白ちゃんは喜び勇んで横に立ち、私の手に小さな手を重ねる。私より少しちっちゃい手。彼女の笑顔とあいまって、嬉しさがたくさん伝わってくるようだ。


 この間のことがあって八白ちゃんとも仲良くなり、こうして一緒に帰るように。

 正直自分でも驚いている。公園で助けてもらっただけの関係なのに、ここまで仲良くなるなんて。


 私は思い切って「どうして?」と訊いてみた。すると八白ちゃんは。


『初めて会った気がしなくて。夢で会ったのもそうだけど、もっと、別の……分かんない』


 とのこと。私もおんなじ意見だ。これがいわゆるソウルメイトだとか、運命ってやつなのかも、と結論付けたけど、ちょっともやもやは残る。

 まあでも、こうして年齢の差関係なく友達になれたことの方が大事だ。他は些細なことだろう。


「ねぇ凪お姉ちゃん。この間ね、また白いカラスさん見たんだ」


 白カラス。そう聞いて思わず反応してしまう。


「……! へ、へー。どこで?」

「この間の公園。ずっといるの、あちこち飛んで回ってて。何か探してるみたいだった」

「そう……八白ちゃんは、白いカラスをどう思う?」

 

 八白ちゃんは少し考え込んでから、控えめな声で、私を見上げながら答えた。


「寂しそう、だった。なんとなくだけど」

「……そっか。変なこと聞いてごめんね」

「ううん。じゃあ、お姉ちゃんは?」

「私も八白ちゃんと同じかな。あのカラスさんにも、友達できるといいね」

「だね。凪お姉ちゃんみたいなお友達、見つかるよ」

「私みたいな、か……今日は照れる日かな」


 相変わらず八白ちゃんの笑顔は無垢でまぶしい。見てるだけで元気をもらえるような。


 ――と思った瞬間、夢の中の、もう一人の八白ちゃんの笑顔がだぶって見えた。


「……? どうかした、お姉ちゃん。目、まんまるだよ」

「なんでもない、なんでもないよ。八白ちゃんは可愛いなぁって」

「っ!? お、お姉ちゃん急になに……あたしはべっ別に……」


 手で真っ赤になった顔を隠す八白ちゃん。表情がころころ変わって、どれも年相応の可愛さがある。きっと大きくなっても可愛いんだろうな。


 そのあとは照れ隠しにやんわり怒る八白ちゃんの顔を眺めながら、彼女と別れる道まで一緒に歩いた。

 ……途中、また白カラスを見かけた気がした。けど、八白ちゃんは同じ方向を見ていて気付かなかった。多分、私の気のせいだろう。


「じゃーねー、凪お姉ちゃん。また明日!」

「またね、八白ちゃん。家近いけど、気をつけて」

「はーい!」



 ◇



 ――キィ、キィ。


 公園内に響くのは、私がこぐブランコの音。私が公園にいる時は決まって夕焼けの刻。


 この時の私は、珍しく頭がさえていた。そして気付いていた。


 ――ここが夢の中なんだ、と。


「……また来たんだ」


 私以外いないはずの公園に、もう一人の声。聞こえた方向、隣を見ると、白無垢姿の女の子がいた。


 この子が誰か知っている。声や姿に覚えがある。


「八白ちゃん、だね。もう一人の」

「そうだよ、凪お姉さん。お姉さんが仲良くなったあのあたしとは違う方だよ。大正解」


 いたずらっぽく笑う八白ちゃん。こうして見ると全然見分けがつかない。どっちがどっちかなんて全然分からない。


 私は聞かなきゃならない。なぜ、私たちは”ここ”で出会えたのか。なぜ八白ちゃんの姿なのか。他にも、たくさん。


「色々訊きたいって顔してる。でも全部は無理かな。時間がないから」

「時間……? どういう――」

「一番気になってそうなことだけ、まとめて答えてあげる。……起きたら忘れちゃうと思うけどね」


 と言って八白ちゃんは勢いをつけてブランコから飛び降りる。その時の動きはふわっとしたもので、鳥が舞ったかのようにも見えた。


 そしてぴょん、ぴょんと二歩歩いてから、私に振り向いて「答え合わせだよ」と話し始めた。


「まず、あたしがなんでこの姿なのか。それは……八白ちゃんが、お姉さんと同じだったから」

「同じ?」

「心から寂しさを感じてた。凪お姉さんもでしょ? 友達が欲しいって、あの子も思ってた。だから借りたの」


 次に、と八白ちゃんは指を二本立ててみせた。


「なんでそうする必要があったか。前にも行ったよね、あたしは凪お姉さんと一緒に『極楽』に行きたかったの」

「一人で行くのは、ダメだったの?」

「あたしも、寂しかったの。独りは嫌だったから誘ったんだよ? 実はお姉さんの前にも何人か連れて行ったの……みんな、すぐいなくなっちゃったけどね」


 やっぱりか。聴いててふとそう思った。


 ずっと『一緒』にこだわっていたのは、そういうことだったらしい。八白ちゃんも私と同じ――現実の八白ちゃんもきっと――寂しかった。だからこうして何度も会って、仲良くなろうとした。


「お姉さんとも行ける、って思ったけど……お姉さんは友達、もうできてたから。大切な人がいる人は連れていけない。だって、次はその人が寂しくなっちゃうから」

「八白ちゃん……」

「あたしは悪い子だよ。でもだからってなんでもしていいわけじゃない、ルール違反は、絶対ダメだもん……だからもう会わないつもりだったんだけどね」

「じゃあ、これは偶然の再会、ってことなのね」

「うん。だからちゃんと、お別れしようと思って来たの」


 囲いのバーに身体を預けながら、薄く笑う八白ちゃん。それが無理して作ったものだと、見てすぐ分かった。


 ――私は言うべきなんだろうか。彼女が何者かについて。


「あたし、寂しいけど、嬉しいんだ。心のつよいお姉さんと、短い間でも一緒にいれて、仲良くなれたから。胸のあったかいのがある内は、独りでもやっていける気がするから」


 ――今は、それ以外にもっと言うべきことがある。伝えないと、想いを。


「……私もだよ、八白ちゃん。八白ちゃんがいなかったら、歌子さんと、あっちの八白ちゃんと友達に会えなかったと思うから。感謝してる」

「お姉さんをあたしのものにしたくて、身体ちょっと壊しちゃったのに?」

「あ、あれ八白ちゃんのせいなのね……まあ、うん、許してあげる」

「そお? ラッキー! じゃないや、ちゃんとごめんなさいしないとね」


 なんて話していると、八白ちゃんの周囲に光が集まり始める。


 同時に八白ちゃんのシルエットが少しずつ変化していく。背中には翼、服はまんま羽毛に変わっていって――ほとんど違う何かに変わった時には、まぶしすぎて直視ができなくなっていた。


「あーあ、時間か。まあ無理してきたし仕方ない……」

「八白ちゃん……やっぱり人間じゃ」

「それ以上は、お口を閉じて。言うと味がなくなるでしょ?」


 まぶしい姿のまま私の前まで歩み寄り、そのままぎゅっと抱きしめてくる。私は目を閉じたまま、八白ちゃんを抱き返す。――ふんわりとした感触だった。


「ありがとう、凪お姉さん。これで本当に、さようなら」

「うん……うん、さようなら。会えてよかった」

「あたしも。それじゃ、行くね――傘、嬉しかったよ。ふふっ、やっと言えたっ」


 次の瞬間、腕の中の感触が消え……。


 公園に残ったのは、来た時と同じ、私だけとなった。

 足元には、白い羽根がちらほらある以外には、もう何も。


「寂しい寂しい白カラスさん……やしろちゃん、またね」


 だんだん、私の意識も遠くに飛んで行って、魂が抜けるように軽くなって――……。




 朝陽が差し込む六時半に目が覚める。目覚まし時計が鳴る前に、私は時計の頭を叩いた。


 夢……を見ていた気がする。懐かしい、古い知り合いに会っていたような……そんな夢。

 でも思い出せない。前にも同じようなことがあった。どうにも像がぼやけて見えてこない。


「うーん。気になる、けど、いっかー……」


 眠気覚ましのためカーテンを全開にし、暖まる日差しを全身で受け止める。朝陽はいい、私に一日頑張るための活力をくれる。


「……ん?」


 ふと見上げた空に、白い影が横切った。鳥のようにも見えるそれは、悠々と、自由に飛んでいた。


 一瞬見えただけ。何かまでは分からない。なのになぜだろう。


 ――心の底から懐古感がこみあげてくるのは。


「分かんないなぁ……でも、楽しそうだったな」


 起きたばかりというのもあって感性が少し弱い。妙な感覚以外ではその感想しかない。


「――ま、いっか。朝ご飯食べに行こうっと」


 いずれ全部分かることだと思う。数日、数か月、もしかしたら数年経ってから分かるかもしれない。その時まで、待てばいい。


「――」


 ……どこからともなく、何かの音――声が聞こえた。気がする。あまりも小さかったものだから、はっきり聞き取れなかったけど。


 ただそれ以上は気に留めることなく、私はぐうと鳴った腹をなだめるべく、自室を出て部屋のドアを閉じた。

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