アルディン王国の城内は騒然としていた。

 国王の信頼厚い宰相がもたらした情報は、瞬く間に広がった。


 ――レクシオン殿下が婚約者であるモルト伯爵令嬢に暴行し、グレイシエ王国の王女と逃げた。この国を魔女の王国へ売るつもりなのだ。


 元々、おかしな噂ばかりの王子だった。

 母親殺しの噂も相まって、あの王子ならばやりかねないと人々の口は饒舌になる。

 四国同盟の使者としてグレイシエ王国を訪れたのがレクシオンであったことも、信ぴょう性を増していた。

 魔女に惑わされたのだ、と。

 噂が王都にまで広がったのは、意図的な策略が絡んでいたが、そんなことは街の人間には関係のないことだ。

 たしかに、グレイシエ王国との和平は誰もが望んでいた。

 休戦ではなく、長きにわたる魔女と人間の戦争を終わらせたい。

 しかし、売られるとなれば話は別だ。

 この国が魔女に売られれば、自分たちはどうなる?

 今まで通りの生活などできるはずもない。

 しかし抵抗するとなれば、再び戦争となる。

 魔女とまともに戦える人間は、特殊な力を持つ王家の者しかいない。

 その王家の人間が、国を裏切った。

 国民たちの怒りは、レクシオンへと向かっていた。


 *


「シーノ、噂は事実か」


 アルディン王国国王――ジルモンド・クロディーストは重い口を開いた。

 謁見の間にて、宰相シーノが報告にあがっていた。

 しかし、報告よりも先に噂が広がっていることに、ジルモンドは違和感を覚えていた。

 十年前から光を失った青い瞳で、シーノを見つめる。


「はい。姪のアーリアが襲われてしまい、報告が遅くなり申し訳ございません。まさかレクシオン殿下があのような凶行に走るとは思わず……」

「レクシオンがグレイシエ王国と通じているというのは?」

「グレイシエ王国の王女とともにおりました。すっかりレクシオン殿下は心を奪われているご様子でした。魔女にこの国を捧げるつもりなのです」


 護衛の騎士たちが、息をのむ。

 彼らの中には、戦時中を知っている者もいる。

 人間には計り知れない魔法を使う魔女は恐ろしい。


「…………レクシオンを見つけ次第、罪人として捕縛せよ」


 ジルモンドは硬い表情で、近衛騎士に命じた。

 シーノが頭を下げた状態で、にやりと笑みを浮かべた。

 直後、謁見の間の扉がバーンと開かれる。

 不敬にも謁見中に現れたのは、第二王子アレックスだった。


「父上、お待ちください! 兄上はたしかに普通ではありませんが、この国を裏切るようなことをする人ではありません!」


 初めての父への反抗に、アレックスの体はガクガクと震えていた。

 しかし、兄を信じることに決めた。

 まっすぐに、ジルモンドのもとへ歩みを進める。


「アレックス、どういうつもりだ!」


 王は突然乱入してきたアレックスを一喝する。

 扉を見張っていた騎士が青白い顔で頭を下げている。

 騎士が止めようとしたところを無理やりアレックスが通ったのだ。


「兄上は、たしかにモルト伯爵令嬢との婚姻は嫌がっていました。それは、他に心に決めた人がいたからです」

「アレックス殿下、お言葉ですが、その心に決めた人というのが、グレイシエ王国のエリネージュ王女なのですよ? それでも、レクシオン殿下を庇えますか?」


 シーノは隣に並んだアレックスに、親切に教えてやる。


「えっ!?」

「ふふ、その様子をみるに、ご存知なかったのですね」

「でも、あの二人は国を敵に回すような雰囲気じゃなかった! 兄上は、和平のためにグレイシエ王国へと行ったんだろう? 王女と親しくなったからといって、どうして反逆者になるんだ! 父上、兄上の話をちゃんと聞いてください。そして、もういい加減、許してほしい。兄上がああなったのは、俺たちのせいだ。俺たちが、兄上をずっと否定し続けていたから……」


 言葉にしていて苦しくなったのか、アレックスは涙をこらえるように顔をゆがめた。

 アレックスの言葉に、ジルモンドは眉間にしわを刻み、口を引き結んだ。

 しかし、命令を覆す言葉は出てこない。


「国王陛下、もうひとつご報告があります。レクシオン殿下は十年前から、グレイシエ王国とつながり、王妃様のお命を奪ったのです。墓騎士となったのは、自らが殺した者たちの死体を預かり、証拠を隠すためでございます」

「シーノ、お前は勝手なことばかり!」


 アレックスがシーノの胸倉をつかむ。

 しかしそれは王によって止められる。


「やめろ、アレックス。シーノ、それは事実か? 十年前の王妃の死はやはり、レクシオンの仕業だと?」

「はい。レクシオン殿下の部屋から、この魔法の毒が見つかりました」


 シーノは胸ポケットから、毒々しい紫黒色をした液体が入った小瓶を取り出した。


「この小瓶は、魔法を閉じ込めるためのものだと思われます。こんなもの、アルディン王国の者が手に入れられるはずがありません」

「おのれ、レクシオン……我がフェリエをよくも」


 ジルモンドは王妃フェリエを心から愛していた。

 それは、盲目的なほどの愛だった。

 だからこそ、フェリエを失い、愛する心を失ってしまった。

 理性は残っていたから、国政には問題なかった。

 しかし、愛情のない国王は時に非情な判断も平気で行える。

 国の行く末を思えば、魔女の国との戦争は何の利益ももたらさない。

 だから、同盟を結んだ四国と和平の道を探していた。

 レクシオンを代表として一人で行かせたのは、第一王子を向かわせたということで体裁を保つためだ。

 それに、王子なのだから少しくらいは役に立ってもらわなければ困る。

 もし殺されたとしても、問題はない、と。


「国王陛下、レクシオン殿下は許しがたい罪を重ねているのです。反逆者であることに変わりはないでしょう」


 シーノは優しく、王を諭すように笑った。


「あぁ。もうレクシオンは見つけ次第殺せ。私の目の前にはあいつの首だけを持ってこい」


 残酷で、無慈悲な、国王の顔。

 アレックスはその冷酷さに息をのむ。

 抗議したいのに、声すら出せない。

 このままでは、兄が反逆者として殺されてしまうというのに。


「その必要はありませんよ、父上」


 その場に似つかわしくない、晴れやかな声がした。

 全員が、その人物に釘付けになった。

 美しく、眩しい笑顔は亡き王妃フェリエによく似ていて、感情をみせないアメジストの瞳は国王ジルモンドにそっくりだ。


 堂々と自ら扉を開いて現れたのは、捕縛命令が出ている第一王子レクシオン・クロディーストだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る