弐
こんにちは! 私、深優。どこにでもいる感じの普通の中学生!
ある日立ち寄った図書館で、小学校の同級生とばったり会っちゃった!
五年ぶりの再会に、胸がドキドキ……私どうなっちゃうの!?
……はい、茶番終わり。バカなこと考えてないと頭がおかしくなる。もうおかしくなってる気がするのは、そう、気のせい。
茶番通りの展開だったらよかったんだけどね。
「あ、の……」
カウンターの椅子に深く腰掛け、私を見上げる司書さん。幼さが残る……というか、背や体格は小学生ほどの少女しかないように見える。
そしてその顔は、小学校時代に別れてそれっきりになった親友、霧ちゃんと全く同じだった。まるで、あの頃の彼女がそのまんまそこにいるような。
普通なら再開に喜ぶところだけど、そうはいかないシチュエーションだ。
私と彼女がいるこの図書館は、急に立ち込めた霧の先に突如現れたもの。本来はあるはずのない場所にいきなり建っていた。
謎と謎が混ざって、さらによく分からない謎が生まれている。そろそろ考えることを止めた方がよさそうだ。思考が宇宙の彼方に飛ばされそう。
……ひとまず現実に目を向けよう。逃げる必要などないんだ、ただありのままをですね。
「ぁ、ぅ……」
「~~!」
縮こまった霧ちゃんが可愛い。上目遣いで、目が潤んでいる。小柄なのもあって実に愛らしい。本の有無に関わらず常連になりそう。
――じゃなくて。落ち着け。霧ちゃんじゃないのかもしれないんだ。失礼のないようにしないと。
「ごめんなさい、ちょっと目を奪われ……違う違う、そうじゃなくて」
「……?」
あれ、何の用でカウンターに来たんだっけ?
完全に目的を忘れてしまった私。
そんな私を不思議そうに見つめる司書さんはおもむろにカウンター下に手を伸ばし、ペンとスケッチブックを取り出し、何かを書いて見せてきた。
『本を探していたんですよね?』
丸みのある可愛らしい字が司書さんの代弁をしている。字の小ささが彼女の控えめな感じを物語っている。
「あっ、そういえばそうでした。すんません」
私がそう言って頭を下げると、司書さんは素早くペンを走らせる。書くスピードは中々に速い。できれば喋ってほしいけど、無理を言っちゃいけない。
『気にしないでください それで お探しの本は?』
「それは……せっかくなんで、司書さんのオススメとかで」
『私のですか? お探しのものは』
「いーんすよ。別の日とかで。なんていうか……一期一会みたいな。そういうことです」
『なるほど 私のお気に入りでよければぜひにでも』
司書さんはスケッチブックを抱え、恥ずかしそうに、でもどこか嬉しそうに微笑んだ。思わずドキッとしてしまうが、手のひらに爪を立てて自分自身を律する。いかんでしょ全く。
一人どきまぎしているとはつゆ知らず――というか察しないでほしい――司書さんはカウンターから出てきて、『ついてきてください』とゆっくりと歩き出した。私は邪念を振り払うようにほおを張ってから、司書さんの後ろについた。
……にしても。
(背、小さいなぁ。一四〇もなさそうな……うん、霧ちゃんと同じくらいだ。あの日の)
歩く姿を見てなおさらそう思ってしまう。髪を揺らしながらとことこ歩いているさまは生き写しにしか見えない。しかし本人の確証を得ないまま「わぁ久しぶり!」と抱きつくわけにはいかない。違った時が凄まじくきまずいし恥ずか死ぬ。
私の葛藤はおいといて。
迷宮と形容できる本棚の配置。その間を、司書さんは何も見ずに迷いなく歩いている。何十、何百とある棚を全部記憶しているんだろうか。図書館の人はもれなく記憶しているという偏見を持っているのだけど、偏見は確信に変わりそうだ。それくらい迷いがない。
何度も直進、右折、左折を繰り返し、カウンターから遠く離れた棚の前でようやく司書さんは足を止める。
棚を見渡し、頷いたりかしげたり。どうやら悩んでいる様子。端から端まで見たのちにどれにするか決めたようで、大きく頷いたのちぐっと手を伸ばした。
しかし目当ての本は一番上の段らしく、司書さんでは背伸びしても届いていない。ぴょんぴょん跳ねるもかすりもせず、私を見て口をへの字に曲げた。
「かわっ――じゃねぇわ。どれですか? 私が取りますよ」
「……! っ……!」
提案すると同時にぱあっと表情が明るくなり、棚の左上を指さした。差してる方向の本を一冊ずつ示していくと、一番左の本に強く反応した。……これよく考えたらスケブでどのタイトルのやつか教えてもらえばよかったな。
「これっすね。よっ――と。やっぱ棚高いっすね……んんっ、これは。なるほど……」
取ってすぐに表紙を見て、なんというか、電流が走ったような感覚に。本を読み漁っていた小学生時代を思い出した。
『私の一押しです 少し難しいお話ですけど、色んな見方ができる深い物語です』
ぜひどうぞ、と司書さんは穏やかに笑う。背景に花が淑やかに咲いてそうな笑顔だ。
私はタイトルを撫でて「ありがとうございます」と笑みで返す。ただ、かなりぎこちないものだったろう。どうしてか、実に簡単な理由だ。
この本は読んだことがある。そう小学生時代に……あの子と、霧ちゃんと仲良くなったきっかけの本だから、忘れるはずもない。
「『ああ無常』……読ませてもらいますね」
ああ無常、原題はレ・ミゼラブル。ざっくりいえば、とある男の愛の物語。
私はこれをふと手に取ったことで文学少女の道を歩むことになった。同時に、唯一無二の親友となる霧ちゃんとの出会いのきっかけにもなった。第一声は今でも覚えている――『それ、難しいよね』。対する彼女はこう返した――『その分深くて面白いよね』。
――何度、何度私に幻想を見せるんだ。
頼む、やめてくれ。期待したくない、違った時の絶望を味わいたくない。目の前にいる司書さんが、あの『霧ちゃん』だと思いたくない。
だから私は目を逸らす。こういう時の対処法を、私は知っている。
「ここらで一番近い読書スペースどこですかね? すぐ読みたくて」
没頭すればいい。現実じゃない本の世界に。辛いことがあればいつもそうしてきた。今回もそうすればいいだけ。
私の質問に司書さんは笑顔で頷き、『こちらへどうぞ』と先陣切って歩き出す。この本にまで案内してくれた時と同じように迷いなく。私はまた手に爪を立て、彼女についていった。
連れてこられたのは、シャンデリア真下のスペース。一人専用のスペースで、深く腰掛けられるソファーにちょうどいいサイズのテーブルのセット。そこそこな間隔を置いて五セット。相当居心地がよさそうな感じだ。
ソファーの一つにどしんと座り、ふかふかに感動を覚えつつ司書さんに頭を下げる。
「ありがとうございます。ここめっちゃイイっすね!」
『喜んでもらえてなによりです』
司書さんは喜んでもらえたことに満足したのか、足を揃えて左足をトントンと鳴らす動作を見せた。意識してやってる感じではないので、癖みたいなものだろう。……これに関してはノーコメントで。
私が本を開こうとした時、司書さんんはちょいちょいと手招きをして注意をひき、スケブにささっと何かを書いた。
『ごゆっくりどうぞ』
「どうもです。のんびりさせてもらいますね」
『時間のことは忘れて 心ゆくまで 望むだけいていいですから――』
最後に、ページ一枚に大きく書かれた意味深な言葉を見せて、ぺこりとしてから司書さんはぱたぱた走って本棚の森に消えた。
「『時間は思うままです』、か……まあいいか。読みますか、久しぶりに」
意味を考えるのは後にして、私は『ああ無常』の世界を開くのだった。
◇
「ん~読了ぉ~!」
ぱたりと本を閉じ、読み終わった達成感から思い切り声をあげながらぐーっと伸びをしてしまう。
すぐ図書館の中だと思い出して姿勢を正し周りを見た。が、私以外には誰もいない。というか人の気配もない。ならちょっとくらいは……いや、騒がしくしてすいませんでした。反省してます。
「いやぁでもこの感覚たまんない。何回味わっても最高の気分になれるし! 頭は痛くなっちゃうけど、まあまあ」
『ああ無常』は読み慣れてるけど、いつも読後は頭が痛くてふわふわする。好きなお話ではあるけど、私の脳内キャパ的には限界ギリギリなんだと思う。その分読み切った時の快感は、ゲームクリアした時やテストでいい点とった時の達成感を大きく上回る。
「やっぱり本はいいな。みんなも読めばいいのに、もったいない」
……とは言うが、これは私の楽しみ。合わない人もいるだろうから、無理にすすめるつもりはない。ちょっとでも興味をもってくれたのなら、ガンガンすすめるかもだけど。
「もう一回読みたいし……貸し出しやってるよね。借りてこうかな」
何回も読んでるけど、今ならまた違う見方ができるかもしれない。より理解を深めるには借りていくしかない。
そうと決まれば、と立ち上がるが、ここであることに気付く。次の瞬間、私は頭を抱えた。
「何も考えずに司書さんについて行ってたからルート全然憶えてない……え、ここどこ? 館内のどの辺?」
慌ててマップがないか周囲を見渡す。すると案内板がすぐ見つかり、急いで駆け寄って見てみるが……。
「……広すぎ分からん。しかも現在点すらないんだけど。えっと……あ、辞書の棚がある。んで休憩スペースがあって……なるほど分からん。しかもマップ途切れてんじゃん、どんだけ広いの」
見たところで全く分からなかった。不親切すぎてどうにもならない。
呼び出しブザー的なものもないし、棚の間から壁も受付も見えない。もはやマジもんの迷宮と化してる。え、これ帰れるの……?
とまた頭を抱え始めた時、コツ、コツと小さく軽い足音が背後から聞こえてきた。もしや! と希望をもって振り返ると、予想通りの人物が歩いてきていた。
「し、司書さん……! いいタイミングで!」
『はい 司書さんです』
「ありがとうございます、どうやって戻ろうか悩んでたところで……でも何で読み終えたって分かったんですか?」
『読了と大きな声が聞こえたので だめですよ ここは図書館なんですから』
「うっ、聞こえてたのか……本当にすいません」
『いいですよ 私とあなた以外いませんから』
そう言って(スケブに書いて)苦笑いする司書さん。迷惑かけてすんません……。
『また私の後ろに しっかりついてきてください』
「はーい。行きましょー」
『遠足じゃないですよ』
ちっちっと指を振り、そそくさと歩き出す司書さん。案内してくれた時より歩調が速い。さっきはどの本にするか悩みながらだったからゆっくりだったのかな。今は目標が決まってるからか二倍以上に早い。
私は早歩きで司書さんを追う。今回はほとんど直進だけで、歩調とあいまって早めに戻って来れた。最初に見た丸テーブルの受付が見えた。
司書さんは着いてすぐ受付に戻り、台帳を広げ隣に無地の本を置いた。うん? 無地? なんでだろう。あれか、ルーティーンみたいな。
そのまま帰ろうと足を出入口に向け――手の中にある本のことを瞬時に思い出した。いけない、無断で持ち出すところだった。まさかちょっと前のことも忘れるなんて。
私は司書さんの前まで行き、『ああ無常』をカウンターに置いた。
「司書さん、これの貸し出し、お願いします」
『承知しました おすすめした本ですね 嬉しいです』
ご丁寧に文字の隣に音符マーク付きで上機嫌さを示し、見て分かるくらいうきうきしながら貸し出しカードを取り出した。
『こちらに名前を書いてください そのあとに 下の欄に本のタイトルを』
指示に従い、カードの一番上の欄に名前を、下の『書名』のところにタイトルを書き入れ司書さんに手渡す。司書さんは受け取って目を通したのち、カードと台帳を見比べながら丁寧に記録していく。動かす手が無駄がなく綺麗だ。
まもなく司書さんの手が止まる。記録し終えたらしい、ふぅと一息ついて顔をあげた。
『記録しました 貸出期限は定めていません いつでも返しにきてください』
「えっ、無期限なんです? それなら気をつけないとな……なるべく早く返しますね」
『そうしてください それとこちらをどうぞ 次回以降の貸し出しや返却に使うものです』
司書さんはカウンター下をがさごそ探り、小さなプレートっぽいものに万年筆で一筆したためスッと差し出す。
『利用者の証です 一葉深優さん これからもご利用お願いします』
出されたプレート――手に取ってみると和紙のような感触だった――を受け取り、細く美しく記された自分の名前を眺めて……今日一番の笑顔で感謝を示した。
「あ、ありがとう、霧ちゃん! 大事にする! ――あっ、えっと、じゃなくって今のはそのっ」
「……?」
しくじった……! 今日一やらかしたっ……!
恥ずかしさのあまり真っ赤になった顔を両手で覆う。様子見のために指には隙間を開けて司書さんを見るが……首をかしげてしばらく固まっていた。
『きりちゃん? どなたのことでしょう』
「えっ!? えーっと……そのっすね、私の幼馴染、のことで……嬉しくてつい呼んじゃったーみたいな? あはは……」
『そうでしたか つい呼ぶほど 仲がよかったのですれ』
テンパる私をよそに落ち着いているようだけど、若干肩が震えているのが見えている。笑いを堪えながら書いたのか、『ね』が『れ』になっているのにも気づいていない様子。くっ、気をつかわれている……なお恥ずかしい……!
――しかし、私の名前には反応がない。ということは。
(霧ちゃんじゃない、か……まっ、分かってたけどさ。ありえねーし)
司書さんイコール霧ちゃん説を考え直したおかげでちょっと冷静さが戻ってきた。ごまかしの咳払いは忘れずにして、プレートをポケットにしまって頭を下げる。
「なにはともあれ、今日はお世話になりました。本も大事に借りさせてもらいます」
『はい また借りに来てください ここには無限に本が置いてますから』
「広いっすもんね、ホントにそれだけありそう――そんじゃ、失礼します」
『ご利用ありがとうございました』
最後に本を受け取り、笑顔で見送ってもらいながら図書館を出た。去り際に見せてくれた穏やかで華やかな笑顔……そうそう忘れられるものじゃない。司書さん目当てにまた来てもいいかもしれない。
外に出ると、霧は少しだが薄くなっているように感じた。来た時同様視界は全然悪い、十数メートル先はまだ見えない。でも少しマシになったような――ほぼ誤差か。
「来た時以上に足元に気をつけないとね。あと鳥とか虫にも……本は大事にしなくっちゃ」
一層警戒心を強め、再び霧の林道を突っ切っていくのだった。
「また、ここに来れるといいな……いや絶対に来る! 返却もあるしね、うん! 来れたのが偶然だったしなぁ、あやしい……」
◇
「ただいまー」
借りた本を早く読みたいがため、靴を脱ぎ捨て即座に部屋に帰還した。
一旦勉強机の上に置き、読書のお供の紅茶を淹れるために台所へ。先客のおかーさんがちょうどお湯を沸かしてるところで、声を掛けながらティーバッグを用意する。
「おかーさん、お水どれくらいあるー?」
「やかんたっぷりに入れてるけど……深優、お出かけはどうしたの。中止?」
「そんなわけないでしょー。ほら、出る前に言ってた図書館行って来たの。そこで本も読んだんだから」
「……本当に?」
んん? おかーさんは何を言ってるんだろう。
どのお茶にするかを悩みながら背中越しに続ける。
「私が本読んだら二時間はかかるの、おかーさんが一番知ってるじゃん。あっ、なぁにーもうボケたー?」
「バカなこと言わないで。だから聞いてるんじゃない……なら時計見なさいな。ボケたの深優の方じゃないの?」
「じゃくねんせーのナントカじゃないんだか、ら――ぇっ……?」
私は言われるがまま、おかーさんがボケたのだと思いながら時計を見る。
時間を認識すると同時に、息が、詰まる。手に持っていたティーバッグは私の手からするりと抜けて床に落ちた。
驚愕、加えて猜疑心。いたずらを疑う方が早かった。
「進んで、ない……?」
家を出た正確な時間を覚えてはいない。六時とか、そこらだったような気がする。
そして私は図書館で本を一冊読んだ。内容が相当濃い『ああ無常』だ。しっかりしたものを読もうとすると最低でも二時間はかかる。単純計算、時計は八時を回っていなければならない。
なのにどうして、時計は六時のまんまなのだろうか。針はほとんど進んでいない。
私は家中の時計を調べた。テレビのも、携帯のも、パソコンのも全部。
そのどれもが六時、六時……六時。結果は変わらなかった。
「深優ー、お湯沸いたけどー? 深優――……」
私を呼ぶ母の声が遠くに聞こえる。次第に音は消え、残ったのは視界だけ。
部屋に戻り、自失寸前の私にそれ以上考えることはできなかった。信じられない事実を目の当たりにして、記憶が混乱し始めていた。
――ただ確実に証拠として残っているのは、借りてきた本一冊と……ポケットから取り出した、『一葉深優』の名が刻まれたプレート。
私は確かにあそこにいた。霧の先にあった図書館に。
司書さんがいた証拠もある。この名を書いたのは、司書さんなのだから。
……でも、あそこで過ごした時間の証明は? どうやってできるというのだろう。
――思い返してみれば、妙な図書館だった。
私以外に利用者はいなかった。司書さんも、自分たち以外いないと言っていた。時間が少し遅かったせいかもしれない。
また、どこにも時計はなかった。何度も見渡していたけど、設置されていたかと言われれば否と答えられる。入口にも、通路にもどこにも。
その上壁がないときた。広すぎて壁のところまでいかなかっただけかもしれない。だとしても、全く見えないなんてことはあるだろうか? 私からは、何とも言えない……。
一体……一体私は、どこでなにをしていたんだ?
あの図書館は……なんだったんだ?
問いかけたところで答える人間はいない。あの場にいた私でさえ、理解できていないのだから。
私は本とプレートを手に取り、その場で崩れ落ち……。
――そこから先は、よく、覚えていない。
「は、はは、は…………分かんないや、霧ちゃん。どうしよう……」
――いないはずの親友に、すがることしか、できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます