怪異邂逅 ~桜と霧と、お狐様と~
その日の”夕暮れ通り”は、普段とは違い霧がかかっていた。
それだけなら何もおかしいことはない。気候とは常に変化しているものであり、晴れが続けば雨が続くこともある。変化の一端として霧が起きることもあるだろう。
――普通の世界であれば、のお話。
「……最近は妙なことばかりねぇ」
「そうですね。ついにこの世界も終わりですか」
「縁起の悪いこと言わないで頂戴、雪ちゃん。あとでお仕置きよ」
「櫻さんの方がネコのくせに」
「ちょっ……!」
仲睦まじく(?)話す二人の女性がいる”夕暮れ通り”と呼ばれるこの並木通り、一見普通の場所ではあるが、その実全く性質が違う。
一つは、季節問わず桜が咲き続けていること。
一つは、ずっと夕陽が世界を照らしていること。
そして一つ、そもそも現実世界からは隔絶されていること。
――ここはいわば、神隠しの先にある空間。どこにもない、どこにでもある、そんな場所。
「まあまあ、機嫌直してくださいよ。たまにはいいじゃないですか。この辺歩いてみません?」
「まだ怒ってますからね、あとで覚えてなさい。ほら行くわよ」
「あっ、置いてかないでよ三波」
「わたくしは櫻よ! 間違えないで!」
「ごめんっって――ちょっと、櫻さん。あそこ、丘の上見て」
「…………なに?」
「あんなとこに神社あったっけ」
今、この世界に異変が起きようとしている。だがしかし、決して悪い方向には向いていない、きっと当人らにいい影響を与えるものだろう。
――これは怪異同士が惹かれ合うお話。幽世に住まうものたちが、ひと時の平和を享受するお話である。
【怪異邂逅 ~霧桜のお参り~】
「本当ね。小さいけど確かにある……あんなものなかったはず」
隣の少女が指さした方向を見て、桜柄の着物の女性、櫻は顎に手をやり考え込む。
――櫻はただの女性ではない。いわば”夕焼け通り”世界の現人神である。世界の管理に徹している割に、付き人兼恋人の少女にうつつを抜かして遊び歩いている。
「そうですよねぇ。それに、この霧なのにハッキリ見えるのも変。通りの向こう側も見えないですよ? あれは何かありますよ」
櫻の隣で肯定をしめしつつ更なる疑問を口にするのは、同じ桜柄のパーカーを着た少女、雪子。櫻が唯一大事にしている人間であり、生涯のパートナーである。
――元は現世に住む一般人であったが、夕焼け通りの神隠しに遭って櫻と出会って交流し、彼女に惹かれ幽世に滞在することを選んだ。以降は櫻の補佐をしつつ、幽世人のための休憩処を営んでいる。
「大分前にあった”夜”の訪れはまだ許容できるけど、あれはいただけないわね。調べに行きましょう」
「えっ、分かんないの?」
「悔しいけどねぇ……『アレ』、この世界のものじゃないもの」
「じゃあ、なに? 突然変異?」
「分からないから行くのよ。ほら」
自分の世界に異物が入り込んだことがよっぽど不快らしい、櫻はむすっとしながら手を差し出す。雪子はさっと彼女の手を取りながら腕を組み、「行きましょ」と促し揃って歩き出した。
「それはそれとして、どうやって行きましょうか。あそこまで道があったかどうか」
「あー……確かに。とりあえず迂回していけばいいんじゃ」
「そう、ね。急ぐことないものね。異常ではあるけど、急を要する程度ではないし」
「ならのんびり行きましょうよ。なら団子、団子持っていこ!」
「物見遊山とは違うのだけど……でもいいわね、採用」
……危機かもしれないというのにかなり悠長である。本当に団子を食べている余裕があるのかどうか。
しかしこうと決めてからは早い二人。迷わず自分たちが営む休憩処”雪櫻”へと足を向ける。
――だがこの際に、二人はまた違う『何か』を見つけた。
まもなく雪櫻に着こうというとき、すぐさま二人は店先にいる人物に気付く。絶対にいるはずのない『人間たち』に。
「ちょっとちょっと今度は何? 櫻さん、もしかして……」
「何もしてない。雪ちゃんは入ってきて以来完全に世界を閉め切ってるから。現世からは入ってくるはずが――接触するわ」
腕をほどき、警戒しながら近付く櫻。対して雪子は彼女を背後から見守っている。
じっくりと距離を詰め、その者達を認識し――
「あなたたち、そこで何をしているの? 何者なのかしら?」
声を掛けると、その二人組は櫻の方を向いて驚いた表情を見せた。
「おお、やーっと人を見つけた! いやぁどこにも人が見えなくてこれからどーしようかと……」
『そうじゃないでしょ、ミユちゃん。ちゃんと挨拶しないと』
「確かにそうだ。こんにちはー、少し聞きたいことあってー」
「……えぇっと、あなたたち?」
その二人は迷い込んだ割には心に余裕がある。困ってはいるが、それすら楽しんでいる節がある。
二人ともゴシックなブレザーにロングパンツとお揃いの服装で、背の大きい少女はチェックのストールを巻いている。もう一人の背が低い少女は筆談用のスケッチブックを大事そうに抱えていた。
「自己紹介のターン? なら――私は深優、気軽にミユって呼んでね。で、こっちが霧ちゃん。よろしくぅ」
『よろしくお願いします』
「え、ええ、よろしく。わたくしは櫻……あの、あなたたちはどこから?」
「どこからって図書館から――あン? そっちの人は……」
櫻にのみ顔を向けていた深優だったが、櫻の背後から近付く人物に気付いて身を乗り出した。
「櫻さんってばこういう時ばっかり動くの早いんだからー。こっちのことも考えて――えっ、ちょまっ……ミユ!?」
「うおっマジか! ユッキ!? こんなとこでなぁにしてんの!?」
「えへへー。実は神様と団子屋をねー。ミユはどうしてたの、最近見なかったけど」
「私は図書館の管理をね。これがマジ大変でさー」
雪子と深優はお互いを認識するときゃあきゃあ言いながら手を取り合う。
「あのー……雪ちゃん、その子とは、知り合い?」
「みゆぅ……だれぇ?」
櫻と霧ちゃん――もとい霧子は、取り残されたもの同士困惑しながら顔を合わせ、首をかしげる。
「ほんと奇遇だねぇ! にしてもそのパーカーいいね、キマってる!」
「そっちこそ、図書館の制服? 似合ってるよ、かっこいいじゃん」
「「…………はぁ」」
――こうして、怪異同士、魅入られたもの同士が出会ってしまった。更なる出会いがあるとは、この時の四人には知る由もなかった。
◇
「――つまり。雪ちゃんと深優さんは同じ学校の生徒さんで、お友達だと」
テンションが高まっている雪子と深優から事情を聞き、状況を整理した櫻。二人の仲の良さに、若干不機嫌そうに顔をしかめている。
「そう。付き合いは入学してからだから、全然浅いけどね」
「ユッキは人気あったからなぁ。あんまり話せてなかったけどね」
「「ねー」」
『ですが 旧友のように息ぴったりです』
「……ぅーん、いやね、嫉妬しちゃうわ」
『櫻さん よしよし』
「霧子ちゃんは優しいわね……もらっちゃおうかしら」
「「そ、それはダメっ!」」
櫻の一言に即座に反応する二人。雪子は櫻の腕に飛びつき、深優は霧子を大事そうに抱きかかえた。さきほどとは打って変わって申し訳なさそうにしている。
「ないがしろにしてゴメン、櫻さん。あとで何でも聞いてあげるから」
「……言ったね。本当に『なんでも』聞いてもらうわよ」
「霧ちゃんは誰にも渡さない! もう絶対離さないから!」
「みゆ、ちゃ……くぅ、し……」
各々独占欲をあけっぴろげにし、これでもかと依存性を見せている。
しばらくして落ち着いたのか、わざとらしく服をはらう動作を見せ、一つ咳払い。
「お見苦しいところをお見せしてしまいました、ごめんなさい。一気に色々あって取り乱しちゃって」
「いいのよ……それよりも、あなたたちどこから来たの? それがずっと気になってるの」
「えっとですね、こっから少し離れたところにある図書館から――っつてもなんつーか、別の空間からっていうか」
「わたくしたちと似た境遇であると。ふむ……深優さんからは何も感じないわね、となると、霧子ちゃんの方かしら――ねぇ霧子ちゃん」
『私に なにかご用が?』
「握手しーましょ」
不敵(に見えるよう背一杯振舞った)な笑顔を浮かべ握手を求める櫻。
最初は目を泳がせていた霧子だったが、拒む理由もないため小さな手で握った。
その瞬間、櫻と霧子はぱっと目を見開いた。お互いの中にある『何か』を感知したかのようだった。
「普通の図書館じゃないと思っていたけど……なるほど、あなたが『核』。わたくしと同じなようね」
『私にも伝わってきました さくらさんも 同化したたぐいのお方なのですね』
「……そうなの?」
「霧ちゃんはそう。そっちは」
「言ったじゃん、神様だって」
「ああ、そういえば」
手を通してあらゆる想いを通わせ、満足のいく『会話』ができた二人は満面の笑みで向かい合う。特に櫻はさきほどの不満が全て飛んで行ったかのようだった。
「実に有意義な時間だったわ。あなたも苦労してるのね、これからも頑張るのよ」
「……ぁぃ――『櫻さんも頑張ってください お互いさまですね』」
はじめにあった警戒心はどこへやら、四人の間には穏やかな空気が流れていた。
その後、誰からともなくなった腹の音を聞き「団子でもいかが?」と櫻が呼びかける。そのままお茶をする流れ……になろうという時、櫻と雪子が同時に「あっ」声を上げる。
「どしたのユッキ」
「ゆったりしてて忘れてた。私ら調査に行くところなんだった」
「そうね、わたくしも頭から抜けてたわね。お二方、団子は勝手に食べてていいわ。雪ちゃん、行きましょう」
「なるべく急いでですね。さっと行ってさっと帰りましょ」
『調査とは どこへ行かれるのですか?』
「それは――」
櫻が店先に立てかけてあった和傘を雪子に渡しながら答えようと顔をあげた。
その時に。
「――その必要はない。こちらから出向くつもりじゃったからな」
「っ……また侵入者。全く次から次へと……!」
ゆらめく『影』がそう告げながら通りの向こうからやってくる。櫻は再び機嫌を損ね、声の方向を忌々しげにキッと睨む。
『影』は徐々に大きくなり、近付くにつれ像がはっきりとするようになり、ついに四人の前に立ち止まった。
「くふふっ、そう構えるな。わしは――っと待て待て、姿がぼやけたままじゃないか。少々待たれよ、今姿を――よしっ」
体を震わせ笑ったのち、たんたんと『影』は手を鳴らした。するとまもなく影は崩れ、中から小柄な少女が一人……否、二人現れた。
「……巫女さん? にしてはちっこい」
「いかにも!」
紅白の巫女服に身を包んだこがね色の髪の少女が、えっへんと胸を叩く。
「わしはお七という。名無しの祠と神社を守護する、元稲荷神じゃ。信仰されていたのは遠い昔の話じゃがな。そんでこっちが……これ、ちゃんと挨拶せぇ」
完全アウェーの状況をものともせず堂々自己紹介し、背後に隠れている人物にも挨拶をうながす。
一寸の問答ののち隠れていた人物がおずおずと顔を出した。お七よりもさらに背が低い、五歳相当の少女だ。
「わたし、白。こっ、こんにちは……はいおしまいっ」
白無垢の少女、白は短い挨拶をしてまたお七の背中に隠れた。
「お七ちゃんに白ちゃんね。私は深優、よろしくね。白ちゃんは人見知りなんだぁ、かわいいね」
「そうじゃろう。白の笑顔はもっと可愛いぞ、満天の星空もかすむ可愛さなんじゃ」
「ほんとー!? 見たい見たい、お七ちゃん早く笑わせて!」
「いや無理があるでしょ。自重しろミユ」
『ごめんなさい ミユちゃん少しは遠慮して 迷惑かけちゃダメ』
「構わんよ。わしらも久しぶりに人に会えて嬉しい、ここは無礼講ということで」
早速二人を受け入れる三人だったが、櫻だけは未だにお七を睨んでいた。不機嫌や警戒というより、何かを思い出そうとして目つきが悪くなってしまっている。
「お七、お七ねぇ……どこかで聞いたような……」
うーんうーんと何度も唸り、その場でしゃがみこんでまで思い出すことに必死になる櫻。そこへお七が意気揚々と歩みより肩を叩いた。
「どうした、具合でも悪いのか? わしの持ってる薬でよければ――うぬっ、おぬし、どこかで見たな」
「ええ、わたくしもさっきから思ってましたの。……お七さん、せっかくですし、握手を一つ」
「もちろん! いやぁふふ、白以外と触れ合うのは久しぶりでなー。べっぴんさんと握手できて嬉しいのぅ」
屈託なく笑いながら櫻の申し出を受けるお七。一回りも違う手と手が触れ合った瞬間、お互いに電流のようなものが走る。
「いっ……! な、なに……!?」
「ぐぅっ、い、今の頭痛は、一体……」
――頭痛の正体は、消えていた記憶が流れ込んだ反動によるもの。接触をきっかけに多くを思い出したため、それが痛みとなって表れた。
思い出したのは、夢――と思っていた世界での出来事。ありえたかもしれない、誰も怪異の影響を受けなかった世界の記憶。そこで、二人は出会っていた。
「あ、あなた……あの時の守り神。世話になったわね」
「そういうお主は、白に優しくしてくれたお姉さんじゃな。まさか櫻が世界そのものであったとは。わしの方が立場は下か、くふふっ」
「……! さくら、さくらお姉ちゃんだ!」
二人が”夢”を思い出すと同時に白も微かに記憶の断片を取り戻したらしく、櫻を呼びながら飛びつく。櫻は「あらあら」と戸惑いながらも優しく頭を撫でる。
「この子も思い出したようね。わたくしたちに影響されたからかしら」
「なんでもよい、こうして再会できたのじゃから、それでよしとしよう」
「ふふっ、そうねぇ」
「なんだ、お七さんと櫻さん知り合いだったんだ。世界越えて手紙交換してたの?」
「……ねえ霧ちゃん、そんなことできるの?」
『あとで調べてみましょうか』
「よっしゃ! できたらいいなー、そしたらユッキと文通できる!」
「まったく、あの子らははしゃいでばっかり――嗚呼いや、待って」
「なんじゃなんじゃ」
「……あんたたち、よくここに来れたわね」
「あっ、本題に戻った」
目先のことに囚われがちな一行、事の発端である櫻自身によってようやく当初の目的に戻って来れた。もっとも、既に問題は解決していそうだが……。
「つまりぃ、お七にも分からないと」
「すまんのぅ。わしらも困ってたところで」
『それなら私たちもです 図書館の座標がここに固定されたんですよ』
状況を仕切り直した一行。現在二つのグループに別れている。
まず一つ。各世界・空間の管理者たるお七、櫻、霧子は、集まって現状を話し始めた。
「わしの神社は特別な祠を目印に移動するんじゃ。拝殿によくないものを閉じ込め取るんでな、同じ場所におれんのじゃ」
「でもここに祠なんてないわよ」
「そうなんじゃよ。わしにもさっぱりでな」
まずはお七。曰く、本来起きるはずの挙動から外れた事象が起きているらしい。明らかに異常らしいのだが。
「おかしなことに封じているヤツが大人しくなっとるんじゃ。この世界との相性、なんじゃろうか。移動させる手段がないし、かといって不都合がないでな、しばらく滞在したいのじゃが」
「構わないわ。丘の上なんて空き地だったもの、好きなだけいなさいな」
「助かる。世話になるな」
「で、霧子ちゃんは?」
『私の方も似たようなもので こっちは特定の場所に留まらないんですけど どういうわけか移動する気配がなくなっちゃって』
次に霧子。曰く、図書館がこの世界に居ついてしまい動かなくなったとのこと。
「今はどこに建ってるの?」
『ここから離れたところに森がありますよね その中央に』
「……ああ、”霞の森”ね。ずっと霧が掛かってたから反応しちゃったのかしらね。そっちは図書館の気分次第でしょうけど、ここにいたいなら固定させるけど」
『お願いします 行く先がなかったので助かります』
「櫻は寛容じゃな。自分の中に異物を入れるようなもんじゃろ?」
「そうでもないわ。むしろ満たされたような……そういうわけだから、気にしないでね」
こうして管理組は落としどころが決まった。空間異常に関してはお互い許容し、協力し合うと。
一方、待たされている各々のパートナーである白、雪子、深優らはというと。
「白ちゃんこっちだよー。お姉ちゃんのこと捕まえられるかなー?」
「まってまってー! みゆちゃん速いよー」
「手加減したれよミユ。大人げない」
「こういうのは全力でやらないと。相手が子供でも油断すると」
「白がたべちゃうぞー!」
「わはー逃げなきゃー! まっ、こうなるからね!」
「ははっ、楽しそうでなによりだわ」
暇つぶしとして無邪気に遊んでいた。主に白と深優が走りまわっていて、雪子はそんな二人の保護者代わりである。当初は引っ込みがちだった白だったが、少し遊んだだけですっかり打ち解けた様子である。
遊び疲れた二人は茶屋の長椅子に腰掛け、雪子は彼女らのために冷たいお茶と団子を用意していた。
「はいどうぞ。うちの団子はおいしいよ」
「「いただきまーす――おいしー!」」
「どもども」
二人は相当気に入ったのか、出された団子をぺろりと平らげた。
食べ終わった後もまだ管理組の話が続いていたので、それぞれ世間話をしだした。
「そいえば学校ってどうなってる? 最近櫻さんのお手伝いしかしてないから行ってないんだよね」
「え、私もだけど。前に行ったのいつだっけ」
「覚えてな……つか分かんないの?」
「いやね、私がいる図書館なんだけど、時間の流れが違うの。うちの方が早い、のかな。一週間いても現実だと一時間経ってなかったりするから」
「それは早い方だね。いうてこっちも似たようなものよ。ずっと夕方だから変化はさっぱりだけど」
「白のはねー、ずーっと止まってるよー」
「そーなの? 大変じゃない?」
「とまってるからね、あんまりおなかへらないよ」
「そんなもんなの?」
「私に聞くなし」
「……うー」
談笑している時間さえも耐えられないのか、白はばっと立ち上がり二人の服のすそを引っ張る。
「ねぇおねーちゃんたち、今から白のおうちいこ! ごりえきは全然ないけど、お参りに来て!」
「お参り、いいねぇ」
「丘の上のあそこでしょ? ちょっと気になってたんだよね。櫻さんに頼んでくる」
「ありがとー!」
雪子は微笑みながら白を撫で、彼女がにへーっと笑ったのを見てから櫻たちの元へ。
これと同時に櫻たちも雪子らの元に歩み寄って来ていた。茶屋前の道端で合流した雪子はかくかくしかじかとお願いをするのだが。
「丁度いいわ、その話をしようと思ってたところなの」
「そうなんだ。じゃあどうするんです?」
「それはじゃな!」
待ってましたといわんばかりに櫻の後ろからお七がひょっこりと顔を出した。雪子にはその様子が無邪気な小学生に見えたのだが、言っては面倒だろうなと考えて唇を噛んで言葉を飲み込む。
心中一瞬の攻防などつゆ知らず、お七は雪子の前に躍り出て背後に控えている深優らに視線を送りながら遠くにそびえる神社を指さして言った。
「決まっておろう――行くぞ、初詣じゃ!」
◇
「ねぇ~まだなんですかお七さ~ん……」
『もうすこしだよ みゆちゃん がん ばって』
「字がよれよれだよ霧ちゃん、疲れたって言えばいいのに」
「ぜぇ……ぜぇ……ふ、ふふ、情けないわね、あなたたち……」
「それ櫻さんが一番言えないからね。トレーニングサボるからだよ」
一行は現在、草木の茂った山道をえっちらおっちら登っていた。それもお七の神社に行くためだ。
当初は初詣――外の世界では絶賛お正月――に行けることを喜んでいたのだが、超常の見えない山道を歩いてすぐダウン寸前の状態に陥っていた。特に引きこもりがちな司書組と、運動がめっぽう苦手な櫻はこの通りである。
「ほら櫻さん、肩貸すから頑張ろ」
「あ、ありがとね雪ちゃん。助かるわ」
「深優よ、あと百段くらいじゃ、踏ん張れ」
「百はキツイって~!」
「霧子ちゃんも、白と一緒にがんばろーね!」
「ぁ、あり、がと……」
対して雪子と神社組は遅れている三人の手助けをする余裕がある。日頃の行いの差が如実に出ている。他の三人はこれを機にぜひ運動をしてほしいところだ。
その後十数分掛かってなんだかんだ頂上に到達し、鳥居をくぐると同時に例の三人は崩れ落ちる。その隣をお七と白は駆け抜け、拝殿前で足を止めた。
「おーい、参拝はここじゃぞー。はよぉこーい」
「ちゃあんと手は洗ってからだよー!」
「待て白、そこは清めるというところじゃぞ」
「ふふっ、ナチュラルに間違えてるのかわいー。っと、櫻さん落ち着いた?」
「――……えぇ、なんとか。決めたわ、明日からちゃんと鍛えることにする」
「わ、私も……図書館内で何ができるかなぁ」
『トレーニング場あるから 一緒にやろうね』
「あんたたちの図書館って一体なんなのさ」
などと駄弁りながら二人が示した手水舎で手を清める。不思議と水は冷たくなく、流した途端に手が乾いた。四人は顔を見合わせて驚きながらも、
「まあ、何が起こってもおかしくないからねぇ」
という櫻の一言に納得するのだった。――実際その通りではあるのだが、それで済ませたらなんでもアリである。
四人は横一列に並び、息を揃えて二拍一礼、二拍手。各々静かに願い事をし、晴れやかな表情で顔をあげた。
「うむ、みな良い顔をしているな。残念じゃが、ここには神などおらん。じゃから、うぬらが願ったであろうことは、うぬらの力で叶えねばならん。それを忘れず、日々頑張るんじゃぞ」
「七さんのお話ちょっと分かんなーい! こほん……えっとね、みんな、ここまでよくがんばりました。帰ったらきっと良いことあるって、白は思います。おつかれさま!」
「おお、そうじゃな、まずはそう言うべきじゃった。みんな、老人の提案に乗ってくれてありがとう、お疲れ様じゃ」
お七、白の言葉を聞き届け、四人は感慨深く頷いた。そして櫻と雪子、霧子と深優は心に思い描いたことを伝え合うように顔を見合わせ、小さく笑む。
「これからもわたくしをお願いね、雪子」
「もちろん。じゃあ、私のことをよろしく、櫻さん」
「一緒にがんばろーね、霧ちゃん!」
「いっしょ……うん。がん、ばろ、みゆちゃん……!」
多くは語らず、言葉を飾らず。ただそれだけでお互いに通じ合う。
それを見たお七と白も、彼女らがしたように向かい合って。
「白よ、わしらはまだ出会ったばかりじゃ。それでも、これからも傍にいてくれるか?」
「うん! 七さん、白をよろしくね!」
「……愚問じゃったか。うむ、よろしくな、白」
お七は白を愛おしそうに撫でるのだった。
――参拝後、お七と白の舞を眺めて厄を落とし新年を迎えた一行。談笑を楽しみ、各々やるべきことを思い出し、いるべき場所へと帰っていく。
気付けば、下界に広がっていた霧はすっかり晴れていた。
「いつでも来るといい。わしでよければなんでも聞くぞ」
「また遊びに来てねー!」
「またねユッキ。団子がなくなったら食べに来るね!」
『色々お世話になりました 今度は当図書館に来てくれると嬉しいです』
雪子らは茶屋に戻ったのち、お土産にと深優と霧子に団子を贈って普段の営みに戻る。
四人がいなくなった茶屋は静かな様相を取り戻したが、どこか寂しさを思わせた。
「短い間とはいえ、いなくなると空っぽなもんだね」
「それほど深い仲になったってことよ。悲観するほどじゃない。それに」
「それに?」
「彼女たちにはいつでも会えるわ。しばらくこの世界にいるから」
「本当? ならよかった……ありがとね、櫻さん」
「お礼を言われるほどじゃないわ――さ、溜まってる仕事をちゃっちゃと済ませるわよ。そのあとトレーニングに付き合ってね」
キリッとしながら厨房に入る櫻だったが、腰をさすりながらであるのを雪子は見逃さなかった。だが、やはり余計なことは言わず、エプロンを着けながら背中を追う。
――阿吽の呼吸で生地を用意する二人。その最中、雪子は「んー」と突如首をかしげた。はじめは気にしなかった櫻だが、時間が経つにつれ引っ掛かるようになり、仕方なしに雪子の袖を引っ張る。
「どうかしたの。何か心残り?」
「……んー、いや、そんなんじゃなくてさ」
「じゃあなぁに?」
「単純なこと。どんな願い事したのかなーって。やっぱ気になるし」
と聞くと、櫻は「そんなこと」と一人くすくす笑う。
「笑うことないじゃん」
「笑うわよ、それこそ単純なことよ。どうせみんな同じこと思ったろうし」
「そうかな? 違うもんだと思うけど」
「違わないわ。だってわたくしたち、境遇こそ違えど似た者同士だもの。そうね、きっと――」
櫻が予想を口にすると、雪子はきょとんとしてから「間違いないや」と照れ笑う。聞いた雪子も、同じ願いをしていたから。
「「ずっと一緒にいられますように――ね」」
その時、生地を取ろうと伸ばした手が触れ合う。
お互い反射的に手を引っ込め、付き合いたての恋人のように顔を赤らめる。「まだまだ初心ね」と櫻が笑い、つられて雪子も笑う。そうした笑いはしばらく絶えず、二人に呼応するかのように、夕焼け通りに新しく桜が咲くのだった。
――とある異世界、正月の一日の出来事である。
夕焼けは、いつもよりも優しく温かく、桜たちを照らした。
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