夕陽に照らされ、辺りは赤く染まっている。

 小高い丘の上からは、つい先程までいた王都が見渡せる。


「僕は、ここから王都を眺めるのがとても好きなんだよ」


 隣で、レクシオンが穏やかに微笑む。

 喧騒から離れたこの場所には、落ち着いた静かな空気が漂っていた。

 レクシオンの言いたいことは分かる。

 たしかにこの場所は静かで、人気ひとけもなく、王子様が一人の時間を過ごしたいと思うには最適な場所なのかもしれない。

 しかし、だ。


(なんで、墓地なの!?)

 

 心の内で、エリネージュは盛大なため息を吐いた。

 死体をお持ち帰りする人なのだから、今更ではあるが。

 とっておきの場所――としてレクシオンに案内されたのは、どういう訳か墓地だったのだ。

 王都を眺める二人の背後に広がるのは、広大な墓地。そして、その墓地を管理する教会。

 人目はたしかにないが、墓石に刻まれた人々の気配は気になってしまう。

 そろそろ日も落ちて、あたりは夜の闇に包まれるだろう。

 エリネージュは幽霊を見たことはないが、やはり夜の墓地というものは恐ろしい想像を掻き立てるものだ。

 早くこの場から去りたい。

 エリネージュがそわそわしていると、レクシオンの顔が目の前にあった。


「ねぇ、リーネ。どうして後ろばかり気にしているの?」


 心底不思議そうに、レクシオンが問う。

 背後の墓地を見ても、野に咲く花を見るように穏やかな表情で。


「気にするわよ! あなたこそ、どうして墓地に連れて来たの?」

「この場所が一番落ち着けるからだよ。あぁ、でも安心して。もし君がまた死んでしまっても、この墓地には眠らせたりしない。君はずっと僕の側に」

「違うから! そういうことを気にしていた訳じゃないの!」


 どうしてデートで訪れた墓地で、自分が入る墓を気にしなければならないのか。

 レクシオンの相手をするのは非常に疲れる。

 エリネージュは、ぜぇはぁと肩で息をしながら呆れていた。


(どうして、こうもズレているのかしら……)


 確かにこれは変わっている。婚約者がいないことにも納得だ。

 容姿に惹かれたとしても、会話をしたらアウトだろう。


「ふふ、リーネは面白いね」


 挙句、これだ。誰のせいでこうなっていると思っているのか。

 エリネージュは、じとりとレクシオンを睨んだ。


「こんな楽しい日は初めてだよ」


 満面の笑みを返され、エリネージュの苛立ちは霧散した。

 それどころか、しばしその顔に見惚れてしまった。

 なんだかむず痒い心地になる。


「……どうして他の人には不愛想にしているの?」


 カトリーヌが最初に言っていたことだ。

 レクシオンは不愛想だが冷たい人ではない、と。

 しかし、エリネージュには笑顔を見せる。

 それは彼の性癖故なのかもしれないが、どうしても気になった。


「僕がどんな表情をしようと、他人にとっては気味が悪いことに変わりはないからね。でも、ここに眠る人々は、ただ静かに眠っているだけだ。僕が普通の人間になれるのは、ここに来た時だけだった」


 すっと目線を墓地に向け、レクシオンは自嘲気味に笑う。


「あなたは、死人の側が一番安心できるというの?」


 レクシオンは今、生きているのに。


「リーネに出会うまでは、だけどね」


 優しい笑みの裏には、傷ついた彼の心が見えるような気がした。

 エリネージュが死んだと思っていたから、レクシオンは側に置こうとしたのだ。

 彼にとっては、生きている人間よりも死んでいる人間の方が安心できたから。

 しかし結局はエリネージュも生きている。

 それでも、レクシオンは笑顔を向けてくれている。

 エリネージュに出会えたから、止まっていた心が動いたのだと。


(私は、あなたを選ぶことはできないのに……)


 敵国グレイシエ王国の王女で、義母であり女王であるユーディアナに命を狙われているエリネージュには。


(でも、どうして?)


 第一王子で、容姿にも恵まれたレクシオンが、気味悪がられるほどの何を持っているというのだろうか。

 レクシオンが抱えているものは一体、何なのだろう。

 しかし、これ以上彼の心に踏み込めば、本当に戻れなくなる。エリネージュ自身が。


「ごめんなさい。変なことを聞いてしまったわ」

「いいんだよ」


 そう言って笑ったレクシオンは、きれいに心の内を隠していた。

 エリネージュはもう一度、心の内で謝った。

 誰かの心に触れることが怖い。自分のことを知られることも。

 ただのエリネージュとして愛されたいと思いながらも、自分がただの人間になれる日はないと知っている。


 ――あなたは特別な子。誰にも、その力のことは言ってはいけませんよ。


 亡き母の言葉が、呪詛のようにエリネージュを縛り付ける。

 王女でも特別な存在でもない、ただのリーネとして求めてくれるレクシオンに、エリネージュとしてできることは何もない。

 だから、無責任に彼の心の傷を暴くことはしてはいけない。


「そろそろ帰ろうか」


 当たり前のように手を差し出すレクシオン。

 しかし、その手が震えているのを今度こそエリネージュは見てしまった。

 拒絶されることで傷つかない人なんていないのに。

 それでもエリネージュに手を差し出し、その心を伝えてくれるレクシオンは、今まで出会った偽善者たちよりもよほどいい男だ。


「……ありがとう」


 エリネージュはそっと、レクシオンの手に自分の手を重ねた。




 城へ帰ろうとしたとき、教会の方から人の声がした。


「……レクシオン様っ!」


 レクシオンの名を呼んで駆け寄ってきたのは、エリネージュとそう歳の変わらない娘だった。

 金茶色の髪を結い、緑の瞳がすがるようにレクシオンに向けられている。

 彼女が近づいた瞬間、エリネージュは何となくレクシオンの手を振りほどいた。

 大した抵抗もなく、彼の手は離れる。


「モルト伯爵令嬢、どうしました?」


 そう言ったレクシオンの顔に笑みはない。


「父の事件の調査に、何か進展はありましたか?」

「何度も言いますが、調査内容をお伝えすることはできません。それに、今日は調査でここに来た訳ではありませんから」

「す、すみません……あの、そちらの方は?」


 モルト伯爵令嬢が恐縮しつつも、エリネージュに視線を向けた。


「僕の大切な女性です」


 レクシオンはエリネージュを見て、ふっと口元を緩めた。

 その瞬間、モルト伯爵令嬢は傷ついたような顔をした。彼女はきっと、レクシオンに好意を寄せているのだろう。

 誤解を招くようなことを言わないでほしい。


「違いますから! 私はただ、えっと、そう! 拾われただけなので!」


 全力で首を横に振るが、さらに誤解を招くようなことを言ってしまったような気がしなくもない。


(だって、実は死んでた時に誘拐されて求婚された、だなんて言える訳ないじゃない!)


 どうして自分が令嬢を相手に誤魔化そうとしているのかは分からないまま、エリネージュは必死だった。


「拾われた? どういうご関係ですの?」


 案の定、モルト伯爵令嬢に怪訝そうな目を向けられる。


「彼女の美しさに僕が囚われてしまったのですよ。彼女に捨てられないように、僕は今必死なのです」


 それでは、とレクシオンは勝手に話を終わらせて、エリネージュの手を取って歩き出す。


 *


「レクシオン様が、あんな表情を見せるなんて……あの女、何者なの?」


 モルト伯爵令嬢――アーリア・モルトは、二人の後ろ姿を見つめながら、ぐっと拳を握った。

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