(ユーディアナの過去を私に見せて、どうするつもりなの……?)


 この記憶の渦から、エリネージュは抜け出せない。

 しかし、ユーディアナのことを知りたい、という思いもあった。

 すべては鏡の中、と言っていたから。

 その答えが、今見ているユーディアナの過去なのかもしれない。


 そうして、ユーディアナは鏡とともにグレイシエ王国にたどり着く。

 人間と戦争をしていた時期であったため、かなりの警戒態勢だったが、ユーディアナは魔女の血を引いていたから入ることができた。

 それに、ユーディアナはすでに怒りと憎しみによって、身の内に宿る魔力を目覚めせていた。

 その魔力量は多く、グレイシエ王国はユーディアナを国民として歓迎した。

 初めて魔法を学び、使いこなせるようになるまでにそう時間はかからなかった。

 それというのも、本にも載っていないような知識を鏡がユーディアナに教えていたからだ。

 鏡はユーディアナの問いになんでも答えた。

 当然、真実しか話せない鏡には答えられない質問もあった。

 それでも、ユーディアナは鏡にだけは素顔を見せていた。


 エリネージュも鏡を通して、ユーディアナを知っていく。


 誰よりも怖がりで。誰よりも愛情に飢えていて。

 だからこそ、強さを求めた。美しさを求めた。


 人間の国でユーディアナが生かされたのは、“美しい”からだった。


 グレイシエ王国では、魔力が強いものほど“美しい”。


 もしこの美しさが失われれば、自分は存在意義を失ってしまう。

 醜くなることは、死と同義だ。

 ユーディアナはどれだけ知識をつけようと、どれだけ魔法を会得しようと、どれだけ美しくとも、常に内心怯えていた。


「鏡よ。わたくしは美しい?」


 だから、一日に何度も、何度も鏡に聞いていた。

 美しい、という真実を聞いて安心しなければ、彼女は外で気高い魔女の仮面などかぶれなかった。

 ユーディアナの真実を、【真実の鏡】だけが知っている。


 人間との戦争は一時休戦となったが、ユーディアナはずっと待っていた。

 魔女の国が勝ち、人間を支配下に置ける日を。

 しかしある時、その希望は潰える。

 女王マリエーヌが戦争を終わらせ、人間と同盟を結ぼうとしていることを知ったのだ。


「何故ですか、女王!」

「ユーディアナ。これはもう決定事項だ」


 母マリエーヌが玉座からユーディアナを見つめていた。

 その瞳には、同情が浮かんでいる。


「もうじき七歳となるエリネージュ王女と人間の王子を婚姻で結ぼうとしていることも?」

「……何故、それを知っている」

「事実なのですね……正気とは思えないっ! 意地汚い人間を《白雪姫》である王女の伴侶とするなんて! 人間は滅ぼすべきよ! そうでないなら、支配下に置いて管理しなければ!」


 ユーディアナの内には、どれだけの年月が経とうとも消えない憎悪があった。

 グレイシエ王国で魔女として、戦争によって人間を支配することだけがその憎悪を鎮める唯一の方法だったのだ。


(フェリエ王妃からの手紙はたしかに、お母様の手元に届いていたのね……)


 母は受け入れるつもりだったのだ。

 エリネージュに申し込まれた、レクシオンとの婚姻を。

 あれだけエリネージュを特別な子だと育てきた母だから、受け入れるはずがないと思っていた。


(それにしても、ユーディアナは知っていたのね。《白雪姫》のこと)


 ユーディアナには問えば応えてくれる、【真実の鏡】がある。

 普通なら知らない情報を知っていてもおかしくはない。

 マリエーヌは《白雪姫》に特別な意味を含めたユーディアナを怪訝そうに見たが、それを問うことなく、血を吐いて倒れた。


「女王、時の魔法を何に使ったのですか?」


 心配するでもなく、冷たい声でユーディアナはマリエーヌに問う。


「もしかして、《白雪姫》と人間の王子が結婚して幸せになる未来でも見ましたか?」

「…………」


 マリエーヌは否定することなく、ただただユーディアナを睨みつけている。


「ふふふ、あれだけ過保護に守り続けている《白雪姫》を、人間の王子と結婚させようとするなんて、おかしいと思った! あなたはただの母親ではなく、女王なのに。それも、魔女の女王。今まで無慈悲に魔女を殺してきた人間たちを許してはならぬと叫ばなければならない立場のはず。それなのに、王女と人間の王子との婚姻によって和平を結ぶ? それが娘の幸せだから? 人間を許すというの?」


 ユーディアナは微笑みを浮かべて、マリエーヌの血の気の引いた顔を覗き込んだ。

 そして。


「わたくしは、認めないわ」


 ユーディアナの憎悪に呼応するように、黒紫色の煙のようなものが周囲に立ち上った。

 それは、ユーディアナが得意とする毒の魔法。

 独自の配合をした毒薬を魔法で空気に溶け込むのだ。

 とはいえ、そのあまりに毒々しい色は隠せず、目視できる。

 ユーディアナにも、毒であることを隠す気はないようだった。


(お母様っ!)


 これは十年前の出来事だ。

 エリネージュは届かないと知りながらも、母を呼ぶ。


「ユーディ、アナ……私は、お前のことも、思って……決めた」


 人間への憎悪に囚われて生きるユーディアナに、マリエーヌは息も絶え絶えに言葉を紡ぐ。


「そう? それなら、わたくしのためにその力を頂戴。本当はずっと、試してみたいことがあったの」


 無邪気に笑い、ユーディアナはマリエーヌの魔法道具――金の懐中時計を奪った。


 その後、マリエーヌは病死とされ、ユーディアナが次期女王になることが決まる。

 ユーディアナが女王となったのは、実力主義であるグレイシエ王国で、たしかに彼女の力が他の魔女たちから認められていたからである。

 恐れられていた、といってもいい。



「マリエーヌに本当は何があった?」


 父ブライトが、ユーディアナを問い詰めている。

 妻を喪ったことで、酷く憔悴しているようだ。


「マリエーヌは、力を使いすぎて、身体を壊したのよ」

「信じられない。彼女は自分の力を制御できていたはずだ。多少無理をすることはあっても、死ぬはずが……」

「ブライト、マリエーヌの死を信じたくないのは分かるわ。でも、現実を受けいれて。あなたには私の夫になってもらいたいのよ」

「……は? 何を言っているんだ?」

「あなたの力が必要なのよ」

「君は、何を考えている?」

「知りたいのなら、女王の夫となってくれる?」

「私が愛しているのはマリエーヌと、エリネージュだけだ」

「そう。けれど、女王からの指名は絶対よ。あなたほどの力を持つ男は他にいないもの」


 ユーディアナはそっとブライトの頬に触れた。


「愛する人を喪って、可哀想に。大丈夫、わたくしを愛させてあげるわ」


 妖艶な笑みを浮かべ、ユーディアナは真っ赤な唇をブライトの唇に重ねた。

 唇を離した瞬間、ブライトはユーディアナをうっとりと見つめていた。


「あぁ、愛しいユーディアナ」

「ブライト、わたくしと結婚してくれる?」

「もちろんだ」


 先ほどまでの態度が嘘のように、ブライトはすんなりと頷いた。


(ユーディアナは、魔法を使って父の心を奪っていたのね)


 魅惑の魔法と媚薬を使えば、目の前にいる者を強制的に愛させることは可能だ。

 純粋な者や心が弱っている者ほどそれは効きやすい。

 妻を喪った現実に打ちひしがれていたブライトにとって、その魔法は麻薬のようなもの。

 辛い現実を忘れて、愛する者と一緒にいるという夢を見せてもらえる。

 しかし、完全に心の傷を消せる訳ではない。

 だからこそ、もう失いたくないとまやかしの愛にすがりつく。

 ユーディアナと結婚したばかりのブライトは、周囲から見ればたしかに彼女に心酔していた。

 エリネージュのもとに届く父の噂は間違ってはいなかった。

 その本質が、違っていただけで。

 ユーディアナを愛することは母に対する裏切りだ、と思っていた。

 娘である自分にも会いに来てくれないし、ユーディアナからも守ってくれない。

 だから、そんな父に期待することを、父を思うことをいつしかエリネージュはしなくなり、父のことを避けていた。

 しかし、アルディン王国で父は魔法を使ってまでエリネージュに会いにきてくれた。

 愛している、とも。

 そして、あの時の言葉を思い返せば、父はずっとユーディアナの魔法にかかっていた訳ではない。

 マリエーヌの死を調べるために、ユーディアナの側に居続けたのだ。


 エリネージュが知らなかった多くのことが、ユーディアナの過去を通して見えてくる。


 自分を殺そうとしているユーディアナの過去を知り、エリネージュは複雑な思いを抱いていた。

 彼女が人間に裏切られ、傷つけられてきたことを知った。

 彼女にとって、美しくあることは生きることなのだと知った。

 そして、彼女が何故、エリネージュを殺したいほどに嫌っているのかも理解した。


(私は、生まれた時から特別な子として愛されて、誰よりも美しいと言われてきたから……)


 ユーディアナが必死で手にしようとしていたものを、エリネージュはすべて持っていた。

 愛も、容姿も、魔力も。

 娘としての自分を見てもらえない、なんてきっとユーディアナからすれば傲慢な悩みだっただろう。

 エリネージュとしては深い悩みであったけれど、彼女の壮絶な過去に比べれば平和な世界で生きていた。

 母を喪い、父の庇護もなく、ユーディアナに嫌がらせや暗殺まがいのことをされていくうちに、エリネージュとしての自我が芽生えていった。

 生きるために、自分にできることを探して、一人で生活することを覚えて。

 命を狙われる逃亡生活は心を休める暇がなかったが、一方でエリネージュの心を成長させた。


『エリネージュ王女』


 ふいに名を呼ばれ、振り返ると銀世界が広がっていた。

 周囲はきらきらとガラス細工のようなもので覆われているが、その広さはどこまでも続いているようだ。

 そこに、全身銀色をした青年が立っていた。


「あなたが、【真実の鏡】?」


 エリネージュの問いかけに、青年は頷いた。

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