第八章 白雪姫は王子様とハッピーエンドを模索する
1
国王ジルモンドは、レクシオンの姿を視界に入れるなり、顔を赤くして立ち上がった。
「お前はっ! よく私の前に顔を出せたな!」
「随分と頭に血が上っているようですね。シーノに何を言われたのか知りませんが、十年前からグレイシエ王国と通じていたのはシーノ自身ですよ」
「お前の言葉など、信じられるはずがないだろう! 私が知らないとでも思っているのか? フェリエの亡骸をどこへやった!?」
レクシオンが父とこうしてまともに言葉を交わすのは、数年ぶりだ。
母の遺体をこっそり運んだことに気づかれていたのか。
『お前のせいで、お前のせいでっ……何故いつも私の大切なものを……私が、何も守れない王だと馬鹿にしているのか……』
父の心の内は、レクシオンへの疑心に満ちていた。
エリネージュが言うように、息子である自分を気遣う心など、やはりない。
(あぁ、本当に厄介だな)
実の息子であるレクシオンの言葉が信じられないのに、他人である宰相シーノの言葉は信じられるのか。
シーノの言葉が受け入れられるのは、それだけの信頼を築いているからだ。
レクシオンにはない、信頼――。
その上、ジルモンドの特殊能力は、“声”だ。
人を操るようなものではなく、大声が武器となるのだ。
その声は、振動で空気を震わせ、人の動きを止めるほど。
本気を出せば鼓膜を破ることもできる。
周囲にいる人間全員を巻き込むため、ジルモンドがその力をむやみやたらに使うことはない。
しかし、今はレクシオンへの怒りに我を忘れそうになっている。
シーノが与えた、起爆剤となる情報のせいで。
おかげで、直接その怒声を浴びせられたレクシオンの身体は震えている。
だが、問題ない。
まだ複雑ではあるが、エリネージュのおかげで、レクシオンはひとつの心の傷を癒すことができた。
「ジルモンド、これ以上レクシオンを責めないでください」
儚げで、透き通るような声が謁見の場に響いた。
大きな声ではないのに、皆が耳を傾けざるを得ない声だった。
その人は、エリネージュに支えられて謁見の場へと入ってくる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
まだ慣れないその身体をぎこちなく動かしている。
「……フェリエ、なのか?」
黄金に輝く長い髪、アクアマリンのような瞳。
色が白く、華奢で、美しい女性。
王城の肖像画に描かれている、王妃フェリエそのものだ。
もう二度と会えないと思っていたフェリアの姿に、驚いたのはジルモンドだけではない。
アレックスも、記憶の中と違わぬ母の姿に涙を浮かべる。
そして、レクシオンを断罪しようと笑みを浮かべていたシーノの顔は、愕然としていた。
「な、なぜ……っ!? たしかに、毒で、死んでいたはず!」
シーノにとっても、あり得ない事態だったのだろう。
初めて彼がうろたえる。
(すべては、リーネのおかげだ)
エリネージュの涙が、眠ったような死をもたらす毒を解毒してくれた。
奇跡のような出来事だった。
レクシオンは、今までにないくらい晴れやかな気持ちで元凶である男を見つめる。
「宰相シーノ。今の発言は、王妃を毒殺したことを認めるということでいいね?」
「国王陛下、ち、違いますからっ! 私は何もっ! レクシオン殿下に騙されないでください! きっと、王妃様のお姿も魔女が、魔法でみせている幻です!」
シーノはレクシオンを見向きもせず、ジルモンドへ訴える。
しかし、ジルモンドの目線はただフェリエへと向けられていた。
「フェリエ、フェリエっ!」
玉座から、フェリエとエリネージュが立つ扉へと、ジルモンドがまっすぐに走る。
そして、その身体を抱きしめた。
愛しい人の存在を確かめるように。
「フェリエ、お前を忘れたことはなかった! すまなかった! 守って、やれなくて! お前の、望みを、叶えてやれなくて……っ」
ジルモンドの涙など、誰も見たことがなかった。
国王でも父でもなく、ただ一人の男として、愛する女にすがって泣いている。
「ジルモンド……わたくしこそ、守れなくて、ごめんなさい」
「本当に、フェリエが、戻ってきた……んだよな?」
「えぇ。レクシオンと、エリネージュ王女のおかげで……だから、これ以上、レクシオンを傷つけないで。わたくしたちは、償わなければならないわ。レクシオンの心を傷だらけにしてしまったことを……」
フェリエの言葉だけは、頑なだったジルモンドの心に届く。
心の声を聞かれることに怯えて、避け続けた。
うまく愛せなかったらどうしよう、という母としての不安。
それがすべて、自分の息子に筒抜けになってしまう。
自分の心を見せるのが怖くて、立派な王妃であろうと、立派な母親であろうと思うほどに苦しくなって。
愛したいのに、遠ざけてしまった。
そして、フェリエを愛するジルモンドは、原因であるレクシオンを責めた。
心労によって、フェリエが病に伏せることも多かったから。
悪循環のはじまりは、いつもレクシオンだった。
過去に思いを馳せていたレクシオンを現実に戻したのは、あたたかい手のぬくもりだった。
「レクシオン、大丈夫?」
黒真珠の瞳が、不安そうなレクシオンを映す。
かっこ悪いところばかりを見せているのに、こうして側にいてくれて、奇跡を起こしてくれた。
かつては何も感じなかったはずの心が、燃えるように熱い。
エリネージュへの想いは、どんどん大きくなっている。
「いや、心臓が痛いよ。リーネが愛しくてたまらないんだ」
彼女を想うと、胸が切なく締め付けられて、愛おしさがあふれてくる。
ぐっと腰を抱き寄せ、エリネージュの黒髪に手をうずめた。
「ちょっと……っ!? 今の状況、ちゃんと分かっているの?」
なんて言いながらも、本気で抵抗しないのは、自分のことを心配してくれているから。
それが嬉しくて、つい調子に乗ってしまう。
「リーネ、本当にありがとう」
ありがとう、という言葉では足りないほどの奇跡をくれた。
レクシオンの心に触れ、レクシオンのために涙を流してくれた。
消えない罪悪感のーー罪滅ぼしのための人生だった。
自分の人生なんて、どうでもいいと思っていた。
望んではいけないのだ、と。
しかし、エリネージュに出会って、初めて欲が出た。
彼女と生きたいと思った。
もう、自分には望むものなどないと思っていたのに。
(僕だけの、愛しい
これから先のすべてを、彼女に捧げたい。
しかし、まだ。
レクシオンにはしがらみが残っている。
「君がくれたこの奇跡を、僕は絶対に逃さない」
美しい黒檀の髪に口づけて、レクシオンは近衛騎士に取り押さえられているシーノに目を向けた。
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