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「どうして私にユーディアナの過去を見せたの?」
『《白雪姫》の魂と融合するためです』
淡々とした、感情の読めない声だった。
「魂と融合……? どういうこと?」
『《白雪姫》の魂と感情を共鳴することで、身体に馴染みやすくなります。そのためにはあなたにユーディアナの記憶を知ってもらう必要があったのです』
ユーディアナの目的は、《白雪姫》の魂を持つエリネージュの体を手に入れることだったのだ。
「できるはずないわ。そんなこと」
口では否定しながらも、頭のどこかで納得もしていた。
肉体を仮死状態にする毒と時の魔法を併用し、肉体の老化を止める。
ブライトの憑依の魔法を使えば、一時的にでも他人の体に入ることができる。
そしてそれが大精霊の加護を得た《白雪姫》の体であれば、永遠とも呼べる時を生きることが可能かもしれない。
「でも、もし私の体を奪えたとしても、それはもうユーディアナという存在ではなくなるわ。もちろん、私という存在も消える。あなたは、それでいいの?」
たとえエリネージュの体をユーディアナが奪い、不老不死を得たとしても、ユーディアナとしての人生は終わるのだ。
辛く、苦しい過去を乗り越え、魔女としての地位も確立した、一人の女性の人生が。
たしかに褒められたものではない。
命を狙われているエリネージュにとっては、全力で否定したいことばかりだ。
しかし、彼女は彼女で必死に生きてきたのだ。
それを知って、エリネージュは同情ではなく、尊敬と畏怖の気持ちさえ抱いている。
だからこそ思うのだ。
他人の人生に成り代わったところで、きっと幸せにはなれない。
(今回の件が解決したら、女王でいられるはずも、処罰をなくすこともできないけれど……)
分かってしまう。
ユーディアナがどれほど愛され、幸せになりたいと望んでいるのか。
『…………』
エリネージュの問いに、鏡は答えない。
鏡自身の感情には、“真実”がないから。
だから、答えられる質問に変える。
「私は、ただユーディアナの過去を見ていたのではない。鏡を――あなたを通して、彼女を見ていたのでしょう?」
『はい』
「あなたは、ユーディアナのための鏡なの?」
『いいえ。私は大精霊グラシエース様にこの世界を見せるために生まれた【真実の鏡】です』
大精霊グラシエースは、この世界を知るために【真実の鏡】を生み出した。
しかし、大精霊が眠っている今、【真実の鏡】はただこの世界を見ているだけの存在であるはずだった。
それが何故、ユーディアナに真実を伝えているのか。
鏡に感情がないのだとしても、鏡と同じ視点でユーディアナを見ていたエリネージュには分かる。
小さなユーディアナが殴られるのを見ていることしかできなかった。
男に騙されていると知りながら、その心が傷つくのを止められなかった。
もし、彼女に“真実”を伝えられていたら、救えたかもしれない。
だから、彼女が魔法を憎悪により目覚めさせ、人を殺してその心が絶望と闇に染まった時、思わず答えてしまった。
大精霊グラシエースのために生み出された【真実の鏡】が、ただ一人の女性のために“真実”を伝えるようになったのは。
それは、きっと……。
エリネージュがその答えを口にしようとした時。
「鏡よ。《白雪姫》は、わたくしと融合する準備はできている?」
エリネージュが魔法で眠らせていたはずの、ユーディアナが現れた。
隙のない、研ぎ澄まされた美しさ。
彼女が纏う鎧のような美は、自分を守るためのもの。
エリネージュは、鏡が答える前に口を開く。
「私は、あなたを殺したりしないわ」
「逃げられない鏡の中に囚われている状況で、よくそんなことが言えるわね」
ユーディアナは怪訝そうに眉根を寄せた。
「ユーディアナ、あなたという存在を消したくないの」
「わたくしは消えるのではない。《白雪姫》として生まれ変わるのよ。そして、わたくしを穢した人間たちをきれいに消し去ってあげるの。《白雪姫》になれば、それができる。わたくしは誰にも守られず、愛されなかった。でも、《白雪姫》は違う。生まれながらに大精霊の加護を持ち、特別だともてはやされて、周囲に大切にされて、愛らしい美しさは皆を虜にした」
ユーディアナはふっと笑い、エリネージュを睨んだ。
「それなのに、お前は満足していなかっただろう? あの人間の王子からの求婚も拒否していたわね。愛されることに慣れているのでしょう。もうお前は十分愛されたでしょう? だから、その魂をわたくしに頂戴」
「嫌よ。たしかに私は愛されていたし、恵まれていたことにも気づいていなかった。そのことに気づけたのは、あなたに命を狙われるようになってから。だからこそ、今度は私が愛したいの。両親も、グレイシエ王国のことも、レクシオンのことも。私の大切なものをあなたに任せることはできない。それはすべて、《白雪姫》ではなく、エリネージュ・ワイトリーとして愛するものだから」
エリネージュは《白雪姫》だから大切にされていたのかもしれない。
しかし、幼い頃に捧げられた愛情すべてが《白雪姫》に向けられていた訳ではないことも知っている。
(お母様は、私がレクシオンと結婚した未来をみてくれた)
時の魔法は、操る年月が長いほど体に負担がかかる。
アルディン王国から内密に婚姻の申し出があった時、マリエーヌは戦争の終結だけでなく、エリネージュが幸せになれる結婚かを気にしてくれた。
娘の幸せを願う、母として。
そんな母の思いを知ることなく、エリネージュは生きてきた。
だから、もう一度母に会えたなら、十年分の愛情を返したい。
ユーディアナにその機会を奪われる訳にはいかないのだ。
それに。
「ユーディアナも、ずっと守られ、愛されていたでしょう?」
「わたくしがそんな嘘を信じると?」
「あなたが今生きていることがその証拠よ。誰のおかげであなたはグレイシエ王国に来て魔法を学び、美を磨き、強く生きられるようになったの?」
エリネージュの問いに、ユーディアナは息をのむ。
「あなたは、【真実の鏡】に愛されているのよ」
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