二人のその後
無二の親友、霧ちゃんと衝撃的な再会を果たしてかれこれ一週間……いや数日? 正直言って何日経ったか分からない。というのも、和解をしてからずっと、図書館にこもっているからだ。
まあ、その辺のことは一旦置いといて。
「じゃーん! ねぇ霧ちゃん、似合う?」
私は霧ちゃんの前でくるりと一回転。新しい制服披露の真っ最中なのだ。ゴシックな雰囲気のブレザーに黒のロングパンツ、『霧の中の図書館』に合った装いになっている。
『とてもよく似合ってます! 図書館にふさわしい感じになってます』
「そお? よかったぁ、あんまりこういうの着ないからちょっと不安だったの。そう言ってもらえて嬉しい」
そうしてお互い顔を見合わせ、どちらからともなく「ふふ」と笑い合った。
着替えたのは、司書として活動する覚悟を形にするためだ。
ここは普通の図書館じゃなく、時間も空間もねじ曲がった怪奇現象の塊みたいな場所。そんな場所の司書になる、ということは生涯を掛ける覚悟がいる……とかなりおおげさに解釈している。その覚悟をある程度形にしておきたくて、私はここの制服に身を包むことにした。
制服自体になんら拘束力はない。あくまで見た目から入ってるだけに過ぎない。
ただ自分なりに気を引き締めたかったのと……霧ちゃんとお揃いが良かったからだ。やっぱりね、気分がいいのが一番だと思うわけで。
『それと これもどうぞ』
「ありがとー――おおっ、ストールだ。しかもすっごい大きい」
追加で霧ちゃんがカウンター裏から大きなストールを取り出し、私に手渡してくれた。グレーとベージュのチェック柄、試しに羽織ってみると、霧ちゃんは大喜びで手を叩いた。
『やっぱり似合いますね 物語に出てくるような司書さん って感じがします』
「そ、そう? むふふ、褒めてもなんにも出ないよー。それを言うなら霧ちゃんも超司書って感じだよ」
『超? つまりすごいってことですね もっと褒めてください』
えっへん、と胸を張る霧ちゃん。これでもかってくらい撫でまわしたい衝動に駆られる……が、本気でやるとかえって怒られそうだから今はこらえよう。
――霧ちゃんは大分変わった。真っ白な部屋を出てからは、筆談する司書さんモードなのだけど、前に比べてかなり明るくなっている。距離がぐっと近くなってるし、今みたいに年相応? な感じになっている。
私的には、今まで霧ちゃんが抑え込んでいた無邪気さが出ているんだと思う。再構築――また生まれたことで現れた司書霧ちゃん。元の霧ちゃんがある程度戻ってきたから無邪気さを取り戻せた……と。そんな感じじゃないかな。分からんけど。
「あっ、そういえばさ霧ちゃん」
「……ぁぃ?」
「これからどうしよっか。私たち、ここで」
結構重要なことをさらっと霧ちゃんに訊いてみる。突然の質問に、さすがの霧ちゃんもきょとんとして動きが止まった。
――数々の疑問とわだかまりが解けたあの時から、実は既に一週間ほど経過している。ただし図書館内の時間で、だけど。内部構造の簡単な把握や制服探し、別れていた間の思い出話なんかをしてたらそんなに経ってた。でも『外』じゃまだ数分程度だろうな。
私も霧ちゃんと一緒に司書として頑張る。そう決めたはいいがそこから先はノープラン。霧ちゃんほど図書館と『同化』していない私は外に出ることはできるけど、その間霧ちゃんは図書館に置いていくことになる。
図書館内の時間の流れは変化する。コントロールできればいいのだが現状無理らしい。となると、私は数週間、下手すると数か月間霧ちゃんを放置することになってしまう。時間がうまい具合に遅くなってくれればいいんだけど……。
『もしかして 時間の違いのこと考えてます?』
「う、うん。ほら、私一応学生だし。長くいすぎるとお母さん心配しちゃうから。中学生で旅に出ます、なーんて言えないしさ」
『ですね』
私の考えを見透かしたようにくすくす笑う霧ちゃん。どこか面白がっているかのように肩を震わせながらペンを走らせる。――しばらくの間、字が結構ぐにゃってたから間違いない。
『大丈夫ですよ 基本的に図書館の時間の方が早い えっと 外の世界の方がゆっくりになるので』
「長くいても大丈夫なのね」
『この間の深優ちゃんみたいになります こちらで数時間数日でも 外では数秒数分です』
「うーん……でも私の体内時計がぶっ壊れんだよなぁ。どうしても頭が理解してくれないんだよ」
『それは まあ あります 実は私も慣れてなくて』
「年単位でいるのに!? やっぱここ異常だわ。そりゃおかしくもなるって」
霧ちゃんは相変わらず笑っていて、『厄介ですね』と頬を掻く。この時のうす笑い、感情がこもってないように見えたのは気のせいじゃない。
忘れそうになるが、霧ちゃんは十年間図書館にいた。『外』の十年がここではどれだけなのかは分からない。見た目が変わってないから一年足らずなのかもしれないし、身体の成長が止まった状態にさせられてるなら更に十年、二十年と経ってるかも……まるで想像できない。
結局、この狂った空間に居続ける以上、自分の中の常識が壊れるのだけは受け入れなければならないのかもしれない。
――のろけを言っていいなら、私は霧ちゃんさえいればいい。一緒なら、そこがどんなところでも大丈夫って気がするから。
「なんのせ外に行ってもすぐ帰ってくるようにする」
『いいんですか? 学校のお友達とは違う時間を過ごすことになっちゃいますが』
「……うん、そこはいいかな。なんならここの方が勉強には向いてるし。資料もたくさんあってさ、時間気にしなくていいんだし?」
『うまく利用してやろう と 考えましたね』
霧ちゃんは可笑しそうにくすくすと口元を手で隠しながら笑う。さっきと比べて心の底から笑っているように見える。調子が戻ったようでなにより。なにもしてないけど。
だけど突然笑むのを止めて、スケッチブックをぎゅっと抱えながら私をじっと見てきた。霧ちゃんの視線には、何か強い想いが込められているような気がする。
「き、霧ちゃん?」
「……ぁ、のね」
「おっ、なになに?」
司書霧ちゃんは喋るのが苦手。だからスケッチブックを用いてお話している。
その彼女が自分から喋ろうとしている。私はあまり詰め寄らないよう気をつけつつ目線を合わせ、顔を少し近づける。すると。
「あ、あぃ……」
「……?」
「あ――あぃ、がと、みゆちゃ……うれし、です」
私をしっかりと見つめながら言い切って、かーっと真っ赤になりながらスケブで顔を隠した。そのままがーっとペンを走らせて。
『これからもよろしくです 深優ちゃん』
「う、うん! えっへへ、私も嬉しいよ。改めてよろしくね」
『はい! あと 伝言があります 深優ちゃんがよく知る私からです』
私がよく知る……言い方はアレだけど、オリジナルの霧ちゃんからかな?
何を言ってくるんだろうと考えながら待っていると、ちょっと乱れた字でデカデカとこう書かれていた。
『もう一人の私もだけど 元の私もよろしく その内にまたお話しようね あの部屋で待ってるから』
原版霧ちゃんが司書霧ちゃんに急がせて書かせたのかな、字が普段より崩れているのはそのせいだろう。
無二の親友は、心の中で生き続けている。そしていつでも会える場所にいる。それを知れて、たまらなく嬉しい。
私が感動に浸っていると、霧ちゃんはページをめくり、また大きく何かを書いた。
メッセージを私に見せながら、照れくさそうにうつむきがちに、それでも私から目を逸らさず、確かな声で囁いた。
『深優ちゃん 大好き!』
「深優ちゃん、大好きっ……!」
二人の霧ちゃんからの『大好き』を受け取って、思わず目から涙がこぼれた。
――結局、使命感とか覚悟とか、そんなの関係なく図書館に居続けることになりそうだ。
私は霧ちゃんをぎゅっと抱きしめ、ふわふわな髪を撫でながら囁き返した。
「私も……ずっと前から大好きだよ、霧ちゃん……!」
――私の帰る場所は、ここだから。
◇
――その日は、一段と霧が濃い日だった。
窓の外は真っ白で、三メートル先すら見通すことができない。かろうじて灯篭の明かりが見えなくもないけど、ぼんやりとしてて役には立たないだろう。
私は視線を手元の本に戻し、膝を枕にして寝ている恋人を撫でてからページをめくる。時折手を止め、羽織っているストールを掛け直し、また指を這わせる。
小さな呼吸音。さら、さらと紙がすれる音のみが響く図書館。
――そこに、幾年振りかの騒音が混ざった。
ギィ、と扉の鳴る音。そんな音が鳴るのは、図書館の入口の扉だけだ。
本から顔をあげ、そちらの方を見やると、来客が圧倒的な本棚を前に立ち往生していた。無理もない、私も初めて来たときはそんなだったから。
周囲を見渡し、一歩踏み出しては止まり、また出しては止まりを繰り返している。どこに行けばいいか悩んでいるんだろう。ここはひとつ、案内人として人肌脱ぐところだ。
「ちょっと行ってくるね、お客さん来てるから」
「いって、らっさい……ん、すぅ……」
「寝ぼけちゃって、もう。いいけどさ」
なるべくゆっくり膝から彼女を下ろし、待っててねと再度頭を撫でてから、本を片手に来客の元へ。
その子は制服を着た、背丈からして中学生くらいだろう。私と同い年……といっても、今自分が何歳相当なのか分からないけど、少なくとも初めて私が『ここ』を訪ねた時と同じくらいだと思う。
未だこちらに気付かないその子に、私は小さな声で話しかける。
「こんにちは」
「ひえっ!? あっ、ええっと、こっこんにちは!?」
「そんなに驚くことないでしょ。図書館に司書や案内人くらいいるんだから」
「そ、そうですね」
「あと、声は控えめに。ここはそういう場所じゃないから」
「分かり、ました。司書さん」
「よろしい」
私と話したことでようやく落ち着いたらしい、肩の上下する速度がだんだん落ちて、荒かった呼吸も静かなものに変化した。
そうして、頭の中が整理されたのか、「あの」と私の目を見て言った。
「その、あたし、こういうところに来るの初めてで……本も、たまに読む程度でさっぱりなんです」
「うん。それで、なにかな?」
「おっ、オススメの作品って、あります……? すいません、ざっくりとしたお願いで……」
どこかで見たことあるようなその態度、物言いに、思わずくすりと笑みを漏らしてしまう。……ここに来た時の私と同じ反応をしている、理解が全然追い付かないから、簡単な会話のきっかけを作ろうと、無難なところをせめていく。
本を求めるのなら、手助けしてあげるのが、図書館のシステムたる私の役割だ。
「私のおすすめでいいなら」
「いやもう、お任せします。司書さんの好きな作品で」
であるならば、私が渡せるのはこれだけ。
これをどうぞ、と一言添えて、持っていた文庫を彼女に手渡す。そして一番近くの読書スペースに案内した。
「ここでお読みください。時間は気にせず、望むだけいてください」
「ありがとう、ございます。そんで、これって……」
少女は不思議そうにタイトルを見ながら言った。見ただけではどんな内容かはかれないから聞いたのだろう。
高まる気持ちを抑えながら、つとめて丁寧に、簡潔に答える。
「その作品は、説明するには難しく、それでいて根幹にあるものは簡単なものなんです。一度といわず何度も読んで、あなたなりの解釈を見つけるといいですよ」
「はぁ……その、簡単なもの、って」
「『愛』です。誰もが持ってて、貫くには試練の多い真なる愛。……これ以上は、ご自身で見つけてください」
「『ああ無常』……読ませてもらいます」
「ごゆっくり。時間は、思うままですから」
最後にそう言い残し、長く語らない内にその場を去る。すぐさま背後から、内容に対する期待の言葉とページをめくる音が聞こえてきた。あとは、読み終わるのを待てばいい。その時にまた訪れるとしよう。
私は元居た場所に帰り、未だ眠る彼女を膝枕の上に戻して、今度は無地の本を開く。記されているのは、今までの記憶の数々。それらを眺めて……私はまた、くすりとした。
――図書館の司書、案内人となって、もうどれくらい経ったのか。
そうそうに数えることをやめたから正確ではないけど、数年は経過しているかも。ただし図書館内にて、だから外の世界ではどうだか。まあさほど興味はない。
私にとって大事なのは。
「今度はどんな部屋が見つかるかなぁ……次のお出かけが楽しみだねぇ――霧ちゃん」
大切な人と同じ時間を過ごすことだから。
そのために、今日も図書館を管理する。極稀に来るお客を案内して、新たな本を分類して……他にもいろいろ。
ただ、待ち時間は無限にある。
ひとまず、恋人が起きるまでは暇をつぶそう。次は何日かかることやら。
「ふあ、ぁ……私も眠くなってきたな。一緒に寝ちゃおうっと」
それまで共にするのも、悪くはないね。
――また今日も、霧が濃くなる。より深く、より白く。
そして図書館は霧に消える。皆が忘れて行ってしまう、記憶の中に。
――忘れたものを探すなら、当図書館へ。
「来館、いつでもお待ちしてます。それまで、おやすみ……」
【一過性怪異奇譚 霧の中の図書館】 了
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