「おかえり三波さ……どったの、顔色悪いけど」


 どうにか心を落ち着けてユズちゃんのところに戻る。つとめて平静を装っていたつもりだったのだけど、かなりあっさりと見破られた。……さっきのショックを引きずっているらしいな。


「そ、そう? 久しぶりに甘いのたくさん食べたせいかな。胃もたれかも」

「あー……じゃあごめんなさいしないと。お薬いるなら買って――」

「大丈夫。ちょっと休めばヘーキだから」


 心配してくれるのは嬉しいけど、ユズちゃんの負担になるようなことはしたくない。意地はこういう時に張るもんだ。大丈夫って思ってもらえるように。


 うまく騙されてくれたのか、ユズちゃんは顎に手をやりながらもうんと頷いて。


「分かった。でももう無理はさせられないね、帰ろう」

「いいの? 遊び足りなさそうなのに」

「友達の方が大事。放課後は何回だって来るし、また今度にでも。家はどっち? 途中まで送ってくね」

「あ、ありがとう……」


 友達、か……その単語だけで小躍りしそうになる。これじゃあ陰口にチョロイが追加されるな。

 ユズちゃんに家の方向を伝え、また腕を組んで歩いていく。今度は私が組みに行く形で、彼女に支えてもらうために。


 商店街を抜け、住宅街を通り、静かな郊外へ。そう離れてはいないはずが、今日はやけに長く遠く感じた。

 そうして大きな分かれ道に差し掛かったところで。


「この辺で大丈夫、ありがとうね。ここまで来れれば一人でも」

「ホントに? 無理してない? 明日迎えに行こうか?」

「心配しすぎ! そこまで身体はやわじゃないよー。本当にだいじょうぶだから。また、明日ね」

「うーむ……分かったぁ。でもでも、ほんっとうにキツいなら連絡してね。あっ、連絡先交換してない。スマホ出して、ほらほら」


 そういえばそうだった、と納得してユズちゃんとSNSのIDを交換する。なんだか一気に距離が縮まったような。というかSNS交換したのミユ以来かもしれない……はぁ、むなしさで吐き気が。


 ご満悦のユズちゃんと「じゃあ明日学校で!」と別れをつげ、とぼとぼと帰路を往く。支えがなくなったのでふらふら気味、背中に心配する視線がグッサリと刺さるが振り返ることなく歩き続ける。家についたのは、普段の二倍以上の時間がかかってからだった。


「おかえり真希姉。遅かったじゃん」


 帰ってすぐ出迎えてくれたのは、ポテチの袋を抱えたナツナだった。台所に取りに行ったところだったんだろうか。


「ナツナか……ただいま。友達、と遊んでた」

「そっか。楽しかった?」

「うん。すげー楽しかった」

「よかったじゃん。真希姉いっつも一人だったもんね、遊ぶ友達できてよかったね」

「うるせ、余計なお世話じゃいっ」


 ホントのことじゃん、と吐き捨ててナツナは二階に上がっていった。口が悪いのは今に始まったことじゃないけど、やっぱムカつくなぁと思いつつ、妹の後を追う形で二階の自室に戻る。


 カバンを片付けて部屋着に着替え、おかーさんに許可を貰って姿見を部屋に運び込む。正直まだふらふらしているのだが、気が付いたらもう身体が動いていた。私には確かめなければならないことがあるから、そのためなら多少無理はする。


「この辺でいいか……よし」


 部屋の中央に置き、ベッドに腰掛けて向かい合う。

 映っているのは、少々けだるげで、精根尽き果てたような私。……朝の私が見たら「お前別人じゃん」と笑うだろうな。


 しばらく向き合っていると、鏡の中の私がひとりでに動き出す。私がただ座っているだけ、しかし鏡の『私』は足を組んでぐっと伸びをした。


『んー、帰って来たー。おかえり私、ユズちゃんとの放課後デート楽しかったね』

「うるせぇ。デートじゃないし、つかお前におかえりって言われたないわ」

『ちょっ、なんでキレてんの。あぁ、トイレでのことまだ怒ってんの?』

「分かってんなら話がはえーな。なら分かってること全部話しぃや」


 苛立ちを一切抑えることなく吐き出しながら『私』に対峙する。相変わらず余裕しゃくしゃくって感じで腹が立つな。


 すると『私』はベッドでごろごろし始め、マジかーと言わんばかりに呆れたような表情を見せつけてくる。傍若無人すぎるのだけど、自分のことだけにきつく言えないのが本当に……。


『ネタばらしするほどのことじゃないよ。答えはもう見えてるし』

「見えてないし分かんないから聞いてんの。もったいぶるな」

『はあぁ~……察しろよな、自分のことだぞ。はいはい分かった』


 気だるげに私を指さしながら『私』は口を開いた。


『今日のこと、世界が変わったから真価発揮できた、って思ってない?』

「ずっとそう思ってる。なんか変だなーとも」

『自分の感覚が追い付かないから、でしょ』

「おいお前、私が考えてたこと繰り返すだけなら――」

『じゃあ言うけど、世界変わったとかないから。なんにも変わってないよ』


 変わってない。それはユズちゃんと出かけた時にも聞いたことだ。変わってないの意味がよく理解できない、私にとっては劇的な変化が起きているように見えたんだけど。

 頭が追い付かない私を前に『私』は続ける。


『よくある話よ。私はあんたの心の影、こうして話している私も、全部あんた自身。今この瞬間も自分自身と対話しているにすぎない』

「……それが?」

『なんつったらいいかな……まあそうだな、ストレスがたまりすぎて分身として私ができたの。そんで鏡に、余裕たっぷりで能力のある理想の自分を映して見てた、ってとこ』

「やっぱタチの悪い幻覚だったか……まあそうだよな、鏡の世界なんてあるわけねーもん」

『ふっ、ふふ……そういうこと。思わず笑っちゃうよね』

「こっちは笑えねーよ」


 つまり今までのことは全部ただの思い込みで、異世界転移したわけではなかったらしい。

 

 ――ならテストが高得点だったのも、周囲のみんなが優しかったのもただのリアルだった?

 ここまではまだ納得できる範囲だ。偶然テストの正解率が高くて、ユズちゃんたちはミユを仲介に話しかけてきたわけだから、まあ分かる。


「オッケー、三割は了解した。じゃあ他はどうだ?」

『他ってなにさ』

「私の調子が良かったことだよ。授業は珍しく集中できてさ、あと利き手、いつも右なのがずっと左だったんだよね」

『それが?』

「それがって……変だったろうが」


 そう言い返すと『私』は大仰にやれやれと首を振る。動きがおおげさでホンット腹立つな全くよ。


『ヘンでもなんでもないけど。まあでも、頭は追いつかないよな』

「なににさ。もうさっぱり分かんねーよ」

『考えるのダルイだけだろ。……あー、えっと。いい? 私は、あんたの抑圧してた部分が出てるの。そこはオッケー?』

「おう、ちょっとは」

『で、今のあんたは私と入れ替わった……と思ってただけで、私、つまり抑えていたモノが表層に出てきただけなんだよね』


 つまり! と急にハイテンションで私をビシッと示して声高らかに言い放った。


『あんたは潜在能力を解放したわけだ! 内に秘めていた力を覚醒させたってこと』

「はー、なるほど……?」

『元々左利きで、矯正に失敗して今のいびつな右利きになった。結果書くことに思考が行き過ぎて勉強に集中できなかったのねー』

「――やっぱそうだったのか」

『でしょ?』


 なるほど、あの時の違和感はそうだったか。

 元々が左利きなんだから、左が書きやすくて当然だったわけだ。書きやすければ筆圧とか文字の形とかは意識せずともコントロールできるわけで、そうなると目の前の問題を解くことに集中できる、と。


 そんで入れ替わったと思い込んで、本来あるべき私の姿に戻っていただけだった、と?


「じゃあさ、今日はただ一日をうまく過ごせただけってこと?」

『そういうこと』

「鏡の世界はなくて、ドッペルゲンガー的なアレでもなかった?」

『見方を変えればドッペルにはなるかな。でも九割はそう』

「……はぁ、マジかぁ」


 ここまでのことがただの思い込みとはね。


 衝撃! とか、驚愕! じゃない。逆に安心した、違和感が解消されたから。

 新世界に来たという認識そのものがノイズだったんだから。きつく絡まっていた糸がほどけるような、そんな感覚が私の中に生まれていた。


「人間こういうこともあるんだな」

『そうだね。もう少しストレス溜めてたら取り返しつかなかっただろうから、今でよかったよ、私に壊れてほしくないし』

「マジ? そこまでストレス抱えてた?」

『本当にやばい時って気付けないもんよ。つーかどんだけ人気にこだわってたのってハナシ。我ながら思考が終わってるわ』

「うるせぇ……っ。ただ、一人が嫌だっただけだっつーの」


 ……まあでも、ようやく友達増えたし。もう大丈夫かな。


「なあ『私』」

『おっ。改まってなんだい』

「私さ、やっと私らしくできるかも。変なことに頑張る必要、ないんだよね」

『そうだぞ。取り繕うことなんかないんだから、素の自分でやっていきな』

「うん、そうする――っとと、なんだ?」


 鏡の私と正面から晴ればれとした気持ちで向き合っていると、ポケットの中のスマホがピロンという音と共に震えた。

 一言ことわって画面を確認すると、ユズちゃんからのメッセージが来ていた。


〈こんばんは三波さん! 今日はしっかり休んでね、明日また遊ぶから! いいよね?〉


 内容はいたって普通のもの。ねぎらいと、次の約束。ぐいぐい来るのがなんとも『らしい』というか、ユズちゃんって感じがする。


「逃げの選択肢ないじゃん、行くけどさ。『ありがとう もちろん付き合うよ』っと……これでよし」


 返信してすぐユズちゃんからレスポンスが。楽しみーとか、次どこ行く? とか。そんな当たりさわりない返信が続く。


「一気に送られると対応に困るよな。なぁ――あ?」


 にやけ顔を隠しながら鏡を見やる。が、映っていたのは『私』じゃなく、にやけ顔の私。もう一人の私はいなくなっていた。


 ……いいや、違う。はなから『もう一人の私』自体いなかった。今まで対話していたのはあくまで自分自身だったんだし。

 無駄に高度な独り言だった、というオチらしい。忘れていた記憶を引っ張り出し、自問自答を繰り返していただけ。


「心配いらなくなった、ってか。もう出てくるなよ、自分と話すなんてもうこりごりだし」


 ほんの一日、合計すれば一時間程度しかないだろうけど、いなくなるとやっぱり寂しい。

 でも自分のうざさをこれでもかと見せつけられることになるから、やっぱり出てこないでほしい。


 ……終わってみれば、かなりバカげた話だ。ドッペルゲンガーなんてものはない、ただの妄想の中のお話。

 それでも今回のことがなければ、私はずっと、もっとバカなままでいただろう。自分を見つめ直すいい機会だったというわけだな。


 ――ま、現実こんなもんだよなぁ。


「さてと、心機一転、明日から頑張りますか。とりあえず今いる友達大事にするかぁ……ふぅーつっかれたぁー……」


 精神的疲労が中々溜まってたようで、終わったと思った瞬間どっと押し寄せてきた。身体からスーッと力が抜け、そのままベッドにふて寝する。


 頑張るのは明日からでいい。だから今日は、思う存分ぐだぐだしてやる。晩御飯は……ナツナに呼ばれるまで待ってればいいや。罵声も今なら寛容な気分で聞いてやろう。


 ――あ、でも。


「あの八〇点のテスト、いつのやつなんだろう……やった記憶ねぇな……


 ま、いっか。寝よ」


 私は、考えるのをやめた。




『その調子だ。のんびりやれよ、私』

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