第三章 白雪姫は王子様の噂を知る

 レクシオンにどうすれば安心できる場所を作れるのか。

 考えれば考えるほど、やはり彼の噂というものが引っかかってくる。


(変な噂が多いなら、噂を上回るほどの何かが必要よね……)


 しかし、肝心の噂をエリネージュはまだ知らない。

 カトリーヌが来たら聞いてみよう、と思った時、ちょうど彼女の声が聞こえてきた。


「いけません! アレックス様! お嬢様はまだお休み中で……っ」


 なんだか様子がおかしい。

 バタバタと慌ただしい足音が聞こえてきたかと思うと、ガチャリと寝室の扉が開いた。


「なんだ、起きているじゃないか」


 その声に振り返ると、短い金色の髪にサファイアの瞳の貴公子が立っていた。

 白地の生地には金の刺繍、身につけたブローチやカフスは瞳の色に合わせた宝石。

 煌びやかな装いを当たり前のように着こなしており、王子であるレクシオンの許可なくここまで来ることができたのだ。

 おそらく彼も王族なのだろう。


「な……っ」


 不躾に女性の寝室に入ってきた彼は、エリネージュの姿を目に映し、一時停止している。

 こういう反応は初めてではないので、エリネージュはため息を吐きながら近づいた。


「もしも~し、現実に戻ってきてください」


 きれいなサファイアの前で手を振り続け、数秒。

 息すらも止めていたのか、顔を真っ赤にして寝室の外へ駆け出した。


「申し訳ございません、お嬢様。驚かれましたよね」

「あの方は?」

「レクシオン様の弟君、第二王子のアレックス様でございます」

「あの王子の弟にしては、けっこう可愛い方なのね」


 エリネージュに見惚れて顔を真っ赤にして逃げ出すなんて、レクシオンでは考えられない反応だ。


「はい。アレックス様はとても素直で可愛らしい方なのです。ですが、私の性癖ではございませんので……」


 性癖の相性については聞き流すことにして、エリネージュは改めてアレックスと話をすることを決めた。


(兄弟仲が良ければ、弟君にすべてを委ねれば簡単だわ)


 エリネージュに兄弟姉妹はいない。

 弟や妹に憧れていたが、母が亡くなり、それどころではなかった。

 血を分けた兄弟ならば、レクシオンのこともある程度理解しているだろう。



「さ、先ほどは、し、失礼した……っ」


 声を裏返しながら、まだ頬の赤みがとれていないアレックスが頭を下げた。

 本当に可愛い反応だ。思わず口元が緩みそうになる。

 とはいえ、年齢はエリネージュより少し上だろう。


「カモミールティーでございます」


 カトリーヌが二人の間にティーカップや菓子を置いていく。

 まだ精神的に落ち着いていないアレックスのために、カモミールティーは最適だろう。

 そう思っていたのだが、アレックスはカモミールティーをぐぐぐっと一気飲みしてしまった。


「あっつ!」


 淹れたての茶を一気に飲むからだ。

 カトリーヌが慌てて冷たい水を用意し、アレックスはそれもまた一気に飲み干した。

 そうして、ようやく落ち着いた。


「あなたが、兄上に無理やり連れて来られた哀れな女性ですか」


 つい先程までの失態をすべてなかったことにして、真顔を作ってアレックスは話し始めた。


(笑ってはいけないわ、エリネージュ)


 彼のプライドのためにも、色々と見なかったことにしてあげよう。

 そうでなければ、レクシオンのことも頼めない。

 エリネージュがアレックスの言葉に頷こうとした時、カトリーヌが口をはさんだ。


「レクシオン様は無理やり連れてきた訳ではございません! お嬢様を保護しているのです!」

「……あの兄上が、保護だと? 生きている人間に興味なんてあったのか?」


 アレックスの反応を見て、やはりレクシオンは生きている人間との関わりが希薄なのだと知る。


「だったら尚更、あなたが危険です」


 アレックスがエリネージュにまっすぐ忠告する。そして、少しだけ頬を赤らめた。


「えっと、それはどういうことですか?」

「兄上は、生きている人間よりも死体にしか興味がないのです。今を生きる国民のためにあるべき王族でありながら、死体を守るための墓騎士グレイヴナイトをしているのだから……」

「グレイヴナイト?」


 聞いたことのない名称に、エリネージュは首をかしげる。


「王族や貴族の墓を守る騎士のことです。兄上が笑いかけるのは死人にだけなんですよ」


 アレックスは、忌々し気にレクシオンの話をする。


「だから、もしあなたを本当に兄上が気に入ったのだとしたら、殺されるかもしれない」


 たしかにそのような言葉は初対面の時にかけられた。

 エリネージュ自身も、死体として側にあることを望まれたのだと思っていた。


「でも、私はまだ生きているし、レクシオン様は笑ってくれたわ」


 エリネージュの言葉に、アレックスは信じられないというように大きく目を見開いた。


「それは、あり得ない……っ!」


 強く否定し、アレックスは拳を強く握る。


「兄上は……自らが愛されるために、母上を殺した――母親殺しの王子なのですから」


 アレックスの言葉がすぐには理解できなかった。


 ――ハハオヤゴロシ?


 レクシオンの笑顔が脳裏によぎり、エリネージュの胸がざわつく。


「だから、あなたを生かしたまま、側に置いておくなど、そんなことはあり得ない……」

「お前には関係ないことだ」


 一瞬で凍えそうなほどの恐ろしい声がアレックスに向けられた。


「兄上……っ!?」


 レクシオンは、エリネージュが見たこともない冷たい表情を浮かべている。

 アレックスはレクシオンに睨まれ、その無言の圧力に逆らえず、何も言葉にできていない。

 なんだかアレックスが可哀想になってきた。

 エリネージュは立ち上がり、アレックスを庇うようにレクシオンの前に立った。


「朝から兄弟喧嘩はやめなさい!」

「……兄弟喧嘩?」


 怪訝そうにレクシオンの顔が歪んだ。


「はい。だって、アレックス様は弟なのでしょう? あんまり虐めていると嫌われますよ!」


 エリネージュの『レクシオン安心計画』を進めるためには、兄弟仲が良くなければならない。

 最終的にはアレックスに丸投げして逃げるつもりのエリネージュは、胸を張ってレクシオンに言う。


「ふっ、ははは……っ!」


 こちらは真剣に言ったのに、いきなりレクシオンが笑いだした。

 これにはアレックスも息をのみ、何度も頬をつねっていた。


「ということだから、リーネに免じて今日のところは何も言わない。早く去れ」


 レクシオンに鋭く睨まれ、アレックスは悔しそうに唇を噛む。


「……俺は、父上が追及しなくても、兄上の罪を絶対に許さない」

「あぁ、分かってる」


 憎しみさえ込められたアレックスの言葉に、レクシオンは淡々と返した。

 兄弟が交わす会話としてはあまりにも重く、苦しいものにエリネージュはアレックスの背を見送ることしかできなかった。

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