2
時は少し遡り。
レクシオン所有の別邸――死体保管室。
エリネージュは、信じられない思いで目の前の紳士に声をかける。
「えっと、本当に、あなたがモルト伯爵ですか?」
「はい。あの、ここは、病院でしょうか?」
モルト伯爵は戸惑いながら、周囲を見回す。
「いや、あの……」
エリネージュが何と答えようかと視線をさ迷わせているうちに、レクシオンが口を開く。
「いいえ、死体保管室です。モルト伯爵、あなたはつい先程まで死体だったのです。すでに死亡届も受理されていますよ」
「はっ!? そ、そんなはず……レクシオン殿下! 冗談が過ぎますぞ!」
モルト伯爵が震えて抗議する。
たしかに、生き返った本人は受け入れがたいだろう。
「モルト伯爵が信じられないのも無理はない。僕だって、まだ信じられない」
レクシオンは冷静に見えるが、かなり驚いていたらしい。
エリネージュが目覚めた時とは、状況が違う。
彼はひと月以上、心臓を止めていたのだから。
しかし、モルト伯爵が生き返ったことにより、エリネージュの中ではひとつの答えが出た。
「あの毒は、人を殺すための毒ではなかったのよ」
ユーディアナが執着していたのは、永遠。
どれだけ美しく保っていても、時は過ぎる。
魔女も老いには勝てない。
魔力は衰え、その美貌もやがては枯れていく。
だからこそ、ユーディアナは不老不死を実現しようとしていたのだ。
自らが美しいうちに、魔力が輝いているうちに。
「リーネ、それはどういうこと?」
レクシオンが真剣な眼差しで問う。
「殺すのではなく、死なないための実験だったのよ。人間を見下した、ユーディアナらしいやり方だわ……許せない」
魔女が人間に下るなどあってはならない。
それが神から力を授けられた魔女の矜持だと。
戦争を終わらせようとしていた女王マリエーヌとよく対立していた。
(あぁ……母の死にも、やっぱりユーディアナが関わっているのね)
マリエーヌの魔法は、時を操るもの。
時を操ることは、神の領域に近い。
だからこそ、マリエーヌは女王となった。
しかし、その力は反動が大きく、使い続けることは難しい。
時の魔法を使った直後、血を吐いて倒れる母の姿をエリネージュは何度か見たことがある。
病死だと聞いた時は、魔法を使いすぎたせいだと思った。
命を落とすほどの魔法を、一体何のために使ったのか。
母を喪ったばかりのエリネージュは考える余裕がなかった。
そして、その後は女王となったユーディアナからの嫌がらせや暗殺に耐えることに必死で、考えられなかった。
ようやく今、分かった気がする。
(お母様の“時の魔法”を使って、ユーディアナは肉体の時を止めていたのだわ)
しかし、心臓を止めたままでは死んでいるのと変わらない。
だからこそ、不審死と処理されて彼らは死人となった。
エリネージュの力をもって初めて、目覚めることができたのだ。
きっと、ユーディアナはその可能性に気づいていた。
だからこそ、エリネージュを狙っていたのかもしれない。
唇をかみしめ、険しい顔で黙り込んだエリネージュを不意にレクシオンが抱きしめる。
「リーネ、我慢しないで。泣きたい時は泣いていいって教えてくれたのはリーネだろう?」
優しく、気遣うような声が耳に響く。
あたたかなぬくもりが、凍えそうだったエリネージュを包み込む。
「私っ、結局、何もできずにっ……お母様のことも、知ろうとせずに……こんな、ひどい、ことが起きていたのに……っ、私は、お母様に期待されて、いた……王女だったのに」
レクシオンの腕の中で、エリネージュは感情を吐き出す。
優しく背中を撫でてくれる手が、大丈夫、と囁く声が、エリネージュの涙を加速させたけれど。
自分のために泣くのは本当に久しぶりで。
しかし、この涙で目覚めて、息を吹き返した人がいることを思い出して。
「うぅっ、レクシオン! 今すぐに瓶を持ってきて!」
「えっ!? わ、分かった!」
「早くして! 涙が、落ちちゃううから!」
「あぁぁ、そういうことか!」
感情のままに泣くエリネージュと、その零れ落ちる涙を小瓶で受け止めるレクシオン。
「あぁ、リーネの涙は本当に美しいな。宝石に閉じ込めたいくらいだ」
「変なこと言わないでよ! 泣けなくなるでしょう!?」
傍から見れば、ある種の変態行動。
しかし、当人たちにとっては命と同じくらい重要なことだった。
「ねぇ、レクシオン。私、現実にはハッピーエンドなんてあり得ないと思っていたの」
童話の世界のお姫様みたいに、王子様に出会って幸せになるなんて、ただのおとぎ話だと思っていた。
エリネージュが求める普通の幸せは、手に入らなかった。
母を喪って、継母となったユーディアナには命を狙われて、国を出るしかなくなって。
何のために逃げているのかも分からなくなって。
それでも、逃げて。逃げて。逃げ続けて。
レクシオンに出会った。
「でも、今ならハッピーエンドもあるかもしれないと思えるの」
今、エリネージュの目の前には自分を愛してくれる王子様がいる。
幸せな未来を手に入れるためのピースが、この手にある。
諦めるしかないと思っていた、希望も。
「あぁ。絶対に、僕たちでハッピーエンドを迎えよう」
そして、二人は死体保管室に眠る物言わぬ死体たちを目覚めさせたのだ。
その中には当然、王妃フェリエの亡骸もあった。
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