エピローグ

誓いのキス


 ふわりと赤や黄色の花弁が風に誘われて舞っている。

 バルコニーから見上げた空は快晴で、エリネージュの顔には自然と笑みが浮かんだ。


「リーネ、本当にきれいになったわね」


 隣で涙を流すのは、母マリエーヌだ。

 マリエーヌは、ユーディアナの毒によって仮死状態となり、鏡の中で命の時を止めていた。

 アルディン王国の仮死状態を治した時と同じように、エリネージュの涙によって解毒に成功した。

 共に過ごせなかった十年という月日は大きいが、エリネージュはもう欲しがるだけの子どもではない。

 これから、両親へ感謝と愛情を伝えていきたいと思っている。


「お母様、ありがとう」


 死んだと公表されていたマリエーヌとエリネージュが実は生きていた。

 さらにユーディアナの罪と処罰についても国内に知れ渡り、グレイシエ王国内は一時大混乱だった。

 しかし、エリネージュが新たな女王となったその日に異常気象が収まったことから、誰一人として反対せず、即位を喜んだ。

 エリネージュは女王として、人間との戦争を終わらせて和平を結ぶことを宣言した。

 多少の波風はあったものの、両親の力添えもあり、無事に進められそうだ。

 そして、アルディン王国をはじめとする四国同盟側については、レクシオンが尽力してくれている。

 だから、求婚に頷いてから半年、レクシオンと離れることになってしまった。

 とはいえ、レクシオンからは毎日のように手紙とガーベラの花束が届いている。


 ――そして、今日は待ちに待ったレクシオンに会える特別な日。


「それにしても、成長した娘がすぐに奪われてしまうのは寂しいものだな」


 大聖堂の扉の前で、父ブライトが拗ねたように言う。


「私がお父様の娘であることに変わりはないわ。そんな顔をしないで」


 くすりとエリネージュが笑うと、ブライトも優しい笑みを浮かべた。


「そうだな。まあ、彼にならリーネを任せられる」

「ありがとう」


 エリネージュが父の腕に手を回すと、大聖堂の扉が開いた。

 まっすぐに伸びる純白の道の先には、愛しい人が立っている。


(私、本当にレクシオンと結婚するのね……)


 レクシオンは、平和条約の準備と並行して結婚式の準備もしてくれていた。

 互いに時間がとれず、結局、結婚式当日まで会えなかった。

 半年ぶりに見るレクシオンに、エリネージュの胸はドキドキと高鳴る。

 いつもとは違って前髪をオールバックにしていることも、白いタキシード姿であることも、エリネージュの鼓動をさらに早め、顔を熱くした。


「リーネっ!」


 予定では途中まで父のエスコートで歩くはずだったのだが、レクシオンがエリネージュを見た瞬間に我慢ならず駆け寄ってきた。

 父の腕に回していたエリネージュの手はレクシオンにとられて、彼の顔が間近に迫る。

 そして、顔を覆っていた白いレースのベールが取り払われてしまった。


「ちょっと、何するの?」

「君に会えない間、僕はおかしくなりそうだった」

「それは分かるけれど、今は結婚式の最中よ? ほら、参列者の皆さまが驚いているわ」


 視線で参列者たちを示すが、レクシオンはエリネージュしか見ていない。

 アルディン王国側の参列席を見ると、とんでもない兄の行動に頭を抱えているのはアレックス。フェリエ王妃は今にも泣きそうで、ジルモンド国王は額を抑えて深いため息を吐いている。

 そんな中でも嬉々としてレクシオンとエリネージュを見つめているのは、カトリーヌだ。

 カトリーヌは、これからも侍女として側にいてくれる。

 さすがにグレイシエ王国に来るのは断られるかと思ったが、「夫婦となったお二人の様子を間近で見守れるなんて幸せです!」と喜ばれた。

 壁際に立っているオルスも、普段の無表情とは違って笑みを浮かべている。

 グレイシエ王国側ではマリエーヌが苦笑しつつも優しい眼差しで見守ってくれている。

 母が時の魔法でみた未来には、幸せそうに笑うエリネージュの側にはレクシオンがいたという。

 きっと、これからもこの幸せは続いていくと信じられる。

 隣にいるブライトは娘との時間を邪魔されて青筋を立てているが、娘を任せると言った手前、我慢してくれているのだろう。


「今日の君があまりに美しいから、他の誰にも見せたくなくなった」


 エリネージュは、雪の結晶をモチーフとした純白のウェディングドレスに身を包んでいる。

 きっちりと編み込まれた漆黒の髪には、きらめく雪の髪飾り。

 肩口のレースは繊細で、細かくちりばめられた宝石が輝く。

 ブーケは、レクシオンとの思い出の花――ガーベラで作ってもらった。

 赤や黄色のガーベラの花を見て、あの時のカフェでのやり取りを思い出して笑みがこぼれる。

 全身鏡で自身のウェディングドレス姿を見た時は、自分でも美しいと思えた。


『さすがは《白雪姫》ですね。世界で最も美しいですよ』


 その上、【真実の鏡】からのお墨付きももらっている。

 だからこそ、エリネージュは自信を持ってレクシオンとの結婚式に臨めたのだが。


「でも、私があなたのものだって、みんなに見せたいとも言っていたでしょう? 私だって、大切な人たちにあなたを見てほしいもの」

「あぁ、そうだったね」


 レクシオンは笑顔で頷いて、エリネージュの体を抱き上げた。


「ちょっとっ!?」


 エリネージュをお姫様抱っこした状態で、レクシオンは祭壇までの道をさっそうと歩く。

 祭壇には七人の小人たちが並んでいて、うるうるとした瞳でエリネージュを見つめている。


 この結婚式は、グレイシエ王国の大聖堂で行われている。


 魔女は、神ではなく、魔力を与えてくれた大精霊グラシエースを崇めている。

 だからこそ、大精霊の命で《白雪姫》を守り続けてきた小人たちに司祭役を頼んだ。


 しかし、そんな彼らは口々にエリネージュに言い募る。


「白雪姫、本当にこの王子と結婚するの?」

「自分の結婚式なのに参列者に嫉妬心むき出しな花婿だよ?」

「白雪姫が来るまで、参列者の男たちに何してたか知ってる?」

「花嫁姿を見ないように目隠しさせようとしてたんだよ!」

「さすがにフェリエ王妃様が止めていたけどねぇ」

「ねぇ、本当に後悔しない?」

「白雪姫は、レクシオン王子と結婚して幸せになれる?」


 エリネージュが入場するまで、小人たちにはかなり心配をかけてしまったらしい。

 これから結婚するというのに、エリネージュの花婿は独占欲むき出しのようだ。

 それがなんだか嬉しくて、かわいくて、エリネージュはくすりと笑う。


「ねぇ、レクシオン。下ろして」

「今更、結婚が嫌だと言っても逃がさないよ?」


 どうやら小人たちの言葉でエリネージュが心変わりしないかと疑っているようだ。

 心外である。


「このままでは誓えないでしょう?」


 そう言えば、レクシオンは不満気ながらもエリネージュを下ろしてくれた。

 それでも、がっしり腕は組まされたけれど。


「私は、レクシオンのことを心から愛しています。レクシオンとなら、きっと幸せになれる」


 初めて、エリネージュはちゃんと愛を伝えられた。

 満面の笑みでレクシオンを見上げると、彼は真っ赤な顔をして涙を浮かべていた。


「えっ? どうしたの?」

「……リーネのせいだよ。君が愛しくてたまらない」


 泣くほど喜んでもらえるとは思っていなかった。

 胸が熱くなって、あふれんばかりの愛情を伝えたくなる。


「ふふ、大好きよ。レクシオン」

「あぁ、僕も」


 堪えきれず、レクシオンがエリネージュの額にキスを落とす。


「僕は、リーネを死ぬまで、いや、死んでも愛し続けると誓うよ」

「私も、どんなレクシオンでも愛し続けると誓うわ」


 小人たちまでもが二人の熱にうかされて、すっかり式の手順を忘れていた。

 しかし、誓いのキスを促さずとも、二人は口づけを交わしていた。


 その瞬間、大聖堂内は祝福の声に包まれた。


 魔女と人間の和平の象徴となるこの婚姻を快く思わない者もいた。

 しかし、政略結婚ではなく、真実の愛で結ばれた末の恋愛結婚なのだと、この結婚式で知れ渡ることとなる。

 心から互いを愛し、幸せそうに見つめ合う新郎新婦の姿を見て、祝福しない者はいなかった。

 魔女と人間の大恋愛は吟遊詩人がこぞって歌にし、劇作家はいくつもの舞台を創作した。




 ***




『――毒林檎によって眠っていた白雪姫は、王子様の真実の愛のキスで目覚めました。そうして、二人は末永く幸せに暮らしました』 

「ねぇ、これっておかあさまとおとうさまのおはなしなの?」


 絵本を読み終えると、大きくて丸い黒真珠の瞳がきらきらと輝いている。

 小さな娘のさらさらの金髪を撫でながら、母は答えた。


「まあ。誰に聞いたの?」

「おとうさま」

「レクシオンったら……」

「おかあさまは、しあわせ?」

「とっても幸せよ。エルピスにも会えたもの」


 エリネージュは、ぎゅうっと愛しい娘エルピスを抱きしめた。


「おや、僕の愛しい宝物たちが抱き合っている。僕も入れて欲しいな」


 仕事を終えたらしいレクシオンが、そう言って室内に入ってくる。


「おとうさまっ!」


 エルピスがレクシオンに駆け寄った。


「僕のかわいい天使!」

「きゃははっ」


 レクシオンはエルピスを抱き上げて、くるくると回転する。

 エルピスは喜んで笑っている。

 そして、三人でもう一度絵本を読んでいると、いつの間にかエルピスは眠ってしまった。

 優しくエルピスの頭を撫でるレクシオンの右手の甲には、雪の結晶の刻印がある。

 その印を見るたびに、エリネージュの胸はきゅっと切なく締め付けられ、愛おしさがあふれてくる。


「ねぇ、レクシオン」

「なんだい?」


 優しく、レクシオンが微笑む。


「あの時の言葉、覚えている?」

「もちろん。一緒にハッピーエンドを迎えよう、と約束した」

「えぇ。レクシオンのおかげだわ。本当にありがとう」

「それは僕の台詞だよ。リーネに出会えて、僕は幸せだ」


 ――愛している。


 眠るエルピスごと、レクシオンはエリネージュを抱きしめる。

 あたたかな温もりが愛おしくて、幸せが胸に広がった。


 現実にハッピーエンドなんて存在しないと思っていたけれど。


 絵本で描かれる物語以上に、今がとても幸せだ。


 そしてきっと、これからも。

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毒林檎を食べた白雪姫は、何故か変態王子に買われて溺愛されることになりました。 奏 舞音 @kanade_maine

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