時は少し遡り。

 レクシオン所有の別邸――死体保管室。


 エリネージュは、信じられない思いで目の前の紳士に声をかける。


「えっと、本当に、あなたがモルト伯爵ですか?」

「はい。あの、ここは、病院でしょうか?」


 モルト伯爵は戸惑いながら、周囲を見回す。


「いや、あの……」


 エリネージュが何と答えようかと視線をさ迷わせているうちに、レクシオンが口を開く。


「いいえ、死体保管室です。モルト伯爵、あなたはつい先程まで死体だったのです。すでに死亡届も受理されていますよ」

「はっ!? そ、そんなはず……レクシオン殿下! 冗談が過ぎますぞ!」


 モルト伯爵が震えて抗議する。

 たしかに、生き返った本人は受け入れがたいだろう。


「モルト伯爵が信じられないのも無理はない。僕だって、まだ信じられない」


 レクシオンは冷静に見えるが、かなり驚いていたらしい。

 エリネージュが目覚めた時とは、状況が違う。

 彼はひと月以上、心臓を止めていたのだから。

 しかし、モルト伯爵が生き返ったことにより、エリネージュの中ではひとつの答えが出た。


「あの毒は、人を殺すための毒ではなかったのよ」


 ユーディアナが執着していたのは、永遠。

 どれだけ美しく保っていても、時は過ぎる。

 魔女も老いには勝てない。

 魔力は衰え、その美貌もやがては枯れていく。


 だからこそ、ユーディアナは不老不死を実現しようとしていたのだ。

 自らが美しいうちに、魔力が輝いているうちに。


「リーネ、それはどういうこと?」


 レクシオンが真剣な眼差しで問う。


「殺すのではなく、死なないための実験だったのよ。人間を見下した、ユーディアナらしいやり方だわ……許せない」


 魔女が人間に下るなどあってはならない。

 それが神から力を授けられた魔女の矜持だと。

 戦争を終わらせようとしていた女王マリエーヌとよく対立していた。


(あぁ……母の死にも、やっぱりユーディアナが関わっているのね)


 マリエーヌの魔法は、時を操るもの。

 時を操ることは、神の領域に近い。

 だからこそ、マリエーヌは女王となった。

 しかし、その力は反動が大きく、使い続けることは難しい。

 時の魔法を使った直後、血を吐いて倒れる母の姿をエリネージュは何度か見たことがある。

 病死だと聞いた時は、魔法を使いすぎたせいだと思った。

 命を落とすほどの魔法を、一体何のために使ったのか。

 母を喪ったばかりのエリネージュは考える余裕がなかった。

 そして、その後は女王となったユーディアナからの嫌がらせや暗殺に耐えることに必死で、考えられなかった。

 ようやく今、分かった気がする。


(お母様の“時の魔法”を使って、ユーディアナは肉体の時を止めていたのだわ)


 しかし、心臓を止めたままでは死んでいるのと変わらない。

 だからこそ、不審死と処理されて彼らは死人となった。

 エリネージュの力をもって初めて、目覚めることができたのだ。

 きっと、ユーディアナはその可能性に気づいていた。

 だからこそ、エリネージュを狙っていたのかもしれない。


 唇をかみしめ、険しい顔で黙り込んだエリネージュを不意にレクシオンが抱きしめる。


「リーネ、我慢しないで。泣きたい時は泣いていいって教えてくれたのはリーネだろう?」


 優しく、気遣うような声が耳に響く。

 あたたかなぬくもりが、凍えそうだったエリネージュを包み込む。


「私っ、結局、何もできずにっ……お母様のことも、知ろうとせずに……こんな、ひどい、ことが起きていたのに……っ、私は、お母様に期待されて、いた……王女だったのに」


 レクシオンの腕の中で、エリネージュは感情を吐き出す。

 優しく背中を撫でてくれる手が、大丈夫、と囁く声が、エリネージュの涙を加速させたけれど。

 自分のために泣くのは本当に久しぶりで。

 しかし、この涙で目覚めて、息を吹き返した人がいることを思い出して。


「うぅっ、レクシオン! 今すぐに瓶を持ってきて!」

「えっ!? わ、分かった!」

「早くして! 涙が、落ちちゃううから!」

「あぁぁ、そういうことか!」


 感情のままに泣くエリネージュと、その零れ落ちる涙を小瓶で受け止めるレクシオン。


「あぁ、リーネの涙は本当に美しいな。宝石に閉じ込めたいくらいだ」

「変なこと言わないでよ! 泣けなくなるでしょう!?」


 傍から見れば、ある種の変態行動。

 しかし、当人たちにとっては命と同じくらい重要なことだった。


「ねぇ、レクシオン。私、現実にはハッピーエンドなんてあり得ないと思っていたの」


 童話の世界のお姫様みたいに、王子様に出会って幸せになるなんて、ただのおとぎ話だと思っていた。

 エリネージュが求める普通の幸せは、手に入らなかった。

 母を喪って、継母となったユーディアナには命を狙われて、国を出るしかなくなって。

 何のために逃げているのかも分からなくなって。

 それでも、逃げて。逃げて。逃げ続けて。

 レクシオンに出会った。

 

「でも、今ならハッピーエンドもあるかもしれないと思えるの」


 今、エリネージュの目の前には自分を愛してくれる王子様がいる。

 幸せな未来を手に入れるためのピースが、この手にある。

 諦めるしかないと思っていた、希望も。


「あぁ。絶対に、僕たちでハッピーエンドを迎えよう」


 そして、二人は死体保管室に眠る物言わぬ死体たちを目覚めさせたのだ。


 その中には当然、王妃フェリエの亡骸もあった。

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