第十章 白雪姫は王子様と因縁の魔女と対峙する

 《白雪姫》のための抜け道は、王城内のとある部屋につながっていた。

 王族のための謁見の間にある、隠し部屋だ。

 こちらからは謁見の間の様子を覗き見ることが可能である。

 幸い、謁見の間には誰もいない。

 多少の物音を出したところで気づかれることはないだろう。

 もう日が暮れているため、周囲は暗い。


「こんな場所があったなんて」


 ぽつりとエリネージュがこぼすと、レクシオンが微笑んだ。


「どこの王城にも隠し部屋や隠し通路はあるものだよ。さすがに大精霊の作った抜け道を通るのは初めてだったけれど」

「そうね。私も、まだ信じられないわ」


 大精霊に愛される《白雪姫》の生まれ変わりだったなんて。

 しかし、他の魔女たちと魔力そのものが違っていた理由もつく。

 転生を繰り返すことによって加護は薄まると言っていたが、エリネージュにとっては十分すぎるほどだ。

 この肌には傷一つつかないし、毒も効かないのだから。


「リーネは誰にも渡さないよ。大精霊にも、小人たちにもね」


 耳元に囁かれた低い声には、きっととんでもなく重い独占欲がにじんでいたけれど、うれしかった。


「さぁ、結婚の挨拶に行こうか」


 仄暗い嫉妬や独占欲をきれいさっぱり消して、レクシオンがにっこりと笑う。

 もう否定することはせず、エリネージュは彼の手を引いて隠し部屋から出た。


「おかえり。わたくしの大切な《白雪姫》」


 誰もいなかったはずの謁見の間で、その玉座に座り、《白雪姫》を待つ者がいた。

 暗かった室内は蝋燭の火で灯され、その人物が照らされる。

 腰まで波打つ赤紫の髪と、底知れない感情を映す青い瞳。

 形のよい唇は笑みを浮かべている。

 胸元が開いた漆黒のドレスは、彼女の白い肌を際立たせていた。

 その容姿は艶やかで、美しい。

 しかし、その美しさは磨き抜かれた刃物のような鋭さを持ち、他者を寄せ付けない類のもの。


「ユーディアナ」


 グレイシエ王国女王ユーディアナは、エリネージュを見て美しく微笑んでいる。

 隠し部屋から現れたエリネージュに驚くことも、咎めることもなく。

 彼女の態度を見て、エリネージュは奥歯をかみしめる。


(すべて、計画のうちってこと?)


 たとえユーディアナの手のひらの上だとしても、エリネージュはもう逃げない。

 何も知らずに逃げてばかりだった、あの頃の自分とは違うのだ。


「そう睨まないで頂戴。あなたが死んだかと思って心配していたのよ。無事でよかったわ」

「私を殺そうとしていたくせに、よく言うわ」

「でも、死ななかったでしょう?」


 些末なことだというように、ユーディアナは微笑む。

 その時、レクシオンが動いた。


「グレイシエ王国ユーディアナ女王、僕はアルディン王国第一王子レクシオン。我が国で起きた連続仮死事件について、あなたに聞きたいことがある」

「人間風情がわたくしの前で発言するなど許さぬ!」


 ユーディアナがひらりと手を振ると、壁に飾られていた燭台が一斉にレクシオンに向かって飛んできた。

 蝋燭に灯されていた火も大きくなり、レクシオンをのみ込もうとする。


「レクシオン!」


 エリネージュはすぐに魔法を発動させようとした。

 しかし、そのすべてをレクシオンは剣ではじいていた。

 黒い騎士服には火の粉ひとつかかっていない。


「随分と手荒い歓迎だな、ユーディアナ女王」


 剣を鞘に納めることなく、レクシオンが改めてユーディアナに視線を向けた。


「……何故、魔法も使えない人間が、わたくしの攻撃を防げたのだ」


 初めて、ユーディアナの顔から笑みが抜けた。

 その瞳には、怒りが宿っている。


「レクシオン、大丈夫なの?」

「あぁ。大精霊のおかげかな」


 そう言って、右手の甲を見せた。

 赤い雪の結晶からは、かすかな魔力を感じる。


「《白雪姫》を守るために必要な力は与えてくれるのかもね」

「よかった、レクシオンが無事で」


 大精霊の力に感謝しなければならない。

 もしエリネージュの魔法が間に合わなかった場合、今頃レクシオンは炎に包まれていた。


「ユーディアナ。私は、王女としての扱いをされなくても、殺されそうになっても、あなたから逃げるだけだった。でも、今はあなたが許せない。もうこれ以上、あなたの独りよがりな計画に巻き込まないで」


 エリネージュはこれまでのことを思い返しながら、ずっと吐き出すことのなかった怒りをあらわにする。


「あなたにグレイシエ王国の女王はふさわしくない」


 そう宣言して、エリネージュは初めて攻撃する意味合いで魔法を発動した。

 何らかの反撃がくると予想していたのに、ユーディアナは微笑むだけで何もしなかった。

 ふわりと彼女の赤紫の髪が揺れ、その身体が床に崩れ落ちる。


(何故、抵抗しなかったの……?)


 十年前から計画していたはずなのに、そう簡単に諦めるものだろうか。

 不信に思いながらも、エリネージュは玉座へと近づいていく。


「起きているのでしょう? あなたには聞きたいことが山ほどあるの」


 殺すつもりで魔法は使っていない。

 そもそも、エリネージュに人を殺す魔法なんて使えない。

 倒れたユーディアナの肩を揺らし、声をかける。


「あなたにこんなことができたなんてね……ふふふ」


 攻撃されたのに楽しそうに笑うユーディアナをますます奇妙に思いながらも、エリネージュは問う。


「お母様はどこ? 生きているのでしょう? お父様は無事なの? アルディン王国を狙ったのは何故? 私を使って、どうやって不老不死を実現しようとしていたの?」

「すべては、あの鏡の中よ」


 にっこりと笑って、ユーディアナは視線で示す。

 玉座の後ろに置かれた、姿見を。

 その鏡には、記憶と違わぬ母の姿と、父の姿が映っていた。

 こちら側にはいないのに。


「まさか……」


 母と父を鏡の中に閉じ込めているのだろうか。

 たしかに、鏡の中であれば、現実とは違う時の流れであってもおかしくはない。

 エリネージュは立ち上がり、引き寄せられるように鏡の前に立った。

 鏡に触れようと手を伸ばしたところで、大きな手に止められる。


「リーネ、駄目だ。罠かもしれない」


 レクシオンが真剣な表情で訴える。


「でも! お母様とお父様が鏡の中にいるかもしれないのよ!? 助けなきゃ!」

「僕には何も見えない」

「それは、あなたが魔女ではないからよ!」


 どうして分かってくれないのか。

 目の前の鏡には、目を閉じて、生気のない両親が映っているのに。

 今すぐにあの中から助けださなければ、今度こそ、本当に喪ってしまうかもしれない。

 伝えたい思いがたくさんあるのに。

 エリネージュは、自分を止めるレクシオンの手が憎らしくて、振りほどこうとする。


「君が大切なんだ。どうしてもこの鏡に触れるというなら、僕がやる」


 魔法に関することだ。何が起こるか分からない。

 まして、鏡の中に囚われた二人を救おうというのならば。

 守り人としての魔力があるとはいえ、レクシオンに任せられる訳がない。

 エリネージュは首を横に振った。 


「ごめんなさい、レクシオン」


 エリネージュは初めて、レクシオンに対して魔法を使った。

 自分を守るための、他者をはじく魔法。

 玉座の下に飛ばされたレクシオンが受け身をとったのを確認して、エリネージュはほっと息を吐く。

 嫌われても仕方がない。

 レクシオンは自分を心配してくれただけ。

 それなのに、魔法を使ってしまった。

 どうしても、自分の手で両親を救いにいきたいと思ったから。

 今ここから、親子をやり直したいと思うから。


「リーネ!」


 焦ったようなレクシオンの声が聞こえる。

 レクシオンは魔法を使ったぐらいでエリネージュを嫌いになったりしないのだ。

 エリネージュの盾になるために必死に距離を詰めようとしている。


(本当に、どうして私のためにそこまでしてくれるの)


 エリネージュは胸が熱くなる。


「心配しないで。ちゃんと、両親を連れて戻ってくるから。そうしないと、結婚の挨拶もできないでしょう?」


 愛しい人を振り返り、エリネージュはにっこりと微笑んだ。

 次に会う時は、レクシオンの求婚に応えようと決めて。

 そして、エリネージュは冷たい鏡に触れた。

 直後、エリネージュの体は鏡に引き寄せられ、ぐらりと世界が逆転した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る