第四章 白雪姫は令嬢にライバル視される


 見覚えのある令嬢を視界にとらえたのは、離宮から貴賓室のある主殿に戻っている時だった。

 あまり人には見られたくないため、エリネージュは思わず物陰に隠れる。


「彼女はたしか……」

「モルト伯爵令嬢のアーリア様ですわね」


 エリネージュの呟きに、カトリーヌが答える。

 あの墓地で、レクシオンに声をかけていた令嬢だ。


「よく城に来るの?」

「実は……彼女の父であるモルト伯爵様が先日亡くなったばかりで、伯爵家のことでよく宰相のシーノ様に相談に来ています」


 アルディン王国の宰相シーノは、アーリアの叔父にあたるらしい。

 モルト伯爵が亡くなったのはひと月前――。

 病気でもなく、突然のことだったらしい。

 周囲は自殺ではないか、と噂しているという。


「そうだったのね……」


 あの墓地でも、たしかにアーリアは父親のことをレクシオンに聞いていた。

 アーリアの父の死を、レクシオンが調べているのだろうか。

 一体、何故……?

 しかし、他人の事情に深入りすべきではない。

 エリネージュは首を振って思考を止めた。


「お嬢様、気づかれたようですわ」

「え?」


 カトリーヌの声が聞こえた時には、笑みを浮かべたアーリアが近づいてきていた。


「あなた、レクシオン様と一緒にいた方よね? まさか使用人だったなんて」


 顔に笑みは浮かべていても、それは嘲笑だ。

 そして、彼女は明らかにエリネージュを見下し、挑発している。

 今のエリネージュは、王女でも貴族でもない。

 アルディン王国には無関係の人間だ。

 彼女の態度についてあれこれ言うつもりはない。

 だからこそ、アーリアに一礼してその横を通り抜けようとした。

 しかし。


「ちょっと待ちなさいよ! あなた、レクシオン様とどういう関係なの?」

「先日も言った通り、ただ拾われただけです」


 投げやりに答えると、アーリアは勝手に事情を解釈したようで、ふっと笑う。


「なぁんだ、使用人として拾われた、ということなのね。そうよね、レクシオン様が使用人相手に本気になるはずないし……」

「何をおっしゃっているのですかっ! レクシオン様は……っ」


 明らかにエリネージュを見下した態度のアーリアに、カトリーヌが抗議の声を上げた。

 しかし、ますますややこしいことになりそうなのでエリネージュはカトリーヌの口元を押さえる。


「カトリーヌ、大人しくしなさい」


 耳元で冷たく囁けば、涙目でコクコクと頷かれた。

 満足してもらえたようだ。


(モルト伯爵令嬢がもっとレクシオンに寄り添える人だったら、計画に組み込めたのに……)


 使用人だからと態度を変えるような人では、あの変態王子の言動についていけないだろう。

 『レクシオン安心計画』は、なかなか難しい。

 しかし、アーリアが本気でレクシオンを好きならば、可能性はゼロではないだろう。

 いつかは去らなければいけないエリネージュが側にいるよりも、貴族令嬢が側にいた方がいいに決まっている。


「モルト伯爵令嬢様、大変失礼いたしました。私はただの使用人ですので、心配ご無用ですわ」


 頭を切り替えてエリネージュが笑いかけると、アーリアの表情が固まった。

 美しさは時に武器になる。

 エリネージュはどうやって笑えば人を圧倒することができるのかを知っていた。


「そ、そうよね……でも、それなら何故、レクシオン様はあなたにだけは笑いかけていたのかしら? やっぱり、あなたの容姿が好み」

「モルト伯爵令嬢様はレクシオン様の噂をご存知でしょうか?」


 笑顔で圧力をかけたせいでアーリアが勘違いしそうだったため、エリネージュは途中で遮って問う。

 アーリアは気まずそうに頷いた。

 叔父が宰相で伯爵令嬢ともなれば、レクシオンの噂を知らないはずがなかった。


「それなら、レクシオン様が死体愛好家だという噂も聞いたことがおありでしょう。実は、私は最初、死体だと思われていたのですよ。だから、レクシオン様に笑いかけられることがあるのです。きっと、レクシオン様は今も私のことを死体だと思っているんじゃないでしょうか」

「そ、そんな馬鹿な話を信じろというの?」


 残念ながら事実なのだが、当然アーリアはエリネージュが冗談を言っていると思って苛立っている。


「私、肌の色が白いので、眠っていると血の気がない死体のようだと間違われることがあるんです」


 これは嘘だ。さすがに色白だからといって誰もエリネージュを死体と間違えたことはない。

 それでも、きっぱりと言い切れば、真実のように信じさせることもできる……はずだ。

 案の定、アーリアは疑うような目から、本当かもしれないという迷いを見せ始めた。


「……もしかして、レクシオン様は父の死を調べるためにあなたを側に置いているのかしら?」


 しかし、アーリアから返ってきた問いは、予想とは全く違っていた。


「それはどういうことですか?」

「レクシオン様から仕事のことは聞いていないのね」


 そう言って、アーリアは話し始める。


「私の父も、ただ眠っているだけに見えたのよ。でも、ずっと息をしていなかった……医者に死んでいると言われるまで、誰も信じられなかったわ。父は健康体だったし、自殺なんて恐ろしいことを実行できる人間でもない。だから、不審死扱いになって、墓騎士であるレクシオン様が調査をすることになったの」


 アーリアは知らない。

 エリネージュが本当に毒で殺されかけ、一時的に仮死状態になっていたことを。

 だが、レクシオンは違う。

 彼は最初から、エリネージュを死体として連れ帰った。

 それは求婚するためではなく、不審死を調べるためだったのかもしれない。


(だから、毒や暗殺者に興味を持っていたの……?)


 求婚するためというよりも、事件の調査と言われた方が信じられる。

 あえてそのことを隠したのは、どういう意図があったのだろう。


「わたくしの父の死を調べるためにそこまでしてくださっていたのに、勘違いして嫉妬してしまったなんて恥ずかしいわ」


 ふふふ、とアーリアは声を出して笑う。

 しかしエリネージュの頭の中はそれどころではない。


(目覚めた時から、すべて嘘だったの?)


 一人ではないと言ってくれた。

 愛させてほしいと懇願された。

 エリネージュを離したくないと求めてくれた。

 エリネージュにだけ、微笑みかけてくれたのに……。

 

 それはすべて仕事のためだったのだろうか。

 側にいれば、使われた毒のことも、エリネージュを狙う暗殺者から聞き出せるから。


「アーリア、そこで何をしているんだい?」

「叔父様!」


 エリネージュが何も言えずにいるうちに、アーリアを呼ぶ声がした。

 アッシュグレイの髪に青紫色の瞳を持つ、背の高い紳士だ。

 アーリアと親し気で、叔父と呼んだことから彼が宰相シーノなのだと分かる。


「つまらない勘違いをしてしまったみたいで……。今、行きますわ」


 沈むエリネージュのことなど振り返らずに、アーリアは笑顔で宰相シーノのもとへと向かう。


 彼の青紫の瞳が、エリネージュを捉えて一瞬見開かれたことには誰も気づかなかった。


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