心透する瞳・後
まるで存在感のない稲井と出会って三日が経つ。
最初こそおどそどした感じが強かったが、時間が経って慣れてきたのか大分ほぐれた雰囲気を出すようになった。
「ね、ね、園崎さん。そちらは授業でどんなことしてるんです? カエルの解剖とかやってません?」
「そんなことはしてない。今時やる学校の方が珍しいよ」
「うえぇ!? こっちだとやらないんですねぇ、やっぱり学校が違うのかなぁ」
「……稲井さんって、転校生か何か? 田舎出身とか?」
「ちっ、違いますよー。少し、想像してたのと違っただけで」
えへへ、と癖なのかごまかすように笑う稲井。毎回都合が悪くなったり言葉に詰まるとこうしてヘッタクソな愛想笑いをする。やめてほしいわけではない、少しばかり気になるだけだ。
……ただ、話していて気分は軽い。こんな私と話してくれるだけでも助かる。言葉を飾る必要がない、というか。こっちが率直に返した言葉でもちゃんと反応してくれる。おどおどしたふうなのに明るくて素直だから、だろうか。
――そういうところが本当に、あの子に似てる。
「……さん。園崎さーん」
「えっ……あ、ごめん、ちょっとぼーっとしてたみたい」
「つかれてるんです? な、なら、今日は早く帰ったらどうでしょう」
「そう、かもね」
他の人と話してるのに喧嘩したあの子のことを考えるくらいだ、疲れてるに違いない。たまには言われたことを鵜呑みにするのもいい。
「それじゃあお言葉に甘えて。部室の戸締りお願いしても?」
「ええ、もちろん。稲井は、まだここにいるつもりですので」
まだ、か。
稲井はいつもこうだ。私が帰る時にもまだ部室に残ろうする。何のために居続けているのだろう。
……まあいいか。
「先に帰らせてもらうね。気をつけて」
「はい。園崎さんもお気をつけて」
また明日、と一言背中に受けながら、私は部室を後にした。
◇
それから何度も部室に通った。サボることも多かった部活――といっても活動自体は大してしていない――も、ここ最近は毎日行くように。
それもこれも、稲井の存在が大きい。
「お、おかえりなさい、園崎さん。今日はなにを話しましょうか」
「さあ、何にしましょう。稲井は何を聞きたい?」
「えぇ!? えっと、えっと……じゃあ――」
いつも先に部室にいて、こうして迎えてくれる。
部室と、稲井がいるここだけが、私の居場所だと感じる。彼女が幼馴染に似ているというのもある、話を興味津々で聞いてくれるのもある。加えて。
「――えぇ!? 爆発騒ぎ!?」
「ちょっとでかい火花が出ただけよ。どこをどう解釈したの」
「いやだって、実験失敗っていったら爆発オチが……って、なんで稲井を見て笑うのですか?」
「そ、そう? 笑ってなんか、ない。気のせい」
稲井とは顔を合わせて話せる。他の人と違い、心の声が見えないからだ。
――私には人の心が見える『瞳』がある。一ヶ月前に突如得とくしてしまった、あまりにもお節介な力。これのせいで人の顔色をうかがうような生活ばかり送ってきた。
だけど、稲井からは全く見えない。その時その時の感情を示すようなオーラがうっすらと見えるだけで、いつもは見えていた心の声が浮かんでこない。こんなことは稲井が初めてだ。
最初は彼女も他の連中と同じだと思って付き合っていたが、余計なものが見えないと気付いてからは、自覚できるくらい心を開いている。
「ぜったい笑ってました! 園崎さん、いーっつもむすーっとしててもったいないですよ。笑った園崎さんとってもかわいい、の、に……」
「なになに、なんで急に小声に」
「いや、稲井、すごい恥ずかしいことを……かわいいだなんて……」
「……ぁ、うん。ま、まあ、いいんじゃない? 言うだけならタダなんだし。別に私、なんとも思ってないから、うん。気にしないで」
「き、気をつかわせてしまってごめんなさい」
「いや謝んないで。悪いこと一つも言ってないんだからさ、顔上げて」
――見えないんじゃなくて、思ったことを片っ端から言ってるだけかもしれない。
それでもいい。本音をひた隠しにしているやつらに比べたら圧倒的に良い。
なによりこの明るさが、今の私にとってのオアシス。今は、彼女にすがるしか、心休まる時がないのだから。
「稲井はダメですね、喋ることに集中しすぎて頭が空っぽになってしまいます。今度から気をつけますね」
「そこまで気負わなくていいから。気楽でいなよ」
「む、難しい注文でございますね。稲井、頑張ります」
ふんふん、と鼻を鳴らして拳を握る稲井。気合を入れるような動作、小動物的なかわいらしさがある。
「……ねぇ稲井」
「はい、なんでしょう」
「本当に同い年?」
「こっ、ここ子供っぽいと!?」
「変なところで察しがいいね。そんなとこ」
「しつれーですね、これでもちゃんと一年生です」
「小学?」
「中学ですっ!」
頬を膨らすさまが余計に子供っぽさを加速させる。一度幼く見えると、底なしの明るさや無垢さまでもがそこに由来するのではと考えてしまう。
……一旦忘れよう。言ってたように彼女に失礼だ。
稲井にしっかり「大人っぽくもある」とテキトーすぎるフォローを入れて、その場はどうにか収める。数分すれば、普段通りのおどおど稲井に戻っていた。不思議と安心する。
しばらくして、落ち着いた雰囲気をまとった稲井が「あの」と声を上げた。今までの声色とは全く違う、どこか鋭さを携えたようなものだった。
「園崎さん、覚えていますか? 稲井と、初めて会った、時の」
「え? ああ、うん。急に机の下から出てきたのよね。寝てた、って言って」
「う、それは忘れて……ではなく、その……”お悩み”は解決したのですか?」
悩み? そんな深刻になるほどのことなんて。
――あったな。ずっと頭を悩ませてることが。
悩んでることが当たり前になってたせいで最近は意識していなかった。むこう十年は引きずるであろう大喧嘩のこと、幼馴染との仲直りのこと。稲井と出会うまではずっと頭の片隅に置いていたから、考えるまでもないことになっていた。
そして悩みは、全く解決していない。進展すらない。未だに幼馴染と顔を合わせる、言葉を交わすことすらしていないのだから。
「どう、なのでしょう」
「してない。今でもずっと、考えてる。どうしたらいいかって」
「……」
「今の私には、到底無理。人と話せなくなったし、全然、素直になれないし」
「どなたかと、喧嘩したのですか?」
「うっ……そ、その通りで」
実に鋭い。と思ったけど、ちょっと考えれば分かることか。素直になれないの部分がまさしくそう。
「あ、あの、よかったら稲井に話してみませんか? 人に吐き出すだけでも、ちょっとは楽になると思う、ので」
「ひどくつまらない話よ。それでも、いいの?」
「もちろん。稲井のことは人形か何かだと思って、好き放題吐き出しちゃってください」
……そう言ってもらえるだけでも、心が軽くなる。ここまでされたなら、全力で甘えるだけだ。
「その、ね。とっ、友達の話、なんだけど――」
「はい。承知しました」
いらない前置きをして、自分の悩みを打ち明けた。
人に話したのは、稲井が初めてだった。他の人だとどうしても心の声が気になってしまい話すことができなかった。けど彼女なら何も気にしなくて済んだ。一つまた一つ吐き出すたび、身体が、心が軽くなる。
どれくらい話しただろう。十分か、二十分か、とにかく結構経った気もするし、そんなに経ってない気もする。
「――ってな具合。どうにもならなくて、困ってる」
「……大変だったのですね。おひとりで、辛かったでしょうね」
どこを切ってもつまらない話だというのに、稲井は最後まで聞いてくれた。
そして、私の手に自分の手を重ね、今度は穏やかな雰囲気で口を開いた。
「もう十分悩んで、苦しんだのです。荷をおろしていいと思います」
「それができれば、いいんだけど」
「素直にごめんなさいが言えないなら、手紙にするとか、好きなお菓子をあげるとかでもいいのです。仲直りなんて、存外簡単なんですから。喧嘩も仲直りも、些細なことがきっかけで起きるものです」
「そう? ……うん、そうかもね」
「いきなりは難しいですから、小さなことから。そうやって、重いものを捨てていきましょう。お、お友達にそうお伝えください。あとごめんなさい、突然手を取ったりして……」
最後にそう付け加えて稲井はいつもの不器用な笑顔を見せた。「友達」が私だと気付いたのかそうでないのか、その真意は分からない。笑顔を見ても、やはり心は見透かせない。
――と思ったら、今にも消えそうなほどに掠れた文字が浮かんでいた。視線の動きを察知されないよう気をつけながら読んでみると。
『ちゃんと頑張れって、言えば良かったかな 稲井はやっぱりヘタレだ 友達の応援もできないなんて』
……なるほど。笑顔がぎこちないのはそういうことか。初めて彼女の心を読んだけど、もしかしていつも自己嫌悪していたんだろうか。それなのにずっと明るく、笑顔を絶やさないようにして。
「羨ましい……」
「はい? 何か言いました?」
「っ……!? い、いいえ何も」
羨ましい、か。無意識に出た言葉だったが、多分、その通り。稲井のようにふるまえたら、私は今の根暗なふうにはならなかったろうから。
――稲井のように素直になりたい。それが、今の願い。そうすればたくさんのことができるようになる。
「ありがとう、稲井。聞いてくれて。すごい楽になった」
「いいえ、稲井はただ聞いていただけですので。答えを出したのは園崎さん自身ですよ」
「でも、きっかけは稲井だから。本当にありがとうね」
「そ、そうでございます? えへへ……でしたら、どういたしまして」
稲井はほおをかきながら控えめに照れ笑う。同時に浮かんでいた文字は完全に消え、代わりに薄桃色のオーラをまとう。見たままの彼女の感情を表しているようだ。
ありがとう。その気持ちをもっと伝えたくて手を握る。とても驚いた様子を見せたがすぐ微笑んで、優しく握り返してくれた。
「それじゃあ、私は帰るね。今日も残るの?」
「は――……いえ、今日は園崎さんと一緒に行きます。よ、よろしいでしょうか」
「全然いいよ。行こっか」
「はい……!」
繋いだ手を惜しみながら離し、共に部室を出る。一瞬、冷えた空気が通り抜けた気がしたが……特に気にすることではないか。
「かえりましょう。お互いに」
「そうね。気をつけてね」
「園崎さんも――では」
校門を出てすぐ稲井と別れて歩き出す。久しぶりに、人と別れる時に寂しく感じた。
――明日こそ、仲直りするんだ。
稲井に何度も感謝し、決意を固めて帰路につく。この日の足取りは、いつにないくらい軽く、晴れやかな気分でもあった。
◇
あれから、一週間が経った。
この一週間は大変だった。気持ちを整え勇気を出し、どうにか幼馴染との和解できた。この際、幼馴染が新しく作った友人とひと悶着あったり、不可思議な現象に遭遇したりと色々トラブルがあったが、ここで語るほどのことでもない。
そのことを一番に報告したい相手がいた。私の背中を押してくれた稲井だ。
……おかしなことに、あの日から稲井を見なくなった。隣の教室を訪ねるも常に不在、先生に聞いても答えが返ってこない等々、存在すら確認できない。
同時に、私の心を読む能力もなくなった。当初の願いを叶えたからか、それとも稲井がいなくなったからか。……そもそもそんな力があったかどうか、でもあるが、追求するにも限界がある。今はよしておこう。
――そんなことを考えつつ、今日も部室を訪ねる。
仲直りした今でも放課後までここで時間を潰している。私以外誰もいない、寂しい部室で。
室内を見渡したり、時々机の下なんかを見たりして、稲井の影を探す。しかしどこにも見当たらない。最初から存在していなかったと言わんばかり。
それでも私は待ち続ける。新たにできた友達に、改めて感謝を伝えるために。
あの不器用で、ぎこちなくて優しい笑顔をまた見たいから。
「稲井、まだ来ないのかな……」
「……瑠璃ちゃーん、時間だよー。帰らないとー……」
「蘭の声――時間切れか」
待ち続けて数時間後、外から私を呼ぶ声がする。最近はこうして無為に放課後まで過ごしている。
「仕方ない。帰るか。……いつでも待ってるから」
そう言い残して去るのも恒例になっている。部室を出る際に感じる不自然な冷たい風にも慣れてきたところだ。
……もう一度部室を覗くも、やはり誰もいない。誰かいたような痕跡も、私が残したものに過ぎず、稲井がいた証たり得ない。それが寂しさを煽る要因となっている。
――稲井と過ごした時間は、決して忘れない。
また会えたら、会えなかった間のことを話そう。そしてありがとうと伝えるんだ。
あの日別れた時のように心に決めて、後ろ髪を引かれながら廊下を往く。
「…………ん?」
階段を降りようと一段目に足を掛けた時、目の錯覚か、桜色の『何か』とすれ違ったような気がした。
振り返ってみるも何も見つけることかなわず、周囲を確認しても何もない。疲れて幻覚でも見たんだろうか。
「――まいっか。蘭が待ってるし、少し急ごう」
それ以上考えることはせず、そそくさと階段を駆け下りる。
今日の夕陽は、霞がかった幻想的なオレンジ色に染まっていた。
「お待たせ蘭……って、お前もいるのか。早く帰ったらどうなの」
「うっせーな。蘭がどうしてもっていうから一緒にいたんだよ。テメェがさっさと帰りやがれ」
「瑠璃ちゃん、香ちゃん……二人とも落ち着いて、ね? じゃないと怒るよ」
「……蘭に免じて、今日は許す。次はないぞ」
「そのままそっくり言葉を返す。私はまだあんたを認めて――……」
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