「アルディン王国の王家には時々、不思議な力を持つ者が生まれてくることがある。グレイシエ王国でいう魔力に近いかもしれないね……たとえば、体が人より頑丈だったり、遠くの音が聞こえたり見えたり。身体面に現れる能力は重用されるし、皆から尊敬される。でも、精神面に作用する能力だと、恐れられ、忌避されることが多い。精神面に作用する力は歴代の王族にもあまり前例がなく、得体が知れないからね」


 目線は下に、両手を握りしめて、それでもレクシオンは淡々とした口調で話す。

 幼い頃に母が病死し、王女とはいいがたい生活をしていたエリネージュは、他国の情報はおろか自国の情報すら噂話程度しか知らない。

 特別な力を持つのは、魔女だけではなかったのだ。


「僕は、その稀な精神面の能力を持って生まれたんだ。人の心の声が聞こえる、という毒にしかならない力をね」


 自嘲気味にレクシオンが笑う。

 レクシオンが話す内容は、世間知らずなエリネージュにとって衝撃が強く、まだ呑み込み切れない。

 魔女でさえ、人の心に干渉する魔法など使えないはずだ。

 人の心を操る、といった類の闇魔法はあるだろうが。

 しかし、レクシオンが嘘をついているようにも見えない。

 エリネージュは試しに、じっとレクシオンを見て心の中で喋ってみる。


(えっと、聞こえているの……?)


 少し緊張しながらレクシオンからの答えを待っていると、くしゃりときれいな顔が笑みを浮かべた。


「ふはは、ごめんね。実は、リーネの声は聞こえないんだ。時々、心の声が聞こえない人もいるんだよ」

「そ、そうなの!?」

「可愛い顔をして、僕に何を伝えようとしてくれていたの?」

「ただ、聞こえているか尋ねただけよ!」

「なんだ、てっきり、口にするには恥ずかしい僕への愛を伝えてくれたのかと思ったのに」


 レクシオンの言葉に、エリネージュの頬はかあっと熱くなる。


「あ、あなたへの愛情なんて、まったく、私の心にはありませんから! それを証明できないのが悔しいくらいだわ!」

「あぁ。僕も、こんなにも誰かの心を知りたいと思ったのは初めてだ。今までずっと、聞きたくないものばかりだったから……」


 顔は笑っているのに、声のトーンは低い。


「母は僕を愛そうとして、できなかった。だから、死ぬ間際に僕を産んだことを後悔していたよ。母親殺しというのは、あながち間違っていない。でも、母は自殺ではなく、誰かに殺されたのは間違いない。恐怖の悲鳴を聞いたからね。だから、罪滅ぼしのように、僕はずっと母を殺した毒と犯人を捜していたんだよ」


 レクシオンの真意が、今初めて見えた気がした。

 彼はずっと、母を救えなかったことを後悔し、その犯人を捜していたのだ。

 自分がその犯人扱いされても、否定さえもせず。


「あなたのお母様の死に、私を仮死状態にした毒が関わっていると考えたのね?」


 レクシオンが、エリネージュを眠らせた毒に興味を持っていた理由。

 そして、暗殺者を捕らえようとしていた理由は。


「あぁ。もう十年近く前のことだから記憶も曖昧だけど、母の亡骸はただ眠っているだけのように自然で、少しだけ甘い香りがした。リーネを目覚めさせた時と同じ香りがね。どんな毒なのか調べようと思って口づけたら、目が覚めて驚いたよ」


 死体に口づける変態だと思っていたが、彼には彼の正当な理由があったのだ。

 自ら、エリネージュに使われた毒を確かめようとした。


「でも、それなら何故私が目覚めた時に毒を調べるためだと言わなかったの? というか、自分が死ぬかもしれないのにどうして……っ」


 言いかけて、ハッとした。

 レクシオンはきっと、自分は死んでもいいと思っていたのだ。

 暗殺者の前に無謀にも飛び出し、エリネージュを庇った時も、きっと。


「……そうだよ。もし僕が死んだとしても、誰も悲しまない。むしろ、ほっとする人の方が多いだろうね」

「そんな」

「自分でも死ねば楽になると分かっているのに、母が死ぬ前に恐怖に怯えていた声がどうしても忘れられなくて、誰に何のために殺されたのかを知りたくて、僕はまだ生きている」


 淡々と、ただ事実を告げるだけのような話し方だったが、それはきっと心の痛みに気づけないほど麻痺してしまっているから。

 他人の心の声は聞こえても、自分の心には無関心。

 そうでなければ、耐えられなかったのだろう。

 しかし、だからこそ自分でも見えない感情がある。


「レクシオンは、お母様を愛しているのね」


 エリネージュの言葉に、レクシオンはアメジストの瞳を大きく見開いた。

 そして、首を振る。


「いや。僕はただ、母が苦しむ声が聞こえていたのに助けられなかったから、罪悪感がずっと……あって……だから」


 愛していない。愛しているはずがない。愛して、いいはずが。


「相手から同じような感情が得られなかったとしても、自分が抱く感情まで抑えつける必要はないと思うわ。私も、偉そうなことを言える立場ではないけれど……」


 特別な子、と言われ続けて、母からは親の愛よりも、崇拝に近い感情が与えられていた。

 エリネージュが抱く母への愛とは、似て非なるもの。

 それでも、エリネージュは母を愛していたし、愛して欲しかった。

 それだけは確かだ。


「私もね、幼い時にお母様が死んじゃったの。病気だった。それでもやっぱり、もっといろんな話がしたかったとか、こうしてあげたかったとか、後悔はたくさんあるわ。お母様が死んだ後も、よく思い出すもの。愛情がどんなものか説明するのは難しいけれど、誰かを心で大切に思うことは、愛情なのではないかしら……」


 エリネージュの言葉を静かに聞いて、レクシオンは目を伏せた。


「……そうかも、しれない。でも、自分を見てくれない母を恨んでもいた……死んで初めて、僕は母に触れたんだ。冷たい指先が、僕の知る母の体温だ。死んでさえも、僕をあたためてはくれない母に、たくさんの恨み言を吐いて、たくさんの我儘を言った……」


 物言わぬ亡骸だからこそ、レクシオンは自分の想いを母にぶつけることができたのだろう。

 生きている時には伝えられなかった言葉を。


(レクシオンは、ただ死体を愛している訳じゃない)


 死体なら、心の声は聞こえない。

 けれど、側にいて落ち着くのは死体だからではなく、愛する人だからではないだろうか。

 そして、墓騎士になったのは、母が眠る場所を守り、死の真相を探るためだろう。

 レクシオンが感じた絶望と喪失感は、エリネージュには想像すらできない。

 でも、もし自分だったら、と思うだけで悲しくて、辛くて、痛くて。

 彼にとって一番の心の傷を話してくれたことに、胸が熱くなって。

 泣きたいのはレクシオンだろうに、彼は涙ひとつこぼさない。

 だからという訳ではないけれど、エリネージュはボロボロと涙をこぼしていた。

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