――どうしてこうなったの!?


 エリネージュは全身でレクシオンの体温と重みを感じながら、内心で頭を抱える。

 原因であるレクシオンはすでに寝息を立て始めている。

 怪我人であるために着ている服は柔らかなリネンのシャツ。当然、生地は薄い。

 抱きこまれているエリネージュが必死で距離をとろうとしても、その鍛えられた体を意識せずにはいられない。というか、がっちりと腰に腕が回されていて、完全に密着している。

 乙女にはかなり刺激が強い。


(ひぃぃ……やっぱり無理っ……こんなの、恥ずかしすぎて……しぬ……)


 互いの体温を薄い布越しに感じて、もう心臓が持ちそうにない。

 目の前のレクシオンのこと以外何も考えられなくなる。

 無理やりこの腕から抜けようと何度かチャレンジしたが、寝ているくせに隙がない。

 それどころか、もがけばもがくほどにぎゅうっと抱きしめられる。

 その度に、寝顔が幸せそうに緩むのだ。

 そんな表情を見てしまうと、どうにも抵抗しようという気がそがれてしまい……しばらくしてまたこの状況に赤面してもがく。というループに陥っていた。

 そんな恥ずかしすぎるループにそろそろ限界を迎えようとした時、変化が現れた。

 寝室の扉がノックされたのだ。

 おそらくオルスだろう。

 彼がレクシオンの不在をうまく誤魔化してくれている。


「え、でも……この状況はまずいわよね……?」


 同じベッドの上で、密着する男女。

 この状況を目に入れたなら、誰もが誤解する。

 しかも、オルスはまだレクシオンが一時的にでも目覚めたことを知らない。

 ということは、エリネージュが怪我人のレクシオンのベッドに勝手に入り込んだと思われるのではないか。

 しかし、どうにもできないまま、寝室の扉は開かれた。

 やはり入ってきたのはオルスだ。

 そして、レクシオンの腕の中にいるエリネージュを見つめて、オルスは一礼して踵を返す。


「あぁ、これは違うの! えっと、勝手にレクシオンのベッドに入ったわけじゃなくて、レクシオンが目覚めた時に無理やり……だから、私も困っていて……お願いだから助けてくれない!?」


 オルスの背中に弁明をぶつけ、助けを求める。

 エリネージュの言葉に足を止め、彼は振り返った。


「…………」


 無言で、きれいなアクアブルーの瞳でじっとエリネージュを見つめる。

 疑われているのだろうか、とエリネージュは言葉を重ねた。


「本当よ。ついさっき、一度レクシオンは目覚めたの。今はまた寝ているけれど」

「…………」

「あの、本当にもう心臓が持ちそうにないから、この腕をどけてくれると助かるのだけれど」


 エリネージュはレクシオンの腕を指す。

 さっきから大声を出しているのに、起きる気配はまったくない。


「……それは、できかねます」


 かわいらしい声が聞こえた。

 誰の声なのかは、室内にいる人間を考えれば分かる。

 オルスの口が動くのを初めて見た気がする。


「オルス、あなた話せたのね」


 こくり、とオルスが頷いた。

 レクシオンが無口だと言っていたのは本当だったのだ。

 てっきり、喋ることができないのかと思っていた。


「この声のせいで、色々ありましたから」

「そうだったの。あなたも、苦労したのね」


 オルスの声は男性にしては高めで、中性的だ。

 とても優しく耳に届く穏やかな声。

 声だけならば女性と間違えてしまうかもしれない。

 エリネージュは好ましいと思う声であるが、話す本人は険しい顔をしている。

 本人が感じているコンプレックスは、他人が推しはかれるものではない。

 ただ美しいだけが正義ではないのだ。

 しかし、それでも。


「話してくれてありがとう。あなたの声が聞けて嬉しいわ。とても優しくて素敵な声だと思うわ」


 自分を卑下して、自分で自分を傷つけて、心を血まみれにしているのなら見過ごせない。

 自分を否定し続けるのは、とても苦しいから。


「そう言ってくれたのは、あなたが二人目です」


 いつも無表情のオルスが、少しだけ笑っていた。

 その視線は、エリネージュを抱きしめて眠るレクシオンに注がれていた。

 やはりレクシオンは優しい人なのだ。おかしな言動さえなければ。


「レクシオン様は、あなたといると幸せそうに笑うのです。自虐的に生きてきたレクシオン様が初めてご自分のために手を伸ばしたのがあなたなのです。ですから、どうかそのまま側にいてください」

「え」


 それは無理、と必死に訴えるエリネージュをしばらく見つめた後、ぺこりと頭を下げて、オルスは立ち去ってしまった。


(はぁぁ……私も意識を失いたい……)


 目の前には女神も嫉妬しそうなほどに美しい寝顔がある。

 思わず整った唇に目がいき、必死で助けようとして深く口づけたことを思い出してしまう。

 あの時は、レクシオンの命をつなぎとめようと必死だった。

 人命救助のためだ。それ以外の感情は、断じてない、はずだ。

 しかし、唇の感触はまだ鮮明に残っていて、同時にあの時の恐怖も蘇る。


「生きていてくれて、本当によかった……」


 自分のせいで誰かを喪うなんて、もう嫌だった。

 思わず、そう口にした時。


「僕も、リーネが生き返ってくれてよかったよ」


 眠っていたはずのレクシオンが、目の前で悪戯っぽく微笑んだ。


「いつから起きてたの!?」

「オルスが入ってきた時ぐらいから。オルスが僕以外に話すなんて驚いたよ。でもさすがは僕の従者だね。ちゃんと僕と君の仲を応援してくれている」


 そう言うレクシオンは本当に嬉しそうで、少し毒気を抜かれてしまう。

 しかし、いつまでも同じベッドに寝ていられない。

 レクシオンにはしっかりとした休養が必要なのだ。


「……いい加減、この腕を外してくれない?」

「ふふ、本当に可愛いなぁ。もうしばらくリーネを堪能していたいけど、仕方ない」


 レクシオンが腕を緩めたと同時に、エリネージュは瞬時にベッドの外へ抜け出した。


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