夕焼け通りでの一件以来、具合は悪くなる一方。

 あの時の出来事は現実としか思えず、実際はただの幻覚で、見ていた間のことはやはり何も覚えていない。


 まともに歩けなかった私は香ちゃんの肩を借りながら登校、一限目に遅れたうえ保健室で二限目の終わりまで休むことに。


「ホントに大丈夫? まだ顔色悪いように見えるけど」

「うん、さっきより大分いいよ。香ちゃんのおかげ。ありがとう」

「運んできただけ……ん、どういたしまして」


 都合悪く保健室の先生がおらず、着いて早々私は気を失ってしまったらしく、寝ている間香ちゃんが付き添ってくれてたみたいです。一人だったら心細かったので、すごい嬉しかったです。


「にしても、なんであんなとこまで行ってたのさ。わざわざ寄る場所じゃなくない?」

「そうなんだけど、自分でもよく分からないの。いやでも……うーん……」

「……思い当たることはあるんだ」


 ――私が見た幻覚のこと、それ以前からあった謎の症状のことを相談するか、非常に悩むところ。


 聞いてすぐ理解されるような話じゃない気がする。幻聴に記憶障害、その上幻覚だなんて……盛りすぎていると思われても仕方ないほどです。


 香ちゃんのことは信頼してます。でも今回は別です。

 信じてもらえるかどうかじゃなくて、余計な心配を掛けたくない。ただ、それだけ。だから私は。


「思い出に浸りすぎてたせいかも。多分疲れてるだけ。休めばきっと大丈夫だから」

「無理、してない?」

「平気だよ。うん、大丈夫」

「……分かった。ならこれ以上聞かない。でも本当に無理ってなったら、ちゃんと言って。ね」

「そうする。ありがと、香ちゃん」


 ……後ろめたさはある。けどこれは私の問題だから。香ちゃんを巻き込むわけにはいかない。


 ひとまず今は、しっかり休もう。休むというか、限界ギリギリというか。


「おやすみ、蘭」

「――うん」


 香ちゃんに手を握ってもらいながら、私は再び眠りにつきました。香ちゃんの手はあったかくて、久しぶりに安心して眠れた気がしました。




 なんとか授業に復帰はできました。しかし幻聴が慢性的に続いているせいでほとんど集中できません。頭痛はない分まだ平気なんですけど……。


 集中できないのにはもう一つ理由がありまして。多分、『夢』を見たせい。

 どうしても、瑠璃ちゃんに視線が向いてしまうのです。授業の半分は横顔を眺める時間、休憩に入ると様子をうかがう時間となってます。


 何度、どれだけ見ても、瑠璃ちゃんはいつもの……そっけなくて口をきいてくれない瑠璃ちゃん。夢の中とは正反対。そっけないのは普段通り、でしたけど。

 現実はこうです。相変わらず瑠璃ちゃんとは仲違いしたまま。理想通りにはいかないもの。


 いっそのこと夢のままだったら、よかったのに。


(……ううん、ダメ、そんなふうに考えちゃ。ちゃんと仲直りしてこそでしょ)


 瑠璃ちゃんとこうなったのも、原因を辿れば私にある。夢や理想に逃げちゃいけない。自分の手で解決しないといけない。

 でもそう考える度に幻聴が酷くなる。それ以上はやめろ、と警告するかのように。


「――ねぇ蘭、まだ具合悪い?」

「えっ?」

「えっ?」


 考え事の最中、香ちゃんの声で現実に意識が引き戻されました。

 はて、今は何の時間だったっけ。


「だ、大丈夫だよ。それで、今ってなんだっけ」

「昼休みだが? いやぜーんぜん大丈夫じゃないじゃん」

「ぼーっとしてただけ。いつも通りだよ」

「……はぁ、あんま抱えすぎんなよ。言ってもあんまり聞いてくれないだろうけど」

「ご、ごめんなさい」

「ちったぁ分かればよし。学校終わったら早く帰って、しっかり休むこと。いいね?」

「うん、分かった。ありがとう、香ちゃん」


 ――ごめん、香ちゃん。隠し事ばっかりして。全部終わったら、全部話すから。


 気に掛けてくれているのに、私ができたことは笑ってごまかすことだけでした。

 幻聴なんて関係なく頭が痛いなぁ……。




 結局悩むだけで何も進まず、気付けば帰路を歩いていました。いつも以上に町の光景が灰色に見えます。どこか空虚で、歪でよどんでいるような……いやいや、自分の調子がよくないからって言いすぎですね。


 ため息まじりに歩き続けていると、ふと後ろから誰かの走る音が。それはどんどん近付いてきて、


「らーん! 蘭待って!」


 私の隣で急ブレーキ。誰なのか確かめてみると、いたのは意外な人物。


「……おりょ? 瑠璃ちゃん? な、なんで?」

「なんでって、うーん、別に理由はないかな。見えたから、一緒に歩こうって思って」

「そ、そうなんだ。まあ、別にいいよ?」

「なんで疑問形なの。変なの」


 そう言って、額の汗をぬぐいながら笑う瑠璃ちゃん。ここ数年見たことない爽やかタイプの瑠璃ちゃんです。何かいいことあったんでしょうか。

 合流した後は普通に雑談しながら歩くだけ。帰り道が一緒なのは久しぶりです。小学校までは同じ道を通っていたのですが、中学校の立地の関係で今は別々。


「ちょっと懐かしく感じる。この辺めったに通らなくてさ」

「そんなに?」

「ほら、蘭と遊ぶ時いつも家に来てくれてたでしょ、余計にね――あっ、あそこの駄菓子屋なくなってる。いつから?」

「先月くらいかなぁ。でも別の場所でまたやってるよ、家の老朽化が原因って言ってた」

「それなら仕方ない。ちょっと寂しいけど」

「……ふふっ」

「なぁにその笑い。変なこと言ったかな」


 私もよく分かりません。つい笑いが漏れてしまいました。

 なんといいましょう。何気ない日常のやりとりに心地よさがあるというか。香ちゃんと仲良くなるまではあまり落ち着けなかったので、余計穏やかに感じるのかも。


「ううん。楽しいなあって」

「普通にしゃべってるだけじゃん。今日の蘭、だいぶゆるゆる」

「うん、そうかも――っ、ぃ……」

「ちょっ、どうしたの? 頭痛いの?」


 こんな時に例の頭痛が……ぶっ飛ぶほどの痛みはなくともさすがにうっとおしいです。なぜ楽しい時間を邪魔しにくるのか。


「もうじき着くんだし、あと少しがんば――」


「……えっ、瑠璃ちゃん? あ、え?」


 たった一回、まばたきの間に彼女の姿は消えていました。


 もっというと、今いる場所は私の部屋。時計は午後七時を指し示し、私自身は部屋着姿に。現実を認識した瞬間に、強烈な頭痛が追い打ちをかけてきます。


「ぐうっ……また、これ……」


 この頭痛は記憶が飛んだあとのもの。分かっていても痛みは全く慣れません。ひとまずベッドにでも腰掛けましょう。正直立っているのも辛いです。


 しかし、いつから私は白昼夢の中にいたのでしょう。

 瑠璃ちゃんとお話していた時間は、間違いなく夢です。まだ仲直りしていませんから……分かっていながら、私はあの時間の中にいたわけです。まさに夢のようなひと時、というわけです。


 ただ、始まったのはいつなのか。さかのぼって考えれば帰路についた頃からでしょう。でも学校を出た記憶がないのです。出る前後、私の身に何かあったのか。


 原因追及したいところですが、そんなことより優先して考えることがあります。それはとても単純なもので。


「どうして私がこんな目に……普通に生きていたいだけなのに……!」


 何が悪いというわけじゃない。元をたどれば結局私なわけで、つまり怒りの矛先は巡り巡って私に向くわけで。


 普通に生きたい。そう願うなら、私自身がどうにかしなくちゃいけない。

 でも、そのやり方が、全く分からない。


 頑張っても、どうせいつものアレが邪魔をする。

 だからって諦めてしまう? ずっと瑠璃ちゃんと離れたままで。


「それは……嫌だけど、私は――う、ううぅ……!」


 ――キィィィン…………。


 甲高い音と共に響く強烈な痛み。やはり耐えるなんてできず、ベッドの上で転げまわりしかできない。


 ――結局こう。何をしようとも『何か』が私の邪魔をする。あと一歩が踏み出せないようにと。このまま私を殺さんとばかりに。


 もう、全てを投げ出したい。逃げ出して、ずっと夢の中にいたい。夢でなら瑠璃ちゃんと仲直りできてるんだから。


 瑠璃ちゃんと……できないくらいなら……。


 ――そうして私は、進んで意識を痛みに預け、理想の世界に逃げ込むのです。幸せだと感じられる世界があるなら、弱い私は行くしかない。


 痛みを越えた先は、気持ちのいい朝陽が降り注ぐ通学路。そして隣には。


「――でさ、その子ってばいつも床で寝てて……って蘭、ちゃんと聞いてる?」


 何かを話す瑠璃ちゃん。お友達の話でしょうか、どこか楽しそうです。


「うん、聞いてる。もっと聞かせてほしいな、まだ時間あるし」

「いいの? じゃあ話すけど……」


 私の様子が変だと感じたのか、小さく首をかしげながらも思い出話の続きをする瑠璃ちゃん。ただ話を聞いてるだけ。でも瑠璃ちゃんが楽しそうだと私も楽しくなる。


 この時間だけ続けばいい。ずっと続く嫌な音さえ耐えれば夢の中にいられる。


 ――いつか現実と向き合わないといけない時が来るでしょう。なら、その時までどうか、このまま。

 私は静かに、目を閉じました。

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