6
「あなたは、【真実の鏡】に愛されているのよ」
鏡は“真実”しか答えられないのだとしても、感情がない訳ではない。
もし感情がなければ、ユーディアナだけに執着することはなかっただろう。
「ふっ、何を言い出すかと思えば、鏡がわたくしを? 馬鹿なことを言わないで」
エリネージュが言っても、ユーディアナは信じない。
(違う。きっと、【真実の鏡】を馬鹿にされたと感じているのね)
ユーディアナは【真実の鏡】をどう思っているのか。
ただの道具か。それとも。
答えに満足できない時は怒り狂うこともあった。
それでも、側において、問い続けた。
時に礼を言いながら。
ユーディアナが信じるのは、【真実の鏡】が語る“真実”だけ。
ならば、エリネージュにはユーディアナを説得することなどできない。
「【真実の鏡】、あなたにも感情があるはず。自ら主人を選んだのだから。それに、あなたの語る“真実”も、“真実”ではない。あなたはこの世界の鏡を通して世の中を見て、知ることができる事実と知識を組み合わせて答えているだけ。本当に“真実”が分かる訳ではないわ。それが、あなたの“真実”でしょう?」
鏡は答えないが、それは肯定と同じに思えた。
「それなら、あなたの気持ちも、抑える必要なんてないでしょう。この世界に、本当の“真実”なんてきっとないのだから」
鏡は静かに目を閉じる。
その瞬間、周囲にきらめいていたガラス細工が消え、暗闇に包まれた。
(怒りを買ってしまったかしら……?)
内心焦るが、すぐに別のものに意識を奪われる。
暗闇の中で見えた、二人の姿。
母マリエーヌと、父ブライトだ。
「お母様っ! お父様っ!」
エリネージュはすぐさま駆け寄る。
「鏡、何をしているの!?」
ユーディアナは驚愕の表情を浮かべ、青年姿の鏡を責めるように叫んだ。
そんな彼女にも、鏡は淡々としている。
『《白雪姫》の言葉で気づいたのです。あなたの幸せを願って、あなたに問われるままに“真実”を答えてきましたが、本当にあなたのためを思うなら、別の道を示すべきだった』
淡々と、それでも先程までとは違い、熱が入ったような声だった。
「な、何を……鏡、お前まで、わたくしを、裏切るというの?」
ユーディアナの声は震えていた。
今まで他人の前では隠し通してきた不安が、露わになる。
鏡はそんなユーディアナの横を通り過ぎて、まっすぐにエリネージュのところへ来た。
『《白雪姫》、あなたの愛する者が呼んでいます。現実世界に帰りなさい』
「ユーディアナは……?」
『あなたたちとともに現実世界に帰せば、彼女はまた傷ついてしまう。どうせ罰を与え、牢獄に入れるのなら、私に任せてもらえませんか?』
鏡の提案に、エリネージュは驚きを隠せない。
自分の考えや感情を出すことをしなかった鏡が、問われてもいないことを話している。
(私の予想は間違っていなかったのね……)
【真実の鏡】は、ユーディアナを愛している。
エリネージュとしても、ユーディアナに復讐したいという気持ちはない。
だが、彼女が犯した罪はたしかに存在する。
国を超えて、多くの者たちを傷つけた。
ユーディアナただ一人のために。
ユーディアナが人間にされた仕打ちや差別を考えれば、人間を許せない気持ちも分かる。
しかし、魔女が人間に与える恐怖もまた、真実だ。
だからこそ、戦争は終わらなかった。
相手に求めるだけでは、憎しみの連鎖は止まらない。
(だからこそ、戦争は絶対に止める)
そのためには、グレイシエ王国として、ユーディアナの罪を見てみぬふりはできない。
だから、エリネージュは【真実の鏡】に問うた。
「今のグレイシエ王国の女王は、誰?」
鏡はしばしの沈黙の後、答えた。
『エリネージュ・ワイトリーです』
鏡の答えを聞いて、エリネージュは微笑んだ。
「グレイシエ王国の女王として命じます。マリエーヌ女王への毒殺未遂と偽装死、アルディン王国での仮死毒事件、その他数々の件における首謀者として、ユーディアナを鏡の世界への永久追放とします。そして、【真実の鏡】、あなたには看守役を命じます」
鏡はエリネージュの前に膝をつき、胸に手を当てて頭を下げた。
服従の姿勢に、エリネージュは頷く。
「嫌よ! わたくしが《白雪姫》になれると、お前が言ったのに! そうすれば、誰よりも強く、美しくなって……誰にも脅かされることなく、幸せに……っ」
ユーディアナの言葉が途中で途切れたのは、鏡が強く彼女を抱きしめたからだった。
目の前にいたはずの鏡の一瞬の動きに、エリネージュも驚いた。
『私は、ユーディアナという一人の女性の人生に惹かれていた。あなたを愛しています』
「う、うそよ」
『これまで、私があなたに嘘をついたことがありましたか』
「…………」
『これからは私と二人きり。誰にも脅かされることはありません。それに、私の愛が嘘ではないと教える時間は十分すぎるほどにあります。覚悟していてくださいね』
無表情がデフォルトだった鏡がにっこりとほの暗い笑みを浮かべた。
鏡からの急な告白と攻めに、ユーディアナはまったくついていけていない。
ただ茫然と、鏡の腕にすっぽりと収まっている。
赤紫の髪に口づけられても、抵抗ひとつできていなかった。
(あれ……? もしかしなくても私、とんでもなく厄介な愛を目覚めさせた?)
レクシオンよりも危ない雰囲気を感じ、エリネージュはぶるりと身震いした。
『それでは、《白雪姫》。私に“真実”を気づかせてくれてありがとうございます。おかげで、私は手に入らないと思っていた愛しい人の永遠を手にすることができました』
鏡のその言葉を最後に、エリネージュの体はふわりと浮く。
眩しい光を感じた次の瞬間には、元の謁見の間に戻っていた。
***
戻ってすぐに目に映ったのは、レクシオンが血を吐いて倒れている姿で、エリネージュの心臓は止まりかけた。
「レクシオンっ!」
何があったのか分からないが、ユーディアナのせいだということは分かる。
レクシオンの体に触れて呼びかけるも、返事はない。
後ろでは意識が戻った父が、母の姿を見つけて同じように名を呼んでいる。
両親も心配だが、目の前のレクシオンから目が離せない。
(この前は、私の涙で癒すことができた)
レクシオンを喪いたくないと思えば、涙は自然と流れてくる。
しかし、零れ落ちる前に、レクシオンの手に優しくすくわれた。
「どうして泣くの? リーネからキスしてくれたら目覚めたのに」
ふっと笑って、レクシオンは身体を起こす。
生きている。そのことに、ひとまずエリネージュは安堵する。
「レクシオンの馬鹿! こんな時に死んだふりなんてしないで……でも、この血は本物でしょう? 大丈夫なの?」
「あぁ。大精霊様のおかげだろうね。本気で死ぬかと思ったけれど、毒を分解してくれたみたいだ。大精霊様には感謝しないとね」
レクシオンは右手の刻印を見せながら言った。
そして、エリネージュを優しく抱きしめた。
その存在を確かめるように。
「おかえり、リーネ。君は僕に心配をかけるのが得意だね。君が鏡に取り込まれた時、どれだけ心配したか分かる?」
「ただいま、レクシオン。あなたも、私を泣かせるのが得意ね」
「それは心外だな。僕は、リーネの笑顔が見たいんだよ」
「私も、あなたの笑顔が見たいわ」
密着していた身体をどちらからともなく離し、黒真珠の瞳とアメジストの瞳が互いを映す。
ようやく、二人は安堵の笑みを浮かべる。
「リーネ、結婚しよう」
余計なものがなにひとつない、シンプルなレクシオンの言葉。
何度も求婚されていたはずなのに、まるで初めて告白されたかのようにエリネージュの胸はときめいた。
「はい、喜んで」
十年前に結ばれるはずだった婚姻が、今ここで二人の意思によって結ばれた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます