一過性怪異奇譚

四十九院 友

『根無しの怪』

 学校の帰り道。なんてことない普通の道。


 ……違う、『だった』。それは昨日までの話。


 私――香、一般的な女子中学生――は今階段を上っている。高い木々がトンネルのように頭上を覆い、陽はまばらにしか差してこない。幻想的に思えるけど、それ以上に階段先にある何かが酷く不気味なものに思わせるような……。


「……どこまで続いてるんだろ、これ」


 今、どうして私がここにいるか。

 階段は帰り道の途中で見つけた。いつもならスルーするような脇道に視線が吸い込まれるような鳥居があった。ぼろく色あせた鳥居で、どうしてかくぐりたくなるような、そんな魅力があった。

 たまには寄り道も悪くない。どうせ帰ったところで家に楽しみがあるわけじゃない、明日からはつまらない学校生活。元々頭は良くないし、ついこの間友達はゼロになった。

 少しくらい変わったことがあってもいいじゃない。てなわけでこうしている。退屈な日々に、刺激が欲しい。


「ん。見えてきた。――めっちゃ鳥居あるじゃん」


 木の次は鳥居。十、二十と連なって参拝者を導くように立っている。前に似たような感じの神社に行った記憶があるのだが、その時と同じ妙な奇妙さをおぼえた。神様の通り道は大体こんな感じなんだろうか。


 一つ、二つとくぐっていくと、ふと風が吹いた。乾きすぎずしっとりと質感があるような、頬を撫でた時のなめらかさがとても気持ちがいい。しだいに向かい風から追い風へ。まるで誘われているかのように背中押された。この手の例えは下手くそなのである限りの語彙で表すなら、ミントっぽい絹に包まれ――いや、もういい。やめておこう。


 鳥居を抜け、最後の一段を登り切った向こう側にあったのは。


「わ、綺麗……すっごい……」


 絵本の中の世界みたい。最初に思ったのはこれだった。

 一本の磨き抜かれた参道。その先にあるのはこじんまりとした御社殿。広い砂利の絨毯に囲まれていて、たったそれだけの光景なのに、目を奪われた。奥ゆかしさに一つまみの神々しさを閉じ込めたような。


 その景色の中に、あるものを見つけた。人だ。箒でせっせと参道をはいている。背丈は小学生くらいで、分かりやすい巫女服姿。巫女幼女なんて実在したんだ……。

 中央を開けて歩き、巫女ちゃんの近くまで歩く。十数歩まで近寄ったところでこちらに気付く。


「っ……!? 人、なぜ……」


 見るや否やどこか怯えたような表情で見上げ、一歩後ずさり。私はとっさに両手を上げ、敵対の意志はないことを示した。


「ごめんなさい。まだ来ちゃダメとかそういう?」

「――いやそうではない。取り乱してしまったな、すまぬ。来客が久しぶりで高まってしまってのう」

「は、はあ。おばあ……こほん、ずいぶん古風な喋り方するんだね」


 次の瞬間にはむすっとした顔で時代劇の人みたいな喋り方をする。いわゆる『のじゃろり』ってやつ? この空間は何から何まで物語の中のものなんだろうかとさえ思い始めてきた。


「して。こちらには何用かな? 残念だがご利益なぞ微塵もない場所じゃ。とっとと回れ右で帰るといい」

「なんでそこまでボロクソに言うのさ。逆に参拝したくなっちゃうね」

「祈る時間も賽銭も無駄になるぞ。わしは言ったからな、もー知らんからの」


 ぷいっと顔を背ける巫女ちゃん。年相応っぽい動作がとても可愛らしい。笑みを手で隠しながら拝殿、賽銭箱とがらがらの前まで行く。

 前に立つと境内に入る前の、風に包まれた時と同じような感覚になった。より大きな存在に見守られ、穏やかな気分にさせてくれる。


(入れるのは五円でいいかな。いいご縁がありますように。なーんてね)


 財布から小銭を取り出し箱に投げ入れる。あとは確か……二礼二拍手、一礼。私が願うのは――


「何を願うか、お嬢ちゃん」

「嬢ちゃんはそっちでしょ、お嬢ちゃん。知らないんじゃなかったの?」


 身体を起こして隣を見ると、さっきの巫女ちゃんが私を覗き込んで見ていた。まじまじと、真剣な目つきで。


「好奇心じゃ。いくつになってもそーゆーのは気になるものよ。で、で、何を願った?」

「別に。大したことじゃないよ」

「大したことないことを考えてるやつは来ん。よほどのことがないとな。ここは、そういう場所なんじゃ」

「……きみ結構鋭いね。子供のくせに」

「子供だから、ともいう。わしを甘く見るなよ、ふふん」


 一理ある。子供の直感というのはあなどれない。よく子供は霊的なものを感じやすい、感情の変化を機敏に感じ取ると言われる。そういった感覚が鋭いんだろうな。ちょっと分けてほしいくらい。しかし子供に見抜かれるとは、情けないな、私。

 知らない子にならいいかな。という気になって、私はぽつぽつ話していた。


「私、ね。最近不幸続きでさ。物はなくすしガチャも低レアしか出なくて」

「がちゃ? れあ?」

「ごめん気にしないで。それで……それに、今友達もいなくって」

「喧嘩かえ? その程度で別れるようなら縁を切る方がええわい」

「私もそう思う。友達、っていうほどじゃなかったのかも」


 学校のことを思い出して急に気分が悪くなってきた。その時の、最悪の光景が頭をよぎって吐きそうになる。察してくれたのか巫女ちゃんが背伸びして背中を優しくさすってくれた。


「いつの時代にもあるものだな、そういうのは。なぁに、案ずるな。その先に、きっとお前を分かってくれる友がおる。今は待つときじゃ」

「……そう? うん、そうかもね。ありがと。ちょっと、楽になった」

「うむ。あと笑顔を忘れるな。お前のようにかわゆいおなごには華が似合う。ほれ、わしに向かって笑ってみせい」

「すぐ言われて笑えるかって――ん、もうこんな時間か。帰るね」

「ほうか。最後に一つ。なにを願ったんじゃ?」

「ああ、言ってなかったね。だから大したことないよ、幸せになりたい、かな。そんなとこ」


 吐き捨てるようにそう返しながら時計を確認、デジタル盤が示すは午後の六時。まずいな……そろそろダメ姉たちが飯を作れと騒いでる頃だろう。


 実に良い気分だ。ここに来るまで私の心を支配していた曇天の感情はすっかり快晴。すっきり、落ち着いた心で帰れる。

 と。拝殿に背を向け歩き出した時、忘れ物をしたと思い首だけで振り返った。


「ねえ。いつもここにいるの?」


 彼女は頬を掻き頷いた。


「まあ、な。わけアリで」

「そ。……香」

「なんじゃと?」

「名前。香っていうの。きみは?」


 巫女ちゃんは少しうつむき、ちっちゃい手をあごに添えうーむと唸る。親特有の『知らない人に名前を教えちゃいけませんよ』を守るかどうかを悩んでいるんだろうか。なんて素直でいい子なんだろう、喋り方はアレだけど。


 三秒ほど考え込んだのち私を見上げ、胸を張ってドヤ顔気味に言った。


「わしの名はお七じゃ。我が名をその御心に刻むといい」

「名前まで時代劇っぽいね、七ちゃん」

「お七じゃ」

「七ちゃんって呼ぶから。じゃあ、さよなら」

「うむ、またな。その内いいことがあるだろうから、もう来なくてよいぞ」


 笑顔で言われるとさすがにこたえるな。ツンデレ的なやつなのか、本当に来てほしくないのかわかりかねる。……気が向いたら顔出しに来るか。

 なんとなく、後ろ髪を引かれる思いが湧いてくるけど、帰らないと深夜に姉たちが私の部屋を荒らしに来る。それは非常に、非常に嫌なので振り返ることなく境内をあとにした。


 肩が少し、重くなった気がする。






 翌朝、登校。

 教室に踏み入っても挨拶なんてしない。もう返してくれる人がいないからだ。足音一つ立てないよう静かに教室後ろを通り、窓際最後尾の席へ。最高の立地だ、誰も私を見ないでくれるから。


 席に到着すると、机には一輪の花が入った花瓶がドンと置かれていた。クソみたいな嫌がらせ、私が気に食わないなら直接言えばいいものを。ばかばかしい。花瓶は後ろの棚の上に移し、もう何も置かれないように教科書とノートを広げる。どこかでクスクス笑う声が聞こえた気がするが、放っておくが吉。


 学校生活なんて最高につまらない。ほんの少しミスをしただけで総出で陰口叩かれ、こうして嫌がらせをされる。その行動がたとえ正しい行動だったとしても、クラスの支配層が気に食わなければミスなのだ。何をしても今となっては全部手遅れ。


「おい香。なに無視してんの」


 窓の外をぼーっと見ていると、反対側からそんな声が飛んできた。聞き覚えはあるけど声の主は誰だったか忘れてしまった。おそらく貴族気取りのアホの誰かだ。ここは構ってやらないと後々面倒なので、ゆっくりそちらを振り返っておく。


「……で?」

「はあ? その態度なによ。調子乗ってるよな。一匹狼気取り? キモイんだけど」

「そういうそっちはサイコーにダセェよ。群れないと何もできないくせに」

「チッ――このっ……!」


 胸倉をつかまれ無理矢理起立させられ、なぜかグッと顔を近づけられた。目の前にあるのは、嘘と自己顕示欲で厚化粧した顔……汚いものね。


「離してよ。私はもう友達でもなんでもないんでしょ。なのに関わりくるとか頭にウジ虫湧いてんじゃなの?」

「なっ!? 言わせておけば――」

「じゃあ言い返せよ。それもできないのに突っかかってこないで。まず離せ、今から予習するんだから」

「ぁ――っ……」


 こいつらとはもう縁を切った。だから強気に言い返せる。これまで我慢してた分を吐き出すいい機会だと思って好き放題やってみたが、かなりの好感触だ。バカの視線はぐらぐら揺れ、手の力が抜けていった。すかさず払いのけて一瞥することなく私は腰を下ろした。


「行って。邪魔」


 語気を強めるとすごすご素直に向こう側に消えていった。すぐ「なにあいつ」「調子乗りすぎ」だの囁かれる。乗ってるのはどっちだって話。

 あちらの心境はよろしくないだろう。反対に私の心は、昨日の帰り道に比べてとても清々しいものだった。七ちゃんと話していた時のような、透明感が広がっていた。というか私、ここまでハッキリ物言えたのか。参拝が効いたのか?


 数分して、いつからいたのか分からない前の席の同級生が、私の方を見てきた。喋るのも面倒で視線で「何?」と促すと、


「篠さんすごいね。さっきの、その……かっこよかった」


 この子は……なるほど、前の席だったか。名前は確か――そう。


「浦波、だったよね」

「は、はい」

「私に話しかけないで。またいじめられるから。放っておくのが身のためだよ」

「うん、ありがとう。まっ、またね」


 またねって……まだ朝なんだけど。ただ、ありがとうと言われるのは悪くない。


 ――目の前の女の子、浦波という子は少し前までいじめられていた。ぶっちゃけると私はそのグループにいた。傍観し、やじを飛ばし、現場を見てけらけら笑う。しかしある時気付いた、『これは人としてやっちゃいけないことなんだ』と。そして反抗した。結果的に彼女を救い、私は独りになった。


 ――失ったものは多かった。快適な学校生活、信頼、友達……いや、うわべだけの関係だったな、最初から無かったんだそんなもの。でも代わりに大事なことを学べた。犯した罪への後悔は中々消えないこと、心から信頼できる友達は一生の内でも数人しかいないことだ。特に後者は、この学校ではもう無理そう。


 不運に不幸が重なって最悪の状況。なんでもいい、なにか良いことが起きてほしい。漠然とそう願いたくなるものだ。……だからあの神社に誘われるように行き着いたのかも。そういうことあるって前に雑誌で読んだような……まあいい。


 HRまでは時間がある。浦波に前を向くようにうながして、私はスマホでゲームを起動した。


「まずは運試しっと――お、最高レア。気分いいねぇ」




「篠さん、また明日……!」

「お、おう。さいならー」


 放課後。やけにすり寄ってくる浦波に別れを告げさっさと帰路につく。部活には入っているけど、絶賛仲間外れ中で参加させてくれないから行くだけ無駄。黙って帰るに限る。


 それにしても、今日はちょっとツイてた気がする。授業中居眠りした時普段なら廊下行きのところ口頭注意で済んだり、いつも私を執拗に指名してくる先生が今日は一切当ててこなかったり。


 というか、今まさにこの瞬間も。


「……まじか」


 なんとなく視線を泳がせた時だ。電柱の足元に千円札が落ちているのを見つけてしまった。たった千円と思うだろうが、道端で見つけるには大きすぎる金額じゃないだろうか。

 前後に人影がいないかを確かめてみる。ここに来るまで一回もすれ違ったことはないし、前を歩く人もいなかった。となるとそこそこの時間地面にへばりついていたことになる。


 足取りはそのままに千円のもとまで歩く。ぴらっとめくってみるがガムがくっついているということもない、本当に、ただの落とし物の千円札。


「もらって、おくか。ちょっとばっちいけど」


 どうせこのまま放っておけば雨風にさらされ紙屑になる。それなら使われる方がこいつも浮かばれる、うん、そういうことにしておこう。頭の中で必死に言いわけをし、お札を上着のポケットにねじ込んだ。




 そこからしばらく歩くと、昨日誘われた神社の入口がある。色あせた鳥居、暗い木々のトンネルと足元が見えにくい階段。正直白昼夢を疑っていたけど、これで現実だと確信せざるを得ない。なんか溜息出てきた。


「昨日の今日だけど、顔出すか。あっ、ちょうどいいな」


 さっきの千円お賽銭にしよ。拾い物には福がある、つってね。


「また上ってやるか。七ちゃんいるかなー」


 風に押されるまま一段一段足をかけ、近付くたびに身体が軽くなっていく気がする。心のどこかにはびこっていた暗雲が一気に晴れるような……不思議な感じだ。

 足が慣れてきたのか大分楽に上ることができ、身体も気分もふわっとした状態で境内に入り込んだ。


「むぅ? お前さん……香じゃな、昨日の今日でもう来たのか」


 鳥居をくぐった先で出迎えてくれたのは、むくれ顔の巫女七ちゃん。時間的には小学校も終わった頃だろうから、お手伝いで来てるんだろうな。本当にいい子だ。


「こんにちは七ちゃん。来ちゃった」

「いいと言ったのにバカモノ。悪い気はせんがな」


 参道を掃く手を止め、賽銭箱前の階段に腰を下ろした。じゃあ、と一言ことわって私は隣に座る。


「大変じゃない? ここ結構広いじゃん、一人で?」

「そうじゃよ。まあ全部やらなければいかんわけでもない、最低限参道だけやっておけばよい」

「……そういうもの?」

「うむ、適当にやるくらいで丁度良い。なんせ、ここに神はいないのだから」

「えっまじか。なら神社じゃないんだ」


 と言うと七ちゃんは頷き、「成り立ちがある。聞くか?」と首をかしげた。時計を見るとまだ余裕はある、せっかくだから聞いていこう。よろしく、とうながすと七ちゃんは空を見ながら話し始めた。


「拝殿や参道、鳥居に至るまで、それっぽく見えるものも模倣にすぎん。かつて近くにあった村が『あるもの』を信仰するための施設を作ろうとなったのじゃ」

「あるもの、ね」

「村人して曰く、幸運を運ぶ狐神。……狐は神ではなくあくまで御使いで、信仰されるとなると妖狐なのじゃがな。神と同等視されるほど、信頼されていたわけじゃな」

「へぇ。狐っていうと、妲己とか玉藻前とか、そういう?」

「それらは名前が違うだけで同じ妖狐じゃな」

「そうなんだ」「というかよく知っとるのぉ」


 まあゲーム知識なんだけど。最近多いよね、そういうのモチーフにするやつ。おかげで歴史だけは赤点知らず。


 七ちゃんは感心で何度も首を縦に振ってから「話を戻すぞ」と私を見る。


「そいつはそういう伝承の例にもれず九本の尾を持ち、全身は雪のように白い毛で覆われていた。そして強力な神通力をもっておった」

「念動力とか瞬間移動能力とか?」

「そうじゃ。祀られていた狐はさらに、運を操る力をもっていての。赤い火が灯る尾は幸運を、青い火が灯る尾は不運を宿していてな。その狐火を人間の近くに送ることで未来を導いていた……とされておった」

「具体的には、どうなるの?」

「実に単純なものじゃよ。個人差はあったが、いいことが続いたり、逆に悪いことが起きたりじゃな。しかし、それはその者の行動によるものが大きかった。いいことをすればその分見返りとして、悪いことをすれば罰として何かが起きる。こういうのなんて言ったかのぅ……?」

「因果応報、だっけ」

「そうそう、それじゃ」


 なるほど。伊達に神様扱いされてない、ってわけか。海外の映画やドラマで宗教絡むとよく言うよね、これも神の思し召し、って。わりとそういうのなのかな。いい神様じゃん。


「昔は大層にぎわっておってな、毎日誰かが願いに来たものよ。貢物の食べ物なんかは腐るほど置かれて拝殿内に溢れておったな」

「まるで見てきたみたいに言うね」

「それは……あれ、なんといったか。景色を閉じ込める紙、ええと……」

「写真のこと? 写真もないってどういう田舎で育ったのよ」

「すまんな。娑婆知らずで」

「それをいうなら世間知らずじゃん?」「そうともいう」


 最初こそ微笑みをたたえて話していた七ちゃんだったが、少しずつ表情に陰りが見えてきた。

 ある程度予想はできてる。神主不在で、私と七ちゃんの人の痕跡もない。それに最初に言った『かつて近くにあった村』……バカの私でもできる簡単な推理。


「じゃが、人の欲は暴走する。近くに源があればなおさらな」

「奪ったんだね。力を」

「頭がいいな、大正解。村の大地主が目をくらませ、隙をついて力を奪ってしまったのじゃ。して、力を我が物とし、幸を寄せ集め不幸を遠ざけた。そして莫大な富を得た……が、そう長くは続かなんだ」


 七ちゃんは立ち上がり、拝殿奥を見つめる。その視線は忌々しげなものに見えた。


「本来の主を失った力は、まもなく地主の手を離れ暴走し、村を覆いつくした。どうなったかわかるか?」

「……さあ」

「滅んだよ。幸運と共に未来を奪われ、喰われた。手綱の無くなった力は一人歩きするようになり、独立した怪物となってしまったのじゃ。反対に神狐は力を失ってみるみる弱っていった。神通力を失ってしまえばただの化け狐じゃよ」

「そ、それで、あとはどうなったの?」

「そいつは――……っ……」


 核心に迫ろうとした時、突然七ちゃんの歯切れが悪くなった。眉根を寄せ、下唇を噛み、これ以上は言うまいと堪えている。親御さんに固く口止めされているんだろうか。こんな話、中々表に出すことはできないだろうし。


「もういいよ、ありがとう。すごい話だね、そんな言い伝えがあるだなんて」

「封印すべき物語じゃよ。知って喜ぶのは怪異譚好きの物好きだけ。わしからすればくだらん話、人間の欲が生み出した、自業自得の破滅話よ」

「だね。じゃあ私の願いは叶わなくていいかな」

「昨日のか。そういえば何を?」

「幸せが来ますように。でも気が変わってきた、取り殺されたくないもん」

「ふふっ……じゃな。自らの手で掴むがよい」


 ようやく七ちゃんの顔に笑みが戻った。昨日私を送り出した時のような、いたずらな笑み。元気が戻ったようでなにより。


 それにしても驚いた。こんな伝承があったなんて。でも周りに言いふらせるような話ではないことは確か。今のここは居心地がいい、野次目的の人間には来てほしくない、そう考えているから。


 ここに来ていいのは選ばれた人間だけ。なんとなく、そう感じるようになってきた。通い始めてせいぜい一日の私が言うのもなんだけど、心からそう思っている。


「――香。もう時間ではないのか?」

「そう? ……ああ、もうこんな。早いもんだなー。教えてくれてありがと」


 確認するともう六時。顔を照らしているのが夕陽だと気付かなかった。興味を持った話に耳を傾けると、時間の進みはぐっと変わる。一時間くらいが数分に圧縮されているようだ。


 のびをしてから腰を上げ、くどいくらいに肩をぐるぐる回す。怪談じみた内容で緊張していたのか、肩が固くなった気がする。


「どうした、そんなに回して。肩こりか?」

「かも。昨日から肩が重くってさ。学校でずっとバカ共と顔付き合わせてるせいかな、肩肘張りっぱなしで。そのせいかな」

「そうか……あまり気負うなよ。楽にしていればよい」

「だねぇ。――っと、忘れてた」


 用事を思い出し足を止め、ポケットから拾ったお札を取り出す。賽銭箱にさっと投げ入れ二礼二拍手、一礼。


「こんな寂しいところに千円も入れんでよいじゃろう。香は阿呆なのか?」

「随分な言いようだこと。悪いけど拾ったやつなんだよね。お願いのおかげかな、せっかくだから還元しようかと」

「そ、そうか。まあ好きにしたらいい、わしは止めん。……もっと良いことがあると、よいな」

「必要最低限でいいよ。自販機で当たるとかそんなんで。じゃあ、帰るね。また」

「また、か。次も会えるとは限らんぞ」

「楽しみにしてる」


 私は七ちゃんに別れを告げ、来た時より肩が重くなったのを感じながら、ゆっくり降りていく。

 去り際、ふと気になって七ちゃんへ振り返った。どこか不安そうな表情を浮かべていたが、その真意をはかることは、私にはできなかった。

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