『見えざるものの手招き』
心透する瞳・前
それは大体一ヶ月前のこと。
私は幼馴染と数年ぶりの大喧嘩をし、その日以来口を利かなくなっていた。……私が一方的に彼女を遠ざけている、というのが正しいのだけど。
ずっと一緒にいた彼女がいなくなったことで、周囲の言葉に過剰に反応してしまうように。こそこそ聞こえてくる声や視線が、悪意あるものかどうか勘ぐってしまう。元々一人でいることが多かっただけに、余計に意識してしまう。
摩耗する精神の中、私は強く願う。
――私にもっと、人の考えを察することができるなら。あわよくばサトリの如く心を読めるならば。
そうしたら、彼女と簡単に仲直りできるだろうし、周囲の人間に合わせて生きていくのが簡単になる。
だがそんなことはありえない。超常現象じみたことは起き得ない。心を読めるのは腕のいいカウンセラーかメンタリストくらいのもの。もちろん私に素養はない。
つまり、考えるだけ無駄なこと。幼馴染との関係はこじれたまま、私は中学生生活を消化するだけ。
……となるはずだった。いや、望んでいたことじゃないけど。
ありえないと思っていた超常現象が我が身に降りかかる……そんな経験はあるだろうか。
――私は、つい最近経験した。神か悪魔のきまぐれか、妙な能力を獲得することとなる。
結論から言うと――いいものではなかったな。
今からする話は、『力』は必ずしも人を幸せにはしない、というものだ。特に期待せず聞いてほしい。
どうせつまらない話だから。
【一過性怪異奇譚 ダンタリオンの瞳】
(また聞こえる……今日も今日とてうるさいなぁ)
朝のHR前の教室。時間にまだ余裕があるからか、人はまだまばら。その間にさっさと準備をし、始まる直前まで空き教室で時間をつぶすつもりでいる。
というのも、このごろ私に対する陰口が増えているようなのだ。声のする方向、ひそめ方、聞こえる内容などが私に向いているような、そんな気がする。同じ空間にいても気分が悪くなるだけだから、だったら移動してしまおう。という算段。
聞こえないふりをしながら準備を終え、なるべく誰の顔も見ないよう床を見つめながら教室を出る。気まずい、意識したくない。それに加えてもっと大事な理由がある。それは――。
――ドンッ。
「いって……ちゃんと前見ろよな」
「ご、ごめんな――あっ」
出る瞬間にクラスメイトとぶつかり、反射で顔をあげてしまった。その人の顔を見てしまい、瞬時に私はしまったと頭を抱えたい衝動に駆られる。
ぶつかった子の顔の周辺にうっすらと赤い文字が浮かんで見えた。最初はぼんやりとしていたものが徐々にくっきりとし始めて――
『うわやっべ園崎じゃん 面倒なのと当たったな』
最終的にこのように読み取れるように。明らかに相手は私を疎んじている、それが分かり急いでその場から走り去った。
無我夢中で廊下を走り抜け、気付いたら屋上の扉の前に来ていた。我ながらなぜそうしたか分からない。もしかしたら、空き教室探すより早いと無意識に思ったんだろう。分からないけど。
「はぁ、はぁ……ほんと、なんなのこれ。やっぱり気分悪い……」
さっきのように文字が見えるようになったのは最近のこと。二週間前くらいからだったかもしれない。
問題は、その文字が心の声の代弁だということ。これのせいで人の考えが読めるようになってしまった。顔を見てしまうと問答無用で見えてしまう。
――最初は、少しツイてると思っていた。喧嘩してしまったあの子と簡単に仲直りできるかもしれない、と。
しかし何度も心を読むにつれ、そんな考えは粉砕された。人の心は、全然優しくないと思い知らされた。愚痴をはき、悪態をつき、負の面が異常に色濃い。誰にも聞かれないからと平然と酷いことを言う。
……もちろん、心優しい人だっているはず。だけど、だけど、私が見てきた人は皆、どす黒い感情のみが渦巻いているようだった。バイアスがかかってそんな人だけを見ているだけかもしれない。だとしても、世の中の人々は黒に染まりすぎている。
負の側面を見続け、徐々に自分もそんなふうになるのではないか――と考え始め、私は次第に現実から、人の顔から目を背けるようになり、弱ってしまった。今じゃまともに人と接することすらできなくなってしまい、誰からも疎んじられるように。
正直、仕方ない。一切顔を見ない人間とは接していられないだろうから。私だってそう思う。でもどうしようもないじゃないか。こんな……。
「本音を読む力なんて、気味悪いだけだ。いいことなんて、まるでない」
都合がいいのは最初だけ。段々と過剰すぎるスペックに辟易する。
――一体、私の瞳は何を見ているんだろう。他人から見て、何が映っているんだろう。
考えはする。だけど答えはどうだっていい。
どうせ大した答えじゃない。願ってしまったからだ、そんな力があればいいなと。
それが間違いだっただけのこと。だから、考えるだけ無駄。
「元の生活に戻りたい……他人の考えなんて気にせずにいた頃に」
クソみたいな透視能力を得て何度願ったことか。
得た時とは比べ物にならないほど天に祈ったのに、未だに無くなる気配はない。
どうしようもない思いが大きなため息となって出た瞬間、朝一番のチャイムが屋上にまで響いてきた。
私は鉛のように重い身体を嫌々起こし、諦めに近い感情に支配されながら、居場所のない教室に戻る。……学生の本分は果たさねばならない。そこは、割り切らないと。
「…………早く帰りたいなぁ」
◇
「――起立……礼」
帰りのHR、運悪く日直になった私の号令で終える。挨拶後すぐ教室は雑談に支配され、まもなく蜘蛛の子が散るように人がはけ静かになった。この間わずか数分、こういう時だけ行動が早い。部活動やら放課後遊戯に忙しんだろう。知らんけど。
この日の教室にはほとんど人が残っていない。数人は留まっている、一人はその場で予習復習、一人は読書……過ごし方は様々。
対する私は部室へ移動するための準備と片付け。部活――というより同好会というべきか、部員が三人しかいないもの。その上私以外は幽霊部員と化している。
(とりあえず行くか。一人になりたい)
そうと決まれば私も早い。荷物を雑にカバンに突っ込んで掴み急ぎ足で教室をあとにする。いざ私だけの楽園へ。
向かうは三階、廊下突き当りの空き教室。元は何か用途があったらしい、しかし今は室名札が取り外され完全に不明、部室になる以前は廃棄予定の机や椅子が仕舞われていた。その教室のドアを無造作に開け放つ。
「……まあ、いないか」
教室内は誰もいない。中央に机と椅子が六セット並べられ、壁には本棚が並んでいる。辞書や図鑑、ハードカバーの本や文庫本などラインナップは広い。
読書研究部……とかつては呼ばれていた。もういない先輩曰く『サボリ部』、部活動しているという大義名分を得るためだけの部活。前述の部員二人がまさにそうで、最後に来たのはいつだったか。
一応私は真面目にやっているつもりだ。先生寄贈の本を読み、感想や考察を提出している。それ以外の時間は……その日ごとの一人反省会に使っている。今日もそのつもりだ。
カバンを隅に放り投げ一番近い椅子に座り机に突っ伏す。そして。
「はあぁ~……ホンットに無理ぃ~……」
でかいため息と語彙のない弱音を吐きだす。私にとって部活はこのためにある。
愚痴を言える相手がいない。一人になれる時間がすぐ欲しい、ともなればこれしかない。部員が少ないのも、部室がへんぴなところにあるのもすごい助かる。
「一人って楽。……でもやっぱり、蘭と仲直り、したい。私ってばバカだよな」
喧嘩した幼馴染に素直にごめんなさいすればいいだけ。現実では未だにその一言が言えないでいる。意地が邪魔してどうにもならないのだ。
――人の心が読める『瞳』をもっとうまく使えてたなら、今いる弱い私にはならなかっただろう。
本当に、私は……。
「あ、あのー……」
「ちょっと待ってください、今考え事してて」
「アッ、ハイ、分かりました大人しくしてます」
「すいません、私情が――待って、今の誰?」
正体不明の声に驚いて上体をがばっと起こす。声の主はどこだと室内を見渡すと、一番奥の机から頭が小さく飛び出ているのを見つけた。
誰、と言われたその人はおそるおそるといった感じで顔を半分出し、私の様子を窺っている。
「ご、ごめんなさい。空き教室だからいいかなって、ね、寝てました」
「床で? あなたアホなの? っていうか本当に誰?」
さらに追い打ちをかけるとようやく観念したのか、ゆらりと立ち上がる。小柄で、ぼさぼさ髪の地味めな子だった。
「えっとぉ……一年、の、稲井香澄です。よ、よろしく……えへへ」
「はぁ……あっ、私は園崎瑠璃。一年生同士、よろしく」
稲井、か。私のクラスで一度も聞いたことのない名前、隣のクラスの子だろう。
「稲井って呼んでもいい?」
「いやもうお好きなように……稲井は別になんだっていいです、園崎さん」
不器用に笑う稲井とぎこちない握手を交わし、これまたぎこちない笑顔を交換する。
――こうして出会った彼女。私にとって、中々に大事な出会いだと分かるのは、もう少し先のこと。多分、そう思わないとやってられない。
なんせ、この子の雰囲気が幼馴染にかなり似てるから。
正直、かなり苦手なタイプだ。自分の意思を押し殺してるような子は。
ひとまず、今浮かんでいる疑問は解決しておこう。
「で、稲井」
「はいっ、なんでしょう」
「なんで話しかけてきたの?」
「そ、それは……」
「それは?」
「なにか悩んでる様子でしたので、手助けできたらと。あと、ずっと独りで寂しかったので、お友達になりたく……」
「ハァ?」
「い、いやなんでもねーですよ……えへへ……」
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